前回 の続き。。。
在韓時の時のことを書き出すと、それこそ本が書けそうな勢いで書いてしまいそうなので、ここでは割愛。
たぶん、あの時に夫がシオモニ側の立場に立った発言をしなければ、私の気持ちは全然違ったと思います。
シオモニの考えは今さら変えられないけれど、せめて夫が私側の意見で逆にシオモニに言ってくれてたら、私の記憶の残り方も全然違ったんだろうなと思います。
あの時のことを夫にいうと、「そういう意味で言ったんじゃない」とか(じゃぁどんな意味?)
「自然にバイリンガルになると思ってた」とか言いますが、今となっては、本当のところどうだったなんてわかるはずもなく。私にはただの言いわけに聞こえますけどね。。。
さて、日本に来てからの夫は、私達夫婦間の会話が日本語メインというのもあり、子供に韓国語で話しかけることはほとんどありませんでした。
バイリンガルにしたいなら、我が家の場合は、父親が頑張らないといけないよと、私も夫に話していたのですが、たぶん、夫は日々の積み重ねの小さな変化を待つのが苦手な人。
私の韓国人の友達が、「旦那さんが読み聞かせしてあげて」と韓国語の童話を送ってくれても、数回読み聞かせして終了。
新宿にある韓国人学校の土曜クラス(幼稚園の年齢からあるみたいです)に行ってみる?
と聞いても、遠いし週一じゃ意味がないと却下。
たしかに話せるようには、ならないかもしれないけれど、同じ環境の子もきっと多いと思うし、将来の動機づけにはすごく良いと思うんですけどね。
ただ、夫は、韓国人学校に入学や転校させたいとは思っていたようですが、それは経済的な理由と+αで、私が反対。
現在の居住地からだと、通学に不便。でも学校の近くは家賃相場が高い。
引っ越すと通勤に時間がかかるので、そこらへんも大きな問題でした。
それと、やはり心にあったのは、日本に住むなら、日本語優先じゃないの?
と在韓時のトラウマ。
そんな、状態の中、息子が年中の時に夫は、自分でハングルを教えはじめました。
息子、涙涙の韓国語学習スタートです。