天人に結婚もあれば、仕事もあるぞ、天国に富者もあれば貧者もあるぞ。
死も亦あるのであるぞ。死とは住む段階の違ふ場合に起る現象ぞ。
死とは生きることぞ。変ることぞ。
このほうの許へ引寄せた人間。八九分通りは皆、一度や二度は死ぬる生命を
神が助けて、めぐり取って御用さしているのぞ。奉仕せよ。
どんな御用も勇んで勉めよ。肝に手あてて考へて見よ。
成る程なあと思いあたるであらが。喉元すぎて忘れて居ろうが。
死産の子も祀らねばならん。
死ぬ時の想念のままの世界に住むのであるぞ。
この世を天国として暮らす人、天国へ行くぞ。
地獄の想念、地獄生むぞ。
拝んで居ればよくなるぞ。そんなこと迷信と申すか、拝んで見なされ。
百日一生懸命で拝んで見なされ。必ずおかげあるぞ。
神があるから光がさして嬉し嬉しとなるのであるぞ。
生れ赤児になって聞いて下されよ。
そなた達の本尊は八枚十枚の衣着ているのぢゃ。
死と云ふことは、その衣、上からぬぐことぢゃ。ぬぐと中から出て来て、又
八枚十枚の衣、つけるやうになっているのぢゃ。
判るやうに申しているのぢゃぞ。取違ひせんやうにせよ。
岡本天明 著 「ひふみ新世紀」 コスモ・テンより
昨日のことでした。今の自分があるのは、元亭主だった人のおかげじゃないか・・?
と、唐突に思い浮かんだのです。
人や状況に責任を負わせて、いつまでも「あの時は・」と、とどまっていても
前には進めていないのですね。
3人の子を連れて片道きっぷだけを手に、一文無しで実家へ帰った23年前。
このパソコンに触れる手は、いつもクワやカマに追われて、夜になれば酒乱から義母と子供を守り
なんの希望も失っていた。後ろ髪惹かれる思いで飛び出してしまったけれど・・。
前向きに、前向きにと、暮らしてきたつもりだったけれど・・そこには
「感謝」なんて言葉は浮かんではいなかった。
今の今迄浮かんでこなかった言葉が、突然視点が180度変わった。
平穏だったら、気付かずにいた。
都会だけの暮らしだったら気付かずにいたこと。
「すべてが必然」と聞く言葉がやっと真実味を帯びて脳裏を直撃した。
いつも手を合わせる実家のお仏前に向かって、その素直な思いを告げるといつものように
花が揺れて、お仏壇の開き戸までが(カタカタ)揺れて、いつもいつもご先祖さまと
今も使わせてもらっている性のご先祖さまたちへ感謝をつげると・・・
本当に、こんな風に、喜びに溢れているような光景を見せていただいて
わたしの方こそ今迄気付かずにごめんなさい。ありがとうございます。
これからもどうぞよろしくと、けして死んではいない肉体は無いけれど
生きている精神を確認できた思いだったのです。