口先ばかりで、その場限りでうまい事申して御座るが、それは悪の花、
心と行が伴わんからぢゃ。己自身のいくさが終わっていないからであるぞ。
そなたのもつ悪いくせ直して下されよ、それが御神業ぢゃ、神々様も自分のくせを
直すために御苦労なさっているのぞ。そのために生長する。
昨日の自分であってはならんぞ。六十の手習でとまってはならん。
死ぬまで、死んでも手習いぢゃ。
守護神と申すのは心のそなた達のことであるが、段々変わるのであるぞ。
与えることは頂くことぢゃと申しても、度をすぎてはならん、過ぎると
過ぎるもの生れて、生んだそなたに迫って来るぞ。
岡本 天明著 「ひふみ新世紀」 コスモ・テン
田舎から(鳥取県)義妹夫婦がやって来た。懐かしい再会に、話しに花が咲く。
誤解もあったし、うらまれた日もあったけど、20数年かかって、少し解りかけてきたのは、
自分からの視点を相手側に置き換えてみると、心にとってはかなりの中和剤に
なるということ。
夫や姑の言動や態度も、皆精一杯で同じ貧しい中で暮らした。
高校生だった義妹とはお弁当を作ってあげたり、合宿へのタオルを貸してあげたりして
今でも実のような姉妹感覚は失われていない。
東京へ出戻りした私に、実母からも厳しい言葉を受けて、お先は真っ暗だったけれど
たくさんの思いをしたから、今があるんだろう。
心に描いたことは、必ず叶う日がやってくる。
何もできなかった私が夢に描いていたのは、どこをみても貧乏で
支え合っていたけれど、もっとなんとかしたい。何かしたいという思いだった。
せめて、もしも東京へ来ることがある日がくるのなら、家に迎えたい。
「里帰り」という言葉に楽しい思い出はない。
交通費のねん出と一日がかりの移動時間に、
手の足りない農家では、3日程しか許してくれなかった。
あわただしく、往復の富士山は美しく悲しく心に刻まれた。