「宮崎神社と三ツ池弁天」 千葉市中央区宮崎町 地名の由来 | すみ隆仁(鷲見隆仁)のブログ

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こんにちは、すみ隆仁です。


蘇我駅 東口から東に向かい、千葉市中央区宮崎町に向かいます。


江戸時代の古地図にも、「宮崎村」と書かれています。東金街道 の南に位置し、戦後まで水田地帯でした。



宮崎町の鎮守である「宮崎神社」は、丘の上にあります。参道の坂道を登ります。


みやざき1

住宅街を抜けると、鳥居があります。この先は、鎮守の森です。


みやざき2

丘の上には、立派な社殿が建ち、境内は掃き清められていました。


みやざき3

社殿改築記念碑によると、宮崎町には「三ツ池弁天」という灌漑要用水池がありましたが、戦後宅地化が進み、用水池としての役割が小さくなっていきました。


千葉市からの公園化の要望を受けて、用水池の権利を放棄し、その補償で改築されたそうです。


記念碑の「私たちの祖先が汗と努力の結晶によって造成した灌漑用水池」という言葉に、胸をうたれました。


さて、宮崎町の地名の由来です。江戸時代は宮崎村、明治以降は旧蘇我町宮崎でした。「みやさき(宮前)」で神社の前の土地を指したもので、まさに宮崎神社が地域の中心に鎮座していました。


古い地図