(東京新聞の記事より)

成田空港用地の農地 明け渡し訴訟が結審 千葉地裁

 成田空港用地内の農地で耕作している農業市東(しとう)孝雄さん(74)に対し、成田国際空港会社(NAA)が土地の明け渡しを求めた訴訟が9月30日、千葉地裁で結審した。市東さんは最終意見陳述で「3代100年耕し続けてきた。農地は自分の命に等しい大切なもの」と訴えた。判決期日は追って指定される。

 農地は、NAAが1988年に地主から買収。地主から土地を借りて耕作していた市東さんは、買収を2003年まで知らされていなかったとし、明け渡しに応じてこなかった。NAAは06年に提訴。土地の所有権がある同社は「同意なく市東さんが土地を占有している」と主張している。

 市東さんは「土地を借りていた自分の同意のなかった土地売買は農地法違反だ」と主張。この日は閉廷後、記者会見で「どんな判決が出ても立ち向かっていく気持ちは変わらない」と話した。

 農地の脇を通っている航空機誘導路は、市東さんの耕作地を避けて曲がっている。空港用地内の農地を巡っては、今回の訴訟とは別の農地の明け渡しを市東さんに命じた一、二審判決が16年に最高裁で確定。市東さんは応じず、23年2月、建物の撤去などが強制執行された。

 

(この裁判について書かれた過去のブログ記事です)

 

 

 市東さんは思う。「先祖が耕し続けた農地で、安全な野菜を作りたい。それだけなんだ」

(注1)

親子三代100年にわたって耕し続けてきた市東さんの畑。

B(天神峰農地)は昨年2月機動隊の暴力により奪われ、更地にされてしまいましたが、Aの畑で無農薬野菜を作り続け、全国の消費者に送り届けています。

 

NAA(成田空港会社)は残されたこの南台農地も暴力的に奪い、市東さんがこの地で農民として生きていけないようにしようとねらっています。

(注2)空港公団が「買収した」と記事には書かれていますが、農地法では「畑を耕作している小作人の承諾なしに地主が農地を売ることはできない」ことになっています。

市東さんの祖父の時代から耕し続けた農地、本来なら戦後の「農地改革」で市東家のものになるはずでしたが、市東さんのお父さん、市東東市さんのビルマからの復員が遅れたため所有権を得ることができなかった事情については

 に、以下のように書かれています。

耕作者でない「不在地主」成田空港会社が農地を取得することは農地法で禁じられていたのに…

戦前の苛酷な小作人制度の反省から、戦後は、そこに住んでもいない者が農地を買って「不在地主」になることはできなくなりました。

親子三代100年農地を耕してきた農民(市東さん)の「耕作権」は法律で保証されてきたのです。

ところが成田空港会社は市東さんの耕作地の名目上の地主から「内緒で(市東さんに隠して)」農地を買い、「不在地主」になる、という、農地法で禁じられていることをやったのです。

しかし「成田空港については、法律より国策が優先」という「国策裁判」によって、今その100年耕した農地が、年内にも「強制収用」されようとしているのです。

(注:そして昨年2月、100年耕した農地が機動隊の「夜襲」で奪われてしまいました)

ビルマからの復員が遅れて「農地所有者」になれなかった市東さん

大正時代から耕していたから、戦後の「農地解放」で当然農地は市東家のものになるはずでした。ところがインパール作戦に参加し、ビルマ(現ミャンマー)に抑留されていた市東東市さん(現在畑を耕している市東孝雄さんの父)の復員が遅れ、農地所有者になる手続きができなかったため市東さんは戦後も「小作人」として畑を耕し続けることになりました。

しかし戦後の「農地法」で耕作者の権利は強く守られてきました。

それなのに、「不在地主」成田空港会社が農地を今奪い取ろうとしている。
しかも政府は国会で「成田空港を軍事使用する」と表明している。

戦争のために戦後も農地を取得できず、今度も成田空港を「軍事利用」するため100年耕してきた農地を「強制収用」する、犠牲になれ、という国家。

何度戦争の犠牲になればいいのでしょうか。

(注3)袴田事件と同じ「ねつ造」やり放題の空港公団(NAAの前身)農民から土地を取り上げるためならどんな違法行為も許される?

農地法で「小作人の承諾なしに地主が農地を売ることはできない」となっていたため、空港公団(NAAの前身)は「市東さんには秘密で名目上の地主から農地を買収したことを19年間も市東さんに隠し、何食わぬ顔で小作料を受け取り続け」、更に「市東さんが承諾したように装う」ため大々的に文書偽造を行ったそうです。このことは

に、以下のように書かれています。

国家犯罪の極めつけ、文書偽造やりたい放題

 文書偽造問題とは、問題になっている天神峰南台(てんじんみねみなみだい)の市東家の畑の底地について、旧地主であった藤﨑政吉氏から当時の空港公団(現NAA)が1988年4月に買収する時に、市東さんの畑について、境界を確認し、面積を確定するための「境界確認書」「地積測量図」「同意書」を空港公団(現NAA)が、署名と印鑑を偽造して違法に作成した事件を言います。

 NAAが証拠として提出したのは、1988年に旧地主藤﨑と東市さんとの間に交わされたとする「同意書」「境界確認書」と添付された図面、しかしこれらはすべて偽造文書。

「境界確認書」⇒あわてて偽造したので、「藤﨑」の署名が「藤崎」になってしまっている。市東さんの割り印も偽造

「同意書」⇒東市(とういち)さんは85年に脳梗塞を患っており、筆勢が強い署名は本人のものではない。
 87年に東市さん(孝雄さんの父親)は2期工事差し止めをめぐる裁判での証言に立つんですが、宣誓の際の署名は脳梗塞の影響で明らかにギクシャクとした文字になっています。だけど、翌年の88年に書いたとされる「同意書(偽造)」文字は滑らかで力強く書かれています。明らかに別人が書いたものです。

この偽造問題はNAAにとっては触れてほしくない「急所」なので、現在行われている裁判では「真偽について問題にしない」ことにされてしまっています。まさに「国策裁判」です。

記者は見た!親子三代100年耕した農地を機動隊が「夜襲」で奪い取る瞬間(昨年2月)

 

 

 

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