(読者投稿です)

音楽は思想を表現するか?

昔、黛敏郎が「音楽は思想を表現するか」という実験をやっていました。そこで取り上げていたのは、一高寮歌「アムール川の流血や」。その同じ歌が替歌となり、片や陸軍軍歌「歩兵の本領」であり、片や「メーデーの歌」である。つまり思想性は歌詞にあるのであって、メロディーに罪はない、というのが黛の主張でした。

 

「アムール川の流血や」という寮歌

(注)「アムール川の流血や」は、いわゆる「義和団の乱」(中国では「義和団運動」と言う)のさなか明治33年8月、ロシア軍がアムール川(ロシア語でАмур:アムール、中国語で黑龍江)に臨む黒河鎮で清国(中国)人を大量虐殺した事件を描いている。事件の翌年、明治34年に作られた一高寮歌で、後の日露戦争につながるような、ちょっと不穏な歌詞になっている。明治32年に作られた軍歌「小楠公」(永井建子作曲)のメロディーが元になっているとされる。

 

この「アムール川の流血や」は軍歌にも、労働歌にもなりました

「歩兵の本領」

「聞け万国の労働者(メーデー歌)」

 

ドイツ民謡「もみの木」

 

労働歌「赤旗の歌」になりました。

 

日本人が好きな「ヨナ抜き」のメロディー

日本人は元来「ヨナ抜き」といって、ドレミファの4番目と7番目、つまりファの音とシの音が音感から欠けています。

 

 

ピアノのファのキーとシのキーに画鋲を置いて、残りのキーをチャチャンカチャンチャンといったリズムで叩いていると、なんとなく日本風の歌が出来るのです。これをヨナ抜きピョンコ節というのですが、理屈抜きで日本人の耳にはしっくりくるはずです。


典型は「鉄道唱歌」。ファもシも一回も出て来ません。

 

「男はつらいよ」、リズムはピョンコではないものの、ヨナ抜きです。

スコットランド民謡もヨナ抜きになっている。そこで明治時代にはスコットランド民謡が好んで輸入されました。

Comin' Thro' the Rye(ライ麦畑で出逢うとき)

「故郷の空」

 

Auld lang syne(オールド・ラング・ザイン:懐かしき昔)

「蛍の光」

ちなみに韓国の国歌「愛国歌」は、韓国建国(1948年)の前は「蛍の光」のメロディーで歌われていました。

 

歌詞は同じですが、今の韓国国歌は、このメロディーになっています。

 

 

ところで、昔パチンコ屋で流されていた「軍艦マーチ」となると、ファもシも大胆に何回も使っている。薩摩出身の瀬戸口藤吉という人が、明治30年になぜ、ここまで日本人ばなれした曲が作れたのでしょうか?興味深いところです。

 

 

 

 

コメントをお寄せください。(記事の下の中央「コメント」ボタンを押してください)