(マチューさんの映画紹介です)

 

ヒューマニスト・ヴァンパイア・シーキング・コンセンティング・スーサイダル・パーソン
Vampire humaniste cherche suicidaire consentant
(フランス語タイトル)

Humanist Vampire Seeking Consenting Suicidal Person
(英語タイトル)


日本初公開日の昨晩ヒューマントラストシネマ渋谷で観た。
一気にはとても言えないこの長ったらしい題名

「人道的な吸血鬼が自殺願望のある人との同意を探し求める」とでも直訳するのか?

 

全編フランス語のカナダ映画です。(カナダのケベック州などでは、英語ではなく、フランス語が話されています)

 

 

私がたまに聴いている
JWaveの番組
「PEOPLE'SROASTERY」でISOさんが紹介していた。

 

音楽がとても効果的で美しく特にノスタルジックな甘い恋「エモーション」(昔のブレンダ・リーの歌)を絶賛。二人の不思議な恋の芽生えか。

 


(こんなストーリー)
人間を殺したくない吸血鬼と死を望む青年の出会いを描いたカナダ発のダークファンタジー。

人間社会に溶け込みながら、密かに人間を狩る吸血鬼たち。そんな彼らの中で、サシャは感受性が豊かなあまり人間を殺すことができないという致命的な問題を抱えていた。生きるために必要な血の確保を両親に依存し続けてきたサシャだったが、両親はそんな彼女を血気盛んないとこのドゥニーズと共同生活させることに。サシャはドゥニーズから自分で獲物を狩るよう促されるが、どうしても殺すことができない。心が限界を迎えた時、自殺願望を持つ人間の青年ポールと出会う。人間社会でいじめを受け、どこにも居場所がないと感じている彼は、サシャに自分の命を捧げようと申し出るが……。

 

後味も爽やか。あっという間の1時間半

見終わったときやっとこの長い題名の意味するところがわかった。なるほどね、そういうことだったのね。


後味も爽やか。
あっという間の1時間半


コンパクトに面白く、どことなく切なさも感じる。最新現代吸血鬼事情とでも言いましょうか、
きっと吸血鬼が存在するならば、こんな問題を抱えている、というようなリアルさに共感できます。

母のボヤキ、父の過保護、両親の悩み、
叔母さんと娘、サシャの従姉妹。文字通り血のつながりはそれだけしか登場しない。
主人公サシャは感受性豊かで神秘的なめちゃくちゃカワユイ女の子。


サシャを演じたのはサラ・モンプチ(Sara Montpetit)


なんて!推しの子がまたふえた


それでもなんと吸血鬼令68歳。老化が遅い。

人間だと16歳位の乙女にみえる。

一方の苛められっ子ポールは人生に意味をみいだせなく自殺願望だが死にきれない男の子。
どこにも居場所がない心の限界を感じる
そんな二人の出会いがなんともやるせない。
精神を病み救いを求める人達のグループトークの場とは!

そして安楽死もチラリと考えさせられる。
全てがハッピーな解決策なのかも。
サシャの厳かな演奏を最後に幕を引くのも選択肢の一つかなと思ってしまう。

カナダケベックでの撮影とのことだが全編夜のため、ケベックの美しい自然は目につかず、ちと残念。ヴァンパイヤーだから当然夜なのだが。

生きるために殺さなければならない彼らがそれを真剣に考え悩んだらどうするか?のパラドックス

本作は「死に対する私自身の不安を和らげるために生まれた」(アリアーヌ監督)
数々の短編作品で受賞してきた彼女の初の長編映画です。

フランス語の会話が
人生とは?のエスプリを効かせた問いかけに相応しくお洒落に聴こえてくるようだ。
コンテンポラリー、コミカル、ほろ苦いエッセンス、恋人同士でみるもよし、一人でニヤリとみるもよし、期間限定のため、お早めに!

飲んでいるドリンク、気がつくと備蓄血液を吸ってるんじゃないかと、ふとストローの先に目をやってしまった。(マチュー)

 

 

(編集部より)

ヨーロッパでは食事をしながら「死」について語り合う習慣のある国もあるそうです。

「メメント・モリMemento Mori(死を忘れるな)」というラテン語の言い回しがあります。元々は古代ローマの将軍が「今日は戦いに勝利しても、明日はどうなるかわからない」と、全軍をひきしめるために発した言葉ですが、今では「死は必ず訪れる避けることのできないものであり、だからこそいまこの瞬間を大切に生きることが重要」という「ウェルビーイング」、前向きの考え方に使われているようです。

この「明るい」吸血鬼映画を観て、たまには前向きに「死」について考えてみるのも良いかも知れません。

 

 

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