アイヌとレイシズム、ジェンダー

2020アメリカの黒人男性暴行死事件を受けて大阪市でのBLM(Black Lives matter)デモ。

日本でも差別や人権に目を向けて行動する人が増えたことは大きな希望だ。

 

民族差別されたアイヌ

人(ヒト)は、学名はホモ・サピエンス。「知恵のある人」の意味をもつ動物です。どう?知恵絞って生きてる? サルから進化した動物という証拠はまだなく、サル属の一部。アフリカ類人猿の一種と考えられている。分布は、南極大陸と北極圏の一部を除く、地球上の陸地。分布域が広いので、形質はさまざまで、主なものは「人種」で区分している。コーカソイド(白色人種)、モンゴロイド(黄色人種)、ネグロイド(黒色人種)が3大人種。

アイヌも日本人もおなじモンゴロイドだが、民族が異なる。今、日本の領土である北海道は、もともとはアイヌ民族が狩猟や漁業を営み、ほぼ自給自足で、作れないものは交易で得ていた。

 

村(コタン)を拠点に独自の宗教、行政、司法が成立し、自治的で自己決定が行使されていた。植民地化したのは、隣のヤマト民族。アイヌのように友好的ではなく、国を閉ざしていたが、北に隣接するアイヌの土地には手練手管で一方的に侵略した。アイヌの土地に侵攻し暮らし始めたのは、支配層だけでない。本国で食い詰め、開墾で新天地に理想を燃やす「善意」の人たち。善意の開拓民は、この先住者無視をレイシズム(人種・民族・出自における差別)で正当化した。現在にいたるまで、アイヌに対し「何も問題はなかった」とアイヌの先住民としての権利を踏みにじっているレイシズムの存在について書きます。

 

そして、アイヌの女性についての歴史。ジェンダー問題。

 

レイシズムについて

レイシズム(Racism)とは、人間にはRace(人種、民族、出自など)によって優劣があり、その優劣は肌の色のように運命的で不変という考え方。

科学者により根拠がないことが証明されているが、人々が信じることにより、歴史の中で社会的に作られて「神話」となる。

その考え方が「文明をもつ優秀な人種・民族が、野蛮で未開な人種・民族を支配するのは当然で、使命である」と差別を正当化する。

国民がレイシズムを支持すれば、差別的な法制度が作られて、行きつく先は少数民族の虐殺と戦争。

 

18世紀に近代科学の祖たちは、人類を皮膚の色などの生来的な身体的特徴と人間の特性・能力、知性を結び付けて優劣を説いた。白人社会の文明人の国が半開の黄色人の国や未開の黒人社会のような野蛮な国を指導し教育する責務があるとする。資本主義を急速に発展させた欧米列強は、アジアやアフリカの半分以上の地域を植民地として支配し、レイシズムで搾取を正当化した。

 

レイシズムの人種差別と暴力の構造(アメリカの中高校生向けを日本向けにアレンジしたもの)

現在の日本では、「レイシズム?人種差別?どこに?私は差別してないよ。」という人がほとんどです。目に見えていないからです。

 

日本における差別は、この図にある波線部分から下の水面下で見えていないことが多い。原因はピラミッドの右横の×部分。神話を検証せず、歴史を教育で教えず、人権機関もなく、人種差別禁止法も存在せず、ヘイトスピーチの規制が緩い。

 

欧米ではピラミッドの[無知・無自覚]から下が見えない水面下。

マイノリティとの格差は欧米では多くの人が自覚している。なぜなら、教育で学ぶことで偏見を是正して人権感覚を養い、人種差別は禁止していて、被害を受けたら救済機関もある。

ピラミッドの上部はヘイトのピラミッド。ヘイトスピーチやヘイトクライムは放置すれば、暴力→ジェノサイド→戦争につながる。

 

「差別は存在しない」「関係ない」とレイシズムを放置し合法化すれば、どのようになるか、歴史が明確に示している。

 

①ドイツのナチス政権によるユダヤ人のジェノサイド

 

ナチスのマウトハウゼン強制収容所解放直後の死体の山

 

第一次世界大戦で敗れたドイツは領土を縮小され、巨額の賠償金を背負い、世界恐慌で600万人の失業者があふれていた。ナチスは、1932年の普通選挙で第1党になり、ヒトラーは全権委任法を成立させ、議会に諮らずとも法律がつくれるようにして、ワイマール憲法を骨抜きにし、独裁体制。1935年にニュールンベルク法という人種差別法を作り、最上位人種のアーリア人が世界を支配するには、特に劣等集団であるユダヤ人を絶滅させなければならないと説いた。

 

しかし、人種はどのように選別するか?

アーリア人は身体的特徴で区別し、金髪・青い目・長身・やせ型とするが、定義できない「こじつけ」で、単に非ユダヤ系というだけ。ユダヤ人はさすが身体的には判別できず、4人の祖父母のうち3人がユダヤ教の場合は「法によるユダヤ人」とした。

ユダヤ人とされた人は区別され、家を壊され、財産を奪われ、ゲットーに隔離され、労働を課せられ、人体実験に使われた。600万人のユダヤ人が強制収容所で虐殺された。

 

②アメリカでの奴隷制度

●     綿花を収穫する奴隷家族(1860年代初頭、ジョージア州)

 

1776年のアメリカ独立宣言では、すべての人間の自由と平等が掲げられたが、1787年のアメリカ合衆国憲法では、黒人奴隷は独立宣言の「人間」には該当せず、奴隷制度は容認。18世紀に奴隷反対運動が勢いをもつと、奴隷制度を正当化するために不平等であることが自然の摂理であるというレイシズムが使われた。南北戦争によって奴隷解放宣言が出され、憲法修正により250年続いた奴隷制度が廃止された。しかし、奴隷廃止は、「刑罰を受けた場合を除き」と書かれ、犯罪者には奴隷禁止が適用されず、黒人が逮捕されやすい状況が生まれ、構造的な人種差別を温存している。とくに、警察が人種的偏見により捜査対象を黒人に絞り込み見込み捜査をする「レイシャルプロファイリング」が大きな問題となっている。

 

奴隷廃止後も南部各州では、黒人の公共施設の利用禁止や、人種隔離を行う州法(ジム・クロウ法)が制定され、公民権法ができる1964年までつづいた。また、奴隷制度廃止の1865年に白人至上主義団体であるKKKが結成され、黒人や黒人支持者にリンチを繰り返して現在に至る

KKK(クー・クラックス・クラン)

奴隷制度の時代から、黒人が抗議の声をあげ抵抗すると、暴力や集団リンチ、殺人、警察による逮捕や拷問が行われてきた。その犠牲者は、アメリカ南部12州で、1877~1950まででリンチによる黒人の殺害が3959人(Equal justice Initiative・アメリカの人権団体)。

その他、レイシズムは、南アフリカでのアパルトヘイト、ルワンダの大虐殺…。数限りなくある。

 

レイシズムに対する各国の取り組み

日本でのレイシズム、アイヌだけでなく、被差別部落、琉球・沖縄、在日コリアン、在日外国人などの差別の歴史がレイシズムそのもの。それぞれ個別の歴史は、明治以降の近代・現代史で取り上げる予定です。被差別部落は、出自という変えられないものによる差別で、明治になり賎民廃止令が出されても、戸籍には「新平民」とか「旧穢多」と記載されるなど、新たな境界を創り出し、現在も見込み捜査による被差別部落民への冤罪事件が証拠の検証もされず、死刑判決の80代後半の被告を苦しめている(狭山事件)。

 

ドイツは「ゲルマン民族こそが最優秀で世界を従える使命をもつ」というナチスのレイシズムの贖罪に戦後一貫して容赦なく取り組み、歴史に向き合ってきた。

 

ところが、日本では、ナチスと同じような「天皇を掲げる大和民族のもとに世界が一つになる」(八紘一宇)ために「最優秀の大和民族が世界を従える使命をもつ」という思想が、敗戦後もきちんと否定されたことがなく、レイシズムはいまだに続く。

 

世界の白人主義者や極右政治団体が目標としているのは日本だ。移民を認めず、入管法で管理している排外主義の日本はそのようなグループに絶賛されている。政権は憲法改定で、個人の自由と権利を制限する方向に熱心だ。

 

人類史上、レイシズムとの闘いは、被害当事者が犠牲を伴う戦いによって切り拓かれてきた。日本社会はその人たちの戦いを「見えなくされてきた」、「存在を知らされてこなかった」。メディアもほとんど取り上げてこなかった。

 

国連の人種差別撤廃委員会からの日本への勧告は30ほどになる。2006年に国連の人権理事会が、日本を9日間公式訪問し、レポートをまとめた(ドゥドゥ・ディオン特別報告者の「レイシズム・人種差別に関する日本公式訪問報告」)。メディアの報道では皆無で、kokiは偶然読んで、「日本に人種差別!」とショックを受けた。それから20年近く経つ。アイヌ民族の自立を求めるたたかいは継続中だ。

 

2007「ドゥドゥ・ディオンさん講演会」於弁護士会館

 

アイヌの家族制度(今はこんな制度ではありません

アイヌの家系は、男系と女系が厳重に分かれて並立しており、女性の財産は保障されている。

男系は、父は息子へ、息子から男孫へと一族が司る重要な祭礼(パセオンカミ)や家紋(イトパ)を伝える。イトパは漆器やイナウ(儀式用の木幣)に刻まれた。

 

祭事に使われるイナウ(白いふわふわ)や漆器。

イナウは皮を削いだヤナギなどの小枝を小刀で何度も細く薄く削るとクルクルとカールし、広がる。人間の祈りは直接にカムイ(神)に伝わらないので、イナウに取り持ってもらう。手に持っているのは儀式用の漆器。

 

女性は、ガラス玉の首飾り(装飾品として)。大事なのはお守りの貞操帯(ウプソロクッ)を受け継ぐことだ。

 

ガラス玉首飾り

 

●ウプソロクッ。 ウエストの下あたりに巻いて精神的な貞操の証とする。

 

女系ごとに形や縛り方は千差万別。初潮の頃に祖母や母が作り与える。新しく交換するときは火の神の許しを請う複雑な手順を行う。多くのタブーをもつ組紐で、夫にも見せてはいけない。年老いてあの世に行くときも、これがないと行けない。女性と夫の母の系譜が同じなら、女性は村を追い出され一生日の当たらない場所で過ごさねばならなかった。

アイヌは男と女の役割がはっきりと分かれており、女性が神事を取り仕切ることはできないが、祖先供養(シンヌラッパ)は女性が受け持った。

 

一軒の家は広い一間で、一組の夫婦と子どもたちからなり、子どもは成長すると新たに家を建てて分かれていく。娘は年ごろになると、地続きに小さな家をつくって一人住まい。その家に求婚に訪れる青年のなかから選んで結婚し、この家に住むこともあるし、新しく二人の家を建てることも、夫の元に行くこともある。親子2世代夫婦の同居はないから嫁姑問題はほとんどない。夫が亡くなれば、女性は一人住まい。男系と女系が厳格だから、女性を支配する家父長なんてないのよ。

 

2人以上の妻をもつものは多く、同居していることも珍しくなかった。夫を同じくする妻はウトゥシマッ(相妻)といい、本妻、内縁(愛人)という感覚はない。同居していない妻でも夫に養ってもらわなくても自分で自活でき、子どもを育てられる。肩身を狭くして暮らす必要がなかった。

 

歴史にみるアイヌ女性の一生今はこんな一生ではありません

◇誕生

人が生まれることは、魂が肉体に宿ることだと考えられる。魂が入る時にその子の「つき神」も誕生する。セシマクと呼び、終生、背中について良いことも悪い予感もセシマクが察知する。セシマクは子どもを守ってくれる存在。誕生後、子どもの誕生を報告するカムイノミ(神への祈り)を行う。名前をもらうのは生後2年から数年後。それまでは魔神に好かれないようにわざと汚い名前で呼ぶ。セタシ(犬の糞)など。へその緒は母親のほうだけ切り、子ども側は残しておく。へその緒が自然に落ちるまで、母親は火に近づかないし、父親は狩猟や漁に出ない。子どもは祖母や母が着て柔らかくなった肌着などを産着やオムツとし、手足が動かないほど紐でしばり、母親の下着の中で育つ。

 

エカシオトンプイ(爺さんの尻の穴) マンガ「ゴールデンカムイ」のアシㇼパの幼名。(アシㇼパは「新しい時代、未来」という意味)

子ども時代

赤ん坊が生まれてから数年。その子の特徴をみて愛らしいしぐさや勝っているところにちなんで名前をつける。親の願望や大きな出来事などを反映させることもある。

過保護気味だった赤ちゃんは徐々に薄着にして、暖かい季節は裸で過ごすようになる。アイヌの男子として成人になるまでに立派な猟師や漁師になれるように遊びも工夫されている。

 

輪突き 輪を放り投げ、棒や矢で突く。将来の弓や槍の訓練になる遊び。

女子は成人になるまえに衣服が作れるように裁縫の練習、服のデザインは、家の炉灰や砂地で指で文繍の手習いをして身につける。ござの原料採取と作製。機織り、山菜採り、畑仕事、調理などもきびしく教えられる。十代後半までには入れ墨を整え、メノコ(成人女性)となる。男子は儀式のための用具をつくり祈詞や儀礼を手伝いをしながら自然に身に着けていく。大人の行動を見習って、社会人として恥ずかしくないように必死に学ぶ。現代の古典芸能の無形の技の継承みたいなものだ。人から人へ。アイヌの生活スキルや文化はその努力と鍛錬なくしては成り立たない。アイヌが長い世代にわたって完成させた美と技の結晶は、江戸時代の和人、まともな商人や職人、農民なら、自分たちの精進と共通したものを見出せたはずだ。野蛮人とか未開だとかというのは、平民以外の皇族、華族、武士などの身分から出てきたのだろう。彼らは依存人生のためか、インテリジェンスが欠如しており、天皇といえど、「神武天皇創業ノ始」で西欧化するトンチンカン。

 

明治天皇夫妻の西欧化コスプレ

結婚

アイヌの結婚式(絵葉書) 

大正時代には廃れてしまい、花婿は紋付、花嫁は文金高島田で挙げることも多かった。

日本では、古代から天皇家とか貴族の近親婚は珍しくなかったが、アイヌは男性の母の家系と女性の家系が重なる婚姻は近親婚として認められなかった。男子も女子も幼いころよりそれぞれの役割に応じた働きができるように厳しくしつけられたから、年ごろになれば結婚を許された。女子で15~16歳、男子で17~18歳くらい。親が許婚を決めておく場合もあったが、強制はされなかった。武士階級の娘は自分で結婚相手を選ぶことはできなかったから、アイヌの恋愛結婚のほうが断然自由がある。

 

結婚式は、長老によって執り行われたが、派手なものではなく、儀式の肝は、2人が無事に子どもを育てていけるようにと、火の神や人間世界の多くの神にお願いすること。そのあと、夫婦の関係者に形贈り物贈り物交換をし、新郎新婦が一つ鍋の食べ物を半分ずつ食べ、集まった人にふるまわれた。

 

◇出産

●出産の様子

妊娠中には、流産をしないように、あるいは安産のために、たくさんのタブーや言い伝えがあるのは、古今東西共通している。

アイヌでは、綱を用いたり、頭から荷物をぶら下げるような重労働の禁止。

「臼で穀物をひくのは怠けるな」というのは難産防止のための適度な運動の奨励。

「刃物を懐へ入れると胎児の身体に傷をつける」。

「染物をしたり、火事を見ると生まれてくる子どもに赤や黒のあざができる」。

「妊婦につらい思いをさせて泣かせてばかりいると、生まれてくる子どもも一生泣いてばかりいるつらい人生をおくることになる」。

「楽しく笑ってばかりいると子どもも楽に一生暮らしていける」というような精神的な配慮もある。

 

家族や周辺、社会は本土の和人の妊婦よりずっと、妊婦にやさしい。和人の世界では、妊婦は中絶や間引きの風習で苦しみ、出産後は血の穢れから一人でほったらかしにされていた。

 

お産は、家の中央の炉の下手にゴザを何枚も敷いて、出産の経験者が3~4人、分娩の手助けをする。座産で、後ろから付き添いの女性が抱えて、妊婦は梁からつるした縄につかまって出産する。生まれてくる子どもの父親は、漁や猟の神様は汚れたものを嫌うので、職場を離れて家に帰ってくるが家の中には入らない。難産になると出産の傍らに控えていたエカシ(おじいさん・古老)が、イナウと酒を火の神や産神などに捧げ、安産を祈る。産婦が死んだら、腹から胎児を取り出し、母子が一緒に暮らせるように産婦に抱かせたあと、母は墓に、子は家の近くに埋葬する。

 

◇死と葬送

2022年アイヌの伝統的葬儀が行われた 野辺送りと死者の家焼き

 

アイヌの女性は、家族が健康でも常に死装束(しにしょうぞく)を用意しておくという。もしものときに死装束がないと大変な恥で、亡くなると死装束を着せて炉のそばに遺体を安置する。女性は弔問客用の食事を用意し、男性は墓標をつくる。弔問客は死者に対して特別な声で泣きながら哭泣の礼(ライチカラ)という哀切で美しい調べを唱和する。墓標(クワ・死者の杖)は遺体の横に立てかけ、弁舌に優れた者が死者への引導渡しの弁を述べる。戸外で火を焚いて食事を作り、まず死者に供え、会葬者にふるまう。死者に向かっての告別の辞が終わると、遺体を曲げずにゴザでくるむ。紐で縛り、紐を背負い棒に結び付け、4人の男たちが運ぶ。遺族と会葬者が葬列をつくり共同墓地まで歩く。個別の墓域はなく、墓石もない。木製の墓標も朽ちてしまえば、埋葬された場所は特定できなくなる。墓参りの習慣はない。年に何度か祖霊祭を行って死者たちの霊を慰める。

 

●アイヌの墓 木製。

槍型が男性 針(穴がある)を模したのは女性 家制度がないので、○○家という墓はない。

 

埋葬のときは、神に祈ることや、死者に告辞を述べること、食事をすることはタブー。

女性が死者の場合は、埋葬のあと、住んでいた家は遺品と焚き上げてあの世に送る。「女ひとりでは、あの世で家をつくれない」という配慮。残った家族は新しい家を建てる。アイヌのあの世は地下にある。悪人、魔神、人間を殺傷したクマは地下の地獄(テイネポナモシリ・湿った下の国)に堕ちる。

 

アイヌのジェンダー

アイヌが家父長制でなく、男系と女系が並立して存在し、クナシリ・メナシの戦いでも首長女性が戦いの指導者で存在し、口承文芸にも戦う女性が普通に登場する。女性の地位は低くない。労働には男女ともに従事し、女性と男性の役割分担や性差があり、報酬にも格差があった。結婚すると、妻は夫に対して敬語を使い、夫の名を直接呼ぶことは許されなかった。祭りの祭壇の飾りつけを手伝うことも許されず、神に祈りをささげるのも男の役目。

明治には和人との接触が密な男性が、女性より早く和人化する傾向があり、差別に苦しんだのはまず男性。北海道を資源や食料の供給地とする開拓政策は、アイヌの貧困とアイヌ社会の解体をもたらし、女性は和人との接触が少ないが、子どもや老人をかかえ生活維持に大変な苦難を強いられた。今でいえば、自営業の妻が非正規低賃金労働者の妻になったようなもの。大正時代にアイヌは民族の組織化を始めたが、その運動を起こしたのは男性で、女性の言論はもっぱら文学で用いられた。「悲運」がアイヌの象徴となったのは、アイヌのジェンダー的な側面である。

 

生活の困窮はアイヌの伝統的な生活文化を保持したが、日本社会のなかでは、アイヌの生活文化は観光対象とされただけである。熊の木彫りはアイヌの伝統工芸品とされているが、お土産にして飾ってもクマとアイヌの関係、アイヌの生活や文化や屈辱の歴史は理解できない。

観光で地域にお金を呼び込むために、行政や観光協会がアイヌの伝統に手を突っ込み、「アイヌ祭り」を行う。和人がアイヌの衣装を着たり、命日に供養をする風習がないのに「シャクシャイン命日」を決め、祭りをする。なんちゃってアイヌに要注意!

 

クマの木彫り(スイス 1930 10㎝×5.5㎝×4㎝)

 北海道みやげの熊の木彫りはアイヌが彫ったが売りだが、アイヌ文化においては「リアルに象られたものは、魂を持って悪さをする」といって、神が宿る動植物などを絵画、彫刻、織物にしない。アイヌが彫ることはありえない。明治に尾張徳川家当主の徳川義親が欧州旅行先のスイスでお土産のクマの木彫りを買って、北海道の尾張の入植農場の開拓農民に工芸品として生産するようにすすめたのがはじまり。

 

1960年代から世界的にマイノリティ(先住民)復権運動がさかんになると、先住民族のアイヌの存在が文化とともにアピールされるようになり、男性の陰で控えていた女性が表に現れてきた。マイノリティ女性は、女性としての差別、抑圧、不利益が、民族差別と絡まって強化された「複合差別」を受けている。マイノリティの組織の中で女性の権利を主張するという困難を、マジョリティの女性たちが理解し、分断されず、どれだけ連帯して闘えるか? 

 

マジョリティもマイノリティも女性が半分。被差別部落、在日外国人、在日コリアン。韓流ブームや観光で、マイノリティの文化に感動したら、次は感動のお返しとして、何ができるか、考えてみてください。

 

オリンピックやパラリンピック、万博などのセレモニー、ウポポイなどのテーマパーク型博物館、それらのアイヌを利用した「共生」は、はたして多様性を意味するのか? 

 

終わってしまえば、つくってしまえば、先住権は幕引き?うわべだけの多文化主義。「共生」の次に必ず「調和」がピタッとくっつけられるのも気になる。

 

1986年衆議院での中曽根首相の発言。

「私は日本におきましては、日本の国籍を持っているかたがたで、いわゆる差別を受けている少数民族はないだろうと思います。国連にもそのように報告していることは正しいと思っています」。

 

2020年、麻生太郎財務相。「2000年にわたり、一つの国で、一つの民族、一つの王朝が続く国は日本だけ。いい国なんだなと。これに勝る証明があったら教えてほしい」。(後に訂正)

 

 

「自国ファースト」のエゴイズム。まるで、ヘイトスピーチ。戦前の「ニッポン万歳!」みたいになってきた。 手遅れにならない前に、アイヌという先住民族の歴史、読んだ人はアンチ・レイシスト・ロードを歩きだしてほしい。

 

●アンチ・レイシスト・ロードにジャンプ

私たちにまずできることは、水面下のレイシズムを知り、その歴史と現状を知る。知ることで、差別をなくす視点がひらけ、自分がアンチ・レイシストとして行動することができる。「アンチ」にならなきゃ、なかなか差別はなくならないのよ。(koki)

 

これまでの投稿は、以下でご覧になれます。

(Narashino gender1~41)

(Narashino gender42~)

 

 

 

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