(習志野経済新聞より)

習志野の小学校が張替酒店で課外授業 「子どもの貴重な体験に」

 

 習志野の酒販店「張替酒店」(習志野市大久保1)で課外授業が行われ、5月29日~31日に大久保東小学校(大久保2)、6月10日に大久保小学校(藤崎6)の児童が、それぞれ参加した。

(戦争に使われたヘルメットに興味津々な児童と解説する明里さん(右 後ろ姿))

 

 今月16日で現店舗での営業を終了し移転する同店。現店舗の建物の今後は未定であることを知り、「歴史、建物を子どもたちに伝えていきたい」という思いから「習志野の歴史を語る会」のメンバーで郷土史家のひぐち誠さん、明里さんが同授業を企画した。店主・張替正信さん協力の下、両校に打診し実現した。

 大久保東小からは3年生と6年生が、大久保小からは3年生が参加した。現在も使われている酒蔵や角打ちスペース、サッポロビールの前身である「ニッポンビール」や「チキンソース」の旧書体の看板、2階の金箔(きんぱく)が使われている天袋(てんぶくろ)や富士山の装飾のガラス戸、庭の防空壕(ごう)の跡や船橋市薬園台から移動した木蔵を、ひぐちさん、明里さんの解説付きで見て回り、実際に戦争で使われたヘルメットに触る体験などもあった。木蔵の2階に続く階段は現代では珍しい急勾配で、児童たちは恐る恐る上り下りした。

 児童を引率した大久保小教務主任の相川正代教諭は「授業で昔の暮らしについて学習するので、実際に見学することができて、とても勉強になった。実際のものを見るのは、やはり写真とは違うので、子どもたちの貴重な体験になった」と話す。

 ひぐちさんは「子どもたちにこうした場所を見せる機会は今までなかなかなかったが、張替さんに見学を承諾してもらい、明治から昭和初期のものを見てもらうことができた。みんなの記憶に残すのも我々、習志野の歴史を語る会の役目なので、とてもうれしい」と話す。

 明里さんは「子どもたちの目線はやはり違うなと思う。新鮮な視点で細かいし、鋭い視点で質問をしてくれる。案内しながら、こちらが気づかされたことが多かった」と振り返る。

習志野「張替酒店」、移転のため現店舗での119年の歴史に幕

 

 張替酒店(習志野市大久保1)が6月16日で現店舗での営業を終了し、大久保駅前に移転する。

 同所で1905(明治38)年に創業し、4代にわたり営業している同店。日本酒を中心に店主自ら選んだ焼酎やワインなどがあり、購入した店内の酒を飲むことができる角打ちのスペースもある。

 創業119年目の同店は、1901(明治34)年に創設された日本初の騎兵旅団が近くにあったことから陸軍と深い関りがある。犬養毅のペンネーム「木堂」名義の掛け軸や栗林忠道が書いた書、金箔(きんぱく)が使われている天袋や富士山の装飾のガラス戸、庭には防空壕(ごう)の跡、昭和の「ニッポンビール」(=サッポロビールの前身)、「チキンソース」の旧書体の看板があるなど、建物とその背景に歴史的価値があるため、2023年から今年にかけて4回にわたり郷土史家の明里さんや「習志野歴史を語る会」、「わくわく建築」が中心となり特別見学会が開かれた。見学会は毎回、即満員になるほどの人気を集め、市内外から多数の人が見学に訪れた。宮本泰介習志野市長や佐々木秀一市議会議長、小熊隆教育委員長も見学で訪れたこともある。

 現在の店舗で営業を終了し移転することについて、店主の張替正信さんは「酒販売の他に、飲めるスペースや見学会など、ここでいろいろやって来たが、この店舗ではいったん終了。新しい店舗では心機一転頑張りたい」と意気込みを見せる。

 

 

 
 
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