えん罪で「死刑囚」とされ、死刑囚として初めて再審無罪を勝ち取った「免田事件」の免田栄さんが5日、帰らぬ人になりました。

香港で民主活動家が長期投獄の判決を受けたことがニュースになっていますが、日本でも同じようなことが行われていることはあまり知られていません。

警察官が被疑者を長期にわたり拘禁して「ウソの自白」をさせる「代用監獄制度」という、他の先進国ではあり得ない人権侵害の制度が今も日本では廃止されず、「えん罪」の原因になっています。

免田栄さんは、殺人事件の容疑で逮捕され、代用監獄制度によって警察官に脅され、「ウソの自白」をさせられたばっかりに31年7か月もの間刑務所に入れられました。

 


「いつ死刑が執行されるか」という恐怖の中で人生を奪われ、事件発生から34年6か月目にようやく再審無罪を勝ち取りました。
心からご冥福をお祈りしたいと思います。

 

 

「えん罪」とされる事件、こんなにあります

主なえん罪事件をご紹介します

四大死刑えん罪事件
➀免田事件
➁財田川(さいたがわ)事件
1950年香川県の財田村で起きた強盗殺人事件。被告の谷口さんは獄中34年目にして再審で無罪となり、釈放された。
➂松山事件
1955年に宮城県松山町で起きた殺人及び放火事件。被告の斎藤さんは28年7か月の獄中生活の末再審で無罪に。警察は留置所に前科5犯のスパイを送り込み、「警察の取調べで罪を認めても、裁判で否定すればいい」と斎藤さんに言って「ウソの自白」に追い込んでいたことが判明。また証拠とされた男性の掛け布団の血痕は、警察の捏造であるとされた。
➃島田事件
1954年静岡県島田市で6歳の女児が殺害された事件。知的障がい者の赤堀さんが警察の拷問で「ウソの自白」を強制され、死刑判決。1989年再審無罪判決で34年8か月振りに釈放された。

その他の「えん罪」とされる事件
福岡事件(福岡ヤミ商人殺人事件)
1947年に福岡で発生した強盗殺人事件。福岡ヤミ商人殺人事件ともいう。死刑確定。被告は無実を訴え続け、ベトナム反戦運動にも参加した真言宗僧侶古川 泰龍(ふるかわ たいりゅう)さんが支援活動に奔走して真相究明書「白と黒のあいだ」を出版し、「全国托鉢」で無実を訴えたが、1975年に「叫びたし、寒満月の割れるほど」と無実を叫ぶ辞世の句を残して死刑が執行されてしまった。家族ぐるみで支援活動に取り組んだ古川 泰龍さんは2000年に亡くなっているが、息子の龍樹(りゅうじ)さんが闘いを受け継いでいる。今年2月福岡で古川 泰龍さんの生誕100年記念行事が行われた。

名張毒ぶどう酒事件
1961年に三重県名張市で農薬入りのぶどう酒を飲んだ5人が死亡した事件。死刑確定。被告の奥西さんは「ウソの自白」を強要された、と無実を主張し、何度も再審請求したが、認められないまま2015年獄中で亡くなった。54年にもわたる獄中生活だった。遺族が裁判を続けている。

 

大崎事件

 

狭山事件
1963年埼玉県狭山市で発生した女子高生強盗強姦殺人事件。当時吉展(よしのぶ)ちゃん誘拐事件で犯人を取り逃がし、狭山事件でも身代金を取りに来た犯人を取り逃がし、警察が社会的批判を浴びていました。功を焦(あせ)る刑事たちが、被差別部落に狙いを定め、部落民の石川さんを「別件逮捕」しました。石川さんに「お前がやったと言わなければ、一家の大黒柱であるお前の兄を逮捕する」などと言って「ウソの自白」をさせ、当時読み書きのできなかった石川さんが脅迫状を書いたことにする(!)などして一審で死刑。二審で無期懲役刑になり、確定。その後裁判支援運動が全国に広がり、その力もあって1994年、31年7か月ぶりに仮出獄。今も再審闘争が続いている。

 

袴田(はかまだ)事件
1966年静岡県清水市で発生した強盗殺人放火事件。裁判官の一人、熊本さんは反対したが死刑判決。上告したが死刑が確定してしまった。(熊本元裁判官は退職後、袴田さんの支援運動に加わり、今年11月に亡くなった)
袴田さんは無実を訴え、2014年静岡地裁で再審が認められ、48年ぶりに釈放。しかし2018年東京高裁が再審請求を棄却。現在も闘いが続いている。
 

布川(ふかわ)事件
1967年茨城県布川で起きた殺人事件。被告の桜井さんと杉山さんは無期懲役に。29年の獄中生活の末1996年仮釈放。その後も無実を訴え、2011年に再審無罪が確定。無罪になるまで44年かかった。2015年に杉山さんは亡くなっている。


足利事件
1990年栃木県足利市で女児が殺害された事件。無期懲役になった菅谷さんは2009年DNA鑑定で無実が明らかになり、釈放。19年の獄中生活から解放され、2010年に無罪が確定した。