久しぶりに「南田是也」さんの投稿です。

 

「原爆投下が戦争を終結させた」というウソ

 

(JIJI.COMの記事より)

原爆投下「戦争止めた」 
米国防長官、議会で見解

オースティン米国防長官は8日、上院歳出委員会の小委員会で証言し、広島、長崎への原爆投下について、第2次世界大戦を終わらせるために必要だったとの見解を示した。米国内では原爆投下に肯定的な意見が多く、それに沿った見解と言えそうだ。

 

最近ではアメリカでも「原爆投下は許されない」という考え方が若い人たちを中心に広がっているそうですが、この長官のように「原爆が戦争止めた」と考える人がまだまだ多いのにはガッカリしてしまいますね。

 

トルーマン演説に追加された一言が「原爆投下が戦争を終結させた」という物語を作った

このブログ「住みたい習志野」にこんな投稿がありました。

投稿の中では「原爆投下の真実」というビデオとその内容が紹介されていました。

ビデオの中で次のような事実が明らかにされています。
〇原爆開発責任者グローブス准将の主導で原爆計画が暴走した
〇ルーズベルト急死により、あとを継いだトルーマンは、原爆計画を何も知らずに大統領になった
〇グローブスは京都に1発目を落とし、全部で19発を次々に落とす予定だった
〇日本の敗北は時間の問題だったので、戦争が終わらないうちに、22億ドルもの予算をつぎこんだ原爆の効果を証明しなければ議会で追及されることを恐れ、原爆投下を急いだ。
「一般市民を大量虐殺し、ヒトラーより残虐」という汚名を着せられないため、長崎への原爆投下後のトルーマンのラジオ演説に「多くのアメリカ人の命を救うため原爆を投下した」という文言を急きょ追加し、「原爆投下は正しい決断だった」という物語を生み出した。
〇その結果、原爆の残虐な実態は世界に知らされず、アメリカは核開発の道を突き進んだ
 

日米和平工作をしたフリードリヒ・ハック、習志野俘虜収容所のドイツ人捕虜だった

Wikipediaにこんな記述があります。

 

フリードリヒ・ハックは、青島の戦いにドイツ軍が降伏したことで日本の捕虜となり、福岡俘虜収容所に送られた。日本語が話せたハックは、そこでも通訳を務めた。福岡収容所時代に、被収容者のドイツ将校4名の脱走を助けたとして1916年1月の軍事法廷で懲役1年6か月の判決を受けるが、のちに13か月に減刑されて1916年12月に仮出獄、福岡収容所に戻る。1918年3月に習志野俘虜収容所に移り、その地でドイツ休戦による俘虜解放の日を迎える。

 

日米終戦交渉

第二次世界大戦終戦時の1945年に活動を再開する。そして、アメリカの戦略情報局(Office of Strategic Services、略称OSS)のアレン・ダレス(後のCIA長官)と接触、以降、ベルリン海軍武官室の酒井直衛や藤村義朗中佐らとダレス機関との交渉の準備・仲介を行う。本国の日本海軍側が「アメリカによる陸海軍の離間策」を疑ったため、交渉は成立しなかったが、終戦直前まで工作を行った。

 

習志野市民は「原爆投下のおかげで戦争が終った」などというウソに引っかかることはない

習志野ドイツ人俘虜収容所について書かれた「ドイツ兵士の見たニッポン」という本の120ページ以降に「フリードリヒ・ハック」のことが書かれています。

習志野市民は、かつて習志野のドイツ捕虜収容所にいたフリードリッヒ・ハックが日米和平の工作をしていたことを知っています。

原爆投下がなくても、早晩日本は降伏せざるを得なかったことを知っています。ちゃんと歴史を知っていれば、原爆投下のおかげで戦争が終った、などというウソに引っかかることはありません。

(ハックについて書かれた本)


原爆を使ってその効果を知るまでは和平をしたくなかったアメリカ

ハックの和平工作は日本側の拒否で流れたと言われていますが、近年の研究ではアメリカ側にも和平を望まないものがいたことがわかっています。原爆実験の成功を受けて、この新兵器を使ってみたくなった。このままジャップに手を上げられては困る。和平交渉など引き延ばして、この新型爆弾を使ってみよう、という流れが生れてしまったのです。

最有力な候補地は京都だったといいます。しかし知日派のスティムソンが、皇室の聖地である京都など攻撃しては、日本人は滅亡を賭しても徹底抗戦を始める。窮鼠に猫を嚙ませてしまうことになるからやめろ、やめろと言った、ということがわかっています。そこで代りに、広島と小倉(天候不良で長崎に変更)が狙われた。決して、京都の文化財を守ろうとしたわけではありません。
 

 こういう事実がちゃんとわかっているのに、原爆投下で戦争を早期に終わらせて、日本人も救ってやったのだ、などというウソが平気でまかり通る。だまされないためには、やはりきちんと歴史を学ぶしかないでしょうね。
  降伏することがわかっている日本に対する原爆投下、無辜の市民の殺害は「人道に対する罪」に当ります。東京裁判ではブレークニー弁護人が、昂然とそのことを指摘して見せました。

 その結果、ブレークニーは法廷を追われ、このくだりは東京裁判の公式記録からカットされてしまったのですが、驚いたことにブレークニーはその後も東京に留まり、いくつかの私立大学で講師をやりながら判決までのすべてを見守りました。

 

アジア侵略も、原爆投下も「戦争犯罪」
正当化することはできない


 原爆のおかげで戦争が終ったのだ。原爆投下は正当行為だったのだ。そう言い張る裏には、人道に対する罪に問われては困るという打算があるのでしょう。結局、広島・長崎は、出来もしない本土決戦を叫ぶ狂った日本軍人と、スターリンに原爆ショーを見せたくてしかたがなかったアメリカの政治屋の犠牲になったのだ、ということになるでしょうね。

 

広島・長崎の惨状が知られたことで、核戦争は避けられてきた
 しかし、誤解を恐れずにあえて言うならば、広島・長崎の甚大な犠牲のおかげで、第三次世界大戦=核戦争は今日まで避けられている。三発目のボタンを押して人類史に悪名を残すのかと言われれば、さすがにどんな政治屋も躊躇するということが、その後の世界を救っているということになるのでしょう。
 もし最初の原爆が戦艦大和に投下されていたら、もしかすると世界は、「一発で巨艦を葬るすばらしい最終兵器が生れた」と勘違いしていたかも知れません。もし日本が本土決戦をやっていたら、広島・長崎の惨状は日本軍部によって抹殺されていたかも知れません(実際、昭和19年秋に起った東南海地震の惨状は、まるで消されてしまいました)。

原爆投下直後に日本が手を上げて、世界のジャーナリストが広島・長崎に入ることができたからこそ、世界はその惨状を知ったのです。ジャーナリストが「なんだこりゃ!」と声をあげたことが、結局、今日まで3発目の使用が避けられている大きな力になっていることを忘れてはいけないでしょうね。
  
 原爆忌で秋津平和公園に集るのも、「平和学習」で広島に行くのも、とても大事なことです。それと同時にハックのことをもっと習志野市民に知っていただきたい、と思います。(南田是也)

 

 

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