(日テレNEWSより)

ガザ地区の病院地中から310人の遺体 イスラム諸国、イスラエルを戦争犯罪の疑いで非難

 

パレスチナ自治区ガザ地区で、イスラエル軍が撤収した後の病院の地中から310人の遺体が見つかり、イスラム諸国はイスラエルによる戦争犯罪の疑いがあると非難しています。

墓地は少なくとも3か所あり、これまでに310人の遺体が見つかったということです。女性や高齢者も含まれ、手を縛られた遺体もあったということで、ガザ当局はイスラエル軍が処刑した上で埋めて隠そうとしたと非難しています。

国連の報道官によりますと、人権部門のトップは「ぞっとした」と話し、調査の必要性を訴えました。

イスラム諸国でつくるイスラム協力機構は、イスラエル軍による戦争犯罪だとする声明を発表し、国際刑事裁判所による捜査を求めています。

 

(岩波書店「たねをまく」より)

ガザは甦る 岡 真理【『思想』2024年5月号】

 

 ガザ、それは、ソムードの大地だ。パレスチナ人のソムードが凝縮した土地だ。

 アラビア語には「抵抗」を意味する言葉が二つある。ひとつは「ムカーワマ」。銃をもって闘うレジスタンスの抵抗を意味する。「ハマース」は「イスラーム抵抗運動」のアラビア語の頭文字をつなげた略称だが、このときの「抵抗」がそれにあたる。もうひとつが「ソムード」だ。打たれても打たれても、何度でも立ち上がり、何があろうと挫けずにがんばる、という形の抵抗のことだ。英語のresilience(何度でも甦る力)に相当する。

 

(ブログ編集部注:「ソムード(スムード)」の意味、こう紹介されています)

(スムードصمود ṣumūd)は「不動」または「不動の忍耐」を意味し、1967年の第三次中東戦争をきっかけに、パレスチナ人の抑圧とそれが鼓舞した抵抗の結果として出現したパレスチナの文化的価値、イデオロギー的テーマ、政治戦略である。 この名詞は、「配置する、飾る、横たえる、保存する」という意味の動詞に由来します。)

 

 

 封鎖されるはるか以前から、「ガザにはハヤートがない」がガザの人々の口癖だった。「ハヤート」は英語のlife(生活、人生、生命、生)にあたる。占領下のガザで生きること、それは、到底人間の生とは呼べないという意味だ。やがてガザは封鎖され、世界最大の野外監獄となり―ガザの人々は封鎖下で生きることを「生きながらの死」と呼んだ―、繰り返し殺戮と破壊に見舞われ、昨年の一〇月七日以降は絶滅収容所と化した。日々現地から届く声は、今、ガザで、私たちがこれまでホロコースト映画の数々で目にしてきた、ガス殺以外の、非人間化の暴力のもろもろが顕現していることを証言している一〇月七日はアウシュヴィッツでゾンダーコマンドが蜂起した日でもある。ナチスの絶滅収容所においても、被収容者たちは幾度となく、これが人間かという生を峻拒して、むしろ戦って殺されることを選んだ)。

(ブログ編集部注:

強制収容所におけるゾンダーコマンド(独: Sonderkommando in den Konzentrationslager)は、第二次世界大戦中にナチス・ドイツが強制収容所内の囚人によって組織した労務部隊。収容所のレジスタンスから1944年の10月7日に自分たちが処刑されることを知らされると、ゾンダーコマンドはナチス親衛隊 (SS) やカポ(労働監視員)をマシンガンや斧、ナイフで攻撃し、ナチスは怪我人12人、死者3人もの死傷者を出した。数人のゾンダーコマンドは計画通り脱走することにも成功したが、その日のうちに捕らえられた。反乱で生き残ったゾンダーコマンドのうち200人もの囚人がその後頭を撃ち抜かれ殺された。その日に殺されたゾンダーコマンドは451名にも上る)

 

一九四八年のナクバ、すなわちパレスチナの民族浄化によって、巨大な難民キャンプと化して以来、人間から人間の生を剥奪する暴力に見舞われ続けるのは、ガザのパレスチナ人が「パレスチナ人であること」を、何があっても決して手放さないからだ。踏みにじられるたびに、粉々に打ち砕かれたと思われるたびに、さらに強くなって甦るからだ。「ガザ」とは、ガザだけではない、異邦にある離散パレスチナ人をも含めた、パレスチナの、パレスチナ人の、ソムードの象徴である。二〇一四年のガザ五一日間戦争におけるパレスチナ人の抵抗をテーマに、アンマン在住のパレスチナ難民二世の画家、イマード・アブー・シュタイヤが描いたのは、銃を手に闘う解放戦士の姿ではなく、瓦礫の中から立ち上がり力強く一歩を踏み出す、伝統衣装に身を包んだ、ソムードの化身である若いパレスチナ人女性の姿だった。

 

 

 ガザに対する攻撃が、繰り返されるごと指数関数的に暴力性を増すのも、ガザのソムードゆえだ。今やその暴力は紛うことなきジェノサイドとなり、イスラエルはガザの人間たちのソムードが根を張るその歴史的記憶―紀元前二〇〇〇年に遡る諸文明の記憶、そしてナクバに始まるイスラエルによる数知れぬ暴力の記憶―もろともガザを破壊している。

 パレスチナ人には権利がある。難民が故郷に還る権利。封鎖や占領から解放され、故郷で自由に生きる権利。自分たちの国をもつ権利。自分のことを、自分たちのことを、自ら決定する権利。つまりは、人間らしく尊厳をもって、自由に、平等に生きる権利のことだ。この人間として不可譲の権利を、不可譲のものであるがゆえにパレスチナ人がいかなる目に遭おうとも決して手放そうとはしないために―それは、政治的存在であることをやめない、人間として生きることをやめないということだ―、彼らを、ただの生命、剥き出しの生に還元しようとする暴力は際限なく苛烈さを増していく。その暴力に抗して、人間であることを手放さない、何があっても人間の側に踏みとどまるということがパレスチナ人のソムードとなる。

 今、何もかも瓦礫にして、ガザの人々を飢えた獣に還元しようとする暴力の只中にあってなお、人間であり続けようとする者たちの物語が、ガザから日々送られてくる。路上で花束を売る男性は、ブーケを買うお金のない者に、一輪の花をプレゼントしている。空っぽの胃袋が花で満たされるわけではない。だが、人間性の破壊こそが目論まれているこの暴力のなかで、自分よりさらに悲惨な境遇にある者に贈られる一輪の花は、パンでは満たすことのできない大切なものを満たす。国連の食糧配給の引換券をもらうために何時間も列に並んだ末に、避難民の女性が手にしたのは「卵二個」だった。家族全員どころか、自分ひとりの腹を満たすにも足りない。だが女性は、帰路、出会った年老いた伯母に一個をわたし、残りを家族全員で分け合ったという。一方、イスラエルの世論調査によれば、ユダヤ系市民の九割以上が、ガザに対する現在の攻撃に賛同し、うち四割がこれを“insufficient”(手ぬるい)と考えているという。「人間性の喪失」こそ、人間にとって真の敗北にほかならないとすれば、イスラエルはたとえハマースに軍事的な勝利を収めたとしても、人間の歴史にすでに、その敗北を深く刻んでいる。

 やがて世界はこの出来事を、「パレスチナ人のホロコースト」の名で記憶するだろう。そして語るだろう。ガザの、パレスチナ人の、無数の物語を。人間であろうとするがゆえに、人間を非人間化する究極の暴力に見舞われて、それでもなお人間であることを手放すまいと抵抗を続けた、それぞれに名をもち、顔をもち、声をもった一人ひとりの人間の物語を。人間、それでもなお。ガザは甦る。

 

 

 

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