「日本人とは何者なのか?」(NHK)でわかった日本人のルーツ

 

 

(動画「日本人とは何者なのか?」)

 

“最初の日本人” その「親戚」がタイの密林にいた

日本人の祖先、と聞いてどんなイメージを持つでしょうか?

実は東南アジアのタイの奥地に暮らすある少数民族が、“最初の日本人”の「親戚」とも言える存在であることが近年のDNA解析から分かりました。

その民族の名は「マニ族」

タイ南部、マレーシアとの国境近くに位置するパッタルン県。

マニ族はその山間の奥深くに住み、現地で“森の民”と呼ばれています。

日本人の「親戚」って言われても…

現代の日本人とは姿も生活様式も全く異なるマニ族が、なぜ“最初の日本人”の「親戚」と言えるのか。

この両者を結びつけたのが「古代DNA解析」と呼ばれる、2022年のノーベル生理学・医学賞に選ばれた革新的な技術です。

従来では考えることもできなかった様々な事実がこの10年で次々と明らかになってきているのです。

その1つが2018年に東京大学の太田博樹教授らのチームが発表した研究結果です。

タイやラオス周辺には2万数千年前から4000年前にかけて「ホアビニアン」と呼ばれる狩猟採集民が広く暮らしており、DNA解析に成功したのはこの「ホアビニアン」の骨でした。

太田教授らは、ホアビニアンのDNAと、世界各地の古代人や現代人など計80集団以上のDNAを比較し、どのくらい似ているかを示す近縁性を調べました。

すると、東南アジアの古代人に混ざって、日本人にとって歴史の教科書でおなじみの「縄文人」が、ホアビニアンとのDNAの近縁性、どのくらい似ているかの指標で4位にランクインしたのです。

「縄文人」は今からおよそ1万6000年前から3000年前の「縄文時代」に日本列島に住んでいた人々で、いわば“最初の日本人”です。

青森県の三内丸山遺跡や、火焔土器、土偶などで知られていますが、実は、人類学的には「縄文人」はきわめて謎の多い人々で、一体どこから日本列島にやってきたのか、どんな人々だったのか、専門家の間でも長らく意見が分かれていました。

このため、太田教授らの発表は、“最初の日本人”である縄文人のルーツが、タイやラオスなど東南アジアにあったという直接的な証拠を示すもので、専門家ですら驚く衝撃的なものでした。

下の図は、研究チームが調べた現代の日本人やほかの東アジア人のDNAの近縁性を示したものです。

現代の中国人やベトナム人などはDNAの特徴が似ており、図の中心部分に一直線に並んでいますが、現代の日本人は左上に外れています。そしてそのさらに左上に「縄文人」が位置しています。

 

現代の日本人が、縄文人のDNAに影響されて、ほかの現代の東アジア人とは異なる遺伝的特徴を持っていることが示されているのです。

最新の研究から見えてきた“日本人の成り立ち”

20~30万年前にアフリカで誕生した人類は、6~7万年前にアフリカを出ました。

ヨーロッパ方面へと向かったグループや、ユーラシア大陸を北まわりで移動したグループもいましたが、”最初の日本人”のルーツになったのは東南アジアへと向かった「南まわり」のグループでした。

4~5万年前に東南アジアにたどりついたグループは、そこでホアビニアンになった集団と、さらに海岸沿いを北上した集団に分かれました。

そして、北上した集団が、今から3万年以上前に日本列島にたどりついたと考えられるのです。

 

東南アジアではその後、北から農耕民族が流入しホアビニアンのDNAは失われていきました。

そんな中、マニ族は外部との接触を絶ち続けたため、奇跡的にホアビニアンのDNAを色濃く受け継いでいると考えられています。

一方、日本では海で囲まれていたこともあり、アフリカから大陸を経てやってきた古いDNAの形質が「縄文人」として、残っていきました。

 

およそ2万年前、北海道は大陸と陸つづき。津軽海峡と対馬海峡は今よりずっと狭く、行き来がし易い状態だった。

約1万8000年前、氷河期が終わり、温暖化で海水面は100m以上上昇

このことにより、大陸との遺伝的な交流がゼロに近くなった。

日本列島にやってきた人たちが日本列島の中で、孤立して独自の変化をしていく。

(ブログ編集部より:オーストラリア大陸から切り離されたタスマニアで「タスマニア・デビル」など動物が独自の進化をとげていったのと似ていますね。)

 

世界では文明が起こるが、日本列島の中で縄文人は世界から孤立

その後世界では文明が起こり、人々の移動もさかんになった。

一方日本列島の中で縄文人は孤立。1万年以上にわたり、独自のDNAと文化を育んだ。

「縄文時代、三内丸山遺跡の様な非常に大きな集落がある。狩猟、最終、漁猟の文化の段階で、あれだけ大きな集落をつくって、しかも長時間にわたって定住している。そういう文化って世界中探してもほとんどない。」

 

縄文人は、こんな顔だった

DNA解析で復元。縄文人は、こんな顔だったそうです。

 

定説を揺るがす発見「縄文、弥生に続く、謎の第3のDNA」

 

古墳時代に作られた日本人の原型

その後弥生人が大陸から渡来し、混血。その後古墳時代に「第3の遺伝的な特徴」が非常に大きい割合(6割)で入っている。古墳時代に現代日本人の特徴が形成されていった。

 

大量の人々が大陸から渡来

古墳時代、文字や機織り、製鉄の技術を持った人たちが限られた数でやってきた、と思われてきた。

でも研究で見えてきたのは、それよりはるかに多くの人が渡来したこと。

当時、大陸は戦乱の世。大量の人々が日本に逃れてきた可能性がある。特殊な技術を持った人たちだけではなく、一般の人たちも日本列島の現地の人たちと融合していった。

 

弥生人は北東アジアから来たが、古墳時代には、もっと広い、さまざまな地域の集団(現在の中国南部、東南アジア、インドなど)が古墳時代に日本列島に入ってきて混血したんじゃないか。それが後世の人につながっていく。

 

研究者が考える「日本人のルーツ」最先端のシナリオ

初めに日本列島にたどりついたのは、アフリカから東アジアに最初にやってきた集団だった。海に隔てられて1万年以上も孤立。世界に類を見ない独自の縄文文化が生まれた。

そして弥生時代と古墳時代、これまでの常識をはるかに上回る第二、第三の人の波が日本列島にやってきた。そんなDNAがまざりあうことで日本人の礎ができた

日本人の今の幅に比べれば、はるかに多様性があった。

古代日本、姿も言葉もバラバラ、ごちゃまぜの時代があったんだ!

日本列島という地域に現在住んでいる人たちのゲノムはものすごくいろんな地域の、ものすごくたくさんの祖先から受け継いでいる。

 

 

 

 

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