(時事通信の記事より)
彫刻家の舟越桂氏死去、72歳
舟越 桂氏(ふなこし・かつら=彫刻家)29日、肺がんのため東京都内の病院で死去、72歳。盛岡市出身。
80年代以降、クスノキを素材にした人物像に大理石の玉眼をはめた作品などを制作。素朴ながら独特の存在感を放つ作風で注目され、天童荒太氏の小説「永遠の仔(こ)」など書籍の表紙にも使われた。09年に芸術選奨文部科学大臣賞、11年に紫綬褒章を受けた。
習志野市内で舟越桂さんや、お父さんの舟越保武さんの作品がたくさん見られます
「住みたい習志野」の記事
には、こんな風に紹介されています。
習志野市内には、街角に28の作品が飾られていますが、作品のマップは、習志野市のホームページからダウンロードすることができます。
中でも注目なのは、戦後日本を代表する彫刻家、舟越保武(ふなこし やすたけ)氏(1912~2002)の作品が4点、また息子さんの舟越桂(ふなこしかつら)氏(1951~)の作品も2点飾られていること。舟越保武氏の作品は、長崎の「二十六聖人像」や秋田県田沢湖畔の「たつ子像」など、どこかで一度は見たことがあると思います。カトリックの信仰に裏付けられた、聖なるものへの真摯な追求が感じられます。桂氏はその次男。素材にクスノキを使って、現代人の心象の深みを描き出す作品で知られています。また、天童荒太「永遠の仔」などの表紙を飾る版画でも知られていますね。
(二十六聖人像)
(たつ子像)
(「永遠の仔」の表紙)
これらは、文教住宅都市憲章を制定した当時の吉野市長が舟越父子と親交があったため、こうして飾られるようになったそうですが、考えてみれば贅沢(ぜいたく)な話ですね。
舟越保武
『真心』(2体) 市役所庁舎入口
『鳩をもつ少年』 習志野文化ホールホワイエ
『習志野の子らへ』(レリーフ) 習志野文化ホールホワイエ
『歌暁風』 袖ケ浦体育館
舟越桂
『踊り手』 JR津田沼駅南口
『空を見上げる青年』 JR津田沼駅北口広場
(空を見上げる青年像)
JR北口の『空を見上げる青年』は、野田元総理が駅頭で演説をするときの定位置としても有名ですね。しかし、ああいう場所で男性のヌード像です。俗に「津田沼チン像」と呼ばれているのだとか。酔っ払いが像の股間にガムなど貼り付け、苦情が入るたびに脚立を持ってガムをはがしに行かなくてはならないと、管理している市職員は嘆いていました。そういえば、南口の『踊り手』も、ムクドリの糞だらけですね。
(踊り手像)
「気軽に見られる街角に芸術を」、その趣旨は結構ですが、管理するのは大変でしょうね。作品を愛する市民ボランティアでも生まれると良いのですが…。
旧庁舎の時は左に少女、右に少年、という配置だった「真心」像
ところで、市役所庁舎前の『真心』は、少年像と少女像、2体で一対となっています。少女は左手に花を、少年は右手に鳩を持っています。この2体が旧庁舎前にあったときには、向って左に少女、向って右に少年となっていました。
ですから、庁舎を中心として大きな三角形が構成されていたわけですね。
新庁舎では少女が右、少年が左、と左右あべこべの配置にされてしまった
ところが、新市庁舎が出来上がり、『真心』が移設されてみたら、何と少女が右、少年が左になってしまいました。
新庁舎に移設するのに、舟越家の立ち会いを求めなかったのでしょうね。
「著作権の同一性保持権」違反で処罰を受けるところだった習志野市
ことは単なる飾り物ではなく、有名彫刻家の芸術作品です。また、銅像という物体の所有権は習志野市にあるのでしょうが、作品の著作権は舟越家が保留していると思われます。「著作者の同一性保持権」といって、著作者の意に反して著作物や題名を勝手に変更することはできません。違反すると3年以下の懲役または3百万円以下の罰金 (著作権法119条)に処されてしまいます(但し、親告罪。つまり著作者の告発を待って処罰される)。
2体一対で『真心』という一つの芸術作品。その並べ方も当然、作品を構成しているわけですから、「まちかどに芸術を」と言うならば、市はもっと慎重に対応すべきでしたね。
*駒込大観音事件 東京・文京区にある高さ8メートルの駒込大観音は江戸の昔から広く知られていたが、東京大空襲で焼失した。観音像の再建を考えた寺は仏師Aに製作を依頼、大観音は平成5年に再建された。ところが、観音像の顔が気に入らないと考えた寺はその後、別の仏師Bに依頼して頭部をすげ替えた。これを知った仏師A側が同一性保持権の侵害を主張して裁判に及んだ、という事件。
今は「メンテナンス中」。舟越家に怒られた?
今は、下の写真のように「真心」像が2つとも撤去され、「只今メンテナンス中」の札がかかっています。舟越家に怒られて、像を元の配置に戻すんでしょうか?
(編集部注:現在は正しい位置に置かれています)
習志野市民の財産、もっと大切に
市民の払った税金を彫刻などに使わないで、もっと市民生活に還元すべきだ、といった声もよく耳にします。しかし、わざわざ美術館に行かないと芸術に触れられないというのではなく、散歩の途中に心豊かになれるということは、習志野市民の財産として、もっと大切にしてもよいのではないでしょうか。
舟越氏の彫刻リストに載っていない2つの像
舟越桂の2作品
南口の『踊り手』。台座には「昭和55年度学区緑化推進事業」
北口の『空を見上げる青年』。制作年など不明。
は、舟越桂氏公式サイト
https://www.katsurafunakoshi.com/list_top/index.html
の彫刻リストを見ても出ていません。
但し、舟越さんの彫刻リストは「楠の木彫」ばかりなので、津田沼の作品は素材に楠を見出す前の、初期の(不本意な?)作品なのかも知れませんね。
舟越保武 袖ヶ浦体育館の『歌暁風』については、こちらのブログによると、
盛岡にも同じ像があるらしい。
「盛岡の《青年》は1983年7月16日に盛岡駅前の中央緑地帯に設置されたもので(駅前再開発のため、後に現在地マリオスロード下広場に移設)、もともとは1973年作を手直ししたものとのこと(『舟越保武 まなざしの向こうに』[2014.10・求龍堂]所収の年譜による)。」
と書いてあります。ということは、「1973年作」が「歌暁風」で、不本意なので10年後に手直しして盛岡に再設置した、ということでしょうね。
袖ケ浦体育館前の「歌暁風」(左)と盛岡の「青年」(右)
ともかく、全国的に人気の高い舟越父子の作品なので、こうして他所から見に来てブログに書く人もいます。あまりみっともないことをやっていると、文教住宅都市・習志野、またまた天下の笑い者になるでしょうね。
ライトアップすれば芸術作品なのに…。ライトアップしないから犬の散歩のトイレになっている
それからもう一つ。『真心』で失敗してしまったこと。仁王様でも神社の狛犬(こまいぬ)でも左右が決まっているのに、単なるわけのわからない銅像2体、テキトーに並べておけばいいと思ってしまった一因として、旧庁舎前にあった時からして「芸術作品を見せる」というようにはなっていなかった、ということを指摘しておきたいと思います。芸術作品を見せるようにする、とは何かと言えば、ライティングです。野外彫刻であれば、ライトアップの設備は必須でしょうね。そういう道具立てもなしに、まちかどに放置するから、藤崎森林公園の抽象彫刻など犬の散歩のトイレと化しています。
(森林公園の「非ユークリッド的形態」)
野外に限らず、また美術品に限らず、モノを見せるときのライティングは大切です。試みにデパートに行ったら、品物を見ないで天井を見上げてみてください。商品が輝くように、たくさんのスポットライトが付けられているはずです。美術館や博物館も同様ですね。大事な作品ほど、周囲を暗くして、作品にはたくさんの光を当てています。
ボトルシップもライトアップしなければ「汚(きたな)いビン」
市役所のロビーにボトルシップを置いてみても、さっぱり映えない。「汚いビン」「え、そんな展示あった?」という結果になるのは、普通の事務空間のべたっとした蛍光灯の光の中に無造作に置くからです。「光の魔術」といったことは、今の習志野市役所上層部には理解できないようです。
「文教住宅都市」の看板が泣く
『真心』を正しい配置に直して、夜はライトアップして見せる。その銭が惜しい、なんて言っている「文教住宅都市」では、話になりませんね。
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