イスラエル軍により、国連職員少なくとも165人が殺されている

(NBCニュースより)


https://www.unrwa.org/newsroom/official-statements/least-one-unrwa-staff-killed-when-israeli-forces-hit-unrwa-centre-used

イスラエル軍がガザ地区南部のラファ東部にある食糧配給センターを攻撃した際、少なくとも1人のUNRWA職員が死亡し、22人が負傷した。

「ガザ地区に残る数少ないUNRWAの配給センターの一つに対する本日の攻撃は、食料が底をつき、飢餓が蔓延し、一部の地域では飢饉に発展する中で行われた。私たちは毎日、ガザ地区全域の施設の座標を紛争当事者と共有しています。イスラエル軍は昨日、この施設を含む座標を受け取った」とUNRWAのフィリップ・ラザリーニ事務局長は述べた。

5カ月前に内戦が始まって以来、UNRWAは、その職員や施設に対する前例のない数の人権侵害を記録しており、これは世界中の他の紛争をも凌駕している。

少なくとも165人のUNRWAチームメンバーが任務中を含めて殺害された。

150以上のUNRWA施設が攻撃され、一部は完全に破壊され、その中には多くの学校が含まれていました。

 

ガザ戦闘で子供1万2300人死亡 世界全体の過去4年分超

 

国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)のラザリニ事務局長は12日、X(旧ツイッター)への投稿で、昨年10月にパレスチナ自治区ガザで始まったイスラエルとイスラム組織ハマスの戦闘による子供の死者が、1万2300人を超えたと明らかにした。「世界の全ての戦争で4年間に亡くなった子供の数を、わずか4カ月で上回った。これは子供に対する戦争だ」として、早期の停戦を呼び掛けた。

 

イスラエルはなぜこんな残虐行為をやめないのか?かつてナチスとシオニストは協力関係にあった?

現在イスラエルがパレスチナの人々に行っているジェノサイドは、かつてナチスがユダヤ人に行ったホロコーストと同じではないか、という議論があります。

(パレスチナ人を迫害するイスラエル軍と、ユダヤ人を迫害するナチスは合わせ鏡?)

(左の画像:パレスチナ人を「ねずみのように駆除」というシオニストのプロパガンダ

 右の画像:ユダヤ人を「ねずみのように駆除」というナチスのプロパガンダ)

 

今世界中に「イスラエルはジェノサイドをやめろ!」の声が広がっていますが、イスラエルのやっていることを批判して「反ユダヤ主義者」のレッテルを貼られることを恐れて沈黙してしまう人も欧米(特にドイツ)には多いようです。

 

悪いのはユダヤ人やユダヤ教ではなく、「シオニズム」という人種差別的な政治思想

今回のガザでの事態を「ユダヤ教とイスラム教の争い」のように勘違いしている人も多いようですが、悪いのはユダヤ教、イスラム教など宗教ではなく、「イスラエルをユダヤ人だけのものにするためには、パレスチナ人を暴力的にパレスチナから追い出し、どれだけ殺してもかまわない」という恐ろしい人種差別的な政治思想「シオニズム」が問題だ、ということをはっきりさせる必要はあるようです。

 

このことについて、実はナチス・ドイツとシオニストのユダヤ人は協力関係にあった、つまりナチスがやったことと、今イスラエルがやっていることが似ているのは、単なる偶然ではない、ということを説明した、こんなサイトがあります。

 

ナチスとシオニストの協力関係

~知られざるシオニズム運動の闇の歴史~

「シオニズム」の活動家たちは、当初、「民なき土地に、土地なき民を」をスローガンとしていたが、パレスチナを「民なき土地」にするためには、そこに暮らしている人々を追放し、あるいは殺すことが必要であった。

現在のイスラエル政府の「シオニズム」は、 人種差別的なイデオロギーと軍事思想に基づいているといえる。

 

●今や世界中からユダヤ人虐殺の頭目のように見なされているアドルフ・アイヒマン。彼は1935年頃、親衛隊(SS)の保安諜報部(SD)のユダヤ人問題担当官に就任したばかりの頃、上司の勧めで“近代シオニズムの父”テオドール・ヘルツルが書いた『ユダヤ人国家』を読み、シオニズムに心酔していた。

 

そして、1937年2月に彼は、パレスチナのシオニスト組織「ハガナ」の司令官ベングリオンとベルリンで会談。この時に2人は合意に達し、アイヒマンは書面で「ドイツのユダヤ人を代表する組織は、ドイツを去るユダヤ人がパレスチナにのみ移住するように圧力をかけるものとする」と約束していたのである。

 

また同年、アイヒマンはパレスチナに招待されており、彼の帰途の報告によると、「シオニスト・ユダヤ人たちは、ドイツのユダヤ政策に非常に喜んでいる。その理由は、それによってパレスチナのユダヤ人口を数倍に増大させたから」であった。

 

ゲシュタポとパレスチナのユダヤ人(シオニスト)の協力関係は、アイヒマンの努力によって緊密になったのである。

 

●このアイヒマンは敗戦とともに南米へ逃亡したが、イスラエルによって不法に拉致され、口封じのため、名目上「死刑判決」によって殺害された。

 

アイヒマンは裁判中、次のように反論したことで知られている。

 

自分はナチスという巨大な組織の中の一員にすぎず、すべて上司の命令を忠実に守っただけである

 

「我々(ナチス)が欧州からあなたたち(ユダヤ人)を追い出さなかったら、あなたたちの国(イスラエル)はここには作られなかった」

 

●なお、アイヒマンは南米での逃亡生活中、パレスチナでの経験の一部始終をテープに録音し、このほんの短期間の滞在を、次のように回顧していた。

 

「私は実際ユダヤ人入植者が自らの国を作り上げている様子にきわめて強く印象づけられた。私自身、自分が理想主義者であったから、またそれだけユダヤ人の生きようとする捨て身の意志を賛美した。それに続く数年間、私は交渉相手のユダヤ人によく語った。もし私がユダヤ人だったら狂信的なシオニストになっていたであろう。違ったことを想像することは不可能だ。実際、私は考えられる限り最も熱心なシオニストになっていたであろう」

 

■ナチスの機関紙に親シオニズムの記事が掲載される

 

●ドイツ・シオニズム運動の指導者のひとりヴェルナー・ゼナートアは、かつて次のように述べていた。「シオニズム運動は活動している国の政治に溶け込むものだ」と。ヒトラー政権誕生当時、このドイツ・シオニスト連合の目標は、若い世代のユダヤ人がパレスチナへ出国できるようナチスに支援させるというものであった。

 

ドイツ・シオニスト連合の執行部のひとりクルト・トゥーフラーは、ナチス親衛隊のレオポルト・フォン・ミルデンシュタインに接触して、ナチスの機関紙に親シオニズム的な論稿を書いてもらうよう説得した。

 

ミルデンシュタインはパレスチナへ旅する条件に同意し、ヒトラー政権誕生から2ヶ月後に2人はそれぞれ夫人を同伴してパレスチナへ向かった。帰国して論稿を書くまでの半年間、ミルデンシュタインはパレスチナに滞在した。

●ミルデンシュタインが半年間のパレスチナ訪問を終えてドイツに帰ってきたときには熱烈なシオニスト・シンパになっていた。SS保安諜報部(SD)の「ユダヤ人問題課」の課長として、このミルデンシュタインは今やヘブライ語を学び始め、ヘブライ語のレコードを収集しはじめた。

 

ミルデンシュタインは約束を守る男であった。パレスチナの入植地で見聞したことすべてを好意的に書いて紹介しただけでなく、ナチス宣伝大臣ゲッベルスを説得してナチスの機関紙『アングリフ』にも堂々12回にわたる報告シリーズを掲載させた。

 

※ パレスチナ訪問後、熱烈なシオニスト・シンパになった 
レオポルト・フォン・ミルデンシュタインSS少尉の働きかけで
ナチスの機関紙『アングリフ』に親シオニズムの記事が連載された

 

●また、ゲッベルスはミルデンシュタインのパレスチナ訪問旅行を記念して、表がカギ十字、裏がシオニストの星という記念メダルを作ったのだった。 

 

 

●この親シオニズムになったミルデンシュタインの忠実な子分がアイヒマンである。

 

ミルデンシュタインはアイヒマンにヘルツルの著作『ユダヤ人国家』を与えたが、この本はアイヒマンの愛読書になった。またアドルフ・ベームの『シオニズム運動』もアイヒマンの好きな一冊となり、ウィーンにおいては、ユダヤ人指導者たちとの会見の席で、まる1ページ分をそらで引用して見せたほどであったという。そして、アイヒマンもヘブライ語を勉強するようになった。

 

■■「シオニスト=ナチ通商協定」(ハーヴァラ協定)の実態

■「世界シオニスト機構」の対ナチ協力

●世界中のユダヤ人グループや反ファシズム団体は、ナチスに対抗するためにドイツ製品の「ボイコット運動」を計画していた。しかし、シオニスト・ユダヤ人の中にはボイコット運動に反対する者も多くいたため、ほとんど成功しなかった。

 

反ボイコット派の中でも最も重要な役割を果たしたのは「世界シオニスト機構(WZO)」であった。このユダヤ人組織は、ドイツ商品を購入したばかりか、それをさらに販売し、ヒトラーとその産業界の支援者のために新しい顧客まで捜しだしてやったのである。

ヒトラーに抵抗せず、むしろヒトラーと共働しようとした「世界シオニスト機構」は、独自にドイツ政府と交渉をはじめ、1933年8月に「ハーヴァラ協定」(シオニスト=ナチ通商協定)を締結することに成功した。これはパレスチナへ移住するドイツ・ユダヤ人の資産の移転に関する協定で、双方にとって都合が良かった。ナチスは、これによってボイコット破りに成功した。

●この「ハーヴァラ協定」の締結で、ドイツ・ユダヤ人のパレスチナへの移送が始められたのであるが、移住に際して高額の呈示金を必要としたために、貧困層のユダヤ人移住は進まなかった。「ハーヴァラ協定」そのものは1939年9月の大戦勃発まで維持され、ドイツからパレスチナへのユダヤ人の国外移送は1941年まで続けられた。

●「ハーヴァラ協定」によって「世界シオニスト機構」はおいしい蜜を吸った。「世界シオニスト機構」のドイツ支部は、ナチスの支配下で唯一のユダヤ人組織として機関紙発行を許され、当局との交渉権を握り、急速に成長した。第二次世界大戦が勃発する2ヶ月前の1939年7月はじめには、シオニスト組織を含む全てのドイツ・ユダヤ人組織が、ナチスの御用機関「帝国ユダヤ人同盟」にまとめられたのであった。

 

 

 

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