MISIA、加藤登紀子と反戦歌「花はどこへ行った」を歌う

ウクライナの戦争はエスカレートする一方。そんな中歌手のMISIAさんと加藤登紀子さんが一緒に反戦歌を歌ったことが話題になっています。

(スポーツ報知の記事より)

 

 

ゲストの加藤登紀子(78)と歌ったのは、1960年代に世界的にヒットした米フォーク歌手ピート・シーガーの反戦歌「花はどこへ行った」(55年)。ロシアの文豪ショーロホフの代表作「静かなドン」に登場するコサック(現在のウクライナ、南ロシアに存在した軍事的共同体)の民謡をもとに制作された楽曲で、ロシアのウクライナ侵攻が始まった2月下旬から披露している。

 3000人の視線が注がれる中、MISIAは「この歌の背景を知ると、あの地域はずっと紛争が身近にあると気づかされる。70年ほど前に反戦歌として発表された歌ですけど、今こそ歌い継いでいかなければいけない」と決意を新たに。複数ある訳詞から加藤の翻訳版を選んだことについて、加藤は「私の詞を選んで、歌っているだけで縁(えにし)だなと思いました。うれしいです」と感激した。

 若い方はご存じないかと思いますが、こんな曲です。

 

 

 加藤登紀子さんはこんな風に訳して歌っています。

 

 

テレビ番組「世紀を刻んだ歌 花はどこへいった」で明かされた秘密

この歌、実はロシアやウクライナと深くかかわっている、という秘話を、イラク侵略戦争の真っただ中、NHKの衛星放送でやっていました。

https://www.jca.apc.org/stopUSwar/notice/music2.htm

 

元々はベトナム反戦歌ではなかった

 『花はどこへ行った』は、ベトナム反戦運動の中で広く歌われ、「世界一有名な反戦歌」とも言われる。しかし、シーガーがこの歌を作ったのは1955年、広く歌われるようになるのはそれから7年も後のことである。

 この歌を62年に最初に大ヒットさせたキングストン・トリオのジョン・スチュアートは、「ベトナムのことなど考えず、美しい人生の歌として歌っていた」と語る。

(キングトントリオが歌う「花はどこへいったの?」)

 

 

「テト攻勢」で一躍ベトナム反戦歌に

 転機は、ベトナム戦争における、68年の「テト攻勢」だった。アメリカにとって戦争が泥沼化する中で、戦場がいかに悲惨なものかを伝える報道写真などによって、アメリカの世論は劇的に反戦に転じた。さらに、68年3月、ケサン海軍基地で兵士たちが『花はどこへ行った』を歌う様子が放映され、この歌とベトナム戦争との結びつきは決定的になった。戦争の実相がアメリカ国内に広く知られるようになって初めて、反戦運動が高揚し、『花はどこへ行った』はそのテーマソングとなっていったのだった。

マレーネ・デートリッヒと『花はどこへ行った』

 『花はどこへ行った』を初めて外国語で歌ったのは、女優マレーネ・ディートリッヒである。ナチスに反発し、ドイツを捨てアメリカへ移った彼女は、第2次大戦中、ナチス・ドイツと戦う連合軍兵士を慰問し、ドイツでは「裏切り者」呼ばわりされた。戦後ドイツに帰国した際にも、激しい反対デモに迎えられた。彼女は、「最も好きな歌」として『花はどこへ行った』を歌い続けたが、とりわけこの歌をドイツ語で歌ったことが、ドイツ人への挑発と受け取られ、非難の的となった。しかし、彼女にとっては、ドイツ語で歌うことにこそ、重要な意味があったのである。ナチスに支配され、戦後2つに引き裂かれた祖国の運命、そして祖国を失った自分自身の悲しみを、この歌に投影したのだった。マレーネの歌う『花はどこへ行った』は、静かに悲しみをたたえるようでいて、しかし力強い。

 

 

こちらはドイツ語の歌詞や日本語の訳詩も入った動画です。

 

 

民衆の歌を追い求めるピート・シーガー

 戦争をはじめ社会の様々な問題をフォークソングに乗せて、数多くのヒットを生みだしたシーガーは、55年、マッカーシズムが吹き荒れる中、「非米活動調査委員会」に喚問される。彼は、「私たちのレコードがヒットしたので、娯楽産業を牛耳っていた人々は驚いた。共産主義者がヒットを飛ばすことを恐れて排除しようとしたんだ」と述懐する。音楽活動ができない状況に追い込まれ、絶望の淵に立たされたまさにその年、『花はどこへ行った』が生み出された。

源流にはあのショーロホフの『静かなドン』が-不思議なつながり

 その頃、シーガーは、ショーロホフの小説『静かなドン』を読んだ。その中にコサックの子守歌が引用されていた。

あしの葉はどこへいった?

少女たちが刈り取った

少女たちはどこへいった?

少女たちは嫁いでいった

どんな男に嫁いでいった?

ドン川のコサックに

そのコサックたちはどこへいった?

戦争へいった

(映画「静かなドン」)

 

 

人間は戦争という愚かな行為を繰り返すのか

 ショーロホフがコサックの子守歌を『静かなドン』に引用した理由について、ショーロホフの娘は「この歌は、あしの葉から少女、少女からコサック、コサックから戦争につながる。戦争は戦場にだけあるのではなく、全ての人に関わるものだということを、父は伝えたかったのではないか」と推測する。シーガーはショーロホフに手紙を書き、『花はどこへ行った』の楽譜を送っていた。シーガーのモスクワ公演の際に、2人は会うことを望んだが、ショーロホフの病のためにかなわなかった。結局、この歌を聴くことなくショーロホフは世を去った。

(世紀を刻んだ歌 花はどこへいった)

 

 

私は第三次世界大戦が決して起こってほしくなかったんです(ピート・シーガー)

「赤狩り」で弾圧され、落ち込んでいた時、コサックを主人公にした長編小説「静かなドン」を読んだ。
(ところで、サラリーマンがいきなり暴力団の組長になる、という日本の漫画「静かなるドン」は、この小説の題名をもじったんでしょうが、ショーロホフと何の関係もないことは言うまでもありません(笑))

その中に
「あしの葉はどこへいった?少女たちが刈り取った

少女たちはどこへいった?少女たちは嫁いでいった

どんな男に嫁いでいった?ドン川のコサックに

そのコサックたちはどこへいった?戦争へいった」というコサックの子守歌が書かれていた。

その本はロシアのノーベル賞作家ショーロホフの「静かなドン」だった。

静かなドン はショーロホフの故郷の村のコサックの青年が主人公

第一次世界大戦からロシア革命、更にその後の内戦、という激動の時代をコサックの青年が苦悩しながら生きていく姿を描いたものです。

ショーロホフは身内が敵味方にわかれて戦うのを目の当たりにしてみました。そのつらい体験から「静かなドン」は生まれたのです。

その小説の中に書かれていたコサックの子守歌がこれ、「コローダ ドゥダーКолода-дуда」

 

 

楽譜にはショーロホフの「静かなドン」の中のフレーズから着想を得た、と書き込まれている。

ショーロホフが「静かなドン」に込めた平和への祈りは一人のフォークシンガーの心に届き、世界を代表する反戦歌になったのです。

ピート・シーガーさんが「第三次世界大戦が起こって欲しくなかった」と語っていますが、この曲の元になったコサックの地ウクライナで、今また世界大戦の危機が火を噴いている。

When will they ever learn? (愚かさに)人はいつ気づくのでしょう?

というフレーズ、今まさに胸に響きます。

 

 

 

 

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