「般若心経は、女神(ターラー神)に帰依するマントラ(呪文)だ」って知ってた?

本屋に行くと般若心経に関する本が沢山並んでいますが、深遠な仏教の教えを説いているお経、と勘違いしている方が多いのではないでしょうか?実は、般若心経、こんなものらしいです。

般若心経の肝(心臓)は一番最後の「ギャーテー、ギャーテー…」だけ。その前は単なる「トリセツ」
(佐保田鶴治著「般若心経の真実」より)

ハンニャ・ハラミッタは女性のボサツの名となりました。この女性のボサツは単にハンニャとよばれることもあり、またターラーともよばれております。

(プラジュニャー・パーラミター=ターラー神)

女性神といえば、やさしく美しい姿が想像されましょうが、実はものすごく恐ろしい姿の神様でございます。

(般若心経:プラジュニャー・パーラミター・フリダヤ・スートラムの)「心:フリダヤ」は「心臓」、心経の最後の「羯諦羯諦… 菩提娑婆訶」が心臓ということになります。
この経典のそもそものねらいは、最後の呪文を提示することにあった。

般若心経全部を繰り返すのは、薬の効能書を読んでは薬を飲むというのと同じことになるのではないかと思います。効能書は一ぺん読めばよいのではございませんでしょうか。

(編集部注:つまり、般若心経の最後のギャーテー、ギャーテーの呪文(マントラ)をターラー神(女神)にささげれば良く、「色即是空」など、その前の部分は、この呪文のトリセツに過ぎない、1回読めば良い、ということなんですね。)

苦しい修行をするかわりに、女神に呪文をとなえれば苦しみから救われる、としたのが般若心経
(伊藤武著「図説ヨーガ大全」より)

プラジュニャーパーラミターは超ベッピンの女神だ。
女神のマントラを誦(とな)えることにより無数の功徳が生じる。

「般若心経」は
◎絶対なる帰依の念をもって、
◎このきれーなオネーさま女神をイメージし、
◎彼女そのものである「あらゆる苦しみを消滅させる」マントラを誦える
ことによって従来の波羅蜜行の代替とする、まったく新しいタイプのヨーガを提示したのである。
注:波羅蜜行とは、布施(ふせ)・持戒・忍辱(にんにく)・精進(しょうじん)・禅定(ぜんじょう)・智慧(ちえ)などの修行のこと

同じような説明をしたネット記事もあります。

 

般若心経は大般若経とは関係ない

 

般若波羅蜜多女神の別名は「ターラー女神」なんです。

3つ誤解があって、それは・・・

  1. 先ずこの経典は「タントラの経典である」というのが一つ。
  2. 次に、大般若経とは関係ありません、と言うのが二つ目。
  3. 深般若波羅蜜多はマントラのことで、効能書きに当たる本文のようなものは価値は無い。

このお経は女神信仰なのね。

クンダリーニも女神なんです。

更に、マントラが説かれています。

どっから見てもタントラのお経なのですね。

 

ちなみに、インドの修行者はこれを実際にどう修するかと言うと、「ガテーガテーパーラガテーパラサンガテーボーディー」を何度も咒して、最期に「スワハー」って護摩壇に供物をくべるんですよ。

スワハーは火神に呼びかける意味のマントラだからね。

「どうぞわたしの供物をお受け取り下さい」という意味があります。

 

ギャーテーギャーテーはマントラ(呪文)

 

最後の最後に出てくる

掲諦,掲諦,波羅掲諦,波羅僧掲諦,菩提娑婆訶

ギャーテーギャーテーハーラーギャーテーハラソーギャーテーボージーソワカー

サンスクリット語読みなら

गते गते पारागते पारसंगते बोधि स्वाहा
gate gate pārāgate pārasaṃgate bodhi svāhā

ガテー・ガテー・パーラーガテー・パーラサンガテー・ボーディ・スヴァーハー

という部分を説くことが般若心経の一番重要なテーマなのだそうです。

そしてこの句のことを、サンスクリット語の原文でははっきり「マントラ」と言っています。

だからこそ、この部分だけ意味を訳されずサンスクリット語をそのまま音写してあるんですね。

また、心経の心とは、真髄とかいう意味ではなくて、

般若経や密教系のお経との比較から、心(フリダヤ)=心咒=マントラ、という意味で使われた単語だということがわかっています。

ギャーテーギャーテーの呪文をサンスクリット語で唱えると

 

 

如何ですか?皆さんの般若心経のイメージ、大分変わったんではないでしょうか?

 

 

 

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