農村から江戸へ

 

  • 成田市の三代目の有機野菜農家 市東孝雄さん(73)

花のお江戸に舞台を移したいのだが、まだ、農民をつうじて、江戸時代のしくみ、構造について考えてみたい。なんで真っ当に生きている女性がこんな目にあわなければならないのかといういらだちを書ききれていない。私は女性が生きづらいのは、個人ではなく、生きた時代の構造にあるということをテーマとしてめんどっちい歴史と取り組んでいる。

今回も農村の女性(人口の70~85%が農民、そのうちの半数が女性)が、「まだ江戸には行かないで」と私を引き留めているのだ。今回もお付き合いください。

経済と人口にみる江戸時代

江戸時代、幕府の理想どおり、うまくいったのだろうか?まず、通年の人口変化についてみてみたい。

  • 古代~近世における人口・GNPの推移

年貢を増やすためには、農地を拡大しなければならない。しかし、新田開発に人手を取られていては既存の農地の生産拡大ができない。領地を増やすためには、農地拡大と人口増加に関する計画性が必要だが、それをやれるお役人がいなかったのか?江戸幕府。

江戸前期では人口は増えたが一人当たりのGNPは増えなかった。人手を新田開発に取られて、農地の生産拡大には至らなかったからである。中期からは人口は横ばい傾向になり、1世帯あたりの耕地は約半分の規模になったから、農家では小規模化(オジ・オバを含む平均7名いたのが直系家族だけの5人規模に)が進み、土地生産性を上げるために、労働は過酷なものとなった。年貢の安定化は、「胡麻の油と百姓は絞れば絞るほどでるものなり」じゃうまくいかないということがわからない大名は失格でしょ。

一方、独立した次男、三男は「養子にいけば大丈夫」とは思わず、新田において米以外の茶、綿、タバコを生産したり、鉱山開発、さらに都市に移動し、流通や商工業に従事した結果、一人当たりGNPは江戸前期の横ばい傾向から転じて、大きな上昇傾向がつづく。農家の下男も、奴隷状態から逃れて、努力で百姓になったり、小商いなどで成功した。

  • 近世における人口密度・都市化と産業別付加価値シェアの推移

経済と人口が相互に影響しあいながら、持続的に成長していた江戸日本も、江戸後期には、人口は停滞する。新田開発はキャパシティがなくなり、農村での加工品・特産品の生産や農村工業の発達、また北前船などの流通で、地方でも農業を中心とした新しい経済循環が全国を被うようになる「地方の経済成長」の時代。都市化は後退したが、人口密度は増加している。

(北前船:きたまえぶね)

 

 

人口停滞の原因は、「小氷期」による気候寒冷化で煩繁に凶作が発生し、飢饉がおき、多くの人々の命を奪ったからというのは、北関東や奥羽地方では当てはまるが、大きな原因は少子化。人口と出生率は同様の歩調で推移している。

  • 1950~日本の人口の推移と、将来推計人口

現在、令和の日本は地方衰退、若者離れは止まらない。地方の存続の危機的状況だが、江戸時代の地方はりっぱに成立していた。江戸幕府のはたらきではない。藩とか人々が知恵をしぼったんだね。すごいよ、お百姓さんたち。

今の政府や国会議員は地方出身者が多いのに、地元に持ってくるのは、原発か空港か、はたまた防衛施設かギャンブル場、万博かオリンピックか…。地方はますます疲弊する。若者の働く場所が地方にはない。若者を結婚できないほど奴隷化して、お年寄りは「高齢化」と邪魔者扱いする。人口減少当たり前だろう。江戸時代に学べ。

  • 福井の美浜原発(航空写真と地図) 40年超運転の原発が稼働中だが、さらに新増設計画がある。Kokiはそもそもこんな風光明媚な場所に原発をなんて発想することがおかしいと思う。政治家が利用を考えるなら、観光立地だろうし、そのほうが地元の発展になる。一日も早く増設をストップし、廃炉にして、原発のない場所にして、土地利用の検討をイチから始めて、若い人を呼び込め。

  • 左→2023年11月 成田空港会社 田村明比古社長記者会見。「成田空港、スタッフ2/3が不足で、飛行機飛べない」。
    右→2024年2月 空港に隣接する耕作地を成田空港会社に奪われようとしている有機農業栽培農家の市東孝雄さん。「安全な野菜をつくりたいだけ」。

鷺沼地区土地区画整理でも農地が高層マンションに

習志野市の区画整理事業地で、「あそこは、元は庄屋さんで土地持ちだから、再開発で土地を売って大金持ち」と言っている人がいた。土地を売ってしまったら、何百年も続いた農家や農地がなくなると同時に「庄屋さん」は完全に消えてしまうね。江戸時代には年貢を納めながら、お百姓さんがえんえんと守ってきた誇りある農地。農地は百姓の命。それが高層マンションになる。なんだか悲しい。コンクリート化を喜ぶ時代ではない。寂寥感でいっぱいだ。

  • 鷺沼地区土地区画整理事業予定地

  • 計画地の地図と航空写真

  • 土地利用計画 37ヘクタール。土地の権利者数216名。農家の高齢化、跡継ぎ問題の解決を目的とする、すべて習志野市がデベロッパーによるPV事業で行う。計画人口6800人。完成は少なくとも10年後。

身分差別と男女差別

  • 江戸時代の農民のなかの身分

農民にも階層がある。古代から中世にかけて、公領や荘園の領主から経営を任され、貢納の責任を担ったのは「名主(みょうしゅ)」という階層で、大名は「大名主」より転じた言葉。「名主」は関東は名主(なぬし)、関西は庄屋、東北や北陸は肝煎(きもいり)と呼ばれることが多い。「庄屋さん」は、今でも農家や元農家が多い地区で人々の意識にある。

村の正式会員は本百姓で家長に限られる。女性は家長にはなれない。男ばっかりでやってたわけよ。村方三役を持ち回りで担う有力農民は、隷属的な血縁家族や下人、雇用労働者を労働力とし、牛馬を利用した大規模農業を営んでいたり、酒造業や質屋をやっていることもある。元武士だったり、苗字をもってる者もいる。

年貢の納入は村単位で請負い(村請制)、個人納入ではない。大規模農家が小規模農家をコントロールする構造が確立してくる。キリシタン弾圧目的の五人組制度があり、五軒くらいの家をグループにして、連帯責任制なので、村役人は五人組を締め付ける。五人組は結束すればいいが、村八分の方向に動くことも多々ある。

 

  • 幕府の地方支配 赤が代官所。代官がいない藩も多い。

よく時代劇にでてくる「代官」は武士で最下層の旗本クラス。身分の割には支配地域は数万石単位と広く、権限が大きい。時代劇では悪代官で、「おぬしも悪よのぉ~」と越後屋から賄賂を受け取るのが代官のイメージ。でも、代官様は官吏として年貢取り立て以外にも治安維持など農民を守る「保護」の役割があり、名代官で名を残す者もいる。1603年の郷村法令で、家康は「百姓をむさと殺し候事、御停止たり。たとえ料(とが)有るといえども、之をからめ捕り、奉行所に於いて対決の上、申し付くべき事」(7条)と農民の命だけは保障し、直訴を認めている。

女性の財産権や経営権がなくなり、男の家長一人だけが権力をもつようになれば、農家も武士階級の家父長制と同じ。長男以外への次男三男への家族内差別が一般化した。

まだ、次男三男は養子になって他家の家督を継いだり、分家もあったが、女性はその機会すらもない。もはや男女の役割分担ではなく、農村の女性もジェンダー・ヒエラルキーのただなかになり、農村の女性はタテの身分差別とヨコの男女差別というダブルの抑圧で、女は最悪のものを取らなければならなかった。姑の嫁いびりはこの時代に始まった?「長男の嫁」のきつさは戦後、家制度がなくなっても続き、昭和の時代もあった。今もある? 「嫁がずけずけモノを言う」なんて言っている高齢者に、それはいいことなんだと言いたい。「あなたもずけずけモノをいって、嫁と仲良くなりましょう」。もう、「家」の時代じゃない。

  • 江戸時代の平均的な農家(核家族)の一生

オランダ人の医師、ツンベルクは、「トラホーム(伝染性慢性結膜炎)で失明する人が多い。100人のうち90人は梅毒で、はしかや疱瘡(天然痘)は病とは考えていない。子どもの寄生虫は「虫腹」といわれ、百人が百人。それを、封建領主は何とも思っていない」と書いている。

生きるだけで精一杯。保健衛生なんか考えられない社会だったのだ。

残酷な搾取に、さらに飢饉が襲う。飢え死にするくらいなら、未知の都市を舞台に労働者として突破しようと試みて、若い女性は江戸に出ていったのではないか。幕府が公娼制をつくり、農村出身の女性が遊郭で働くこともよくあった。現在の性産業で働く女性につながる。

 

五公五民

江戸時代の年貢は現在のサラリーマンの年収にかかる税金とちがって、土地にかかる。水田だけでなく、米を作らない畑地、屋敷地、塩田などにも石高に換算した米で納められた。

当初、豊臣秀吉の太閤検地で行われた土地調査から、江戸の始め(宗門人別改帳が作られる1670年以前)に、日本全国総石高は1850万石。これで、年間1人1石(1日3合)で、人口1800万人養えると考えた。これが幕府の当初の歳入プラン。大雑把だねぇ。農民も1人1石食べるのだから、年間収穫量から農民分の米は最低必要経費と認めて年貢の計算をするというような発想がない。それどころか、「農民は米以外のものを食え。上等米は年貢」などというお触れを出すくらい収奪一辺倒。

70%~85%の人口の農民に食わせてもらっているという武士の意識のなさは、封建バカなのでしかたないとしても、土地を与えた藩という私領主に行政おまかせという徳川日本の国家システムは優れていたわけではない。18世紀に入るころにはもう幕府は財政難。焦って目安箱なんか置いてももう手遅れ。

  • 各国の国民負担率

ずっと財政難の岸田政権の国民負担率税と社会保険料の合計が、昨年、2021年決算で48.1%になり、「江戸時代の五公五民並み」と話題になったが、江戸時代初期は四公六民だったのが、吉宗時代に年貢が増えて五公五民に。

岸田総理は「受益と負担を考慮していない。江戸時代の年貢と同列に論じることは不適当」と現役世代の高負担については完全にスルーしたが、綱吉や吉宗は年貢をめぐって危機感を感じ、勘定方の機構改革、年貢収納方式の変更などをやった。江戸時代に学べ。

 

  • 享保の改革

「改革」は江戸時代にはあった。成功しなかったけど。増税メガネの岸田総理も年中言ってるし、「新しい資本主義」もなんだかさっぱり意味不明。行き詰った資本主義をどうにかしなくっちゃという時代なのに。うまくいかないのは、なんでもかんでも憲法のせいにして、戦後憲法の原理である平和主義・国民主権・基本的人権の尊重を裏切り、「そもそも国民に主権があることがおかしい」(西田昌司)、「天賦人権説をとるのは止めようというのが私達の基本的な考え」「安保法制に国民の理解は関係ない」(片山さつき)、と国会議員が憲法否定。こういう人たちで憲法改正の改革が進められている。

  • 西田昌司参院議員と片山さつき参院議員

へんな例えだが、政府にとっては、現代の民主主義国家の国民というのは、徳川幕府では、政権をとった神君家康みたいに一番大事なもの。武家諸法度は憲法に等しい。徳川260年、幕府は家康も武家諸法度(憲法)も決して否定しなかった。暴れん坊将軍が「そもそも家康なんかが将軍になったことが間違い」なんて言わんだろう。現在はなんてめちゃくちゃな奴どもが政治をやってるのだろう(koki)

 

 

 

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