[英名]Oat
[学名]Avena sativa
イネ科/多年草
30cm~1m
[茎]:滑らか
[葉]:平ら/幅1~1.5cm
[小穂]:各節から出る細い穂枝の先に数個つく/大きい/小花が2・3あり/ぶら下がる/夏に穂状花序となってつく
[種子]:紡錘形/淡い金色

【栽培】
◆[古代の栽培化]:カラス麦(野生種のこと)から作物化された/ゲルマンからギリシア・ローマへ伝わる(紀元前期のうちに)/当初は飼料・医薬用が主で飢饉の時だけ人間の食糧となる/食べる際には主にオートミールにする
◆[中世にて]:全ヨーロッパに栽培が広まる/不毛な土地ではメインになるのが仕方ない(アイルランド・ノルウェー:近世)/劣等地では永続的に栽培された(イングランドなどでも)/内陸への植民地では特に多い(イングランド:中世盛期)
◆[三圃制と春蒔き燕麦]:短期間で収穫できるので2年目の春分の日の直前に蒔いたことで生産が増した(中世盛期)
◆[冬蒔き燕麦]:春蒔きが普及する以前の生産が少ない時代はこちらが主流/スコットランド南東部でも春蒔きだった
◆[脂肪が多い]:小麦に比べて/だから長期保存に向かない

【民俗学的なこと】
◆[長い禾(か)は伸び縮みする]:湿度に反応する(湿度計の代用)/インチキ占い師がこれを“アラビアのクモの脚”“魔法のハエの脚”と偽った/湿った手に載せたり息を吹きかけたりして縮むのを見せた
◆[麦笛]:燕麦の藁で作る/一方が藁の節で塞がるように切って節の近くに小穴を開ける/他方から吹いて音を出す
◆[貢納]:年貢の対象である(例:ベッテンドルフのカラス麦投げ)/森の産物と引き換えに貢める対象となった(他には野鶏・蜂蜜・卵・チーズなど)/領主歓待にも供出が求められた
◆[家畜飼料]:大麦とともに/馬にも“ホースブレッド”を与えた(中世後期ロンドン)

【調理】
◆[ビール醸造]:用いられた(大麦と共に)
◆[ウォッカ]:燕麦を原料とするのが原則/祭日での農民の酔いっぷりは旅人も記録している(16世紀)
◇[第3のパン]:大麦・燕麦から作る/シトー会用(12世紀前半)/カルトゥジオ会にも燕麦のパンが普通にあった/美味しくない/中世都市には燕麦パンはまず見られない(都市の食卓に登場するのは非常事態のみ)
◇“オクスホーン・ケーキ”:燕麦+キャラウェイ+小粒の干し葡萄/十二夜(降誕節から御公現の主の日〔1月6日〕まで)にて余興用に作られたケーキの1つ
◇[オートミール]:燕麦を(粉に挽かずに)ミルク・ブイヨンで煮て作る粥
◇[ポリッジ]:粉を水で煮る/スコットランド・ウェールズで食された/貧困の象徴

【症状と薬効】
◇心臓/神経/胸腺の強壮剤となる
◇皮膚の軟化剤として外用する
◆あまり重病ではない病人への食事として(重病人には消化が良くない)
[欝症][神経衰弱][帯状疱疹][ヘルペス][更年期障害][病後の衰弱]:内服する
[湿疹][乾燥肌]:外用薬として


土地利用と技術文明

 


(1)犁耕・作付

 


【 重量犁の導入 】
◆ [
重量犁 ] (カルーカ) :

軽量犁(アラトゥラ : ローマ帝国の大半で用いられていた)よりも大型・高効率/アングロ=サクソン期の技術革新の中で最も特徴的
 ①鉄製の犁頭(share : 軽量犁はせいぜい尖端を鉄で被せた木製
 ②犁刀(coulter knife : 犁頭の前に固定されて溝を切り込み切れ目の運動を方向付けた
 ③犁板(moulding board : 犁頭と平行に取り付けられて切れ目の土壌を横に撥ね除けた
 ④車輪(wheel)を備えた
◆ [
イングランドには重量犁が必要 ]  :

上記の4要素は地方的にはバラバラに用いられていた/4要素が合体した改良犁はローマ人渡来直前にベルガエ人がブリテン島に持ち込んだと言われる/イングランドの重質土壌(さらに森林を切り開いて開墾しなければならない)には軽量犁は明らかにされた不向きだった
◆ [
ローマ人は軽量犁 ]  :

ローマ人は軽質土壌好みゆえに(そもそも地中海周辺地域での農業に重量犂は必要ない)/これは折り返しが容易なので小区画耕地(ローマ=ケルト時代の農村)によく適していた


【 繋駕法の採用と耕地の変化 】
◆ [
家畜の牽引方法の改良 ]  :

重量犁の使用に伴って起こる/ローマ人の軽量犁は1・2頭の家畜(しばしば人間1・2人)で足りた/(しかし)重量犁には8頭(場合によっては6頭もしくは10頭)の牡牛で構成される犁隊が不可欠
◆ [
繋駕法の改良 ]  :

大規模な犁隊の編成に伴うもの/ローマ式繋駕法〔車()首輪家畜の首〕は畜力を無駄にするので大型の犁隊に用いるのは不適切/(対して)ケルト系・ゲルマン系方式〔重量犁頸木(誘導棒引き綱)家畜の肩〕はたいへん効率的
◆ [
技術の繋がりの重要性 ]  :

改良された繋駕法はローマ以前に知られていた/しかしこれが重量犁の使用・大型犁隊の採用・耕作方法の変化にまで至ったことがきわめて重要だった
◆ [
耕地の長大化 ]  :

重量犁の弱点は折り返しが扱いにくいこと/(反対に)直線で長い溝の切り開きに最も優れている/そこで重量犁に合わせて耕地の形を変化させていった
 ①地形が許す限り長くなった
 ②平均して大きくなった
 ③各地条は耕圃のギリギリの長さに渡った
 ④4細い地条1つが1日(or)半日の犁耕で作られた


【 農村社会の変化 】
◆ [
複数農家による耕地経営 ]  :

大型耕地は1戸の農家が保有・耕作するには大きすぎる/重量犁そのものが農家1戸では維持費がかかり過ぎる+能力過剰である/だから重量犁は共同作業を行う数家族・数農家による共同所有・運用となる
◆ [
数家族が団結して作業する ]  :

通常の農業労働だけでない/特に最初の開拓を行う(樹木・茂みを取り除く,土手を作って排水する必要がある場所に溝を掘る)には十分な労働力が必要/そこで単系親族集団(数戸の傍系家族の夫婦を同じ親・祖父の家長権の元に結合した)・あるいは数家族の団結が求められていた
◆ [
定住が村落化していく ]  :

アングロ=サクソン開拓農民のこの傾向(中世初期)は上の2要因によってそれ以前よりも著しくなっていく/(もちろん)ローマ=ブリテン時代やそれ以前にも集団の村落定住は存在した/(反対に)中世盛期でもでも個別条件によっては核の無い定住も存在した
◆ [
各保有農の保有する耕地は混在する ]  :

個々の保有農の地条が(村落の)諸耕圃にわたって分散していた/(しばしば)それは厳格な順序で並んでいたとされる
◇ [
太陽区分によって分割された ] (スカンジナビアの慣習) :

太陽の回るコースにしたがい東西と南北へ向かって決められる区分/各耕区〔ファーロング〕に持つ村民の地条の並び方は保有者の家屋敷が街道に並ぶ順序と同じ/(また)その序列は太陽の回る方向〔=時計と同一〕と同じである
◇ [
相続によって生じた ]  :

相続人への土地財産の細分割が、はじめはまとまっていた保有地を地条へと分割していった
◇ [
共同体原理によって生じた ]  :

あらゆる保有農の分け前は優等地と劣等地を持たねばならない/(さらに)保有農は犁・連畜への出資分担に応じなければならない/これを正確に分ける最良の方法が(分け前を)1作業日で犁耕可能な土地面積単位で計るという方法に他ならないというもの


【 三圃制の実際と作付作物の変化 】
◆ [
実は偏差がかなり存在する ]  :

その運用は教科書的に厳格ではない/調和が取れているわけでもない/地域によって(土壌・気候が異なるから)作付作物の選択・割合が異なるのは当然/(さらに)同一村落内でもその時々で播種する穀物を変えた
◆ [
主要な冬穀がライ麦から小麦へとなる ]  :

冬穀(秋蒔きの翌夏収穫)の変化は間違いなく改良の1つだった/たいていの文書にこの傾向が見られる/この背後にあったのは「西ヨーロッパへのバルト海地方産ライ麦の流入開始」(13世紀後半)のようだ
◆ [
マメ科植物が広範に利用される ]  :

幾つかのマナー(所領)では導入が早かった/一部のマナーでは豆が主要穀物として栽培されている/〔例〕ブレンドのマナーでは400エーカーを栽培(13世紀中葉)/ただし一般的な改良としては中世後期のこととなる
◇ [
マメ科実際のメリット ]  :

栽培によって土壌に硝酸塩肥料の補給が補給されて収穫が回復する
◇ [
しかし効果は認識されず ]  :

農民はある土地に豆を栽培しながらその後すぐに別の穀物の栽培を「しなかった」
◆ [
春穀にオート麦(燕麦)を導入した ]  :

春蒔きの夏収穫に、寒冷で湿気のある土壌に強いオート麦の作付が増加していく/開拓が進展した土地ではどこでも作付面積が急増していた
[ 全播種面積の80%がオート麦のマナー ]  :

ウィンチェスタ司教の植民所領であるホイットニー・マナーにて(1209年)
◇ [
オート麦は内陸植民の指標 ]  :

開拓の拡大/縮小とオート麦の作付は連動していたので

 

 

(2)土地の運用

 


【 囲い込みは増加していく 】
◆ [
高地の牧羊経営地域などでの囲い地 ]  :

各家の屋敷地だけではない/耕作(住民は牧羊業と並行して農業を営んだ)も囲い込みの小農場で個別的に行っている
◆ [
農耕地域にもあった囲い地 ]  :

開拓の進展する過程(1314世紀)にて/新しい地片が共同耕地に取り込まれているにもかかわらず(一方では)囲い込みの小区画が増加していた/これはイングランド全体の現象である(しかし囲い込みは特に新定住地域に多い)
◆ [
取り決めによる囲い込み地の発生 ]  :

領主-保有農の間で「特別な給付と引き換えに自分の土地を囲い込んで、共同耕地と離れて耕作する」ことが許されるようになる/これによる囲い込み地がイングランドの至る所に出現する
◆ [
中世後期に囲い込み地は増加する ]  :

もちろん全体としては開放耕地制がまだ優勢ではあった/(しかし)かつての領主直営地は多数が保有農に貸し出されて上記の取り決めは普通となっていく/(また)新しい小作地の誕生・村民間の土地配分の変動によって村民は自分の保有地を合併して個別に耕作する傾向を強めていく


【 共同耕地運用の実態の複雑さ 】
◆ [
播種の季節ごとに分離していない ]  :

マナー台帳に『南耕圃』『北耕圃』『中央耕圃』と記されていることもある/(しかし)それは輪作のために1まとまりにされたのではない(単なる位置を示すのみ)/個々の耕圃のある部分に冬穀・その耕圃の別部分に春穀が作付けされていたりする
◆ [
庭畑地(トフト)の存在 ]  :

農民の家屋に隣接する小地片ではふんだんな施肥によって休閑なしに生産できるよう集約的運営が行われている/ここは妻や子供の労働力を投入して運営している
◆ [
内畑-外畑による運用の違い ]  :

劣等地が大量に存在する時代・場所ではこの二元運用が行われることになる/二元方式は恒久的な耕地として十分に利用されていない劣等地が存在する地域ではたいてい行われていた(1314世紀の段階でも)
◇ [
内畑 ]  :

2圃制か3圃制が運用される
◇ [
外畑 ]  :

劣等地(or)遠隔の土地/多年にわたって手を加えることのない放牧地として運用する/時には1~数区画を切り開いて1期~短期連作で穀物を栽培する/その後は作付を止めて荒蕪地に戻して地力の回復を待つ


【 2圃制と3圃制の混在 】
◆ [
マナー内での輪作ルールは一律ではない ]  :

全ての耕圃が同じ順序で行われていたのではない/「大半の耕区で3輪作制,その他の一部耕区で2輪作制,ある土地だけ作付を1種類の穀物に集中させて一般の作付順序と変える」というやり方をした
◆ [
2圃制が引き続き行われた場所も存在する ]  :

2圃制から3圃制への移行(=農業の集約化)は経済的に必要だった/(しかし)決してそれは全面的な移行ではない/マナー裁判所・村の寄合での決議書で村落の土地を3つの共同耕圃に再編するよう命じたものも数多く存在する(13世紀~)/だがこれは全面的な制度の転換を示しているのではない
◇ [
不完全な統制 ]  :

耕地の共同体統制は(実際には)想像されるほど完全・包括的なものではない

 

 

(3)家畜と放牧入会地の運用

 


◆ [
牧草地の減少=家畜の減少=耕地の拡大 ]  :

耕地が拡大していく=飼料用の牧草地を転用していく/以前は放牧入会地として利用したマナーの荒蕪地が切り詰められていく/それによって養いうる家畜の上限は下がっていく
◆ [
家畜が減らないのは牧畜地域のみ ]  :

イングランドでも純粋な牧畜経営の地域が存在した/こうした地域は高地・沼沢地域・森林地域にある/(専ら)それらが家畜・牧羊に向けられていることによる
◆ [
混合農業では牧畜の要素は不可欠 ]  :

〔牧畜の役割〕1.羊毛・羊皮など直接の収益源/2.食肉・乳製品供給/3.犁耕・運搬用/4.唯一の肥料源/(にもかかわらず)安全性の限界を越えて放牧入会地・家畜数が減少した
◆ [
牧畜向きの場所にも耕作は広がる ]  :

イングランドの歴史上にて牧畜経営地域と見なされている地方(例 : 東部・南部コッツウォルド,東部のブレックランドとフィールディング,低地地方の傾斜地・渓谷)にて/こうした場所でも耕作経営が農業の支柱になっていた(1213世紀の交に)


【 中世農業における肥料の問題 】
◆ [
施肥以外の方法は不十分だった ]  :

場所によっては(家畜による施肥以外に)無機物・化学物質も添加された/(しかし)土壌を肥沃にするまでは至らなかった
◇ [
添加された物質 ]  :

石灰/泥灰土/海岸で波の作用によって細かく砕かれた貝殻
◇ [
芝草を利用する方法 ]  :

芝草を焼き払い・打ちつけて土地にカリを添加する(ただしこれは破壊的な方法)
◆ [
家畜の糞尿は不十分だった ]  :

これは唯一の実際的な肥料/ただし「放牧強制権」によってまず領主直営地に放牧(=直接そこに施肥する)しなければならなかった/場合によっては全部の家畜をそこで放牧しなければならない/(さらに)村の刈株畑での共同放牧も知識は不十分だったようだ


【 家畜数減少・放牧地不足の証拠 】(d.はペンスの略,1シリング=12d.
◆ [
家畜を領主に引き渡せない=持っていない農民の増加 ]  :

いかなる家畜も持っていない(or)1家族当たり1頭の牛しか持っていない農民が多数存在している/マナーでの死亡税(死亡した保有農が有していた家畜の中から領主が自由選択によって受け取った)において/「死亡した農民に家畜が無かった」という理由だけで少額の貨幣を(家畜の代わりに)受領せざるを得なかった領主がしばしば存在した
◆ [
牧草地の地価は高騰した ]  :

耕地よりも放牧入会地(刈り取りのできる評価の高い採草地ではない)の方が高い地代で評価された/(あるいは)高価格で売られた/このような記録が現れる(特に13世紀後半)
[ ハンドン・マナーにて ] (サフォク) :

耕地は4d./1エーカー,放牧入会地は16d./1エーカー
◇ [
バードフィールド・マナーにて ] (エセックス) :

耕地は広大で優等地/放牧地は刈り取りができない/(にもかかわらず)耕地は7d./1エーカーだが劣等放牧地は12d./1エーカー
◇ [
採草地 ]  :

干し草用に規則的に刈り取れるよう立派に手入れされている優良な草地/中世イングランドでは常に採草地耕地という評価がなされている
◆ [
地価は地域の経済事情ごとに異なる ]  :

採草地の取引価格は最高に達した(1314世紀の交に)/ただし地域によって全く傾向は異なる/採草地がかなり不足している地域では採草地は最良の小麦耕地の何倍にも評価された(上記のように)/反対に余裕のある場所(採草地が相対的に広い+山間の放牧入会地が豊富)では採草地が耕地よりも低く評価された(例 : エーカー当たり採草地は10d.・耕地は12d.

 

 

(4)混合農業のバランス崩壊の結末

 


◆ [
収穫率は低かった ]  :

1エーカー当たり6~8ブッシェル(播種1粒に対して2.53.5粒)の収穫というのが一般的な成績(13世紀の直営地の数多くの記録から)/低い収穫率の原因は以下の通り
 ①種子の質が低い
 ②犁耕が浅い
 ③重粘土質で地味良好な土壌にて適切な暗渠排水がなされていない
 ④雑草を適切に処理するための日常的な鋤き返しによる休閑ができない
 ⑤肥料不足


【 数世紀にわたる収穫量逓減 】
◆ [
地力の消耗は続いた ]  :

古くに設立したマナーの耕地は減耗していた/共同耕地の一部は放棄されたし大半は地力が減退していたと推測される/マナーの土地台帳・会計録の記録(=直営地のデータを示す)には『古い』『地力消耗している』『不毛である』と記録された古い地片・耕圃全体が存在した
◆ [
全体の生産量は維持された ]  :

(上記のように)地力が減退した・減退しつつある土地は廃減されていく/(一方では)開拓が進展していた/(これによって)耕地の全面積・総生産高そのものは維持されていた/これは新しい耕地は最初の間は良い収穫を得られたことによる
[ 聖スウィザン小修道院にて ]  :

多数の大耕区が長年にわたる規則的な耕作の後に縮小していた(ハンプシャーにある丘陵地の所領にて)/旧耕地で失われた分の土地を別の土地(それまでの荒蕪地)の農地への取り込むことによって面積全体を維持していた(グラストンベリのマナーでは)

◆ [ 耕地面積・農業生産高そのものが減少した ] (中世後期) :

開拓が終わらない地方は常に存在した/多くの直営地には十分な生産力を維持できた耕地が存在した/(しかし)地力低下を新規開拓で補う代謝のサイクルは止まったようだ


『中世の社会と経済』から  [ ]

 

 

人口

 

 

(1)人口推定に関する諸問題


◆ [
記録が限定的ということ ]

『ドゥームズデイ・ブック』に記載されているのは「個々の国王直属の封臣」「この国王直属封臣から保有していた土地保有者」のみ/(それゆえ)推定値の見積もり方によって幅が出てしまうのは仕方がない/1086年の全人口は125万人弱(下限)・200300万人(上限)という数値となる
◆ [
記録以外の部分の推計 ]

国王直属封臣から直接に保有していなかった人間(=上記以外)はどのくらいいるのか?
 ①無保有の人間・保有者のそのまた保有者(小屋住み)が多数存在していた
 ②共同保有者であってもドゥームズデイ・ブックは1人しか挙げないのが普通と考えられている/こうした約世帯が半分存在したという計算もある
◆ [
世帯規模 ]

1保有者の持つ保有地での1世帯・1家族はどれくらいの規模か?
 ③1世帯平均3.6人~5.0人という幅がある
 ④世帯主・妻・子供の他にも隠居した両親・住み込みの奉仕人がいっれば家族数はもっと多い


【 最膨張期の人口推定   14世紀前半)
◆ [
脱税率を推計する ]

人頭税報告書(1377年)から推定するので「脱税率」を見積もらなければならない/(比較可能な幾つかのマナーから)脱税率はおおよそ25%だったようだ/近代での所得税の脱税率は5%
◆ [ 14
歳以下の人口の割合 ]

人頭税を免除されている/この推計割合は平均余命が低い・出生率か高いほど大きな数になる/3545%だったと考えられる
◆ [
人口減少=疫病の影響の算定 ]

黒死病から約30年間が対象/(最初の黒死病だけでなく)この50年間には疫病は(おそらく)3回起こっている/この間の死亡率は50%を越えていると考えうる
◆ [
人口600万人~800万人と算出される ]

脱税率25%・黒死病前までに10%減少・黒死病等による死亡率50%・14歳以下の割合が40%として

 

 

(2)中世初期~盛期


【 人口増加の証拠   
◆ [
開拓と植民が増加した ]

この700800年間における人口の持続的増加の間接的証拠として/ローマ統治下から中世盛期の終わりまでにイングランド平野のかなりの部分が開拓された
◆ [
1世帯当りの平均占有面積は減少した ]

家族保有地の平均規模は小さくなっていったことを示す明らかな証拠がある(1114世紀)/「耕作用・放牧地改良用の土地面積増加率」<「人口増加率」

 ①人口増加率は0.85%(12091312年)/この間に人口は2.5倍に増加した(ウィンチェスタ司教のトーントン・マナーの場合)
 ②裁判集会などの機会にてマナー裁判所に姿を現す村人が増えていた
 ③毎年秋の大『恩寵賦役』(8月・9月の収穫期)で領主に召集される人々の数が増えていた
 ④零細保有の小屋住み・無保有の人々が多数存在・しかも増加していた


【 人口増加による土地ブーム 】 (~13世紀末)
◆ [
相続よりも譲渡の方が多くなる ]

土地を求める人々があまりにも多い/土地保有者は(しばしば)生前に土地を売却しようとした
◆ [
土地を入手する様々な手段が用いられた ]

保有者の1/3以上がその土地を(権原不明記・偽装的な譲渡といった方式で)購入した土地の法定相続人の頭越しに獲得していた(グラストンベリ修道院 : 13世紀後半)
◆ [
寡婦との結婚が一般的になる ]

(土地獲得手段としての)土地を持つ寡婦と結婚することが多くなる/慣習的保有農の配偶者は亡き夫の保有地全体を取得できた(たいていの村で)ことが影響している/こうした結婚をした男性は寡婦の死亡によってその土地を留保する/(そのうえ)第2の結婚を約束することができる/これが後年に(この男性が死亡して)結婚可能となった寡婦の家産をさらに増加させることになる


【 死亡率の高まり 】
◆ [
社会は限界に達していた ]

人口過剰によって社会全体の生活維持はカツカツ/激しい疫病・厳しい天候によって時折生じる高死亡率(極端な例 : 異常な長雨によってもたらされた1290年と1315‐17年の破滅的凶作)は別としても死亡率はいっそう高まっていった
◆ [
凶作の増加 ]

地味の低下によって頻発しその年には(しばしば)死亡率が高くなっていた/人口のかなりの部分が「作柄が適度に良好な年にのみようやく生活できる」という状況にまで陥った
◇ [
マナーの労働者不足 ]

凶作年にマナーのベイリフが「様々な作業ができない,労働者の払底で作業に高い費用がつく」とこぼしている
◇ [
死亡税が大量に記録された ]

凶作年に急増する/(しかも)マナーの中でも貧困な階層が窮乏で死亡する事例がきわめて多かった

 

 

(3)中世後期の苦難


◆ [ 14
世紀に入ると既に衰退が始まっていた ]

黒死病以前から人口趨勢はマイナスへと反転していた/(この経済的大後退は)飢饉の頻発・死亡率の絶対的高さとその上昇・婚姻率と出生率の低下として現れた/これは人口増加が限界を超えていたために起こった現象である/たとえ黒死病が無くとも人口の減少は始まったと考えられる
 ①植民可能な地域があっても開拓は縮小し始めた(1314世紀の交に)
 ②賃金も地域によっては上昇し始めた(14世紀第1四半期)
 ③土地の価格は下落し始めた(同)
◆ [
人口増加は停止・減少が開始した ]

地味などが劣らない土地がまだ残っていた多数の地域でも開発は全く停止した
 ④内部植民は不活発となる(ごく一部の地方を除いて)
 ⑤犁耕地の増加が停止した
 ⑥開発した耕作地からも退いていく
◆ [
既存の村が衰退していく ]

土地への需要の低下と既存耕地の収縮が起こる/中には廃村の瀬戸際にある村もあった/そうした周縁地域の一部は荒廃した・さらに進んで劣等地を取得する人々がいなかったことが原因となっている
 ⑦土地保有者として記録された者の数は減少する
 ⑧無主地が多数現れた
 ⑨痩せた白亜土壌にある小村は縮小した
◆ [
土地価格は低下する ]

1348年以前のある時期から土地価格は下落に転じた/黒死病以後には下落速度を早めていく/〔例〕 たいていの所領で地代・自由保有地の価格・登記一時金がいずれも下落していた
◆ [
賃金は上昇する ]

労働と資本(土地)の相対的需給関係は崩れて慣習的な賃金率が無くなる/それ以前(13世紀)には労働供給が常に増加していた(だからたとえ名目賃金(=慣習的な賃金率)が安定していても実質賃金はたいてい下落していた)


【 黒死病後に 】
◆ [
黒死病後の人口回復の遅さ ]

普通の状況であれば食糧需給な改善によって人口回復はすぐに始まったと考えられる/〔例〕大黒死病の直後には結婚数・出生数が突如上昇した/しかし人口はなかなか回復せず引き続き減少した(15世紀第3四半期まで)
◆ [
回復が遅れた理由 ]

(その1つとして)それ以前の数世紀にわたって土地に加えられてきた害悪を修復する能力が人間には無かったことにある

 


『中世の社会と経済』から  [ ]

 

 

土地 -定住と開拓-

 

 

(1)ドゥームズデイ・ブックまでのイングランド


◆ [
中世初期の人口成長と定住拡大 ]

アングロ・サクソン民族侵入以降の数世紀の間にて/中世初期のイングランドは定住地域・人口・農業生産などで成長していた/先ローマ時代の先住民やローマ・ブリテン時代に占拠・耕作していた土地を越えてより困難な土地へと定住を広げていく
◆ [
6世紀間の開拓事業の概括 ]

=『ドゥームズデイ・ブック』(1086年)
 ①この時点での定住地の数・分布状況は後の数世紀のものと大差が無い
 ②総耕地面積は高度集約農業時代(19世紀)と同じ大きさとなる/ミッドランズ諸州の耕地面積は1086年>19世紀/(計算の前提条件)1犁隊地積の平均的面積=120エーカー〔理想的なハイド〕を満たしているとして
 ③粘土質土壌(当時の農業技術では2級の土地)までも完全に占拠している


【土壌の違い】
◆ [
中世農業にとって1級の土地とは ]

地味豊かな軽土質のローム層のこと/これは当時の混合農業(耕作と家畜飼育が密接に結びついた農法)に最適である/(一方で)乾燥している・水はけがよい砂状・礫状の軽土質は避けられた/この土地を有利に開拓できるようになるのは17世紀後半~18世紀になってからのこと
◆ [
定住地の空白地帯リスト ]

サリー州,バークシャー,ハンブシャーのバグショットの砂地,ニュー・フォレストの砂状土質,ノーフォークのブレクランドの砂地,サーフォークのフィールディングの砂地,チェシャの一部森林地の不毛な礫状・砂状の土壌
◆ [
農民は温和な粘土質土壌をしばしば好んだ ]

これはイングランドの平野部の多くを覆う漂礫土のこと/しばしば石灰岩上に存在する/水分と地味をよく貯えてくれる(=鉱物系栄養素が抜けるのを食い止める)/中世初期の寒冷な時代には(激しい霜のおかげで)重粘土質の耕地の土壌が砕かれた可能性がある


【定住エリア】
◆ [
アングロ=サクソン人の主要定住ゾーン ]

豊穣な軽土質のローム層がまず最優先(人口密度・使用犁隊数において)/楽な粘土質土壌もそれにひけを取らない
◆ [
厳しい土地に向かって ]

彼らは上記2ゾーンを超えて耕作経営を展開することもあった
 ①粘土質土壌地域 : ミドルセックス州北部,バッキンガム州北部
 ②重ゴールト(Gault)階地域 : オックスフォード州北部,ベドフォード州南部
 ③もっとランクの低い土壌 : ロンドン近郊の河川の砂地,ヨーク渓谷北端の極度に水を含む沖積土

 

 

(2)ドゥームズデイ・ブックを超えて


【技術的障害を乗り越えて】
◆ [
限界的な土地へと向かう開発 ]

この時点で植民可能な土地はかなり十分に利用されていた/(にも関わらず)次の2世紀間に(耕作経営・放牧地改良のために)引き続いて新しい土地が切り開かれていく/そうした土地は「周縁的」な空間だった(理由それまでにかなりの開発が進んでいたから)
◆ [
沼沢地 ]

中世初期の技術でとりわけ未開発だった土地/〔例〕 東部諸州のディープ・フェンとウェストライディングのハトフィールド・チェイス/これらのゾーンは冠水したままで放っておかれていた/開拓に着手されたのは耕作が難しくない土地の開発が終わってからのこと
◆ [
イングランドの地勢における沼沢地の広がり ]

海岸沿いの低地・緩やかな河川沿いに広い縁状の土地がある/ここには「冠水した沼沢地・沈泥する河口がきわめて多くできている/(加えて) 内陸定住地の至る所にも沼沢地が存在していた
 ①ケントの大沼沢地 : ロムニィ沼沢地は最も早くから手が着けられた(しかし丸ごと干拓されたのは14世紀~)
 ②サニット島・スクウア川南部 : ケント州/数千エーカーが13世紀中葉以前に干拓済
 ③サセックス東部 : ペヴェンジィとウィンチルシィ/河川の洪水に曝されたまま放置されていた(13世紀後半にて)
 ④イングランド西部 : セッムジア地域/限定的にグラストンベリの諸修道院の植民マナーが開拓された(1213世紀中)
 ⑤イングランド東半部 : ホウルダネス/中世の記録に登場する最北の湿地/ウェスト=ライディングの境を通ってリンカーン州までに沼沢地の記録が多い/アンクハウム川沿いには未干拓(ただし中世末まで)の沼沢地があった
 ⑥同じくイングランド東半部 : リンジ大沼沢地/ウェストライディングのハトフィールド平野に接しており大規模な排水が行われた(13世紀)/それでも多くはかなり後でも冠水状態のままだった(18世紀初頭)
◆ [
中世盛期の開拓の結果 ]

これら広範な湿地の干拓は請負の土地の所有者+その住民+沼沢地方にある諸修道院によって進められた/排水が終わるとこれらの土地は最優等の土地・放牧地となったようだ


【法・行政による障害が登場する】
◆ [
御料林とは何か ]

特別な御料林法の下で禁漁にしてこれを王室の狩猟用とした土地のこと/決して農耕に向かない土地ではない/(しかし)農業経営者にとって魅力の乏しい地域にあったもの
◇ [
王領地上の森林という意味では『全然ない』 ]

国王の狩猟を目的として森林に住む禽獣(赤シカ,黄シカ,ノロシカ,猪)の保護のために指定された場所のこと/多くは森林に覆われていたが農地・村落を含むこともある
◇ [
御料林の法的位置づけ ]

御料林には王領地が含まれることもある/または臣下・有力貴族の所領の一部が含まれることもある/そこは「王のために・王の自由意思で設定された」場所であるというのが重要/御料林はコモン=ローの外にある特別法〔御料林法〕によって保護されている(最初の集成は1184年)
◇ [
王と諸階層の対立へ ]

御料林法の実施は役人によって厳しい取り締まりを伴っていた/貴族めとする諸階層の怨嗟の的となった(これが13世紀後半以後の争いに展開する)
◆ [
御料林問題の顕在化と変遷 ]

①ヘンリー2世の徹底した御料林化政策に続く時期(12世紀後半)に沸き上がる

②(狩猟に関して)貴族による苦情が多数表明されたことに対して王室はことごとく譲歩する

③続いて植民に関する問題が出てくる(13世紀初頭)

④御料林の主たる価値は(もはや狩猟用の鳥獣類でなく)未利用地の開発へと移っていく
◆ [
多数の森林地域での活発な開発へ ] 13世紀後半~14世紀初頭) :

この頃には御料林判事が御料林法の侵犯を審理していた(広大な御料林の存在する各州の定期的な裁判に出席して)/御料林法の励行が弛緩した時期になってから御料林内の植民可能な土地は開拓農民を惹きつけていく


【地理的な周辺地方の開発】
◆ [
アングロ・サクソン民族が遅れて到達・植民した諸地域 ]

スコットランドに隣接する諸州,デヴォン州,コーンウォール,スタッフォード州北西部,チェシャ州北西部,シュロプ州西北部,ヘリフォード州西部(これらの地域では定住地は存在してもまばらだった)
◆ [
そうした定住地は定住が相対的に希薄 ]

たとえ土壌が比較的優れていた土地でも/〔理由〕遠隔過ぎる/近寄り難い/地理的・文化的・人種的障壁が存在している/侵略により絶えず乱れている/ノルマン・コンクエスト後の最初の十数年間の戦乱の影響が残っている
◇ [
戦乱の影響が残っていた地域の存在 ]

ノルマン人の軍隊はノルマン人支配に対する抵抗(106970年)を鎮圧しながら荒廃させていった場所/ヨーク州の多くの地域・スタッフォード州・チェシャの一部地域


【非周縁部での開発】
◆ [
厳しい土壌にも挑む ]

完全に占拠された旧来の地方で開発を続けるために行われる/(そこでは)そのままでは耕作・混合農業にほとんど適さない土地を手掛けるしかない/いっそう手に負えない重い粘土質土壌・白亜土と不透水性岩石の上に薄く上掛けした土地までが開拓の対象となっていく
 ①ハーフォード州の生い茂った湿地/重粘土質土壌
 ②サセックスのウィールド地方の重粘土質土壌,(とりわけ)白亜土の低地地方の最劣等地
◆ [
白亜質の土地の農地は収穫が少ない ]

低地地方の渓谷の農業経営者は(以前は恒常的な放牧入会地にしていた)高所にある白亜質の土地までも耕地として取り込み始めた(13世紀)/こうして形成された聖スウィザン修道院(ウィンチェスタ)の混合農業のマナーの穀物収穫は相当に貧弱となる
◆ [
最も困難な岩石上の土地 ]

上記の白亜質の土地よりももっと扱いにくい岩石上にある土壌も耕地として開拓された

③コッツウォルド西部にあるウスター司教のマナー(一部)
④同中心部にある宗教騎士団のマナーにある新しい耕地

⑤同東部のウィンチェスタ司教領

 

 

(3)限界地の問題=持続が困難である


◆ [
土壌内に蓄えられたものが少ない ]

痩せた不毛の土地〔地味の乏しい土地,土壌が薄く岩石等に上掛けされている土地〕の耕作にて/そこで利益が上がるのは(せいぜい)土地が蓄えていた地味を掘り尽くすまででしかない
◆ [
蓄えが無くなれば消滅した ]

その後は無機物の溶脱・溶食作用による岩石露出による悪影響をモロに受けてしまう/(しかし)中世の農場経営者・マナーの書記はこうした影響は記録していない/このような耕作地は「一定の時期に規則的な耕作が行われた後に消滅した」ことがマナー会計簿の作付報告書の記録により証明される
◆ [
最劣等地の重粘土質土壌で起こったこと ]

継続的な犁耕・穀物の連作によりもたらされた/(もちろん当時は)なぜそうなるのかは理解できない
◇ [
土壌の物理的組成の悪化 ]

通気性・通水性がなく播種可能な耕地に変えるのも難しいペースト状の土塊となった
◇ [
盤層の生成 ]

重質の土地をずっと浅く犁耕し続けることによって/耕した表層の下にほとんど水を漏らさない台地が出来てしまう/これはその上にある土壌からの排水を妨げる・極度に水を含んでしまうという危険性を高めてしまう
◇ [
改良策は利用されなかった ]

石灰散布・暗渠排水を実施することで改良できたはず/それはめったに行われなかった