『中世の社会と経済』から [ 7 ]



○村民の経済的地位



(1)村民の土地からの収益


◆ [ 穀物の種類 ] :
   村民の日常食・作物の大きな部分をオート麦・大麦・小麦・ライ麦の混合が占めた/小麦以外の穀類は(大半を)食糧・家畜飼料のために栽培した
◆ [ 小麦だけは別 ] :
   イングランドのほとんどの地方で栽培されていた/動産課税の対象となっていた/小麦は(そのかなりが)隷農の家計で現金の必要性に備えて栽培された換金作物という扱いだった


【 領主直営地の方が肥えていた 】
◆ [ 領主は良い土地を占有していた ] :
   村民が小麦を栽培する能力は領主より劣っていた/定住初期に土地を直営地と農民保有地に分けるにあたって(いつも)領主有利に設定されていた
◆ [ さらに領主を優位にする要素 ] :
   その後の歴史の中でより農民の耕作が不利(=領主に有利)となる要素が存在していた
◇ [ 施肥の強制 ] :
   領主は保有農の家畜による施肥を直営地に行うよう強制させた/(加えて)放牧入会地の優越的利用権を持っていた
◇ [ 直営地賃貸 ] :
   領主が直営地を賃貸に出すにあたって劣等地から順に処分していったと考えられる(13世紀後半 : ただし11・12世紀の状況は分からない)
◇ [ 賃貸された直営地についての記録 ] (13世紀) :
   『活力のない土地』『オート麦の土地』とされている/農民の有する劣等地は増加していた/そこでは高い比率で雑穀を栽培せざるを得なかった


【 直営地の収穫率の問題 】
◆ [ 収穫率の良くないケースもある ] :
   直営地の収穫率は農民保有地よりも高いのが普通/しかし保有農の賦役によって犁耕・播種が行われた所(13世紀にはそのような直営地は僅かだったが)では作業効率よく組織されず不本意な態度で行われたため
◆ [ 収穫率が最悪な直営地のケース ] :
   直営地の耕地が保有農の地条の間に散在していた・保有農の犁で耕された・保有農の種子で播種されたマナーの場合/(最低水準まで低下すると)直営地の収穫率≒農民保有地のそれにまで低迷した
◆ [ 上記2パターンは例外でしかない ] :
   多数の直営地で収穫率は高かった/(その理由)1.直営地の耕地は農民保有地から離れていて別個に耕作された/2.マナーの常雇い労働力によって犁耕・播種を行った/3.領主の有利な条件(上記【 領主直営地の方が肥えていた 】)が作用していた
☆ [ ウィンチェスタ司教領の直営地の収穫率 ] :
   4倍(13世紀初頭)/3~4倍(13世紀末)/保有農の土地はそれ以下と考えるのが当然



(2)村民の負担


【 負担一覧 】
◇ [ 貨幣地代 ] :
   土地保有に伴う
◇ [ 教会上納金 ] [ 古い時代の奉仕義務の初期の金納化 ] :
   これらは貨幣地代類似の諸負担/もちろん貨幣地代に上乗せ
◇ [ 豚放牧料 ] [ 家畜放牧料 ] [ 領主放牧地の使用料 ] :
   追加して手に入れた土地の様々な借地料(ファーム)として
◇ [ 死亡税 ] [ 新規の保有農の登記一時金 ] :
   1回限りの納付が求められた
◇ [ 人頭税 ] [ 結婚など様々な承認料 ] :
   隷農身分に特有の人格的なもの
◇ [ マナー裁判所の罰金 ] :
   理屈の上では刑罰/実際には日常的な賦課金化するほど規則的=明らかに不可避なものだった
◇ [ 動産税 ] (タリジ) :
   各年に課せられる重い税/地代そのものとほとんど同じ
◇ [ 賦役の貨幣給付 ] :
    賦役を金納化するようになってからのこと/最終的には地代と合体した(賦役が労働で取り立てられていた場所でも隷農は貨幣を支払っていた点に注意)
◆ [ 賦役労働の代替措置 ] :
   (賦役を履行する代わりに)金銭を支払って直営地で自分の代わりを勤めさせることが可能だった/自分の保有地で代わりを勤めさせる人物を確保することでも構わなかった/保有地1ヴァーギト(30エーカー)の保有農・半ヴァーギトの保有地しかない保有農ともにこれは認められていた
◇ [ 教会1/10税 ] :
   マナーの外への諸義務として
◇ [ 王室の臨時税 ] :
   同上


【 保有農の負担の重さ 】
◆ [ 全生産高の50%近くかそれ以上 ] (平均して) :
   半ヴァーギトの保有地(これは中位規模だった)での負担率/彼らは上層身分(ジェントルマン)の財産に掛かる諸負担よりもはるかに高い固定支出に耐えなければならなかった
◆ [ 1/2は領主の通常の分け前という常識 ] :
   土地が分益条件で自由に保有された時の領主の取り分は収益の1/2となっていた/大陸の分益小作もこれと同じに設定されている/慣習的保有農が(ほとんどの奉仕義務から免れて)貨幣地代負担だけで新しく土地を保有する場合(13世紀)の地代も収益の1/2だった
△ [ 貨幣地代のみの事例 ] :
   16エーカーからなる各ボヴェイトはそれぞれ1ポンドの貨幣地代だった(リンカーン州のハキュンビ・マナー)
◆ [ 徴収が強制的である ] :
   諸給付は原則固定だった/作柄や保有農の個人的事情で軽減されることはなかった/保有農の必要分は義務による負担を果たした残りでやりくりしなければならなかった
◆ [ 経済変動へ対処する仕方 ] :
   マナー領主と農民ではもちろん異なっている/マナー毎によって違うし同一村落内の村民によっても違っていた/マナーの諸負担は隷農に重くのしかかるが自由保有農には軽微だったことから対処する仕方も全く違っていた
◇ [ マナー領主に有利な状況下 ] (収益が押し上げられた) :
   保有農は抑圧された(窮乏に追い込まれた場合もある)
◇ [ 収穫減・価格低下期にて ] :
   領主は直営地の縮小を余儀なくされた/農民は播種量・販売高を増加させるしかなかった
◇ [ 収穫増・価格上昇期にて ] :
   利益志向型の直営地所有者は活動を活発化させたこと/このために隷農への販売・作付の増加抑制圧力は軽減された



(3)村民の貧富を決める要素


【 土地保有規模以外の要素で豊かになる 】
◆ [ 経済状態は家族の状況で決まる ] :
   個々の家族の貧富の決定には土地面積は重要ではない場合もある/「健康で勤勉な両親+使い甲斐あるたくさんの息子・娘」の家族は子供のいない夫婦(特に彼らが年老いた・怠惰だった・老衰していた場合)と比べてずっと上手く暮らした
◆ [ 土地持ちなのに貧しい ] :
   大きな保有地(例 : 完全ヴァーギト)の保有農でも貧困のために裁判所の科料・死亡税の支払いを免除された者たちがいた
◆ [ 土地は少ないが豊か ] :
   慣習的土地保有として小保有地しか持っていないのに(勤勉・活力・家族労働によって)追加の土地を借り受けられた・獲得できた者たちがいた
△ [ 投資の活発な人物の例 ] :
   課税対象の動産を持っていなかったので2s.の税を免除された人物のケース/その少し前に自分の保有地に対して30£以上を支払っていた
△ [ 家系図が残っている家族 ] :
   昔は貧困だったのが勤勉・利益追求に熱心な先祖たちによって富が築かれた村民たちのもの
◆ [ これらは偶然要因でしかない ] :
   中世の農民社会全体を捉えるには(たいていは)家族保有地の規模の違いが基準として最重要だった


【 土地保有規模の現実 】
◆ [ 1ボヴェイト=1/2ヴァーギト ] :
   (定義)犂隊に1頭の牡牛(もしくは馬)と結び付けられた単位のこと/共同耕地において共同で犂耕する土地への持ち分の土地
◆ [ 負担割当の単位として ] :
   保有地から領主へと支払われる給付・領主に対する負担もヴァーギト・ボヴェイト当りで割り振られていた
◆ [ マナー調査書での記載 ] :
   たいていの慣習的土地保有・若干の自由土地保有(13世紀)について/(原則)1・1/2・1/4ヴァーギト(もしくは)1・1/2ボヴェイトのいずれか規模で記載されている/ただしこれは遠い過去のある時点の数字であることに注意
◆ [ 実態は乖離している ] :
   実際に村民が所有・耕作した保有地はかなり不揃いとなっていた/たいていの村落では大方の村民が慣習的土地保有の一部(or)全体を小作に出す(or)賃貸していた/これによって不揃いな部分・端数の地片を保有していた
◆ [ 領主は細分化を食い止められない ] :
   村民の土地市場での取引活動・断片的な開拓での保有地追加・相続や婚姻による保有地再分割によって保有地は細分化していく


【 理論的な区分 】
◆ [ 代表的な生活状態の中農 ] :
   中農は慣習的土地保有農のだいたい30%台を占めていた(13世紀の諸所領にて)/富裕な『小屋住み農』(1/4ヴァーギト保有)・完全に1人立ちの『隷農』(完全ヴァーギト保有)に対してその中間(半ヴァーギト前後の土地保有)の村民集団のこと/その生活は自活分の所得を(やっと)家族に供給しうるだけの土地を占有している状態だった
◆ [ 自活分の所得とは ] :
   家族が(定職に依存して)賃金を求める必要の無い程度に大きいこと。しかし家族が「全面的に地代収入で暮らせる」「全面的(or)主として雇用労働でその土地を経営できる」ほどには大きくない
◇ [ 栄養状態の計算 ] :
   半ヴァーギトの保有地は5人家族に対して普通の年で1人あたり2,000kcal/日を供給できる(※これはまずまず心身を維持する程度だった……と記述されているがこれでは少なすぎると思われる)
◇ [ その前提条件 ] :
   必需品の購入に依存しない程度が高い/家族労働を用いて経営している/領主に対する強制支出の比重が半分以上を占めている
◆ [ 保有農が大きな所得を得られるケース ] :
   強制支出の比率が低い(=保有農が貨幣地代で土地を保有してしかもその地代が古くから固定されている場所)/〔例〕ピーターバラ修道院のリンカーン州の所領,ダラム司教領
◆ [ 中農の土地保有規模が小さいケース ] :
   自由土地保有が多数存在した+強制支出が(比較的)低額な諸地域にて/ここでは中農とは1/4ヴァーギト程度(他の地方では零細保有地とされるような小屋住の保有地)を保有する農民から成り立っていたようだ/〔例〕デインロー地方,ケント州
◆ [ 中農は中世イングランド農村の代表 ] :
   (中世イングランドの古くから定住が行われた地方では)自由保有農はその数はごく僅かしかいない/牧畜経営が行われた地域はそもそも少ない/手工業村落はごく疎らだった(以上は13世紀の状況)



(4)零細な土地の保有農


【 定義として微妙な人々の集団 】
◆ [ ほとんど無保有 ] :
   経済的地位が最低な人々のこと/(保有地の規模だけで判断すると)彼らは居住する小屋以外にほとんど所有しない村民だった/ただし彼らの一部は下僕である(=厳密な零細保有農ではない)
◆ [ 1/4ヴァーギトの慣習的保有農 ] :
   マナー文書で『ファーリング』と記された人々のこと/零細保有民の集団だが彼らの生活が「中位の村民に到底及ばない」とは限らない


【 零細保有農の生活 】
◆ [ 数はきわめて多い ] :
   (普通は)中農の集団よりも多数暮らしていた/(しばしば)村民の過半数を占めていた
◆ [ 保有地以外で所得を補う ] :
   生活条件としては保有地は家族全体を(最低水準で)扶養するにも不十分だった/そこで(一般的には)他の方法で所得を補わねばならない
◆ [ 手工業活動とその他の副業 ] :
   零細な保有地を持つ小商人・手工業者は農業経営が優勢な村落にも存在した
◇ [ 皮革製造・木製品製造 ] :
   (その地域が仕事に適しているという条件下で)村落全体にも活力を与えた
◇ [ 鍛冶屋・大工・タイル職人・製粉業の下僕・行商人 ] :
   かなり大きな村落は(ほとんど全てが)有していた
◇ [ 女性の紡ぎ手 ] :
   ほとんどの村落に存在する
◇ [ 縮絨工・織布工 ] :
   若干数が村落によっては活動していた(13世紀)/やがて織布工・その他の織物工が急成長してきた毛織物工業地域に急増した(14世紀)
◇ [ ビール醸造 ] :
   これを副業として所得を増やした家族もいた/女醸造人は(大概の)村で多数存在した

◇ [ 共同体の被雇用者として ] :
   村の羊飼い・牧夫/これで零細保有農は職を得た
◇ [ 非農業的仕事 ] :
   荷馬車屋・建築労働者・季節的な石工として所得を補った
◇ [ 小商人として ]


【 農業での雇用機会 】
◆ [ 常雇いの直営地労働者 ] :
   『ファムリ』として/マナー直営地がある村落(もしくはそれに隣接する村落)では村民の多数は直営地で雇われて働いていた/広大な直営地ではマナー役人+ファムリで30人近くになった
◆「季節労働者の存在とその仕事」 :
   直営地では季節的な仕事のためにかなり多数の人々が使用されていた
◇ [ 脱穀・籾摺り ] :
   (一部~全部が)雇用労働者の季節労働によってまかなわれた
◇ [ 建築 ] :
   領主の農場建築物を建てる
◇ [ 屋根を葺く ]
◇ [ 建築資材を運ぶ ]
◇ [ 賦役 ] :
   これを雇用労働で補う場合もある/溝を作る・堤防を築くなど
◆ [ 富農が雇用労働を用いる場合もある ] :
   ただし収穫期の雇用労働力を領主にきちんと供給できるのが前提だった/このため(裁判所記録に記載されている)マナーの命令・村落の法規の命令には「農民の雇用主による競合する要求を退ける」ことが数多く定められている
◆ [ 富農が雇う住み込み労働者=下僕 ] :
   『セルヴィエンテース』として(1381年)/1ヴァーギト(30エーカー)規模の保有地を持つ保有農は(ごく普通に)手伝い人の労働力が必要だった/慣習的保有農が課せられた賦役に対応するにはどうしても雇用労働が必須だった(彼らを代わりに賦役へと送り出せるから)


【 生活水準についての結論 】
◆ [ 生活は可能 ] :
   農村(13世紀)に数多く存在した上記のような雇用機会のおかげで零細保有農はきわめて小さな保有地でも生活を維持できた
◆ [ ただし通常は労働力過剰だった ] :
   〔計算例〕ケタリング・マナー(ピーターバラ修道院)は約50人の零細保有農を抱えていた(これは多数の村落においてごく普通の規模である : 13世紀)/このマナーの直営地300エーカー+1ヴァーギト以上の少数の保有地が提供する雇用機会では余剰労働力の吸収には不十分だった
◆ [ 若い労働者は出稼ぎに出る ] :
   数百人の〈garciones〉(未婚の若い男)たちが毎年職探しに別の地方へと出ていく(人口稠密地域にて)
◆ [ 零細保有農の経済的地位はおおむね最低である ] :
   中世村落では(農作業の性質上と年中行事のために)雇用労働は断続的=その場その場のものでしかない/だから年間所得を日当の250倍(日・祝日が110日として)で計算するのは無意味である



(5)富農(クラーク)


【 富農の経営 】
◆ [ 消費支出はそれほど大きくない ] :
   支出は(奢侈品の消費よりも)土地の購入に向けられた
◆ [ 富農の保有地面積 ] :
   最低1ヴァーギトから/2ヴァーギト以上のかなり富裕な農民はごく少ない(しかし集団全体として占める面積は大きい)
◇ [ 農民にとっての土地とは ] :
   生産要素/所有にふさわしい価値/社会的身分の尺度/家族繁栄の基礎/所有者の資質の発揮・伸張,として捉えられていた
◆ [ 富農が新しく獲得した保有地にて ] :
   貧困な村民が奉公人・労働者として雇われる/市場に出回る農産物の大部分はこれらの保有地から出荷されていた(自家消費されないから)
◆ [ 富農は又貸しを行って地代収入を得た ] :
   こうした保有地の一部について(13世紀)/それらは分益小作(or)1年か2年の定期借地を条件としている
◇ [ 又貸しが好都合なケース ] :
   大規模な農民保有地が複数の村落に広範に散在する/その保有地に(同じ保有者の)零細な土地を伴った居住可能な家屋が多数存在している
◇ [ 又貸しするケースは様々 ] :
   富農だけとは限らない/寡婦・病人・老人などの保有地でも上記の条件で行った(自力で耕作できないから)
◇ [ 又貸しした保有地の運営について ] :
   そこで働く小作人(=保有農の保有農)は賦役を行っていた場合もある(=富農による『もう1つのマナー』の形成)/その保有地の一部は当の富農が耕作した+残りの部分が貨幣地代により貸し出された(若干の賦役も生み出された)/巨大な保有地(自由人が持つ,3~4ヴァーギトを超える)にこのような『小マナー』が存在していたようだ


【 富農は金貸しも行う 】
◆ [ 農民はファイナンスを利用できた ] :
   彼らは土地購入(あるいは他の類似取引)する際には多額の金銭(購入した土地の登記一時金,購入代金)が必要となるはず/ところが大した遅滞もなしに調達していた(富農でないにもかかわらず)
◆ [ 資金提供者としての富農 ] :
   金銭を必要とする村民が隣人の富農の資力に頼っていた/〔例〕土地購入時の買い手の支払いを保証する保証人として(しばしば)富農が登場する・購入のための金銭を担保付で前貸ししている(イングランドの農村にて : 13世紀)
◆ [ イングランド農村に専業の金貸しは少ない ] :
   同時代のヨーロッパ他地域では職業的金貸業が見られる/〔例〕ドイツ農村の〈Wucher〉・フランス農村の〈usurier〉/イングランドではユダヤ人金融業者(1290年のイングランド追放まで活動した)・イタリア人金融業者(それ以後に現れる)は農村での貸付業務を行っていなかった
◇ [ 教区司祭も金貸しを行う ] :
   マナー裁判所記録の金銭債務訴訟にて確認できる/少額の金銭貸付を(道楽半分に)一部の教区司祭は行っていた/この彼らを除けば債権者リストには職業的高利貸しは存在しない
◆ [ 共同体での富農の存在感は極めて大きい ] :
   金融活動まで手を広げていた富農は(地域において)勢力・影響力はかなり大きかった/村落共同体の一員として・隣人の雇用主として・隣人への土地の貸し手として・土地購入資金の出し手として(=いろんな形で他人の保有地に利害関係を持っている)



(6)貧富の分布


【 ドゥームズデイ・ブックから 】(1086年)
◇ [ 最下層 ] (約10%) :
   零細保有農/全く無保有の人々(cottarii,cotsetti,servi)
◇ [ 零細保有農 ] (約20%) :
   様々な部類の人々が含まれる(Bordarii)
◆ [ 各保有地の規則性・規模の画一性はあまりない ] :
   この時点では同じように土地を保有する慣習的ヴァーギト保有農(villani)は存在しない/(逆に)隷農が画一的土地保有とされる規模の数倍を保有している(例・完全ヴァーギト,多数の半ヴァーギト,ヴァーギトの数倍)事例が見られる
◆ [ 土地の現実の保有者を示すもの ] :
   『ドゥームズデイ・ブック』の価値(と作成者の意図)は「土地の現実の保有者が誰なのか」を示している点にある/土地保有の単位に関心は無く土地占拠の不平等性をそのまま記録したようだ


【 12・13世紀にて 】
◆ [ 社会階層が分化し始めている ] (12世紀の記録文書にて) :
   「大きな一団を形成する零細保有農-中農(1/4~1ヴァーギトの保有)-少数の富裕な村民」という社会階層の分化が出現している/〔その後13世紀に起こった現象〕土地需給の逼迫+平均的な保有規模の後退+零細保有農の増加
◆ [ 富裕な村民層の数の増減は確認不能 ] (13世紀) :
   2ヴァーギト以上を有する村民はどこにでも存在するが(その彼らが)増加したのか減少したのかは分からない/大土地所有者・教会が(執拗に)小土地所有者と富裕な自由土地保有の農民から土地を買い入れている/しかしこのような自由土地保有農はどこにでも存在するからこうした買い入れで減少したとも言い切れない


【 14・15世紀にて 】
◆ [ 農民の全般的な経済的上昇の時期 ] :
   富農層が間違いなく増大していた/(一方で)貧困な農村労働者の数も間違いなく減少していた/中世後期には平均保有地規模は増加している
◆ [ 中農も増加する ] :
   多くの村落において中農的存在(=準ヴァーギト保有農の集団)の中から何人かが富農層(クラーク)に加わる/(一方で)下層集団から上昇してきて中農にとなった数は上昇・離脱した農民よりもはるかに多かった
◆ [ 富農は損をしやすい時代だった ] :
   中世後期の経済変動は(数ヴァーギトを保有する富農に)損失を与える可能性が高かった/彼らは土地獲得の大いなる機会から利益を得ることができる/(一方で)賃金高騰は明らかにマイナス要因・土地を小作に出していれば地代(=小作料)下落の影響も受ける
◆ [ 中農は利益を得やすい時代だった ] (一般論として) :
   土地の価値が低下したので新たに入手できる可能性が増えていた/(一方で)賃金高騰は幾らかのマイナス要因・食物価格の若干の低下でも損害を受けている/トータルの損得は彼らの経営スタイルによって決まるが大多数は利益を得られたようだ
◇ [ 中農の経営スタイルを決める要素 ] :
   牧羊・穀物栽培の比重/雇用労働の割合/小作に出した土地の規模
◆ [ 零細保有農・小屋住み農は明らかに上昇した ] :
   マナー領主は(黒死病によって発生した)大量の無主地を彼らに再貸付しようとした/賃金高騰は明らかにプラス要因/食物価格の安定化(or)低下も同様に利益を得た

『中世の社会と経済』から [ 6 ]


○村落

 


(1)トポグラフィ(地勢)


【典型的な村落定住の特徴】
◆ [ 村落とは集団化した定住 ]  : 泉・池・村の緑地などの自然な中心地の周りにに集まってできた「有核村落」で、村の教会の敷地を含むことも、隣接することもある
◆ [ 1マナー・1村落 ]  : あくまで原則
◆ [ 村落共同体の存在 ]  : これらの役割の多くは領主(&)マナーに帰属したものである。つまり村落共同体はマナーの行政機関の役割を果たし、マナーの役人が統括する村落裁判所が機能を遂行した
 1.公式(or)非公式の団体・裁判所・集会・金庫・友好団体を有した
 2.農業経営上の規則を公布・運営した
 3.土地保有・世襲の地域的慣習を監視した
 4.地域の平和・秩序を強制した
◆ [ これらは典型的な形態である ]  : 上記に完全に合致する村落は(いつの時代にも)イングランドの至る所に存在した。しかし典型的特徴の一部を欠いた村落も見いだせる


【商工業村落】
◆ [ 山岳地方の散居定住にとっての選択肢 ]  : ここでは牧畜経営が(耕作経営の代わりの)唯一の選択肢ではない。(僅かな村落では)村の規模・形状に影響を与えるほどの規模で工業・商業が営まれた。商工業に有利な立地にある村落は地域交易の中心としてすら機能した
◆ [ 地名に残されている ]  : 一部商業的だった村には〈chipping-〉の接頭辞を持つ村(コッツウォルド北部など)、〈markt-〉の接頭辞を持つ村(東部諸州,ミッドランド東部)など
◆ [ 商工業村落について ]  : コッツウォルド南部・サフォークの織布生産の村は多数の織布工・縮絨工を抱えていた。小土地保有・小屋住の割合が平均以上を占めており、それらは密集していた
 1.純粋な農業活動の村落よりも大きくなる
 2.市場を中心に密集する型もある
 3.街道沿いに長く並ぶ村落は重要な商業路の交易で成り立っていた(例 : ノースリーチ村はオクスフォードとグロスターを結ぶ街道沿いの村々の一部)


【様々な型】
◆ [ 鉱業・森林業に従事する村 ]  : これらの村では中心地は形成されない
◇ [ 木炭・鉄鉱採掘 ]  : ランカスター伯領の村落(ヨーク州ウェストライディング)
◇ [ 木炭作り ]  : エッピン森林地帯(北端と東端)の定住地
◇ [ 錫採掘 ]  : コーンウォールの村落も
◆ [ 漁村・船乗りの村落 ]  : これらの人々の村落は(特に)小土地保有・小屋住の集合だった。その一部は海岸沿い・湾の周りに長く並んでいた(例 : サセックス沿岸のバトル修道院所領,ノーフォークの海岸線沿い)
◆ [ 比較的新しい開拓によって成立した村落 ]  : 耕地の配置・村の家並みの計画的配置に歴史がよく現れているケースがある。しかし(たいていは)大きく密集した定住が不可能な周縁的土地を占拠していたから、小規模にならざるを得なかったものである
◇ [ 東部の沼沢地 ]  : 大規模な排水事業によって新しい村落が人工的に整然と区画・創設された(11~13世紀初期)。家並はそれぞれ自分の耕地に隣接し、耕地は干拓した沼沢地の中心に帯状となって伸びていた
◇ [ 小規模にならざるを得なかった村々 ]  : ランカスター伯領の小村・村落(ペナイン渓谷上流),白亜質放牧地上に建てられた新村(ハンプシャーとウィルトシャー)
◇ [ 小屋掛け村落 ]  : ケントとサセックスの森林地帯にて海岸沿いの平地にあり、旧村落の森林地帯の前哨基地が起源の周縁村落
◇ [ あばら家集落 ]  : ウェールズの丘陵・境界の一部にある。元は丘陵放牧入会地の夏期の前哨基地だったものが、一部で通年居住されるようになったもの(13世紀)


【娘村落】
◆ [ 移住によって派生した村のこと ]  : 人口増加・地域拡大期(12世紀後半~13世紀)に旧来の大規模村落において、一部住民が村の境界を乗り越えて村落境域の一角に新たに移住したのが起源
 1.たいていの大規模マナーの内部で見いだされる
 2.しばしば〈berewick〉と記録された
 3.(その場合には)村落の単位として独立した地位は持っていなかった
 4.〈berewick〉と記録されずとも母村とがっちり結びついていた娘村も存在する。後年にはきわめて多数に登った
◆ [ 結び付きが存在する例は見かけ以上に多い ]  : 外見上は独立している多数の村落も、実は古い村落から生まれた後に(合村によって)新しく形成された村である場合は多い
◇ [ 母娘村落で合体 ]  : サウス・ドマハム(グラストンベリーの大規模マナー : ウィルトシャー)は、ドマハムとマートン(ドマハムの牧羊経営の『あばら家集落』から成長したドマハム低地の牧羊を行う定住地)が合村して形成されたマナーである
◇ [ 8個イチ ]  : トーントンでは最初の定住地トーントンから生成した8つの小規模村落が一緒になっている
◇ [ 地理的なまとまり ]  : これらは巨大な有核村落と小規模な村(散在する孤立農家の集合でしか無い場合が多い)か同一地域内に共存していた


【廃村】
◆ [ 放棄された諸村落 ] (15・16世紀の交にて) : 実はその多くが小規模・既に衰退に向かっていた。そうした村落が領主の慎重な決断によって最終的に放棄を決断されたに過ぎなかった
◆ [ 収縮する村域・耕地 ]  : その証拠はイングランドの至る所に見いだせる
◇ [ 村落周辺部での小農場の囲い地の衰滅 ]  : それでも全面放棄は免れた
◇ [ 耕地だった場所の跡地・放棄された台地上の跡地 ]  : ウィルトシャー・ハンプシャーの低い丘陵地帯の山腹,ヨーク州の渓谷の斜面(アッパー・スウェルデイルなど)
◇ [ 村落収縮の証拠が成長でかき消されたケース ]  : 南部コッツウォルドの織布生産の村落(14~15世紀初頭に工業が成長した)では、農業人口が減少・農業村落が収縮しつつあった時に、あちこちで織布工の小屋が再び空き地を埋めた・さらに新しい用地を加えた

 


(2)村落共同体


【村落こそ基本】
◆ [ 1村落=1マナーの完全対応 ]  : 中世イングランドでの典型・一番見つけやすい
◆ [ 1マナーが複数の村落を含む ]  :  こうした形での大型マナーは珍しい
◆ [ 数個のマナー所領を含んでいる村落 ]  : これは重要な形態で(時には)1村落が複数マナー全てを内包している。『ドゥームズデイ・ブック』の時点からずっと複数マナー型だった点が特徴的(例 : サフォク・ノーフォーク・リンカンの東部諸州)
◇ [ 村こそが基礎 ]  : 大型であるにもかかわらず、経済上の運営・社会組織の単位が(マナーではなく)村だった
◇ [ マナーの権力は一般よりもはるかに小さい ]  : この点できわめて重視される
◇ [ 裁判所・陪審の活動 ]  : 各マナーではなく広い範囲の人口を基礎として活動した。耕地制度の統制・地域の慣習の管理を任務としている


【公式業務について】
◆ [ 村落の機能はいつでも重要 ]  : マナーに完全に包摂され従属している村落(1マナーが複数の村落を含む)でも、一部の機能は村落のものであり村落集会〔=村の共同体〕で遂行された
◆ [ マナー役人が村落の業務に関わる部分 ]  : 共同体的な寄り合い(の一部)は、公式にはマナー裁判所の開廷期に開かれた・マナーの役人によって主宰された
◆ [ 彼らの業務範囲は領主の管掌を超えている ]  : マナー裁判所と役人は、領主とは直接の利害関係の無い・領主が何の利益も得られない事柄にまで従事していた
◇ [ 相続に関して ]  : 地域の慣習を規則化する・適用する際に(しばしば)判断を陪審の判決に頼った
 1.陪審はマナー裁判所で指名された
 2.陪審の評決は報告された
 3.評決はその場で記録された
◇ [ しかし陪審の選出は村落の関心事 ]  : これだけマナー裁判所・役人が関与しているにもかかわらず、陪審に従事する人々の選出・それに続く陪審手続きは村落にとって重要なものだった(マナーとマナー裁判所の関心事ではない!)
◇ [ 陪審員はマナー領主の保有農だけではない ]  : 保有農以外のその村落の居住者がごく普通に見いだされる
◆ [ 村落が負わされた業務 ]  : 地域の訊問調査を必要とする多種多様の職務は(訊問調査が共同体として行わたので)村落が行うことになった
◇ [ 王の課税 ]  : 王の賦課金(特にエドワード3世の動産税,人頭税)を課税徴収する場合に
 1.地域の陪審員によって査定された
 2.査定単位は(通常は)村だった
 3.査定に当たる陪審員は『村落共同体の信頼しうる人々』から選ばれた。彼らは(富裕者のみならず)下層の住民も代表していた
◇ [ 徴兵 ]  : 村の協力に依存する点で課税と似ている。百年戦争期にはごく普通に行われたがマナー裁判所記録には全く記載されていない。「軍役の村落への賦課」「従軍する人々の選出」業務が村落により村落内で実施された
◆ [ 郡=ハンドレッド ]  [ 十人組=タイジング ]  : これは平和の維持・それに関する地域の刑法の運用を仕事とした
 1.(理論上は)100戸/10戸単位の農家集団
 2.十分に発展するまでの間にどちらも定められた数字は現実の戸数とは一致しなくなっていた
 3.始原的任務である「共同の義務を担う農家集団」(秩序維持のための『フランクプリッジ制』)はそのままだった
◆ [ マナー領主がハンドレッドの利益・義務を専有している場合 ]  : 現実の『フランクプリッジ検視』は(しばしば)マナー裁判所で行われた・そこに記録された。それでも「十人組成員」としてマナー裁判所に出頭した人々の中には、マナー領主の保有農ではない人々が含まれていた


【非公式業務について】
◆ [ 共同での開拓 ]  : イングランドの森林に覆われた粘土質土壌の開拓に先立ち組織化された共同活動が行われた
◆ [ 共有地への諸権利を守るための共同行為 ]  : 森林開発の継続・旧開発地に関する年々の変更を取り決める共同組織体も存在した(例 : 御領林内の大きな土地が開発された際には隣接した諸村落がこれを共同保有した)
◆ [ 共同の土地取引に関与する ]  : 賃借契約を取り決める・実施を管理する共同組織体が存在した(例 : グラストンベリーのグリトルタンマナーの直営地は丸ごとグリトルタン村に貸し出された)


【マナーと共同活動の関係】
◆ [ マナー役人との関係 ]  : 彼らは(しばしば)諸々の任務・科料を「村落全体に賦課」するだけで、任務を現実に遂行する人々を特定せずに共同体組織に任せた
◆ [ 村民の共同活動 ]  : これはマナーの公式の承認なし(or)マナーに対抗してでも行うことができた(例 : 村民共同でのマナー領主への抵抗,マナー領主に要求を押し付ける)
◇ [ 抵抗発生の要因 ] (13世紀には普通だった) : この時期には領主が(しばしば)自分の保有農(特に貨幣地代保有農)から労働地代(=賦役 : 12世紀に消滅していた)を再び取り立てようとしていた
◇ [ 多くは国王裁判所で村民から抵抗された ]  : しかもそれは集団的に組織されたものだった
◇ [ 小修道院長vs.村民 ]  : 両者間の訴訟で領主は「村民の共同謀議を告発した,首謀者に率いられた秘密結社の存在を強く主張した」(スタフォード州バートンにて : しかし類似例は多い)
◆ [ 教会の書記・教区司祭の活躍 ]  : 彼らは(至る所で)紛争の扇動者だったが、共同体の代弁者として振る舞っており、彼らの存在する所には共同体の集会もあったようだ
◆ [ 地域での集会の役割 ]  : 共同体集会にはその時々に結成されたもの・常置的な結社の両方があった。これらは(法的には無能力だが)地域的な権威として機能していた
◆ [ 教区の友好団体(ギルド)の機能 ]  : これは組織的な共同体活動の中心となって活動した。また共同金庫も存在した


○マナーの諸相と変動

 

(1)マナーの類型化


◆[マナーごとの違いを生む要素] : 直営地と従属的保有農の機能の違いにあった。この2つがどのように・どのような割合で結合していたかが重要だった。保有農への要求が季節的労働(収穫作業,羊毛の刈り込み作業,冬期の運搬)しかないマナーでも2つはきちんと結び付いていたのが特徴っても、結合が非常に弱かったわけではない
 1.直営地の(収益源としての)相対的重要性
 2.直営地の耕作が保有農の労働に依存する程度
 3.保有農の賦役が直営地経営と連動する程度
◆[地理的な違いが影響する場合] : 村落形態・マナー類型は、純粋に物理的な特徴(地域的景観,気候)により決定された部分がある
◇[典型的マナー]:広大な直営地+多数の農民的土地保有をもつ・中部・南部イングランドの平野地域に最も適合的だった
◇[丘陵地の特徴]:小村落,牧畜経営,相対的に自由な農民層
◆[土地所有者は大きな影響を与える] : 土地所有者の違いはマナーの形態をかなり左右した。偶然性を持つ要素(例:有能で熱心な領主か放蕩領主か?,在地領主か不在領主か?,大家政が必要かそうでないものか?)を除けば、土地所有者の類型によってマナーは区分けできる


【聖界領主:ベネディクト派修道院】
◆[最古参ゆえに典型的なマナー]:彼らは最古の修道団体の1つであり、中世イングランドで最も早くから定住の始まった地域に土地を選ぶ傾向があった
◆[規模が大きいから必要な物資の量も多い]:ベネディクト派修道院の修道士共住団体はしばしば規模が大きかった(その上に中世盛期にはさらに拡大した)。修道院の家中には(修道士を上回る数の)家僕・従者がいた。さらにベネディクト派修道士は中世では高い水準の生活を送っていた(それも上昇しつつあった)
◆[直営地での穀物生産量を維持し続けた]:食糧・馬の飼料への需要(基本的に大きい+更にますます増加していく)は、マナーから(直接の)穀物供給により賄われた。このために直営地の機能をできるだけ維持しようとする傾向がベネディクト派修道院にはあった
◆[現金もかなり必要とした]:余剰生産物の売却・保有農からの地代(とそれに類似する給付)によって現金を得ていた。たいていのベネディクト派修道院は貨幣地代からの収益にも等しく重点を置いていた(12・13世紀)
 1.修道士・修道院長は聖服・祭服・薬味・書籍・その他雑貨の日常的な買い手だった
 2.教皇・国王に対する重い賦課金を負っていた
 3.建築工事にも現金が必要だった
◆[直営地+農民保有地の混合体制]:これが一般的だった(=直営地のみのマナー・主として直営地から成り立つマナーは稀)。(他の領主群と比べて)直営地経営を持続的かつ長期間にわたり維持したので伝統的な隷農体制もまた続いていた


【聖界領主:シトー派修道会】
◆[特殊な経営形態]:所領の保有農民から地代を得ることはない。直営地を保有農民の賦役労働に依存することもない
◆[全てが直営地]:(典型的な所領は)全てが直営地として経営されている農場からなる。そこの耕作は平修練士(修道会の平信徒)により行われていた
◆[規律に従い他から孤立する場所に立地を選んだ]:彼らは世俗との日常的な接触を断てる場所を求めて(中世イングランドで)古来定住が行われた地域を越え、人のいない地(例:ヨーク州の人口希薄な渓谷,ウェールズの沼沢地)に修道院を建設した。それがなければ「近隣住民を追い出して」自分たちのために人のいない場所を作り出した


【聖界領主:軍事的修道会】
◆[きわめて富裕な領主]:テンプル騎士団・ホスピタル騎士団(イングランドでは他国より規模は小さかったが)が富裕であることはヨーロッパの他地域と変わらない
◆[貨幣収入に特化した所領]:(大概の)所領は貨幣収入を目的として建設された。農民保有地は一般に広く分散しているので、賦役も全て貨幣地代となった
◇[テンプル騎士団]:リンカーン州・ヨーク州その他地方にて広大な地域を開拓・植民した(12世紀)。それらはまとまりのある広大な所領だったが、主に貨幣所得の源泉として経営が行われた


【聖界領主:司教領】
◆[俗人の大所領と似ていた]:所得から貨幣地代から得るだけでなく、直営地経営に対して(食糧確保のみならず)貨幣所得を求めた
◆[貨幣の必要性は大]:司教の家中は食糧・飼料の調達が必要だった。そこでは司教(&)その随員を『貴族的な』規模で扶養するには莫大な貨幣所得が必要だった


【俗人領主:極小規模経営】
◆[貧しい領主たちとして]:世俗の小土地所有者・非軍事的階層の富裕な自由土地保有民の所領のこと。彼らは(年代記には)『農民的騎士』と記されたような人々で、自分の直営地を自分で経営してその生産物で生活した
◆[労働者の賃金上昇は大打撃となる]:経営規模が小さいゆえに。「農業労働者の賃金を巡る大論争」(1368年)における議会への請願の主旨は「極小規模土地所有者の擁護」だった。そこには彼らは『自分の土地の農作物で生計を立て、奉仕する隷農を持たない』とされている
◆[直接的な記録を持たない]:極小規模所領+日常的仕事ゆえに丹念な記録文書はほとんど残されていない。彼らの記録が多数残されているのは『死後審問書』(死亡した国王直属封臣の所領についての公的調査書)・『ドゥームズデイ・ブック』・『ハンドレッド・ロウルズ』(1279年)である


【俗人領主:小規模な所領】
◆[偏差は大きい]:規模・需要する物資・所有者の好み・地理的な位置によって違いがあった
◇[比較的大きな騎士領にて]:直営地に依存するところが大きいものの、かなり大規模なので貨幣地代を生み出す所領をも含んでいた(例:サセックスのペラム家,バッキンガム州のフィッツ=ハーム家,ミッドランズ南部のビーチャム家


【俗人領主:大所領】
◆[いろいろな収入源が複合した貴族領]:イングランドの全ての地方に数百のマナーを持っていたがそこでは貨幣地代が非常に重要な役割を担った。これらの全所領では(中世後期においても)直営地が機能していた。しかし収益の大部分は貨幣地代・封建的諸権利に由来した(既に13世紀にて)
◆[きちんとした経営方式]:貴族領の大所領では「協議に基づいた」管理によって経営の連続性が確保されていた(この点は司教・修道院所領と共通している)。協議による管理が効率的であり(加えて)貨幣が最も求められた組織だったことが以下の仕組みを可能とした(13世紀中葉には実施されていた)
 1.(たいてい)協議会の役人が管理していた
 2.所領には法人化した土地所有の特徴が備わっていた
 3.これによって不在地主的な土地所有による変則的な事態が避けられた


【マナーの古さの重み】
◆[典型的マナー]:古いマナーは(一般に)中世初期の特徴を留めていた。ベネディクト派修道院・大司教領の基本財産は(大半が)農村の早期定住地方の古い村々から成り立っていた
◆[非典型的なマナー]:新しく荒蕪地から創り出した所領は、直営地・隷農的土地保有の比率は理想的なものにはならなかった
◇[ピーターバラ修道院のマナー]:以前は人が住まなかったロッキンガム森林地帯に建設された(13~14世紀初頭)。しかし従属的保有農民が十分に得られなかったので(農場は)「雇用労働者(or)外部から得られた労働者が耕作する直営地」としてとして運営されるか「貨幣地代給付の保有地」として貸し出された

 

(2)マナーの歴史蓄積と変化


◆[直営地経営型から貨幣地代取得型へ]:どこでも多かれ少なかれこの方向へと進んだ。直営地を効果的に経営する上での管理上の難点(=管理・統制)をなかなか解決できなった。そこで「経営が行われている直営地をそのまま貸し出す」「直営地を解体して農民的土地保有にする」方法が採られた
◇[直営地が領主の行政本部に近い場合]:領主(or)彼の主だったスチュワードはさしたる困難もなく日常的に監督可能である(食糧輸送に危険は少ない,経費も少なく済む)
◇[遠方のマナー所領](大多数がそうだった):管理はベイリフ・リーヴに任された+時折行われた会計検査・巡視に監督されるだけだった。そこで彼らが不正直者であるならば絶好のチャンスだった
◆[隷属農民への支配は少しずつ緩んでいく]:彼らへの領主の譲歩が少しずつ蓄積されたことも、貨幣地代化・直営地経営の撤退へと作用した。以下の譲歩が一度実施されてしまえば領主が取り戻すことは容易ではなかった
 1.(しばしば)個々の隷農の解放がなされた
 2.彼らの隷属的保有地を自由保有へと変えた
 3.直営地の小さな地片は貨幣地代での貸し出し・売却によって切り離された


【時期的な環境の変化】
◆[直営地経営をし易い時期]:法的・政治的体制が安定している・秩序がよく整っていれば、直営地の直接経営が容易であり領主は直営地経営を継続した(領主が地方にいるベイリフ・リーヴを困難もなく監督できるほど)
◆[そうした環境で拡大するケース]:農産物が高騰した・低賃金化が発生した・農産物の安全な運送と取引が可能となる(いずれも直営地からの収益を増大させる要因)のであれば、有能な領主は直営地生産の維持・拡大を図った(13世紀のある時期に該当する)
◆[困難な環境・時代とは]:(法・秩序の乱れによって)ベイリフやリーヴへの管理・保有農への権限行使が困難な時代や、価格・費用の急な変動によって直接経営の利益が減少する時期というのは、直営地経営の放棄・貨幣地代化へ向かわせる最大の要因だった(領主の統制力がたまたま後退するといったことは関係ない)(12世紀中葉の数十年,14世紀後半~15世紀を通して)


【12世紀中葉:請負化が進む時期】
◆[多数の農民保有地が創り出された]:直営地から急激に農民保有地へと変わっている(15の所領中9所領で大規模な変化が起こっていた)。これは(一般的な地代化への緩やかな運動ではなく)直営地経営を妨げる大きな環境変化(戦乱)の結果だった
◆[戦乱の時代]:中央政府の分裂・農村でのほぼ無秩序が、スティーヴンとマティルダの対立(1130~75年)によって引き起こされた。両勢力は(自らの党派を強化するために)地方の従者に封を与えた・新しく創設した所領に彼らを据えた
◇[掠奪者たちが跳梁跋扈する]:両派のこの方針は(統治が弱体化した時代にあっては)近隣を平気で掠奪する武装者を多数野に放つ結果となった
◇[物価の地域差が拡大する]:地域間交易が絶えず脅かされた(例:公道は安全ではない,市場十字架の平和が絶えず危険に陥った)ので価格の地域間裁定が機能しなかった


【請負について】
◆[古くから存在した請負形式]:古代ローマに始まり、後期アングロ=サクソンでも王領地を中心に行われていた
◆[早くから一般化する]:『ドゥームズデイ・ブック』ではマナーの価値が「請負下にあるマナーの所得」によって記録された。地方の代理人たちに任されたマナー(特に修道院所領)は実質的には請負だった
◇[請負契約が広まった先](12世紀のもの):州・都市による王に対する一定額の賦課金納入協定(初期には賦課金は変動したが後に年ことの一定額の給付に切り替えた)。直営地の請負契約も同様に(この時期に)直接経営から切り替えられた
◇[語源]:請負〈Farm〉の語源は恐らく〈Firma〉(固定された)であって〈Food〉ではない
◇[請負化はリスクヘッジが目的]:決してベストな選択ではない。所領の直接経営・防備の困難さから逃れたい領主の態度がこれを選ばせたものである
◇[領地経営のリスクが高い時代]:マナー経営を引き継いだ多数の請負人とて、受け継いだ土地・設備を維持できなかった。その中には掠奪を殊とするものがいた
▲この時代(12世紀後半)の記録には直接経営の時代(ヘンリー1世の統治)を懐かしむ声が残されている


【請負化の裏側にあった農民の負担軽減】
◆[請負化されなかった所領で起こったこと]:領主の管理能力が低下していたことから、直営地の一部(or)全部が村民の手に移ることがあった。多数の農民保有地が貨幣地代給付に切り替えられた・賦役を免除された(
◆[強制は不可能]:領主直営地が減少しただけでなく、隷農に対する負担を領主は強制できなくなっていた

 

(3)直営地の繁栄期


◆[安定がもたらされた時期]:イングランドで比較的平和と秩序があった時代(1175~1325年)。統治・裁判の機構ではヘンリー2世の下で始まった進歩が続いていた
◇[この時代の例外期間]:ヘンリー3世統治下の貴族の内乱・エドワード2世期の合間(弱体・不安定な統治,辺境への侵入,北部・ウェールズでの軍事行動)
◇[人口は増加・直営地経営には追い風]:領主は請負契約を解除(or)失った直営地を取り戻したりして、直営地経営を再開していく
 1.労働供給は潤沢だった
 2.名目賃金は安定している
 3.農産物価格は上昇(1220/30年代までは急速に,その後は緩やかに)
 4.実質賃金は下落している
◇[ラムジィ修道院・グラストンベリー修道院の場合]:荒くれた連中に奪われていた所領の一部への支配権を再建した
◆[直営地の復興と拡大が起こる]:一段と高効率の経営手法・土地のいっそう合理的な利用・直営地面積の増加による。直営地の地片は保有農に貸し出されたままだが、新たな荒蕪地の獲得と開発・土地の譲り受けによってトータルで直営地は増加した


【経営手法の発達】
◆[合理的な管理手法へ]:単なる面積の拡大を追求したのではなく、規模の大きい・進歩的な所領では(とりわけ)より合理的に行動した
◇[劣等地はすぐに放棄する]:永続的にオート麦が作られていたような土地では、領主が求める収穫高以下しか得られなくなればすぐに貸し出された(もしくは放棄された)
◇[貨幣地代が上昇すればすぐに貸し出す]:土地が次第に不足しだして地代が上昇するにつれ、直営地を貸し出すことをマナー領主は選択した
◇[経営管理のために会計録導入](12世紀後半~13世紀):最古の完成された会計録はウィンチェスター司教領のもの(1208/09年)。その後30~40年間の間に(形式を整えた)ベイリフの会計録はある程度の規模の所領ではたいてい採用されていた
◆[記録方式は伝達していく]:現存する会計録は(地域差にかかわらず)たいていは斉一的なパターンだった。これはマナーの管理者がお互いに熱心に学び取った・管理上の教訓が所領から所領へ素早く普及していったことを示している
◆[記録方式のための著作の登場]:マナー管理者にマナー会計術を教えるための例規集・所領管理論(例:ウォルタ・オブ・ヘンリー,ロバート・ドゥ・グロステストの『規則集』)などは全てこの時代に書かれた。何人かの修道院長のマナー文書には「効率的経営のためのその地方特有の慣例集」「請負経営に関する著名な著作」からの抜粋が含まれた


【家畜への投資】
◆[設備投資・技術革新は不足していた]:(全く無いわけではないが)明瞭には現れていない。設備投資不足は欠点となっており、開拓の減速を補うための設備投資は行われなかった
◆[文書に残る投資は多くが家畜向け]:たいていの所領での家畜向け投資は(羊の伝染病・略奪によって家畜がいなくなると)突発的に数年間連続して行われた
◆[司教領の規則と家畜頭数]:聖職禄所有者による教会所領引き継ぎを定めた規則(△)にしたがい、前任司教の在任期間中に家畜が増えていれば管理人はこれを全て清算することになっていた
△司教がその地位を去った時に所領管理人は、その司教が地位に就いた時に受け取った家畜数だけ責任を負う
◆[修道院所領での不具合]:修道院長の空位期間中(院長死亡か転任によるもの)の修道院所領では、管理を担った国王任命の委員が「何とかして早いところ利益を得ようとして」羊などの資本を減らして自分の利益を得ようとしがちだった


【うまくいなかい事情】
◆[世俗領では経営が持続的ではない]:資本の持続的蓄積を阻む要因(下記)は多かった。所有者断絶+国王役人の略奪的管理から逃れられるのは、協議会による管理方式を採用した貴族の巨大所領だけだった
 1.所領没収
 2.没収官(エスチータ)による管理
 3.授与
 4.相続
 5.妻への遺贈分
 6.寡婦産に由来する度重なる所領の移転
◆[資本投資へ支出を回せない]:所領収益のほとんどは城塞建築・従者の経費・身分を象徴する様々な持ち物への支出に消えた。だから所領管理人が進歩的改良に向けて積極的に投資するのは難しかった
△収益拡大に向けて領主ができることは(ほとんどが)土地の譲り受けだった
◆[投資を行った領主は皆無ではない]:若干の領主は先見性を持って投資(対象例:穀倉,牛舎,水路,生垣)を行った。そしてこの時期(直営地経営に順風の時期)にはそうした領主は他の時代よりも多かった
◆[放牧地の拡張]:さらに若干の領主は例外的に、囲い込み地・耕作可能無主地(13・14世紀の交に多数の保有地が放棄された結果生まれた)の放牧地への転換に投資し続けた。こうした大規模投資を行う事業は開拓と結びついていた
◇[放牧地への転換に投資した領主]:スタフォード州・ダービー州に所領を持つランカスター伯,グロスター州に所領を持つスタフォード伯
◇[開拓へ投資した領主]:ウィンチェスター司教(新しいロサンジャ村の森林開発・建物への投資),ピーターバラ修道院長(ベラサイズとノヴム・ロクムの新「農場」への投資),エインシャム修道院長(新都市建設・植民事業への投資)
◆[領主による投資は大した額ではない]:これらの事業でも投資費用は領主の富を著しく食うことはなかった。投資は中世後期に向かっても増加はしなかったし、タイミングも悪かったので開拓の縮小を補えなかった
◇[投資額を決める要素]:個々の領主の人格・状態に依存していた
◇[投資を妨げる要因]:聖界領主の場合には教皇の重い賦課金(13世紀初頭)と、より重い国王の賦課金(百年戦争初期)により投資が妨げられたようだ
◆[利益は大きかった]:(この時期を通じて)利益が減少し続けた所領はほとんど無く、大半の所領は利益が上昇した(例:30%上昇したグラストンベリー修道院:1209年→1340年)。利益上昇をもたらした要因は複数ある
 1.地代の騰貴
 2.幾つかのマナー賦課金・一般的な物価の上昇
 3.直営地の穀物・羊毛の大量販売

 

(4)中世後期の困難


◆[環境の悪化は利益を極端に押し下げた]:特にひどい凶作(1315/17年)の後に直営地経営は減少し、領主は環境悪化を受けて再び直営地を請負に出し始めた
◆[ほとんどが機能停止状態に近くなる]:領主の直接経営下できちんとしている直営地がごく稀になるといった状況(15世紀中葉)で、残った直営地のほとんどはベネディクト派修道院の自家農場だった
◇[直営地の整理]:不要な土地の断片的・散発的な貸し出しは続いた(特に14世紀後半に加速した)。直営地の数筆ずつの貸し出しは領主の利益減少を食い止めるための方法の1つだった
◆[政治要因は大打撃ではない]:幾つかの事件などは直営地経営にマイナスの影響を与えたが、それは決定的なものではなかった
◇[バラ戦争]:たとえ最悪期であっても、政府の崩壊は12世紀後半よりはましだった
◇[百年戦争]:戦時地徴発権・羊毛課税によって牧羊業者(特に修道院)にダメージを与えた


【経済的要因が経営を左右する】
◆[主として賃金高騰による耕作費用の上昇]:反対に農産物価格は若干下落した。これによって直営地経営の利益幅はずっと狭まっていったので、領主は直営地を請負に出して所得の安定を計ろうとした(これは一時期だけ成功した)
◆[羊毛価格の上昇による利益]:マナーの放牧地+羊群を保持していた領主は、羊毛需要の上向き(14世紀最後の30年間)によって利益を得られた。ウェストミンスター司教領は13世紀の最高水準まで羊群を揃えることに成功した(14世紀後半)
◆[請負の価値そのものの下落](15世紀):ランカスター公(イングランドのほぼあらゆる地方に所領を持つ)のような巨大所領では、直営地請負価格は(15世紀初頭と比較して)2/3以下に落ちていた(15世紀第4四半期)


【領主直営地の継続的な・極限までの縮小】
◆[大領主は配下を揃えるために直営地を切り分けた]:ランカスター家・ヨーク家は若干の直営地を(有力な従者を確保+報酬を与えるため)借地人に生涯(or)世襲で委譲した。これは再授封と類似した『庶子封建制度』(15世紀中葉)とされる
◆[直営地の完全解体]:小保有農(たいていは村民)に直営地を断片的に貸し出していったことで起こった(以前は領主が全体として請負に出していたのだが)
◆[解体に伴う領主の家畜減少]:幾つかのマナーで直営地の家畜飼育場・繁殖用家畜は著しく減少(or)全く無くなった。その例外は放羊のための直営放牧地だけ(ノーサンプトン州・ウィルト州)
△農民の農業経営において羊・家畜が減少したかどうかは証拠不足


【領主の努力】
◆[鉱工業への投資]:所領によっては全般的不況から脱出する努力として行われた(条件が整っている場合のみ)鉱工業から所得を得られるように努力した
◇[鉱業・鉄製品]ランカスター伯がヨーク州で
◇[錫鉱業]:コーンウォール伯は錫への賦課金/錫生産者が支払う地代から収益を得た
◇[織布工業]:コッツウォルドなど。土地所有者は地代を支払う手工業人口の増加で利益を得た
◆[ごく例外的に機能し続けた直営地]:それは耕作経営が領主の食料供給に直接役に立つ土地に限られていた(例:若干の修道院所領,ケンブリッジのキングスカレッジ所属のマナー〔=大学の所領〕)
◆[新機軸の試みを成功させた領主]:直営地の諸利益低下を阻むか、少なくともその低下速度を緩めることに成功した。このような直営地が継続した場所でも、それは古典的・典型的な直営地とは既に全く異なっていた
◇[領場の導入]:散在する耕地を囲い込んで猟場に変えた
◇[休閑地に新しい作物を導入]:たいていはマメ科植物
◇[科学的な試み]:播種の割合をいろいろ変える実験を行った


○マナー制度

 

(1)その特質(理想形として)


◆[経済的機能]:「領主の所領」そのもの。下級騎士の生計を維持するだけの大きさが無い場合であっても富裕農民の保有地より大きかった
◆[物理的構成]:領主館の敷地/直営農地/農民に貸与する保有地
◆[経済]:直営地からの収入+保有農が給付する地代の2つが領主所得の源泉。しかしマナー経営の特徴は、直営地での労働は保有農による(地代の一部としての)賦役給付に依ったことにある


【保有農】
◆[領主制下での特徴]:保有農はマナーの社会的な特徴だった。彼ら従属的身分は、非自由(or)半自由を本質的な要素としていた
◇[保有地から離れられない]:これによって領主の土地には常に農民が居住していることになり、彼は地代・賦役の給付を受けられた
◇[奉仕義務を有する]:マナーの規制・慣習と+領主権力によって保全された
◇[自由を行使するには対価が必要]:〔対象となる行為〕移動/娘の結婚/遺言による相続人への持ち分遺贈/土地・家畜の売買/国の裁判所での訴訟。これらは領主への『上納金』(ファイン)によって初めて許された
◇[裁判所出廷][陪審としての役割]:保有農の義務とされた


【荘園裁判所】
◆[領主権力がもたらす行政機能]:マナーは(保有農に対する)様々な行政上・裁判上の諸権力を有していた。(その権力は)王から授与された特権として・譲渡されたものとして・領主自身によるものとしてである。これによってマナーは地方警察の当局者・刑法を強制する地方機関として機能する
◆[機能を執行するために]:定期的な裁判所開廷+陪審の召集がなされた。裁判所と訊問調査からの収入がマナーにもたらされた

 

(2)起源


【ヨーロッパ大陸において】
◆[ゲルマン諸部族の権力の特徴]:ローマの版図に侵入した時代について(ゴート,ランゴバルド,とりわけフランク)
 1.部族制的だったとはいえ真正の君侯国を形成していた
 2.権力・所有の位階組織の特徴を持つ(入り組んだ)政治制度を展開させていた
 3.位階組織の最下位に奴隷/最高位に部族制的貴族が位置していた
 4.最高位の人々は蓄積した大きな富を自由にしていた
◆[国王権力による大所領形成へ](8・9世紀):新しいゲルマン諸王朝の支配者(特にメロヴィンク朝・カロリング朝)は『封』(役人・有力な従者に報酬を与えるための新しい所領)を国王の直轄領に創設した。(その基礎には)新しく作り出した所領+ローマのヴィラをそのまま存続させた所領があった
◆[聖界所領の形成]:さらに国王のみならずその他要人によっても大所領は創設され、宗教施設(とりわけベネディクト派諸修道院,司教座聖堂参事会)に授与された
◆[譲り受けと侵奪・没収に基づく大所領形成へ]:地域的基盤を持つ有力者が専制的権力を行使できる時代・場所であるならば、没収はきわめて広範に行われた。西欧の無政府時代(9・10世紀)には、これによって多数の封建的大所領が際立つようになっていた


【アングロ=サクソン期イングランド】
◆[侵入者による王国の形成]:彼らはローマ時代のヴィラ(or)ヴィラ類似の所領を引き継ぎ、君侯国(アングロ=サクソン7王国)を形成した。これらの国家は(いかに未熟だとしても)組織的統治の手段を持っていた。その富は著しく分化・偏在していた
◆[大所領制を特徴とする]:この時期のイングランドにおいて最初から特徴となっていた。これは時代と共にいっそう優勢となった
◇[指導層]:アングロ=サクソンの諸王国は、従士(セイン)・司教をもって国家の行政・司法・軍事指導に当たらせた
◇[その経済基盤]:従士・司教ともに大所領からの収益で生計を維持した
◆[教会への寄進による大所領形成]:国王・有力従士は自らの所領から宗教施設に基本財産を授与した。それらは大きい(&)持続したので、教会はイングランドの全定住面積の1/3(推定)を取得していた(11世紀中葉)。これらも通常は規模が大きかった
◆[ノルマン征服は大所領化プロセスの仕上げ]:ノルマン朝の支配層は、アングロ=サクソンの王・従者の所領を引き継いだ上で土地保有の全ての体系を再編成した。この結果は以下の通り
 1.網状化していた既存大所領の土地保有原理を整理
 2.土地保有の基本を斉一化
 3.土地所有層の顔ぶれをほぼ一新
◆[封建的保有原理の確立]:全ての土地の上級所有権は国王に帰属する(=他の土地保有の権原は全て国王に由来する)ようにされた。これによって王の直臣の土地保有権は『直属土地保有権』として規定された。それ以外は国王直属封臣・陪臣からの間接的な土地保有とされた

 

(3)封建システム


◆[封としての保有]:その所領が「戦争・行政において一定の役割を果たすこと」を条件として保有することが、所領がマナーとしての役割を果たすための条件だった。これによってマナー所領の保有者は、領主権に基づいて(国王の直属封臣を除く)全ての人々に対する権威を与えられた
◆[領主の権威が及ぶ対象]:保有農の土地に対してのみならず、その人格(=時間・労働・財産・子孫を自由にする能力)まで含まれる。これがマナーによる秩序の経済的・社会的な特徴だった
◆[この仕組みは普遍的ではない]:ただしマナーと従属農民との結びつきは地方によって(or)村によって(or)各農民によって違う。中世を通じて最終的には消滅へと近づいた


【授封システムの生成・強化】
◆[マナー制度の起源]:諸々の奉仕義務を負う所領(ゲルマン諸部族内の支配制度確立にまで遡ることができる古い制度)にある。そこでは(軍事奉仕だけでなく)しばしば行政上・法律上の奉仕義務を条件として期限付で授与・保有された
◆[より一般化していく](中世初期):上記のような所領が増加・普及して土地所有構造全体の特徴となる。(さらに)徐々に条件付・期限付ではなくなって永代保有・相続可能財産へと転化した。これはカール大帝の勅令によって強化され、その後の国王権力の衰微によってさらに一般化した


【領主支配システムの始まり】
◆[中世の農奴の先駆け](古代ローマ農村):ガリア地方内には中世の農奴に類似した多数の人々が存在していた。(彼らの大多数は)個別の保有地に定住していた・名目上自由な農民として・大土地所有者に諸公租・諸負担を強制されていた、土地保有農だった
◆[自由民から農奴へ]:上記以外の(名目上は自由な)ローマ市民のような人々も、有力者(保護者)への托身を選択した。彼らは土地所有者の権威の下に身をおいてその「被護民」となった
◇[托身]:ローマ帝国後期に普及した慣行。人々の社会的な優位・劣位の型を広げた
◆[古代ゲルマンの農業経営]:古くからの奴隷制+非公式な関係に基づいた従属的な自由人による形がゲルマン諸部族の慣習だった。これがガリア地方のローマ属州に持ち込まれたのだが、従属的農民を使う農業経営とは矛盾しなかった
◆[ゲルマンでの従属的な自由人]:(ゲルマン諸部族による征服進展の過程で)大多数が有力者の権威の下に入った。その権威が(中世の農奴のように)しばしば人格・土地にまで及んだのは、公式な契約によって人々は(主君・保護者による人格的な拘束だけでなく)自分の保有地に対する上級の権利をも主君・保護者へと譲り渡したからである。これが修道院文書に保存されている、多数の「托身」契約の支配的なスタイルだった
 1.社会的不安が人々に托身契約を選択させた
 2.有力者が力ずくで自由人を従属的地位へと押し下げた
 3.支配階級が職業軍人となっていく(逆に一般自由人の従軍が無くなる)につれて従属関係を確立するのが容易となった

 

(4)イングランドの場合


【中世初期から存在した従属民たち】
◆[アングロ=サクソン期の所領にて]:この時点で従属的農耕民の大きな階層は形成されていた。そこにはマナー的・封建的と見なされる多くの特徴が存在した
◆[社会階級の最下層の人々]:彼らはサクソン時代の一般自由人よりも遙かに経済的地位・身分が低かった。彼らは奴隷(or)奴隷に近い存在で、奴隷解放と土地への定住によって、後に中世村落の最下層の隷農(隷属的保有地に定住させられた人々:bondi,nativi,servi)となっていく
◆[有力者に従属した自由人]:彼らもまた中世の隷農の起源の1つだった。彼らの後裔は農奴・ソークマン(=準自由人)である。有力者たちへの托身が行われていたのはアングロ=サクソン人の支配の最古の段階まで遡る。そうした契約の文書は(数が少ないものの)アングロ=サクソン期の6世紀間にわたって存在している
◇[社会階級]:封建領主(thegns)/騎士(geneats)/一般自由人(ceorl)/隷属民(gebur)


【領主制の形成要因】
◆[支配力の根源となったもの]:従属民に対する高位身分の権力・権威は(アングロ=サクソン期において)土地所有に付随する機能・権力に由来していた。これは「行政上・軍事上の役割の履行と結びついた(初期の)奉仕付土地授与」によって与えられた
◆[デーン人の侵入は決定的要素ではない]:軍事的な必要と経済的・社会的圧迫は身分の低い自由人+自由土地保有者の地位に影響を与えた(9世紀)。しかし膨大な従属民階層形成は最古のアングロ=サクソン期に始まってデーン人との戦争が始まるまでにかなり進行しており、戦争によって完全となった(そしてノルマン征服の時点で既に所領システムが完成していた)
◆[封建制度と軍隊]:(デーン人との戦争などを見る限り)封建制度は軍事的要因にのみ基づいて成立したとは言えない。奉仕付土地授与が行われ封建制度が普及していても、封建軍隊はそれよりも柔軟・弾力的に編成されていた(例:ヘースティングスの戦いにはかなりの数の傭兵が存在していた)


[英名]Rye
[学名]Secale cereale
ムギ科/1年草
小麦の近縁植物/小麦と交雑可能
[草丈]:出穂して1.5~2.5m(冬作のイネ科作物では最も高い)
[葉身]:長さ10~30cm/青色がかった緑色
[穂]:長さ10~18cm/穂軸に節が約30ある/各節に小穂が1個ずつ付く
[小穂]:3小花からなる(最上部の小花は不稔となることが多い)/小花の外側の頴の先端は長い芒(稲などの実の先端の針のような突起)になる
[粒](頴果):やや細長い/1000粒重=36g

【栽培】
◆トルコ東部~イラン原産
◆アフガニスタン北部・カスピ海東岸地域で品種分化した
◆栽培化はB.C.3000~B.C.2500年頃/A.D.1世紀頃までにヨーロッパ全域に広がる
◆[特徴]:他のムギ類より低い温度で発芽できる耐寒性を持つ/冷涼な山岳地帯でもよく育つ/小麦よりも痩せた土壌で生育可/良い粉が豊富に取れる/逆に高温に弱いのでフランスだと南部には無い
◆[種子蒔き]:小麦・大麦と同じ頃(秋)でよい/冬蒔き・7月初旬から収穫(夏の収穫の中でも少し早め)

【歴史】
◆[古代ローマで栽培が始まる]:最初は小麦の雑草と考えられていた/人口増加に伴って畑の隅の農耕利用・冬作物の栽培が必要となった時に適したのがライ麦(1世紀)/それでも食べたのは下層民のみ(それもスペルト小麦との混合粉にしてのこと)/バルカン半島では既にヘレニズム時代に栽培が始まっていた/中世に北部・中部で主要作物となる
◆[混合麦]:ライ麦と小麦が1対2(場所によっては半々)/これによってどんな不作の年でも半分は生える/北フランス~南ドイツ~カルパチア山脈~キエフ~クイビシェフ(ヴォルガ河畔)を結ぶ線より北側/しかしパン麦としての生産の発展は遅い(中世盛期では小麦・燕麦が急速に広まる:フランス)
◆[イギリスでの冬穀の変化]:西欧へのバルト海沿岸地域産ライ麦が流入し始める(13世紀後半)/冬穀は小麦へと交代していく
◆[パンと階級]:ライ麦パン・燕麦パン(農民)/大麦パン(主人)/小麦パン(貴族)だったという(中世ドイツ)/都市のほとんどの住民が小麦パンを食べていたフランスとは異なる

【民俗学的なこと】
◆[小人が好む]:ライ麦粥が好き/これを小人と親しくなるきっかけとして与える(or)報酬として与えるという話
◆[十二夜]:多くの場所でライ麦粥を作る
◆[ヴォーダンに捧げる]:収穫時の最後の1束をヴォーダンの馬の餌に捧げる(メクレンブルク地方,ハルツ地方)。この時に刈り取り人夫は帽子を取って大鎌を高く上げ“ヴォーデ、ヴォーデ、お前の馬の餌を持って行け、薊や茨ではなく良い穀物を取れ!”と3回叫ぶ
◆[農作業中に現れる霊]:“ポルトニツァ”は白い服を着た背の高い娘/夏のライ麦の収穫時に現れる/農夫の頭を掴んでクルクル回すので激しい頭痛を覚える/だから真昼に働いちゃダメ!(ヤロスラフ地方)
◆[魔術的な所作]:種蒔き・生育・収穫には付き物
◆[馬に食べさせる]:聖金曜日(復活祭前の金曜日)の太陽が昇る前・誰にも話し掛けられず・喋らずにライ麦の若い種を畑から持ってくる。それを馬の餌にして喉が鳴るのを確かめる(バイエルンの多くの場所)
◆[疝痛を防ぐ]:聖マルコの日(ヴェネツィアの守護聖人:4月25日)に手一杯のライ麦を馬に与えると良い(1年間防げる)
◆[咳止め]:最初のライ麦の花を食べる
◆[狂犬病の犬に噛まれない]:3本の花が咲いているライ麦の穂で口を撫でる
◆[露]:ライ麦畑の露は強精・美容・若返りに役立つ/だから魔女・小人はライ麦の露で入浴し洗う

【ライ麦の悪魔と取り替え子】
 ある貴族が産後6週目の農婦に無理やり束括りをさせたので、彼女は赤ん坊を畑に連れて行き、仕事を手伝うために地面に置いた。暫くするとライ麦の悪魔(母)がやって来て赤ん坊を自分の子供と取り替えるのを貴族は見ていた
 偽物の子供が泣き叫ぶので農婦がやって来たが、泣き止まない。貴族は彼女に仕事を続けるよう命じた。子供はずっと泣き止まないでいると、ライ麦の悪魔(母)が再びやって来て、泣いている自分の子供を取り上げて盗んだ赤ん坊を戻した
 それを貴族は全て見ていて、農婦を家に帰らせた。以来決して「産後の女に仕事を無理強いしなくなった」という(ザールフェルト地方)

【特徴と利用法】
◆[飼料]:穀実/茎葉(青刈飼料として)
◆[緑肥]:茎葉を使う
◆[麦藁帽子][馬具]:長くて硬いライ麦の藁を使う

【料理】
◆黒くなった穂の麦角は非常に毒性が強い/麦角中毒をしばしば引き起こした
◆[パン]:製粉して食用とする/ライ麦粉はやや黒みを帯びる・パンを作るときに乳酸発酵で酸性になると粘りを生じる/この性質を利用したのが酸味(&)独特の風味を持つライ麦パン(=黒パン)/この風味を古代ギリシア・ローマの人々は嫌ったのだが中世の人々は逆に楽しんだらしい/ハーブ入り黒パンを作るのに適している
◆[黒ビール][ウィスキー]:麦芽から醸造

【症状と薬効】
[疥癬][吹き出物]:ライ麦パンの皮を粉にして患部に塗る(ビンゲンのヒルデガルドの勧め)