『中世の医学』H.シッパーゲス著(人文書院)から[1]


【概観】
◆[中世の医学の成果]
  (1)医学(公衆衛生事業・一般衛生看護・衛生教育・衛生行政としての)の発展
  (2)古い施療院から病院への発展
  (3)古い医学の大学(=アカデミックな空間)への受容
◆[中世の日常生活における宗教]:あらゆる場面に豊かな宗教生活が流れている。「生と死」「苦悩と危機」「労働と休暇」など全てが大いなる被蹟の救済秩序と結びついている。さほど劇的ではない出来事(例:旅行,労働,訪問,病気,出会い)も同じである。それらは外的には「奉納と祝福」「祝日と聖地巡礼」「異教的な要素」という風習となる

【人物・関連事項】
◆[ビンゲンのヒルデガルト]:ベルマースハイムに生まれて(高齢にて)ビンゲンのルペルツベルク修道院で世を去った/彼女は教会の「教師」のみならず医術の達人としても重要である/彼女は常に「彼女が知ったこと」「彼女が見たところのこと」を言葉にして(ライフワークとして)書き下ろした
◆[ヒルデガルトの自然学](フュシカ):当時の民衆医学から生じている+民衆の風習に適っている医学書/そこに彼女の観察+経験を注入している/9巻において詳細に動物学・植物学を扱っている/金属の起源・貴金属の意義に1章を充てている/ラテン語の名称が用いられない項目には土着のドイツ語名が充てられている
◆[ヒルデガルトの医学]:信仰論にはめ込まれている宇宙論(壮大な構成を持つ)に組み込まれている/「人間の生殖」「その胎児の発達」「その生育の諸相」「健康な身体の諸状態」「病める身体の諸状態」を記載している
◆[ヒルデガルトの倫理的態度]:下記A.~M.は「彼女と1人の(聖職の)貧民看護者との往復書簡」の形式で書かれているもの。看護者は(彼の病院から)人間的な危機に対する救いの助言を求めている。彼は義務(貧者・病人への奉仕)を遂行し難い立場にあって「この不安な状況を堪え忍ぶよりも再び修道院生活に戻る方が妥当ではないか?」と考えているのだが、これに対してヒルデガルトは「神と同じように、貧しい人々に慈愛の心をもって奉仕を行いなさい」と結論づけている
◆[ホノリウス・フォン・レーゲンスブルク]:中世盛期の偉大にして知られざる人/カンタベリーの修道院学校出身/隠者としてレーゲンスブルク近くに住み着き世を去った(1150年代)

【医学書】
◆『健康の園』(1485年マインツで印刷される):植物・動物・岩石由来の「神が病を癒やす効能を与えた」とされる何千もの治療薬が記載されている
◆『小薬草園』(ホルトルス):ヴァラフリート・ストラボ著/著者はライヘナウ修道院長・本草学者
◆『歓喜の園』:ヘラート・フォン・ランツベルク著
◆『知恵の書』:ビンゲンのヒルデガルト(1098‐1179)による幻視的三部作の1つ目/信仰論・宇宙論・人間学の書/最も密接に神話と結びついている
◆『罪の生活の書』(1158‐63):同上/徳と悪徳との対話篇
◆『神の御業の書』(1163‐73):同上/ヒルデガルトの成果の中心とされる/創世記から黙示録までの救済史が(10種の幻視の中で)展開される
◆『創造の中における種々の自然の精妙さに関する書』(1150‐60):同上/単純治療法の書(=自然学)+複合治療法の書(=個々の疾患・その原因・諸疾患の治療の叙述)からなる

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[2]世界像と図像の世界


(1)宇宙の中心としての人間

A.『神の御業の書』から:「最高かつ燃え盛る力が生命の火花を点火させる。死んだものの火花を飛び散らせることはない」「神の燃え盛る生命は野を麗しくする。海を照らす。太陽・月・星辰を燃焼させる」「神の見えない息が目に見える全ての生命を目覚めさせる」「消えゆく月は太陽の光で再点火する」「神は生命である」


(2)人間の原始状態・欠陥・終末状態

【人間と宇宙】
B.宇宙の中にある人間を描いた図から。「神の顔は赤熱して輝いている」「その上には父なる神の顔(これは老人男性の姿をとる)を戴いている」「聖霊の火力に光り輝きながら全世界は1つの車輪のようになっている」
C.この図では人間は世界の全てを所有するかのように描かれている。巨大な車輪=宇宙の中にある地球よりも大きく描かれた人間の手は、世界の輪にまで手を伸ばして立っている。世界の諸要素をその視界・手の中に収めている。
D.人間はこうした構造の中で生きている、自分の力で世界を形成し、あらゆる自由をもって自らを導き、完全な責任において決断しなければならない。人間は(終わりの日まで)運命の車輪=歴史の車輪の中に組み込まれている。
E.肉体として存在することが人間の本質である。(魂は肉体に対して)「思考のさいには気息(プネウマ)を供給する」「注意を集中する時には熱を与える」「栄養の摂取のさいには火を与える」「同化のさいには水を与える」「生殖過程では活力を与える」
F.肉体を介して人間は全世界をその内側に所有する。人間の胃は世界を掴むことができる。全世界の空間=「巨大な胃袋」であり、胃は絶えず被造物の内にある様々な力を求め、これを摂取しては放出することでこの宇宙的なやり取りが維持される。こうして毎日の食事は回復(=日々の「復活」の試み)に役立つ
G.人間は世界の構図のマイクロコピーである。人間は(神に与えられた力によって)全世界を「視覚で知る」+「聴覚で解する」+「嗅覚で区別する」+「味覚によって世界から栄養を与えられる」+「触覚で世界を支配する」。こうして人間は真の神の領域に達するべきである。そもそも神は世界の骨組みの構造にしたがって人間の姿形を造っている

【人が病気になる理由】
H.人間は欠陥状態にある(聖なる創造から見て)。人間は衰弱し・苦悩し・虚弱で助けを必要としている。三位一体の神性の手を離れた人間は(全世界とともに)ひとり宇宙のうちに立っている。世界の車輪の回転運動に引き込まれて世界の運命も進んでいく
I.人間の堕落は宇宙の秩序を破壊した。あらゆる被造物は創造者の元へと帰ろうとしている中、人間のみが創造に逆らって(全世界の)被造物の多くを破壊している。これによって体液系の諸要素が災いに満ちた混乱に陥っている。アダムによる堕落以来、人間の中にあった純潔の輝きは光を失った
J.疾病の誕生。最初の人間の拒絶の時から人間の胆汁は苦味に変化し、黒胆汁は無神の暗黒へと変性した。この黒胆汁(メランコリア)があらゆる疾患の象徴となる+堕落し・衰弱しきった人間の欠陥状態のシンボルとなる
K.治癒は救いを示唆する。病んでいる=欠如・過誤・存在の欠乏・過少・逸脱(といった消極的な状態)である。反対に健康は「全世界を進行させる・保持させる・回復させる秩序」である。それでもあらゆる病的な「健全な状態」を思い出させ、状態は治癒への(そして救いへの)道でもある

【医療は救い】
L.人間は救いを求める=「健やかであること」を願う。堕落した状態でも人間は、宇宙の中心に留まって救いへと出立する。人間全ては本性として「途上にある」「巡礼者である」「求道者である」「旅人として俗世の憂慮の十字架にある」「節度・中庸・目的・意味を求めている」。この救いの模範は「医師キリスト」に他ならない
M.医師に求められるもの。「人間を導く・看護する・治療する」ために神が召命した者は全てキリストを模範としなければならない。医師の品性は「慈愛」(=1人の人間が他者に分かち与えるもの)にある(病を癒すことではない!)

(3)人間の生涯=巡礼の旅

N.真の教養+永遠の救済への人間の道程。これを「10の都市(宿駅)を通り過ぎる巡礼の旅」としてホノリウス・フォン・レーゲンスブルクは『心の追放と故郷』(もしくは『自由学芸の書』)において描いた
  a.[第5の都市]:音楽に満ちあふれる/ここで遍歴者は「道徳の調和によって天上のハーモニーに到達する」ことを知る
  b.[第8の都市]:医学がある/遍歴者はヒポクラテスから薬草・樹木・石・あらゆる生物に内在する特別な治癒力を教わることで「肉体の治療」から「魂の救い」へと導かれる
  c.[第9の都市]:技術が「手をもって行うあらゆる技芸」を支配している
  d.[第10の都市]:家政学が支配している

【人間と宇宙の循環】
O.広義の自然学+医学によって(はじめて)教育課程が完結する。これによって1つのまとまった世界像が出来上がる。人間の身体の各部は世界に対応している(※ヒルデガルトの世界観と同じように)。人間は感性を持つ(動物とともに)+理性を持つ(天使とともに)。人間は「小さな世界」「小宇宙」である
  1.[頭部]:太陽・月=「2つの目」が輝いている天に似ている
  2.[胸部]:大気空間に似ている/咳・鼻息によって嵐・雷のように震動する
  3.[胃]:河川を飲み込む海に似ている/腹部は飲食物を摂取する
  4.[下肢]:大地に似る/大地があらゆるモノの重みを支えているように肉体の重みを支える
  5.[人間の生命は四季をもつ]:春は子供/夏は青年/秋は壮年/冬は老年
  6.[各部に宿る力]:脳には知恵/額には恥ずかしさ/眉には勇気/こめかみには眠り/心臓には意志/肝臓には快/胃には大胆さ/脾臓には笑い/胆汁には怒り/腎臓の下には性欲/腰部は性愛的な快感/陰部には性的能力
P.人間が神によって定められたこと。宇宙の機構=世界の無限性は(時間に先立って)神の霊に受胎された。それは「世界の原型」に具現化されているので、人間は本性として「神の御業」(オプス・デイ)=神の奉仕に定められている
Q.人間は意味ある人生を形成しなければならない。神を誉め讃えるために人は自らの光を人々の前に輝かせる。この「業」にとっては病気ですら「主の鞭」と理解される(=侵害ではない)。この鞭によって人間は「世界における無用の放浪を避ける」「生涯の仕事を熟考する」ようになる

【医学の位置づけ】
R.医学のもつ意味。創造された全世界+(その中に含まれる)健康な人間・病に陥った人間・救済すべき人間を、霊的に解釈するための学である
S.生理学は「人間が理性的に生きる技術」を包括している
T.病理学は生活の危機と病める人の有する、あらゆる(実存的な)欠陥から「宇宙的な破局」へと拡大していく
U.治療学は「困窮に悩む人・悲惨な人への奉仕」として、失われた世界を崇高なる創造へと連れ戻す

『中世の経済と社会』から[11]

 


○市場・都市・ギルド

 


(1)局地的市場

 

◆[農村での商工業]:中世の商工業の大部分は高度に専業化されている+大半は商業都市に限られていた/(しかし)商業の一部・工業のかなり多くの部分は農村一帯に分散している/農業に付随するパートタイムの仕事でもある(中世盛期)
◆[局地的な市場の形成]:分散した多数の農村商工業は市場での取引(時おり行われる程度)に活動を促される/この局地的市場には(農民のみならず)行商も引き寄せられる/多くの農村市場はごく日常的レベルなので記録には残らない
◆[活動の一端が見えるケース]:ある大きな村落・小さな町がたまたま領主から定期市の開設権・管理権を特別に受けた場合のみ)/それ以外は組織化もされず(少なくとも)当局から公権を与えられることなく活動している

 

【行商人たちの活動】
◆[その役割]:再販売用に農産物を集めること/都市で生産された商品を農村で小売りすること
◆[羊毛商人と生産者](中世盛期):大羊毛生産者たる多数のシトー派修道院の活動について/(修道院は)自ら生産した羊毛+他の生産者から小量ずつ買い集めた羊毛を御用商人(通例はイタリア人・フランドル人の輸出商)に引き渡す/ここに羊毛卸商(例:北部コッツウォルドのミドウィンタ家,ブッシュ家)の登場を契機として行商人が関与するようになる(中世後期)
◆[行商人の行動]:彼らは自分の担当する農村に住んで多数の零細保有農を行商として雇い入れる/この羊毛の行商人は(小生産者から小量の羊毛・羊皮を買い集めて)これを羊毛卸商に引き渡す(15世紀)
◆[穀物貿易と生産者を繋ぐ]:この場合も上記と同じように組織されている
◆[村落市場での活動]:都市で生産された商品を行商人(都市の商人の代理商である)が販売する/相当に裕福なロンドン商人は(卸商として)外国から商品を輸入+大市で買い入れを行う/行商人を通じてそれらの商品を村で販売する/局地的な村落市場こそが行商にとって農村での主要な活動ルートとなっている/しかし個人の家にも訪問することで(局地的な生産者と)網状の繋がりを持っている
◆[大市での活動]:イングランド各地で(小売・卸売ともに)大きな取引は大市にて行われた/諸大市は羊毛取引にとって重要だった(ここで羊毛は輸出商に売られる+売上の決済も行われる)


◇[大市の性質]:通例年1回(時には年2回もしくは4回)の商人の集会である/商品が大規模に交換される/(ある種の)重要な金銭上の決済が行われる場でもある/大定期市(例:ウィンチェスタ,聖アイヴズ,スターブリッジ)にもなるとあらゆる顧客を引き寄せている/そこには(大規模のみならず)小量の商品を売買する機会がある+誰にも楽しめる娯楽が存在する
△[ボストンの大市]:年2回,羊毛取引で最重要
△[聖バーソロミューの市](ロンドン):「毛織物の市」としての役目を持つ
△[ノーザンプトン・ヨークの定期市]:上記と同様

 


(2)都市

 

【イングランド都市の起源・形成】
◇[バラ]:デイン人侵入期に創設された/各州に恒久的な州守備隊を居住させて防備の集中的拠点となるようにした要害堅固の場所のこと
◇[大巡礼地]
◇[聖人の墓所の近辺]
◇[司教座聖堂の近辺]
◇[商業流通に地理上の便宜がある拠点]:〔例〕重要な街道の交差点,渡河に便利な場所,海港となる河口


◆[封建制は商業を阻害する]:〔理由〕封建制は人的流動性・財産の処分・契約の自由に制限を課す/(同じく)職業の特定化を促す/中世都市は封建制の仕組みの枠外で誕生した存在である
◆[商業と都市は互いに必要不可欠ではない]:急増・成長期(11~13世紀前半)に存在していたイングランド中世都市の場合にて/(商業にとって)都市は決して必要不可欠ではなかった/(逆に)商業は中世都市出現の根底にある原因の1つではある/政治的混乱が防壁・集団防衛へ保護を求める動きも都市へと繋がっていく
△[ドレシュタット](都市なき商業の例):この大市場町は『40の教会を持つ』と年代記作家は報告している/実際には40の漁村・酪農村の群だった

 

【都市の特権】
◆[大きな都市は特権を得た]:(たいてい)国王・その土地の大貴族から授与されている/自由の特許状に規定された特権の寄せ集めとしての「封建制外的な特権」だった/そこには都市として発展するための必要不可欠な条件が含まれている
◆[領主による都市の建設]:領主は(しばしば)全く新しい都市を作ろうとした/そのために都市とはとても言えない村(時には全くの処女地にすら)都市的自由の特許状を与えた/これらの新都市(建設都市)は一部死産となる
△[エインシャム修道院による建設]:オックスフォード~グロスター街道沿いに多くの家屋敷を設けて都市の特権を付与した(しかし成功せず)

 

【都市の特権の中身】
◆[土地と身分に関する条件]:都市にとって必要不可欠な条件の中でこれが最も重要なもの/都市の世帯主(市民=バージェス)は人格的に自由となる/彼らは土地を都市民的土地保有(バーギジ・テニュア)によって保有することになる(≒完全な無拘束の所有概念)
◆[国王や封建臣下による介入・管理からの自由]:大部分の都市はこれを最終的に獲得している/このために『都市の請負』という形式で(国王への財政的な諸負担を)一括して一定年額で支払うことになった/市民からの徴収は市民自身によって行う権利が与えられた(自らに税を課す権利はより完全・全体的な自治へ向かう第一歩である)
◆[都市の境界内での強い自治]:(大部分の都市は)市長・参事会・その他選挙された役人を有している/共同体の金庫を設置している/ただし政治的な独立はない(イタリア・ドイツの諸都市と異なる国王の強力さゆえに)
◆[通行税の免除特権]:(他の都市で行う商取引・街道上にて課される)通行税+類似の税の免除特権を与えられている/通行税の免除は「都市相互の契約」によって互恵的に得ることもある/これは既に『他の都市で得ているような通行税の免除』という形式による(他都市の通例はオックスフォード市)

 

【都市の独占】
◆[地域的独占の特権]:これは都市が持つ最重要の特権だった/(実際のところ)市民はその地域の商業活動に事実上の支配力を有していた(商人の活動が都市に集中しているから)/市民はそうした支配力を入念な規制・統制によって正式な支配力とした
◆[よそ者の商業活動の制限]:農村居住者・他都市の市民(=互恵的な自由交易権を要求できない者たち)が対象/対象となる者たちダイレクトな取引からは締め出された(市民の仲介者を得て売買するのは許される)
◆[独占を厳格に実施しない商品・行わない都市]:葡萄酒・羊毛・毛織物といった商品について(幾つかの都市にて)/それらが局地的な産物ではない・局地向けではないのが理由だった/国際的市場を向いている都市(ロンドン,ブリストル,ヨーク,サザンプトン)では商業の主要部門に対して細かい独占的な制限は課していない

 


(3)ギルド

 

【様々なギルド】
◆[独占のための手段として機能]:市場を独占するための統制・管理を行う組合が商人ギルド・市場ギルドである/都市の多くは特許状によってこうしたギルドを設立する権利を得ている(12世紀)
◆[同職ギルド]:専業の商人・職人が相当数存在していて専業化が進んだ都市にて/1部門がそのままギルドとなっている


◇[織布工ギルド]:イングランド都市で最も早く見られる同職ギルド/ロンドンやオックスフォードに存在する
◇[諸金属製品の製造業のギルド]:鉄製品生産に特化したコベントリーではそれぞれの同職ギルドを持つ
◇[木炭取引のギルド]:ニューカッスルに見られる


◆[ロンドンの諸ギルド]:都市の規模が大きすぎる+利害が拡散している/それゆえに市場統制・管理の役割が完全に同職ギルドの間で分割されている/ごく早い時期から(主に)商業関係のギルド(呉服商,食料雑貨商,金細工商,魚商,葡萄酒商)によって都市経済の統制が担われている


◇[富める人々を擁するギルド]:それは一部のギルド大きい+富裕/たいていは商業関係ギルド/都市経済内における上位の同職ギルドによる共同体=『重役組合』(リヴァリ・ギルド)を組織している
◇[小商工業者のギルド]:彼らはそれより低位のギルド=『平組合員』(ヨーマン・ギルド)をしばしば組織している/ヨーマンは(通常は)大商会の被傭人/このギルドは雇傭者と向かい合って組合員の利益を代表+これを明確に定める仕事に(主に)専念している(だからこれらは商業独占とは無関係)

 

【一般的なギルドの機能】
◆[組合員の利害確保のため]:同職ギルド・市場ギルドの集団的独占によって組合員個々が(独占の)分け前に与れるようになる/(ほとんどの)独占ギルドは市場全体に占める組合員個々のシェアを守ろうとした/(入念な規則によって)組合員の大量買い占め・先買い・他組合員の出し抜きを許さないことが大事である
◆[消費者利益にも寄与する]:労働時間・価格の設定+製品の品質への規制によって/ただしそれは本来の役割・意図とは別だったという
◆[新規加入・雇用を統制する]:これも勿論ギルドの独占機能と密接に結びついている/〔規制内容〕重い加入金を課して加入を制限する/組合員の息子に優先権を与える/新規加入に対する制限は徒弟に対して加えられた(徒弟期間の長期化,親方資格試験)
◆[教区ギルドはギルドの起源]:相互の利益を求める諸々の活動のために教会の周囲に組織した教区民の組合のこと/それは(しばしば)領主に対して共同歩調を取るための中心となる/地方自治の日常的なセンターの役割を果たす/(歴史的には)都市で教区民の居住する地区(同じ職業の場合が多い)が同職ギルドへと発展していく

 


(4)外国貿易とステープル

 

【ステープル】
◆[中世の国際的な用語として]:『ステープル』は大部分の西欧の商人・政府が用いていた/〔機能〕特定商品の取引全てに対してある取引区域を通過させるよう強制する/当該都市の商人による取り扱いを強制させる/貿易統制・取引監視によって「公正な」業務を実施可能とする
◆[羊毛ステープル]:カレーに設置された(14世紀末)/国王は羊毛貿易からできるだけ多額の税・借入金を絞り出そうとした/これに対して羊毛商人が高額の税金賦課・徴収に協力を申し出た/これにより国王は羊毛課税額を担保とした起債を行える


◇[イングランド王室にとっての利点]:羊毛輸出税の脱税を防ぐ/公定価格と公式の統制(=羊毛による借款)を実施することを(非常に)容易にする
◇[国内の羊毛ステープル]:羊毛輸出に直接携わらない羊毛生産者・商人にはこちらが人気だった/〔理由〕外国商人・イングランド商人ともに往来可能である/輸出商人どうしの競合によって売り値を高くできる
◇[海外の羊毛ステープル]:(反対に)イギリス輸出商人は極力イングランドに近い外国の市場にステープルを置こうとした/〔理由〕外国商人をイングランドから締め出せるので彼らへの羊毛販売窓口は輸出商人のみとなる

 

【ステープル商人組合の概要】
◇[目的]:ステープルの運営・独占実施
◇[構成]:1人の会長+協議会
◇[独占が排除したもの]:外国商人/羊毛ステープルの組合員でないイングランド商人
◇[組合員]:富裕な商人/多くの羊毛輸出都市出身者(ただし多くはロンドン出身)
◇[仲間団体だった]:かなり大きな規模にもかかわらず緊密・排他的に機能した
◇[無差別の加入を阻止]:加入制限・徒弟制によって達成した
◇[巨大商会の誕生を阻止]:個々の商人が貿易で異常に大きなシェアを手に入れるのを規制・措置によって阻んだ
◇[輸出の流れの統制]:(主要機能として)個々の商人がカレー以外を通じて羊毛を輸出しようとするのを監視した


◆[輸出統制の実行・不実行]:イタリア向けについて/ある程度の量は(時には年輸出総額の1/4にもなったが)国王の特別許可を得て取引するイタリア商人がイングランドから(ステープルを通さず)直接運び出していた/しかしステープル商人はこれを閉鎖する努力は(ほとんど)せず/(対照的に)北欧への密輸は厳しく取り締まっておりこれはほとんど成功していた
◆[国王との財政上の協定]:羊毛関税の収入見込み分を定期的前払いすることになっている/このためにステープル組合は(国王役人と協力して)関税を徴収する/最終収益はステープル組合員間で分配する/この仕組みがあるからステープル商人はステープル逃れを警戒していた
◆[貨幣鋳造にも関わっている]:組合・国王共同経営によるカレーの鋳造所が活動している/これは(おそらく)イングランド最大のもの/羊毛販売による現金収入は全てここへ払い込まれて地金はイングランドの鋳貨とされる/ここは地金が通過する(=輸出で得た金・銀がイングランドへ流入する主要ルート)のでイングランドの通貨を管理する機関としても機能している(15世紀)

 


(5)外国商業と冒険商人組合

 

◆[イギリス商人の海外貿易拠点]:彼らは毛織物・その他商品(主として雑多な輸入品)を扱う/外地に拠点を築いて組織作りをしていた(このやり方は外国貿易に従事する全ての国の商人に一般的だった)
◆[代理商の存在]:外国貿易は(大半が)外地に駐留する代理商を通じて行われている/代理商の多くは冒険商人の使用人(or)下級のパートナーである


◇[常駐・共同体的な商館システム]:代理商は同じ屋根の下で宿泊させられた/共通の規則・集団的な保護の下にあった/その代表はその外国の地方当局者と(イギリス商人の利益を代表して)交渉を行った/条約・協定の一方の当事者となった
◇[各地の海外拠点の盛衰]:イギリス商人はこの団体をベルゲン・アントウェルペン・ダンツィヒに設置した(14世紀後半~15世紀初期)/しかし担当していた取引の後退に伴って閉鎖された
◇[アントウェルペンに集約される]:イギリスの北欧貿易の大部分が低地諸国への貿易ルートに引き寄せられていく/最終的には(アントウェルペンの組合が)外国で日常的に取引を行うステープル商人以外のイギリス商人の大半を包括することになる


◆[毛織物輸出と貿易商人組合]:冒険商人の諸組合は外地で商人にいろいろな便宜を供与するためだけのものからスタートした/(しかし最後には)主要な存在理由が「毛織物輸出の独占権行使」のためとなる
◆[毛織物の輸出独占は不完全だった]:これは徐々に進んでいくが羊毛輸出独占のような完璧さには至らず完全には強制されなかった/(最終的には)イギリス国王から得た勅許状+外国の支配者から与えられた諸特権全てによって独占権を認められた/これによりもぐりの商人に対して阻止行動を取ることが許された

 


(6)企業組合

 

【荷主団体】
◆[中世では唯一の企業]:イギリスで合資組織の1企業による貿易が発達するのは近世になってから/『荷主団体』はアイスランド向け貿易遠征を任務としてニューカッスルとリンで定期的に組織された(15世紀)
◆[アイスランド貿易の意義]:商品の物的な量は(イギリスの貿易全体から見れば)重要ではない/干物・きわめて粗い布地がイングランドにもたらされた/毛織物その他商品がアイスランドへ運ばれた
◆[商業上のリスク分散と組織]:アイスランドへの航海は非常に危険を伴うと思われていた/(そこで)積み荷の損害・危険負担を分担する商人団体が各遠征計画ごとに合同船積みを組織することになる/分配は遠征1回ごとに完了する/次の遠征において新しい共同出資者が再び組織する

 

【巨大商会の未誕生】
◆[統制組合と企業は互いに排他的である]:統制のための組合は巨大な企業が生まれないように監視した/統制組合の成功は(大部分が)巨大商会が存在しなかったことによるもの(14世紀後半~15世紀)/これら統制組合は(同時期の)イタリア・ドイツの商会とは異なる(これら商会のそれぞれが「商館」のような代理店幹部・パートナーを維持していた)
◆[シンジケートの展開]:イギリスでも数個の大商会が出現・展開した時期がある(14世紀前半~)/イタリアのバルディとペルッツィ両商会が破産した代わりにイギリス商人による諸々のシンジケートが組織された/これがイタリアの商会の事業を遂行した(羊毛税からの返済/一定期間の羊毛輸出の事実上の独占をもとに国王への巨額貸付を行う)
◆[核となる商人の存在]:これらシンジケートにおいて2・3の卓越した大商人が大きな役割を果たしていた/彼らは(後の)ステープル商人・冒険組合商人のどれよりもはるかに大規模な取引を行っていた
△[ウィリアム・デ・ラ・ポール]:サフォーク伯の家祖/事業によって巨額の財産を築き上げた(大所領も一部含まれた)/しかし彼とその後継者は獄中死した
△[ウィリアム・メルチボーン]
△[ヘンリー・フィルポット]
◆[彼らの商会は成功を継続できなかった理由]:繁栄の基礎が脆弱である(資本の大半は他人からの借金をもとにしていた)/国王との取引という危険性の高い性質を有する取引に依っている/(最終的に)イギリス商人によるシンジケートは1つ残らず破産した

『中世の経済と社会』から[10]

 


○商業と工業

 


(1)イングランドの外国貿易(12世紀まで)

 

◆[貿易の記録は残りやすい]:中世イングランドの外国貿易は継続的な記録が残されてきた/〔その理由〕他国との商業関係は(しばしば)条約によって統制・保護されている/その条約は外国貿易を立証するのに十分現存している/関税簿に関税収入が記録されている/ただし中世初期と11世紀は記録が貧弱な記録しかない(特にイングランドの輸入品目に関して)
◆[王権の関税への関心は高い]:イングランドの歴代国王は(極めて早い時代から)国境を越える商品に課税する方法を知っていた/(特に中世後期には)関税収入に大きく依存している

 

【アングロ=サクソン期にて】
◆[輸出商品は必需品としての性格が強い]:それゆえにオファ王はカール大帝に対する経済制裁として「イングランドの海外向け貿易のための船舶入港禁止」令を企図した/主な輸出品目は以下のとおり


◇[イングランド人奴隷]:最もよく挙げられる最古の商品
◇[鉱物]:錫・鉛・(おそらく)銀/古代ローマ期から引き続いて輸出された
◇[イングランド産毛織物]:外国で『フリージア物』という名でフリージア商人によって販売された
◇[羊毛]:アングロ=サクソン期中頃に始まったと推測される(12世紀には高水準に達している)/カール大帝がオファ王宛に「カロリング朝の兵士の制服に用いているイングランドの毛織物は質が悪い」と訴えている
◇[穀物]:アングロ=サクソン期中頃に始まったと推測される(12世紀には高水準に達している)


◆[フリージア商人の活動]:フリージア商人は当時イングランドに出入りしている/1.北方とはるか南方の国々との仲介者として(南ドイツ産の)葡萄酒・木材・穀類を舟でライン川を下って運ぶ/2.ライン川を遡って(北方産の)魚類・その他商品を運ぶ(またはこれを陸路で運ぶ)/3.この北方産品目には『フリージア物』毛織物も含まれる
◆[フリージア人]:(変化に富む)ライン川河口周辺地域に居住(ここの砂地・浸水性の低地がゲルマン人の西方移住のごく初期に彼らを引きつけた)/この土地は端から耕作経営には適していない/定住したゲルマン人は(主として)酪農・漁業・航海業・商業に従事することになる

◆[その他の商人の活動]:ロンドンとヨークでは他の外国人商人が活動していた/(したがって)イングランド諸都市で交易していたフリージア商人はイングランド対外貿易を完全に支配していたのではない


◇[商人の出身地]:ルーアン,リエージュ,フランドル,ノルマンディー(ロンドンにて:7世紀~)
◇[アングロ=サクソン商人]:〔例〕カントヴィクを訪問していた商人(8世紀)/伝記で有名なフィンチェイルのゴドリック(11世紀)
◇[ユダヤ人商人]:イングランドのユダヤ人を訪ねた人物がいる(9世紀)
◇[スカンディナヴィア人]:彼らの商業航海はデーン人の侵入よりも早くから始まっている/彼らは(中世初期を通じて)北方の海では売り手・買い手双方として往来+早くからイングランドと取引関係を築いている

 

【スカンディナヴィア勢力の海上支配期】
◆[フリージア商人の優勢の終焉](9世紀):スカンディナヴィア人の暴力的活動による/〔ヴァイキングの活動がもたらした結果〕1.海上貿易そのものの解体/2.フリージア人の国々への侵入/3.ライン川沿いの貿易拠点の破壊
◆[スカンディナヴィア人の商業]:彼らは北西ヨーロッパの商業貿易路(特にイングランドとの貿易)に従事・支配する/イングランドへの襲撃停止・東部へのデーン人社会建設に伴いスカンディナヴィア人はイングランドとの商取引を行った


◇[その諸証拠]:ロンドンのデーン人商人に関する記述(聖オズワルトの伝記:10世紀)/スカンディナヴィアの諸史料での対イングランド貿易航海に関する記事
◇[輸入は中近東産の奢侈品]:スカンディナヴィア人がイングランドへ持ち込む商品にはこれが目立っていた
◇[輸出は金・銀]:彼らはイングランドから金・銀以外のものをほとんど持ち出さなかった/輸入品の対価としてほとんどが鋳貨によって決済された(=イングランドからの輸出はほとんどない)
◇[アングロ=サクソンの鋳貨発掘]:スカンディナヴィア人が居住・支配した地域において/戦利品・デインゲルト税として収受されたもの

 

【海上貿易の増加】(中世盛期)
◆[スカンディナヴィア勢力の後退]:ドイツ人のバルト海沿岸地域+バルト海交易への進出が引き起こした結果として北方貿易でのスカンディナヴィア勢力の後退が進んだ/ノルマン諸王朝の大成功は故国との結びつきを弱めた/こうしたことからイングランド‐スカンディナヴィアの結びつきは逆に非常に弱くなった(12世紀末~13世紀初頭)


◇[イングランド穀物]:この輸出がノルウェーでの食糧供給源として高く評価されるようになる(12世紀中頃以前において)/〔例〕ノルウェー王ハーコン4世のサガ(13世紀)にイングランド産穀物への賛美の記述がある
◇[イングランド産毛織物]:幾らかはスカンディナヴィアに販路を作っていたようだ/イングランドでは毛織物製造の技術は確立されて久しい/大陸の幾つかの市場にも現れている(11世紀)
◇[魚類]:スカンディナヴィアからイングランドへの輸出品
◇[木材]:スカンディナヴィアからイングランドへの輸出品/(どの記録を見ても)ノルウェーはイングランドへの巨大材木の主供給源となっている

 


(2)イングランド羊毛輸出とフランドル毛織物工業

 

【新しい外国貿易】(12世紀~)
◆[イングランド・ガスコーニュ間の貿易]:アンジュー王家の登場により新たにガスコーニュ地方との経済的な結びつきが生まれた/ガスコーニュから葡萄酒を輸入する・ガスコーニュには穀物・工業製品(大半は毛織物)を供給する
◆[フランドルとの毛織物の結びつき]:フランドル地方の毛織物工業の興隆はイングランドからの大量の原毛輸出と一体化したものである/イングランド側は年間30,000~50,000サック(後者の数値は羊6,000,000頭以上の羊毛に相当する)の輸出が可能と考えられていた(13世紀初頭~中頃)/イングランドの羊毛輸出はこの時期に急成長したとされているが記録に現れる以前から展開していたと推測される(その規模の大きさから考えて)


◇[相互に必要としていた]:フランドル市場はイングランドの羊毛輸出に最重要の存在である/フランドル毛織物工業にとってイングランドがほぼ唯一の原毛供給源である
◇[イングランド産羊毛の重要性]:他の毛織物生産地域(例:フィレンツェ)も上質織物の原毛をイングランド産羊毛に依存している


[フランドルの経済発展の理由]:たまたま強力なフランドル伯が平和・秩序ある政府を樹立した(これによりフランドルの人口・農業の急成長が可能となる)/この土地での農業開発は「海岸の干拓・潮流を防ぐ入念な対策」の恩恵も受けている/間もなく過剰となった人口が毛織物工業をはじめとする手工業に吸収されていく

 

【羊毛輸出の拡大を妨げる要素】
◆[放牧入会地の不足]:これによって最も輸出に積極的な修道院領主であっても飼育できる羊群頭数は最大限度に達していた(13世紀中葉)
◆[関係者の利害争い]:これは輸出向けの高利潤ゆえに起こったとも言える/良質のコッツウォルド産羊毛1サックが12~15ポンドで売れる(14世紀末:低地諸国の羊毛市場にて)がイタリアではこれよりはるかに高値が付いている/しかし生産費は4~6ポンド以下/そこで商人は独占の恩恵を確保しようとした+国王は独占利潤の一部を国庫に確保しようとした


◇[ステープル]:強制的な集荷システムが誕生した
◇[高関税]:外国での売値の約40%/国内の羊毛生産者が受け取る価格の50%を占めるまで過重された

 

【フランドル羊毛工業の苦境】
◆[イングランド毛織物工業の発展]:関税によって生まれた原料羊毛の強烈な内外価格差が国内の毛織物工業の形成を刺激することになる/(一方で)競争相手の登場+原料羊毛の高価格によってフランドルの輸出向け工業は(発展可能性の低い)高価な奢侈品毛織物に(ほぼ)全面的に集中せざるを得なくなっていく
◆[フランドル諸都市での社会不安]:フランドルの毛織物生産者は毛織物職人たちの収入を低く抑えた/これによって都市内での著しい社会的不均衡+大きな社会的軋轢が生まれた/都市の革命運動がフランドル全土に燃え上がった(1320年代)


◇[毛織物生産の落ち込み]:騒乱によってフランドル毛織物工業は急激な没落に向かった(最高潮期の生産の1/2に落ち込んだ:1360年代)
◇[新たな生産地の登場]:毛織物職人たちはブラバント地方・北ホラント地方・イングランドへと移住する/そこは新たな毛織物工業の中心地となる

 


(3)毛織物工業と商業が連動しての活性化

 

◆[羊毛輸出の減少]:イングランドからの羊毛輸出禁止は何度か行われた(1320年代の短期間,それ以前の数回)がいずれも長続きしない/それは完全には実施されず/(禁止というよりも)「輸出の特別許可に対して徴税するための口実」に過ぎなくなる
◆[有望な毛織物生産地となる]:イングランドは低い原料羊毛価格のため生産者にとって前途有望な土地であり毛織物生産者の数は膨れ上がっていく/〔その構成〕フランドルからの移住者(例:フランドルの親方ジョン・ケンプ)+イングランド土着の毛織物生産者+職を求める労働者たちの職種移動


◇[輸出急増と毛織物工業の興隆]:〔毛織物輸出量〕2,000グロス(14世紀初)⇒50,000グロス近く(14世紀中頃)/この水準は以後60~70年は維持された
◇[イングランド産羊毛の輸出減]:30,000サック(13世紀)から約1/3へ(15世紀初)低下している/(その一方で)北ホラントは重要な得意先に成長した
◇[継続した羊毛輸出]:フランドルとイタリア向けに/以前より低水準だが滞りなく続いている(14世紀後半~15世紀)

 

【イングランド商人の活躍】
◆[毛織物輸出増加以前の商業構造]:ガスコーニュからの葡萄酒輸入+ガスコーニュへの輸出の大部分がイングランド商人による/羊毛輸出へのイングランド商人の関与は1/3を超える程度しかない/イングランド商人はブリュッヘ・アントウェルペンの羊毛市場で販売するまでしか関与しない/小織元への販売・内陸での売りさばきは仲買人任せ
◆[毛織物の輸出活発化以前の輸入]:イングランドの羊毛輸出商人は羊毛の売上金を使って外国産商品を購入しイングランドへ輸入していた/他の商人(例:呉服商,魚商,葡萄酒商)などの商人ギルド構成員も同様の取引を行っている
◆[イングランド商人の大陸内部市場へのアクセス]:毛織物輸出がメインとなりイングランド商人は仲買人を必要としなくなる/自ら接消費者に販売できる機会を得た彼らは大陸内部の市場に参入可能となる/これはイングランドの国際収支の好転という結果も伴うことになる
◆[イングランド商人の新たな展開]:販売用毛織物を(低地諸国の)複数の商業中心地で販売するようになる/ベルゲン・シュトラールズント・ダンツィヒにまで地歩を築いた/一部には(ある期間に限って)在外商館を設立・これを維持した(少なくともアントウェルペンとベルゲンに)

 

【国際情勢の悪影響】
◆[中世後期の海上紛争が原因]:これによる外国貿易の中断の影響は時期によって異なっている/(14世紀後半~15世紀初頭では)数回起こったものの交易への大打撃にはならなかった/(15世紀第2・第3四半期では)交易の持続的発展(特に毛織物輸出)にはっきりと打撃を与えた
◆[ボルドーの葡萄酒貿易への支配権喪失]:百年戦争での最終的敗北+ガスコーニュ撤退の結果として
◆[都市ハンザによる妨害]:この時点ではまだ強力でありしっかりとした政治力・海軍力を有している/彼らは多くの国際的中心地(イングランドを含む)で貿易特権を享受していたのでイングランド産毛織物の中欧・東欧向け輸出にて大きなシェアを支配している


◇[イングランド商人の締め出しにかかる]:都市ハンザは自分たちの裏庭から排除しようとした/(特に)バルト海沿岸諸都市(特にダンツィヒ)のスラヴ人向けのマーケットにイングランド商人が直接入り込むのを防ごうとした
◇[ダンツィヒでの敗退]:この都市にあるイングランド人交易事務所をめぐる(長期間の)闘争があった/薔薇戦争で弱体化していた政府はイングランド商人に必要な支援を与えられなかった(1460・70年代)
◇[バルト海の恒久的拠点建設の失敗]:上記の結果として/イングランド商人のダンツィヒ・バルト海沿岸地方全体からの撤退となる(1470年代)となる
◇[ノルウェーでの挫折]:ベルゲンのイングランド商館がドイツの圧迫によって追い出された(15世紀初頭)

 

【毛織物輸出の動向】(15世紀)
◆[低地諸国との貿易への集中]:イングランド商人の担う毛織物輸出の大半+残ったイングランド産羊毛輸出は限定されることになる/〔原因〕イングランド商人が担う外国貿易は(再び)低地諸国に限定されたため
◆[羊毛工業の分業体制成立]:イングランド・フランドル間にて/イングランド商人は低地諸国の経済構造・その地の毛織物生産者の既得権との調整を迫られた/〔その結果として〕イングランドからの輸出品の大部分は未仕上げ毛織物とした/低地諸国の染色業者・剪毛業者に半製品の仕上工程を任せた


◇[毛織物輸出量]:ピークに達して(14世紀末)しばらくはその水準近くを維持(1420年代)/その後は海上紛争・海賊・海外市場からのイングランド商人の撤退によって最低線に落ち込んだ(1450年代後半~60年代)/この時期は都市ハンザとの関係が最悪となっている
◇[低付加価値化]:その後は数量的には回復する(1480年代)/ただしそれは未仕上げ品が大部分だったので付加価値は(14世紀末と比較して)より少なかった

 

【新毛織物による輸出復活】(16世紀)
◆[新毛織物]〈woolen〉:短い・縮れのある羊毛(これは羊毛の性質による)はまず紡糸の準備段階で刷毛具〈card〉によって綿状にしなければならない/この刷毛された紡毛糸を経糸・緯糸に用いて織った布のこと


◇[特徴]:糸の番手・強さが不揃い/粗さがある
◇[女性労働力の活用が可能]:刷毛から紡糸への工程は婦女子にも(簡単に)家内仕事として行える


◆[旧毛織物]〈worsted〉:梳毛具〈comb〉を用いて長い羊毛のみを梳きそろえて織糸を細く紡ぐ/これを経糸・緯糸として織った布/古くからイースト・アングリアが中心/やがてウェスト・ライディング(ヨーク州)で盛んになる(17世紀末~)


◇[特徴]:糸の番手・強さは均質性が高い/滑らか
◇[男子労働力に頼る]:梳毛工程は重い梳毛具の操作のために頑強な男子に限られる

 


(4)国内の交換経済

 

【交換経済の不可欠な地域】
◆[必需品の交易]:中世イングランド社会は国内のどこにも産出しない(or)ほとんど産出しない必需品(例:塩,香辛料)を海外貿易により入手している
◆[経済活動が特化した地域は交換経済が不可欠]:イングランドの一部地域は特定の生産活動に特化している/最も代表的なのは牧畜経営(特に羊毛生産)/それ以外には以下の通り


◇[鉱業地域]:錫(コーンウォール)/木炭と鉄(ヨーク州ウェスト=ライディング,ディーンのフォレスト)/木炭(ノーザンブリア海岸地方)/木炭はニューカッスルからロンドンへ定期的に船積みされている(13世紀)
◇[船乗り・漁師の村]:海岸地域に
◇[炭焼きの居住地]:森林地域に
◇[鉄製品の生産地]:ミドランズ,コベントリー周辺,ヨーク州,サセックス,ディーンのフォレスト,その他局地的地域
◇[工業中心地]:村落・町で毛織物生産が発達した場所(14~15世紀)

 

【農村内での交換経済と食事】
◆[非農業特化地域での農業生産]:多くの鉱業村落・毛織物村落における鉱工業従事者の食糧は(その一部を)彼らが持つ小さな保有地から獲得している/(それ以外にには)その村落内で農業に特化していた生産者から得ている
◆[中世農村は自給自足ではない]:必需品の大部分を自分の土地・家族労働によって賄える世帯ですら幾つかの商品は購入しなければならない(例:塩,鉄製品,陶器類,小量の樹脂=ピッチ・タール,胡椒,晴れ着)


◇[穀物・パンの一定部分を家庭の外部に依存する場合]:領主の強制によって領主の粉挽き場で自分の穀物を製粉してもらわねばならないこともある/村のパン焼き場でパンを焼く場合もこれに該当する/イングランドでは村のパン焼き場は(大陸ほどは)広まってはいない/領主もパン焼きの独占を強制しなかった
◇[調理済み食料品を購入する場合]:燃料不足+農家での加熱・調理設備の不十分さが理由/個々の世帯は(おそらく頻繁に)他人が調理した食料品・焼いたパン・醸造したビールを(消費の一部分)購入している
◇[週市・定期市にて]:あらゆる種類の調理食品を扱う料理人+それを売る者たちが目立っている


[調理は費用のかかる仕事・少々贅沢なこと]:調理された食物をとることはそれほど頻繁ではなかった/燕麦によるオートミール粥(『ポリッジ』〈Porridge〉,『グルーエル』〈Gruel〉が家族の普通の食事/ポリッジの一部は未調理のオートミール=『ブローズ』〈Brose〉として食べた
[森林資源の枯渇]:たいていの耕作地域では森林は非常に不足していた(13世紀末までには)/燃料用木材は貴重となる/森林は領主が所有しているので「村民が領主から『下生え』を購入している」記録が多く存在する(中世の会計録にて)


◇[下生えの利用]:その場所で緑のまま買う場合には(多分)家畜の飼料に使われた/しかし大部分は干して集めて燃料に使われた(それでも非常に割高だった)
◇[価格例]:小さな1束の値段が1シリング(=12d.)だった/これは穀物1ブッシェルの価格に匹敵する(グラストンベリー修道院のある所領にて)

 

【交換経済を生み出した要因】
◆[小規模零細保有農が多数存在した]:村落人口の1/3以上を占める(13世紀)彼らは食料の自給自足分の土地を保有していない/(生計を立てるために)彼らは農業以外の利益・農業労働者としての賃金を得ている/これを地代支払い+食料の足りない分の購入+他の商品の入手に費やすことになる
◆[農業での雇用労働者の場合]:マナーで雇用される労働者は(しばしば)収穫した穀物の中から「現物給与」として支給される/直営地での労働の間はマナーで食事を与えられる/(しかし)これでは賃金労働者の食料需要を満たせなかったから貨幣賃金と併用することが多い/他の村民(=富農)に雇われた労働者も(普通は)雇い主から食事を支給されている
◆[農民が貨幣での支払いを求められる]:地代その他(強制的な)給付は農民に貨幣を必要とさせることになる/これが局地内商業を促進していく/平均的土地保有農(半ヴァーギト=15エーカー)ではこの目的に生産物の一部を換金向にしなければならない/〔例〕ある保有地では農産物の少なくとも半分は市場向けでなければならなかった
◆[販売用農産物の流通]:一部はイングランド内の農産物が不足している地方へと流通している(農業生産力の高い地域では特にそうだった)/残りは地域内で土地保有の足りない世帯へ販売されている
◆[局地内商業の増加と減退]:土地保有が不平等だった・マナーの義務や国庫への負担が最も重かった時代と場所で最も局地内商業が盛んなる/領主による(法的無能力な)隷農に対する徴収圧力・人口圧が最も強い+零細保有農が増加した時代(13世紀)がそうだった/中世後期には逆に衰退したようだ(原因:諸条件が真反対だったので)

 


(5)多種多様な職業

 

◆[農村の手工業者]:農村の至る所に存在した各種の職人・商人・専門職業人は(同時期のフランドルと比べて)少なかった/それらの職業は(本来は)パートタイマーだった/それでも経済全体の発展に十分影響を与えた
◆[職が姓となる]:姓の使用が初めて一般的となった時期において(13世紀初頭)/商工業の職業を表す家族名は実際の職と正確に対応している(この対応性はすぐに崩れていく)/さらにその職業の相対的重要性をも伝えている(後世よりも)


◇[鍛冶屋]〈Smith〉:最も普及した職業

 

【建築関係】
◆[とにかく数が多い]:あらゆる種類の建築・工事関係の名前は最大グループを構成している/この職業には広範な雇用の機会が存在していたと推測される/(たいていのマナーでは)多数の大工・その他の建設関係の従事者が抱えられていた(or)職を与えられていた/(卓越した司教・修道院長の本拠地では)直営地で常時雇用されている農業労働者の数を上回っていた
◆[重要性が高い・範囲が広い]:建築業種は農村で突出して重要な非農業的職業だった/(専門化した職業だけでなく)建築工事に雇われる労働者なども含まれる


◇[大工]〈Carpenter〉
◇[タイル工]〈Tyler〉
◇[石工]〈Mason〉
◇[荷車屋]:建築工事の関連職業
◇[煉瓦工]:これも建築工事の関連職業(登場は15世紀末)

 

【皮革関係】
◆[農村は原料供給源]:莫大な数の家畜が存在した+大量の皮革が各種革製品に細工されたことで彼らは多数存在している/加えて多量の牛皮・馬皮が貿易された(中世イングランド)/年羊毛のために刈り取られる3フリースにつき(皮革業者が使えるのは)概ね1羊皮である


◇[毛皮業者]〈the Skinners〉
◇[製革業者]〈the Tanners〉
◇[なめし皮業]〈the Tawyers〉
◇[馬具屋]〈the Saddlers〉

 

【毛織物業】
◆[重要産業となる]:毛織物工業がもたらす雇用機会・製品価値によって皮革関係業よりも重要な地位を占めるに至っている(14世紀後半~15世紀初頭)

[毛織物輸出による雇用機会の総増加量]:フルタイム労働者で約15,000~25,000人相当(イングランドの毛織物輸出の収益から求めた数値)
[実際の雇用機会増加量]:約50,000人に相当する/これは毛織物工業の大部分を零細保有農のパートタイム労働により頼っていたから /紡ぎ手は全てが・織布工は一部がそうだった(縮絨工・染色工・剪毛工は違う)/この人数はイングランドの零細保有農・無保有農(最低見積もり数)の約5~7%に相当している
◆[毛織物工業の縮小](15世紀):輸出の大幅な減少+付加価値の低下が原因だった/(一方で)輸出の衰退を補いうるような国内市場の繁栄はなかったと推測される


◇[国内市場へのプラス要因]:農民(特に零細保有農・無保有の賃金生活者)の繁栄
◇[マイナス要因]:人口減・交換経済の後退・土地所有者階層の所得減少

 

『中世の社会と経済』から [ 9 ]


○領主


(1)領主層とすぐ下の中間層

◆[安定した階級社会として]:
  中世イングランドは完全に2つの階級に分かれた社会構成だった/封建領主とその他の階層との区別は(社会のその他のあらゆる区分よりも)深いもの・固定されていた
◆[中間的集団の存在]:
  中世イングランド社会には幾つかが存在していた(例:ベネディクト派修道会を含む教会,商人階級の上層部,とりわけ法律家)/彼らの特徴は「封建領主とその他の階級との間に位置している」「容易に・繁にその境界を越えて上昇できる」ことにある
◆[封建領主層は等質な集団を構成する]:
  土地所有者(中間的集団を除く)は社会学的な単一の「社交の単位」を形成していた/全ての重要な社会的結びつき(結婚,受託,遺言執行,法廷における保証,債務・土地取引の保証)はこの単位内の人々に限られた
◆[騎士と貴族の繋がり]:
  騎士は貴族の家庭で教育される/その貴族の従者として仕える/(成長して)貴族の家政に携わることになる
◇[議会では]:
  騎士出自で騎士身分を持つ州騎士は貴族と同じメンタリティを持っていた/種々の政治団体では貴族の代理人となった/貴族と同じ利害関係者の一部を形成した(15世紀)
◆[領主層内部での興亡は当然ある]:
  社会的流動性(社交の単位の中での上昇・下降)までもが阻止されることは無い/〔例〕相応の財産を持つ郷紳(ジェントリ)王への奉仕や何らかの幸運によって封建的階層のトップクラスへのし上がる/有力家門の次男・三男や落ちぶれた後裔が身分の低い騎士へと落ち込む
△[ペラム家の場合](サセックス):
  最初は比較的それ相応の身分だった/やがて貴族の称号なしに貴族と同じような地位へ上がった(15世紀)
△[フィッツ=ランバート家の場合]:
  レドバーンの貴族領を保持していた(12世紀末)/後には(外見上は騎士身分を失っていないものの)60エーカーほどの土地しか持たないまで零落していた(1321年)

【商家】
◆[台頭のチャンスは存在するが簡単ではない]:
  商業で財を蓄えた富裕な人々は土地所有階級へと参入していくことになる/(ただし)成功した商家のかなりの部分はジェントリと何らかの関わりを持っていた/百年戦争開始期の戦時投機事業・戦時財政の盛んな時代と比べて15世紀の方が事例は少なくなる
△[デ・ラ・ポール家の場合](14世紀):
  2世代の間にサフォーク伯の称号・地位を得るまでに成長した
△[郷紳(ジェントリ)の出自]:
  20人以上はロンドン(&)主要な州都の商家出身だった

【法律家】
◆[教育は社会的上昇の機会をもたらす](中世を通じて):
  もちろん初期よりも後期の方が容易だった/法律の教育+それが提供する官僚的・政治的な役職への登用による/これは個人の地位の向上に最も簡単・しかも踏みならされた道だった
◆[法律家の活動範囲](彼らは必ずしも皆が家柄が良かったわけではない):
  国家の役職を占める/裁判官の資格で活動する/貴族・司教・修道院長の協議会に勤務する/裁判所・財務府にて活動する/商業取引・土地財産の移転について有力者・利害関係者の代理となる/王の軍隊の監督さえも行う
◇[法律家はチャンスが多い]:
  財産の形成・政治的影響力の上昇・社会的地位の向上機会はよく巡ってくる/商家・小地主・もっと賤しい出自の法律家が(その他大勢より)はるかに頻繁・容易に社会の上層へ登っていくことになる
◆[書記とその弟子]:
  政府・議会・貴族の家中(14世紀後半~15世紀)においてそれ以前の政府・社会よりも人数が増加した・重きをなしていた/そのため昇進の可能性はどんどん大きくなっていた

【ジェントリと農民層との間】
◆[自由農民の最上層]:
  若干の富裕な自由土地保有農と自由人からなる/保有地を持っていて少なくとも下級騎士と同程度の収入を得ていた/騎士との違いは(しばしば)形式的なものでしかない
◆[騎士身分受領強制](1241年):
  年収20ポンド以上の自由人〈francolani〉が全て騎士に叙せられることになった/ところが資産のある人々は「礼帯を付ける騎士身分の栄誉・義務」を避けた/これによって州騎士が不足をきたすことになる/(そこで国王は)騎士の職務(主として訊問調査)を未だ騎士に叙せられていない人々に許すことになる
◇[騎士身分受領強制を行った意図]:
  1.新騎士に対する相続料・後見権・結婚承認権に基づく収益の増加を期待して
  2.騎士身分に限定された任務を担う人々を増やそうとして
  3.海外遠征(特にガスコーニュ遠征計画)との関連で


(2)大領主と小土地所有者の利害

◆[土地所有者の収益]:
  非農業的収益・支出は幾ばくか存在する/(しかし)マナーからの収益が所得の主要源泉となっている/マナーの利益の増大⇔減少は土地所有階級の総利益の膨張⇔収縮と結び付く
◆[微妙に収益動向は異なる]:
  土地所有階級内の諸階層でも経済的に恵まれた状況(12世紀後半~13世紀)によって受けた恩恵は異なっていた/貨幣地代と直営地生産物の構成比率は領主ことに異なるのが原因/余剰生産物販売による利益は(小修道院・世俗の小土地所有者よりも)貴族層が大きく享受した

【小土地所有者の富の動向】
◆[戦士階級の出自と横暴]:
  彼らの始源はウィリアム征服王の軍勢の中にある/ノルマン征服によって土地に定住+騎士封の保有者化+富・地位の獲得を達成した/さらに(スティーヴンとマティルダの争いの中で)軍役付封土を獲得+交戦する両当事者に軍事力を提供+教会・貴族の土地を(時にはマナー全体を)我が物とした
◆[土地不足の時代に衰退する](13世紀):
  世俗貴族・ほぼ全ての所領への土地集積が進む/小土地所有者が土地を喪失する/ジェントリの家柄が農村の若干地域では消滅寸前となる/一部の例外はあれども大半は逆風の中にあった
△[小土地所有者の土地売却の事例]:
  グラストンべり修道院のマナーの近くにあった多数の小土地所有者は同修道院(所領の一円化を推進した)に土地を譲渡していく/ピーターバラ修道院(とその隷農)は地方のジェントリ・ヨーマンから土地を入手した
◆[一部の小土地所有者は勃興した]:
  個別・特殊な事情があれば小土地所有者が一段と高い貴族層へ入ることができた(結婚,相続,宮廷の恩顧,貴族や修道院の役職に基づく収入)/大貴族の従者・国家の重要な官職に近づくことができた法律家もここに分類できる/騎士が小所領を新しく所領を形成(さらには拡大)した場合もある(例:ブレイ家)

【大半の小土地所有者の没落】
◆[職業軍人としての支出の増大]:
  軍事的義務を原因とした過大な経済的負担は土地の売却を余儀なくさせていく/これによって小土地所有者は地域支配力+農村の土地財産に占める分け前を失っていく
◇[騎士の装備費の高騰]:
  軍事的封土が創出され義務が規定された時期には15シリング(=180d.)だった(12世紀前半)/これが50シリング(=600d.)となる(13世紀末) ◇[傭兵の賃金も同様]:8ペンス(12世紀中葉)/これが2シリング(13世紀初頭)へ(8d.⇒24d.と3倍になる)
◆[騎士の所得がほぼ上昇しなかった]:
  〔その原因〕貨幣地代によって得られる所得は小さい/(一方で)現物地代は慣習的に固定されなかなか上げられない/小規模なゆえに小さな直営地からはほとんど余剰生産物がない(=市場への売却利益が得られない)
◆[騎士の多くは多額の債務を負う]:
  不規則な賦課金(相続料・援助金といった封建的な諸給付の義務)による負担が上記の要因に加わったことによる

【ユダヤ人金貸しの顧客リスト】
◆[大領主が名を連ねた時代](12・13世紀にまたがる頃):
  〔その背景〕修道院は教皇・国王から重い賦課金を課された/あらゆる階層の領主は十字軍遠征のための資金を調達しなければならなかった/3.多数の貴族がジョン王・ヘンリー3世から多額の財政上の強要を受けた
◆[やがて小土地所有者が大半となる]:
  時が進むにつれてユダヤ人金貸しの債務者には小土地所有者が圧倒的に多くなる/彼らの土地は抵当に入っていくことになる/(一方で)大マナーの領主は大規模な債務をユダヤ人に対して負わなくなっていた
◆[大所領の土地集積のメカニズム]:
  債務を返済できない小土地所有者に対するユダヤ人の抵当権が行使される/これが大領主に売却されて土地集積が進んだ/〔例〕修道院が獲得した多数の世俗の土地にはユダヤ人金貸しの債務者の土地が含まれていた

【一連の法による小土地所有者の救済】
◆[彼ら騎士階級の支持を狙って実施される](13世紀後半):
  小土地所有者の経済的な苦境・不満に対してシモン=ド=モンフォールとエドワード1世が応えたもの
△[議会への関与を与える]:
  一連の議会(1254~94年)への騎士・『ミノーレス』(小土地所有者)召集/これは慣行として最終的に確立された(1295年)
△[法による保護]:
  貴族の権力濫用から自由保有民を保護した一連の制定法/ウェストミンスター制定法(1259年)からクィア=エムプトーレス制定法まで
△[ユダヤ人追放令](1290年)


(3)大領主の場合

◆[社会的に見て]:
  貴族(土地所有階級の最上位に位置する者たち)の数は少ない/『ドゥームズデイ・ブック』の時点で直属受封者は1,300ほど/その中での貴族の数はもっと少なく約160(1160~1220年)
◆[貴族にもピンキリがある]:
  規模・富には非常に差があるので一括りにはできない(国王の直属封臣でも,多様な騎士封の所有者階級として見ても)/貴族の経済的地位を一般化すするのは困難である/こうした格差は(王族の持つ)大所領の分裂直後にはそれほど顕著ではなくなる⇒後には再び際立つようになる
△『ドゥームズデイ・ブック』(1086年時点):
  ウィリアム征服王の異母兄弟モルタン伯の所領は約2,500ポンドの価値があった/多数の封土を保有する直属封臣(例:ギルバート・ドゥ・ブルトェーユ,ロバート・ドーマルなど)が年所得50ポンド程度しかなかった
△[ウィリアム・マーシャル]:
  その所領の総所得は年4,000ポンド弱/その半分はイングランド所在の所領から(1245年)
△[イザベル・ドーマル]:
  500ポンドの所得を得ていた(13世紀後半)
△[コーンウォール伯リチャード]:
  所得評価額は3,800ポンド(1301年)

【マナー外からの準固定的所得の存在】
◆[貴族は土地以外からの収入も有している]:
  その所得の一部は(場合によっては)非常に異なる源泉から発生していた/それがきわめて高額となる場合もある
◆[非土地的収入の特徴]:
  封建的慣習によって固定化されたている/標準化されて長期間にわたり変動しない/長期的な経済全般の動きを反映する(=短期的な経済要因に直接反応して変動しない)ので貴族の所領所得全体での変動を抑える役割を果たす
△[封建的収入]:
  グロスター伯ウィリアムの場合(12世紀中葉)/規則的な所領収益(約700ポンド)+「300の騎士封からの非規則的な収益=封建的な援助金と相続料」(年額300ポンド以上に相当)を得ていた
△[定期市の開催による収入]:
  『ボストンの大羊毛市』はリッチモンド貴族領の所有者に200~300ポンドをもたらした(13世紀)/『ブリストル市』からの収入はグロスター伯はブリストル市から総所得の1/4弱を得ていた/『レスター市』からの収入はレスター伯の総収入の30~35%を占めていた
△[錫鉱山からの収入]:
  デヴォンとコーンウォールの錫鉱山からの利益は変動がある/それでもコーンウォール伯の総所得で非常に大きな部分を占めていた

【所得変動の傾向】
◆[農業からの収入の名目値での変動は激しい](大貴族のマナーにて):
  これを含んでいるマナーからの利益(=直営地生産物+貨幣地代+粉挽き場使用料+マナー裁判所からの収益)の動向について/急増の時代(12世紀~1330年代)の後には著しく減少する
◇[実質価値の変動はそれ程でもない]:
  全ての記録はその時々の貨幣価値で記録されている/そこでインフレ(13世紀)を考慮した実質価値の変動ベースではマナー収益は約25%しかない(1230年代~1300年)
◆[封建的収入は貴族に有利に作用する]:
  大領主にとっての封建的収入(=封建的な権利・受益の一部)と封建的支出〔=国王課税+封建的な賦課金(相続料,援助金,軍役義務,後見)〕の動向比較から/貴族の封建的な負担は軽くなる(その一方で)貴族側の封建的収入は不変だったことによる


(4)大領主の負担

【相続料】
◆[封建的な相続に伴う支払いとして]:
  封建家臣が(その土地保有開始にあたって)給付する登記一時金/大領主は自分の所領が騎士封(=封建的な再下封の保有地)から成り立っている限りは相続料収入を得る立場にある/(反対に)王に対しては相続料を負う立場にある(しかも特定のケースでは非常に高額となる)
◇[騎士封の相続料]:
  だいたい100シリングで安定していた
◇[高額な相続料の支払い]:
  例外的に巨大な資産を有して(しかも)王室財政史上例外的な強奪の時代があった
△[ウィリアム・フィッツ・アラン]:
  王に10,000マルク(≒彼の所領所得のまるまる1世代分)を相続料として約束しなければならなかった(1214年)
△[ジョン・ドゥ・レイシ]:
  7,000マルクを支払うように要求された(同時期)
◇[インフレで相続料負担が軽減される]:
  (強奪の時代の次には)額が標準化された+額そのものが低下傾向にあった+物価上昇の時代にあった/100ポンド(=平均的騎士封の年価値の3~4倍)もあった(~13世紀初頭)/これが100マルク=約69ポンドとなる(ヘンリー3世の時代)/最終的には100マルクに固定された(1297年)

【騎士役賦課】
◆[軍事義務のために騎士を用意する費用]:
  軍事義務が完全(or)それに近い形で強制されていた時代にて(12世紀)/直属封臣にとっては「王に負う騎士役の数-彼ら自身が騎士役を要求できる封土の数」は利害の大きな得失をもたらした
◆[王に対する軍事義務に備えて]:
  封建的大貴族領では軍事的封土の新設をした/騎士としての義務(一定期間の義務を負う,一定の必要に応じる)を負った者に対して所領を下封した(=貸し出した)
◇[騎士封設立の得失](上級君主にとって):
  下封した騎士からの軍事奉仕+封建的な上納金をもたらす/(反対に)下封した土地からの経済的収入を断念せざるを得ない
◇[創設しなければ]:
  大貴族はその土地の利益を保持し続けられる/(その代わりに)王に奉仕する騎士の装備費・給与は負担しなければならない
◆[大貴族は多数の騎士封を持つようになる]:
  大規模な下封が行われたことによる(12世紀)/それまでは直属封臣の半数以上は「自身の土地に持つ封土数」<「直属封臣として義務づけられた騎士数」の状態だった(1166年)/大量創設以降は封土数の方が(常に)上回るようになる
◆[騎士封の意味は経済的なものとなる]:
  受封者当人による軍事的義務遂行としての騎士役賦課の大半は(定額の貨幣給付である)『軍役代納金』に代えられていく(12世紀末までに)/純粋に軍事的な騎士役は若干の貴族が残り分の騎士数を提供するだけとなる
◇[従軍する騎士は騎士役の一部でしかない]:
  騎士役賦課により貴族が義務づけられた騎士の総数は6,500だった(ヘンリー2世期)/エドワード1世のウェールズ征服戦争に従軍した騎士は375しかなかった
◆[騎士は傭兵として従軍する]:
  外国への主だった遠征(百年戦争)にはずっと多くの騎士が従軍した/(しかし)その大部分が「首領との賃金契約による傭兵として」
◇[大貴族にとってお手軽な傭兵団]:
  それは兵士+騎乗の騎士からなる/傭兵になる魅惑は郷紳を引きつけた/(集める側にとっては)騎士役賦課の義務に基づく数よりも多数の騎士を遠征軍に集められた/個々の大貴族の財政にとって必ずしも負担ではなかった

【軍役代納金】
◆[騎士役賦課の代わりとして]:
  その貨幣給付負担は(最初は)きわめて重かった/1騎士封につき1ポンド(伝統的な率)を超えたものとなる(12世紀中葉)
◆[消滅から一般的な税への合流へ]:
  (まず)大貴族が軍役代納金から免除されていた/貴族がしなければならない騎士の必要数が(騎士の負う)騎士役賦課の騎士数をかなり下回るようになっていく/軍役代納金の割当単位(=騎士封)そのものが細分化・解体されて零細なものとなっていく/こうして軍役代納金は消滅に向かう(やがて賦課されなくなる:13世紀)
◇[課税評価の基礎として]:
  これ以降に軍役代納金が登場する場合にはもっと一般的な税の一部とされている

【援助金・後見権】
◆[封建制の本質的な『援助金』として]:
  本来は主君に特別な必要が生じた(例:主君の身代金,娘の結婚)場合に家臣が行う「任意の」贈与/しかし軍事上の必要時にも要求されたのを口実として繰り返し徴収された(12世紀)/(最終的には)王が援助金を一般的・規則的な税に変えていく方法の1つとなった(⇒動産税へ合流する)
◆[上級君主による未成年封臣の『後見』として]:
  後見権は封臣が未成年である時にその所領を主君が管理できる権利/被後見人の所領は(たいてい)きわめて略奪的なやり方で管理されていた/このために被後見人の大きな損失=国王の大きな利益の元となった(たとえ思いやりのある国王管理官の手による場合でも)
◇[後見権は長続きする]:
  したがって常に貴族の怨みの対象=廃棄を強く求められていた/しかしテューダー朝期になっても国王収入の重要な源泉だった

【消滅へ向かうデーンゲルド】
◆[デーン人侵攻の名残]:
  デーンゲルド税は王の諸課税のうちで最古・(ある時期に)最も重かった/あまりの重税でアングロ=サクソン終末期の社会経済にかなりの影響を与えたと推測される/(12世紀中葉でも)3,000ポンドをかなり超えた=ヘンリー2世の年収入の1/4~1/3を占めていた
◆[12世紀中に減少・消滅へ]:
  しかしヘンリー2世時代には税収は減少し始めていた/稀にしか課せられない+より低い率となった/1ハイド(120エーカー)あたり6シリング=72d.(1083年)→4シリング=48d.(1096年)→2シリング=24d.(ヘンリー2世期)→貴族の反対の前に譲歩して廃止した(1162年)

【援助金としての動産税】
◆[その構造]:
  初期の税は全て土地・保有地に課せられていた/それは大部分が(最終的に)地代収入・動産への課税へと置き換えられていく/この『動産税』は広い層が負担を分かち合っていた=租税の重荷は次第に貴族から取り除かれていった
◆[王室財政の大黒柱として]:
  動産税・関税は王室財政にとって重要な要素となっていく(中世後期)/そこに至るまで動産税の採用は徐々に行われた
◇[始まり](12世紀):
  封建的援助金を基礎として
  [1166年]:動産税という形での援助金普及の最古の例
  [1188年]:対サラディン王1/10税は(援助金として差し出されたが)実際は一般的動産税だった最初の重税だった
  [1193年]:リチャード王の身代金は5年前よりさらに大規模となる/イングランド人全体が負担した
◇[頻度と重要性を増す](13世紀第1四半期):
  援助金の名を借りた一般的な税は繰り返し課せられた/(ある時の税は)保有地に賦課された(査定基準は騎士封もしくは地積単位:ハイド,カルケイト,犁隊地積)/(別の場合には)動産・様々な地代収入全てに課せられた
◇[貴族の反対から定着まで]:
  この影響によってかなり間を空けて課されるに過ぎなくなる(13世紀中)/しかし最終的には動産税が国王収入の恒常的+統一的な源泉となる(14世紀~)
  [1213~19年]:最初の貴族の反対運動
  [1237年]:それまでに(軍役代納金と動産に対する3つの援助金を含む)諸々の援助金が矢継ぎ早に課せられていた/それに対する貴族の反対運動が絶頂に達した/これは成功し続く40年間は貴族は「税金の休日」享受した
  [1272年~]:国王は(幾分か)より頻繁に+自由な援助金を得られた
◆[課税は一般化する](勝者は貴族だった):
  税の重さは(長期間にわたって)相対的に軽いものに止まっていた/税は既に封建的ではなかった/国内で財産・収入を有する者全て降りかかってきた/主君は義務負担のかなり多くを(おそらくはその全額を)自分の隷農を含むあらゆる保有農に肩代わりさせることができた(=一般大衆が税の主な支払者となる)
◇[貴族の財政は最上の状況を得た](14世紀前半):
  国王vs貴族の課税に関する闘争は(純粋に財政的なことに関しては)貴族の勝利だった/(一方で)この時代にマナー所得は増大した+純粋に封建的な賦課金は減少しつつあった


(5)恵まれた状況下のジェントリ

【小土地所有者の利益】(中世後期にて)
◆[農業危機の影響を受けにくい](14・15世紀):
  生産物は大部分を自家消費していた+土地を請負に出すことがほとんど無いという構造による/この点は地代収入の割合が高い大領主と異なる
◆[メリットを享受できる者がほとんど]:
  牧羊・牧畜に専業化していた者は不利益をほとんど受けない(土地が余ったことで放牧入会地は豊富となる,労働費用の占める割合が相対的に低い)/富裕な農民は(賃金費用高騰によるデメリットの一方で)有り余った土地を入手する新しい機会に恵まれる/大領主のマナー直営地貸し出しが復活したことでも利益を得られた
◇[直営地請負人を構成する者たち]:
  暮らし向きの良い村人,都市民,法律家,ジェントリなど

【戦争による利得】
◆[ランカスター派とヨーク派による忠誠集め]:
  ばら戦争において両派は従者の多寡で勢力を競っていく(12世紀の内乱の時と同様に)/しかしどちらも新しい封建的土地保有を適法的に創出できない/(その代わりに)借り受け人に有利な条件で所領を賃貸する・全く新しい所領を切り分けて保有・賃借できるようにすることによって従者の忠誠を得た(『庶子封建制』と呼ばれる)/これは農村ジェントリの状況を改善するのに作用した
◆[フランスでの従軍にて]:
  分捕り品・身代金により最も多くのものを獲得できた


(6)大領主の困難
◆[貴族数の減少](中世後期):
  エドワード3世により伯領創設はほとんど無いので個別保有の伯領は少なくなった(1340年~)/バラ戦争によって階層の厚みはますます薄くなっていた
◆[数少ない貴族の成功者たち]:
  領主の中にはこうした趨勢に抗いうるほど有利な位置を占めた者がいた/企業心に富んだ・有能だった者もいた
△[立地が良い]:
  ロンドン近郊の修道院長・世俗領主は(人口密集地に近かったので)依然として利益を得ていた
△[牧羊への投資によって]:
  投資可能な資源を持つ+牧羊に集中できる領主のケース/これによって農業経営の利潤低下をカバーした
△[有能な管理者に恵まれる]:
  ウィンチェスタ司教領の農業利益について/ウィカムのウィリアムと(貪欲な官僚・財政家の)ボーフォート枢機卿の時期(14世紀後半の10~20年間,15世紀中葉)に上昇に転じていた
△[ハンガファド家]:
  ランカスター家に奉仕して富を築いて貴族身分に成り上がった/所得の多くをウィルトシャーの放牧地から得ていた/(しかも)概ね所領を上手く管理したので他の領主と比べて利益は打撃を受けなかった(15世紀後半)
△[ジョン・ファストルフ卿]:
  あらゆる暴利を得ていた彼は思い切った農業投資を行った/(さらに)自所領にある毛織物生産の村の繁栄によって利益を得た

【抗えなかった大多数の者たち】
◆[最も打撃を受けた大領主たち]:
  農業所得の大半を貨幣地代・マナー請負料に依存している+良好な放牧地を十分に持っていない+積極的な所領経営ができなかった者(例:パーシィ家,スタフォード伯)/彼らは土地価値の下落で大打撃を受けた
△[ランカスター伯領]:
  ここは巨大・散在的な所領から構成される/その農業所得は少なくとも50%減少した(15世紀初⇒同第3四半期)
△[ベネディクト派諸修道院の所領]:
  穀物栽培の直営地をギリギリまで保持していた/このため高金・物価下落の影響を(他の多くの領主よりも)蒙った
◆[収入減少を補う手段はきわめて乏しい]:
  巨大な所領(例:ランカスター伯)でも貨幣地代+他の農業収益がずば抜けて重要な所得源だった/(それゆえ)貴族の大部分は土地所得の不足分を純粋に封建的な収入で埋め合わせることは不可能だった(15世紀)
◆[封建的収入も増えない]:
  封建的な収入が非常に重要だった所領(例:コーンウォール伯)にて/〔対象〕封として保有する土地の登記一時金・農業外収益(市場・定期市からの収益など)/これらは慣習的に固定されていない(or)請負に出されていない所では減少傾向にあった

【大領主の税負担の問題・国王の課税】
◆[もはや減っていく要素は無い]:
  国王の種々の賦課金・税支払いはこれ以上は減少しなくなっていた/(中世盛期から引き継がれた)古い税は全て慣行によって固定されていた(15世紀初頭)/この税は『州の年請負料』(通常は州長官が支払う)と合体した
◆[重要となる動産への新しい課税について]:
  税の主要な負担者が誰なのかははっきりしない/教会1/10税は(直接に)教会施設に賦課された/平信徒が支払うべき1/15税は大部分が村人が受け持った/一部は(間接的に)土地所有者も負担した
◇[2種類ある]:
  (通常の)1/10税と『臨時税』である1/15税
◇[課税対象は動産]:
  あらゆる動産全てに賦課される
◇[議会が決める]:
  (理論上は)『援助金』である/額は議会によって決定される
◇[毎年の税となる]:
  最終的には(収入税とも財産税とも見分けのつかない)ほぼ各年の税となる
◇[多額に上る]:
  (中世盛期の)土地に対する税よりもかなり多額のものとなる
◆[輸出羊毛への重い関税・臨時税]:
  しばしば動産に対する臨時税とともに議会で決定された/主要な不利益を外国人(イングランド産羊毛を使用する)が負担する/それでも実質は羊毛生産者を苦しめた

【収入減への補填可能性】
◆[各種ポストがもたらす収入]:
  政治上の官職・軍事的指導の役割がもたらす収入補填はきわめて魅力的だった(15世紀)/そこで人々は政府のポスト(特に国王統治の)に引き寄せられていった/(主として)ポストが約束する利益を+(従として)ポストがもたらす権力・栄誉をもとめて
◆[官職による収入の効果は不明確]:
  競い合う者にとってそれが大きな利益となったのかどうかはわからない/そのポストが(財務府・国王財務室と同様に)国庫に近い官職だったとしてもその点は同じである
◇[それでも人々は群がる]:
  何人かの人物による財産作りの評判という誘惑/農業収益の悪化を補填する収入への欲望/権力闘争(15世紀)が官職からの果実をますます必要としている
◇[上手くやった人はいる]:
  地位の低い多数の人々が国の重要な官職に入る(もしくはその周囲において種々の書記職に就く)ことで財産を作ったのは確実/ボーフォート枢機卿などごく少数の有力な人物もまた自分の官職で上手くやっていた
◆[党派抗争と官職への欲求]:
  国内での封建的な党派抗争を加速した要因=「後期ランカスター朝の王権の弱さ,百年戦争の重圧,北部・西部の地方勢力の不安定さ」/官職からの利益は全く捉えどころの無いものである/(にもかかわらず)それは党派抗争で競い合う人々を眩惑していた

【戦争からの利益】
◆[上手く利益を上げられるのはほんの一部]:
  実際に百年戦争で富を積んだ者もいる/だから「同じように上手くやってやろう」という望みが指導者の一部にあり全ての貴族・郷紳は熱心に参加した/しかし中世の戦争は『富くじ』のようなものだった
◆[捕虜の身代金もそれほど儲からない]:
  これは英仏双方に流れる利益だが捕虜の総数は確かに英軍の方が多かった/実際には身代金受け取りには「控除項目」が多く純収入は差っ引かれた/〔例〕封建階層の上位者や国王による控除・しばしば商人相手に割引で売られることになった・身代金徴収費用・人質の要求する諸費用
◆[戦利品は時期的にむらがある]:
  これは「都市・城塞から一括貢納で受け取る」のが最も有利だった/(しかし)それは度々ではない・英軍が占領地を失っていく段階ではほとんど無くなる/行軍中の兵士による掠奪は実際に掠奪した下級兵士が主要な受益者となる/これによる利益は(指揮官だと)下級指揮官の方が上級よりも多く利益を得られる
◆[占領地域内での官職・封土の授与]:
  これはもっと利益が上がる/だがそれほど起こり得たのではない/外国の封土の管理・利益の分配については全く判らない/(しかも)この項目は占領地の放棄とともに途絶えた
◆[貴族階級全体では戦争は赤字である]:
  利得はいずれも不確かなもの/費用は確実に支出されていく/〔費用項目〕装備品・兵士の給料・侍者の制服・傭兵隊長の個人的武具と装備/これはいずれも国王によって補償されない
◆[いちばん儲かるのは軍隊の後方部門]:
  戦争に加わりながら軍事行動に一切携わらない者が本当に儲かっていた/〔例〕戦費・軍需品の調達担当官/軍隊への食糧供給・軍事費の融資・輸送を行う商人と請負人

【新たな成り上がり者の誕生】
◆[利益は土地に投資される]:
  利益を得た者の大半+成功した兵士・傭兵隊長は(最終的には)戦争での利得を投資した/これは繁盛した商人とあらゆるタイプ・出自の法律家も同じだった/こうして成り上がり者が上流階級に入り込むことになる/(とりわけ)中・下級の土地所有者が増加した ◇[時代の趨勢]:小土地所有者に有利に/貴族に不利に推移していた

『中世の社会と経済』から [ 8 ]



○村民―隷属と自由―



(1)概観


◆ [ 農奴解放とその効果 ] :
   人びとにとって自由身分は大いに尊重された(隷属身分は不満の対象だった)/隷農たちが農奴解放の特許状を領主から購入することには様々な魅力がある/〔諸効果〕非自由身分による法的無能力・非自由身分ゆえに義務付けられる諸給付から自由となる/経済的地位を改善できる
◆ [ 効果は決定的ではない ] :
   村内での身分の違いには自由身分は決定的な重要性を持っていない/特許状の価格は高くはない(追加的な土地購入に支払った程度)のだが自由身分の購入は決して頻繁ではない/〔例〕解放状は農民全体の約2%(ウィンチェスタ司教領にて)
◆ [ 自由人には身分よりも経済的メリットが大事 ] :
   彼らは(土地を求めて)かなりの寡婦産を有する隷農の女性と結婚した/隷農の負担付き保有地を領主から得ていた/(これによって)自分の子孫の身分・自身の地位が損なわれるデメリットよりも土地を手に入れることの方が価値があったから
◆ [ 隷農の法的無能力の経済的デメリット ] :
   隷農の慣習地代は自由保有農の地代よりも高い/様々な行為に必要とされる領主の許可は(実際は)購入を強制されたものだった/賦役はいずれにせよ貨幣支出が必要(代理を送るか免除してもらうために)


【 人格上の身分の生活への影響 】
◇ [ 財産譲渡 ] :
   隷農の保有地・家畜は(理論上)領主に属するので、許可なしには第三者に譲渡しえない
◇ [ 不自由 ] :
   領主の許可なしには移転できない/娘を嫁に出せない
◇ [ 裁判権の制限 ] :
   自分の領主を国王裁判所に訴えるのは許されない
◇ [ 契約・相続 ] :
   「動産・土地に関して契約を結ぶ」「土地・家畜の遺贈・相続」は領主の権利内に制限されている


【 実際には 】
◆ [ 土地は法的に守られている ] :
   隷農の保有地に対する権原はマナーの慣習に守られている/領主が任意で土地を取り上げることはない
◆ [ 賦役は慣習で固定されていた ] :
   領主が慣習を有利に変更しようとする動機はその時代の経済状況に深く関係していた(隷農の法的無能力は関係ない)
◆ [ 契約の自由 ] :
   自由保有地を妨げなしに購入できた/家畜を自由に購入・売却・質入れ・賃借できた/動産の売買も自由だった/結婚・立ち退き・契約などの領主の許可は上納金で購入できた(領主もこの受領を拒まなかった)


【 自由保有農 】
◆ [ 身分と暮らしは必ずしも一致しない ] :
   慣習的保有農より暮らし向きの良くない自由保有者も多い/〔自由保有農が広く存在する地方にて〕富裕農(2ヴァーギト以上の保有地)は隷農よりも自由保有農の方が多くなっている/反対に零細保有農の中に占める自由人の割合もまた相対的に大きくなっている
△ [ デインロー地域 ] [ イーストアングリア地方 ] :
   自由保有農・ソークマン(準自由保有)が農村人口の大部分を占めていた/零細保有農の数が最多となっていた
△ [ リンカンシャー ] :
   5エーカー以下の保有地が70~75%だった
◆ [ 自由保有農に零細農民が増える理由 ] :
   (土地相続について)「農奴保有地の不分割相続」「自由保有地の分割相続」というルールが原因だった/地域的ルールが存在したもののこれが一般的となっていた/(このルールによって)農民の自由保有地・ソークマンのたいていの保有地は子供たち全てに遺贈された(共同保有か等分分割による : 後者が主流だった)
◇ [ 隷農の保有地は相続時不分割 ] :
   土地不足がきわめて深刻な時代・地域では(75%の隷農は)譲り受け(or)女相続人や寡婦との結婚で土地を継承している/こうした条件下でも不分割相続のルールは変わっていない
◇ [ しかし隷農も自由保有地は分割した ] :
   隷農保有地に付加された自由保有地分・自由保有地全体は(しばしば)相続人の間で分割されている/何筆にも分けて第三者に譲渡されている
◆ [ 財産を自由に処分できる強い権利 ] :
   自由農民と非自由農民の本当の経済的違いは(土地が生み出す)処分権の違いにある(保有する土地の規模ではない)/非自由農民は生産物のかなり大きな部分を領主のために手放さねばならない


【 自由農民・非自由農民の分布 】
◆ [ 法則性は無い ] :
   分布は地域的に不均等だった・時代によっても両者の相対的割合は変化している/自由な人々(=貨幣地代で土地を保有する)は『ハンドレッド・ロウルズ』(1273年)の現存部分に記載されている人口の1/3以上を占めていた
△ [ ケント州 ] :
   たいていが自由人(=土地は自由保有権で保有していた)からなる/ここの慣習(たいていは共同の家族集団によって土地を保有する,しばしば末子相続人方式による)は古くからこの地域独特のだった/この慣習はケントのジュート族によって大陸から引き継がれたとされる
△ [ 東部地諸州 ] (デーンロー全体を包む) :
   サフォークから北部リンカン州へ+北海沿岸からレスター州・ダービー州の東部諸地域/イーストアングリアを占拠したアングル人(後にはデーン人によって)大陸から自由身分がもたらされた/これらは(後に)開拓が進展して沼沢地周辺に帯状の新しい自由保有地が創設されたことによって存続した/古い修道院の所領に非自由農民が若干存在していた(例 : ベリー・聖エドマンズ,ラムジィ,ピーターバラ)
△ [ 飛び地的に自由農民が存在する ] :
   イングランドのその他の地域/ここでは隷農身分が圧倒的多数だが(それでも)自由な土地保有農民が存在しない村落はほとんど無かった/中には圧倒的に自由身分の人口からなる飛び地(時には全ハンドレッド)が存在した(例 : オックスフォード州,ウォリック州,ダービー州)



(2)農奴制の展開(12世紀)


【 1つの確固とした仕組みとなる 】
◆ [ 古くから存在していた ] :
   農奴制はノルマン征服前夜のイングランド(11世紀中頃)にて後の時代で農奴性が支配的となる諸地域では既に普及していた/農奴制が農村人口の大多数を巻き込む(農民の2/3)ほど広範に存在した
◆ [ 隷農の法的身分が明確になる ] (12世紀) :
   法の理論と実際の適用上で隷農身分はますます明瞭・斉一・硬直化していく/この時代に規定された隷農の身分・奉仕義務の観念は中世末まで一般的なものであり続けることになる/封建制が斉一的・精密に再編成されたのもこの時期である
◆ [ この作業に携わった人たち ] :
   (封建制度の再編だけでなく)農奴制の明瞭化にはグランヴィルとブラクトンという大法律家が関与した/その他名もない法律家たちも携わっていた/(農奴制に関しては)マナー慣習帳・大所領の調査書を作成した書記たち(法律の訓練を積んでいた)書記の手に拠っている


【 理論と現実の乖離 】
◆ [ マナーの支配力は緩んでいた ] :
   理論上は隷農制の硬直化・抑圧化が進んだように見える/(一方で)所領での支配は大幅に弛緩した=隷農の地位は改善されていた(12世紀中葉)/この時代は直営地の直接経営が困難な時代だったので領主は賦役の金納化を進めていた
◇ [ 領主は賦役を強制できない ] :
   そのための手段を持っていなかったのがこの時代の特徴/隷農が法手続きを無視する(or)領主に対して賦役を金納化に置き換えさせようとすればこれを喰い止める方法はほとんど無い
◇ [ 隷農は貨幣地代農民となっていく ] :
   このことによりこの時代には『貨幣地代給付農民』〈censuarii,molmen〉の数が著しく増加した/(以前の彼ら全員は)隷農である+完全な農奴的奉仕義務を負って土地を保有していた/(今や)完全な貨幣地代(or)「貨幣地代+ごく軽い季節的賦役」で保有するように変わっていた/これは完全な賦役金納化ではない(重い賦役のみの部分的金納化=軽い賦役だけが残っている)
◆ [ 非・農奴制社会化の進展した時代 ] :
   大所領の調査書・マナー慣習帳に記録されている貨幣地代給付農民の数よりも実態はずっと進んでいた/(土地保有条件の貨幣地代化に成功した人だけでなく)大半の隷農は「事実上の」負担軽減を獲得した(12世紀後半)
◆ [ 賦役と地代の二者択一となる ] :
   一般的な農民的土地保有での保有農の負担について(13世紀初)/本来これを決定する領主権が弱っていたので(実際には)貨幣地代だけが選択されていた/このような慣行の成立は賦役金納化(12世紀)に由来する



(3)マナー領主の支配権の反転攻勢(13世紀)


◆ [ 金納化の動きはほぼ終わっていた ] :
   (例外として)賦役の金納化が継続していた2・3の所領が存在するのみ/農奴解放などの譲歩によって個々の村民が隷属的負担を免除された所領も存在する
◆ [ 賦役の強制力は復活する ] :
   賦役が継続していた場所では給付されるべき賦役は(きちんと完全に)強制されるようになる/賦役の売却(年ごとに一部の金納化)が行われたマナー所領でも領主が自らの判断でそれを進めた(保有農の圧力ではなく)/これが可能だったのは要求可能な賦役が直営地で使用しうるよりも多くなっていたから
◆ [ 賦役の増加さえ図ろうとする ] :
   この動きは各地で起こっていた/中には「ずっと以前に保有地を貨幣給付地に変えることに成功した」農民に再び賦役を課そうとさえした/(その目的)賦役の追加給付を獲得するため・地代引き上げの間接的な圧力とするため


【 領主の反転攻勢の背景 】
◆ [ 領主=地主に有利な時代だったから ] :
   土地が不足していた・所領経営への領主権力が回復していた/このことによって保有農は土地所有者の圧力に抵抗するのが困難となっていた/(もちろん)領主の不法な権利蚕食に対する抵抗は記録されている
◆ [ 村民による訴訟提起 ] :
   裁判記録(13世紀)には村民が起こした訴訟の記事がたくさんある/これらは村民が考える「古来の権利 : 貨幣地代や軽い賦役で土地を保有する」を守るためのもの
◇ [ 法はほとんどの場合に領主を支持した ] :
   裁判所においては封建的諸勢力+裁判官の階級的偏見が存在していた/そもそも法律の条文は領主サイドに立っていた/反抗的な保有農は(大半が)実際には隷農だった点が不利だった(抵抗に法的根拠が無い=以前に領主の同意なし(or)正式の解放特許状なしに賦役の免除を得ていたため)



(4)農奴制の崩壊(14・15世紀)


◆ [ 農奴の実質的消滅 ] :
   中世末(黒死病以後)に賦役の金納化は再開した/それはかなりの速さで続行した/(最終的に)賦役は消滅した+隷農身分の人格的な法的無能力も大半が消滅した


【 賃金規制・強制移住の失敗 】
◆ [ 領主権による反動は弱かった ] :
   雇用者サイドは黒死病以後の賃金暴騰に抵抗する/労働者規制法(最高賃金を定めた)は抵抗の成果だった/しかしそれを実現した力は(収入の大半を貨幣地代から得ていた封建的土地所有者ではなく)依然として自家農場を耕作・経営していた小土地保有農にあった
◇ [ それでも賃金は上昇した ] (15世紀のある時点まで) :
   賃金抑制も労働力の需給ひっ迫には勝てなかった
◇ [ 領主の反動はごく散発的でしかない ] :
   賦役の復活・賦役の完全強制・金納化と軽減措置の取り消しの企ては黒死病直後の数年間だけしかなかった/(むしろ)隷農を無主地に居住させようと領主は試みた/しかし全体としては(どちらかと言えば)無駄だった
◆ [ 農民に有利となっていく ] :
   保有農を引き留めに最も有効な方法は「地代引き下げ」「隷農的義務の免除」だった/(同様に)労働者を引き留めるのには「高賃金の支給」だということを領主・雇用者は理解した


【 農民叛乱(1381年)の問題 】
◆ [ 社会史の大きな流れには影響がない ] :
   これは中世後期社会史における一時のエピソード以上の意味はなかった/賦役金納化・農奴解放への一般的動向を早めもしないし阻止もしなかった/この動きは15世紀において完成する(エリザベス女王の時代には農奴制の記憶は殆ど無くなっていた)
◆ [ 叛乱は隷農とは関係ない ] :
   この事件は(純粋に)農村の事柄ではなかった/幾つもの暴動にて農民だけを巻き込むことはなかった/本来は賦役とは無関係だった(例 : セント・オールバンズ,ノリッジ,ヤーマス,ベリーセントエドマンズ,イプスウィッチ,ウィンチェスタ,スカーバラ,ビヴァリー,ヨーク)
◆ [ 反乱の中心は自由土地保有者 ] :
   叛乱の温床となった地域(ケント,イーストアングリア,サフォーク,ノーフォーク)は自由土地保有が優勢だった/隷農は少数派だし(そもそも)イングランドの他地域と比較してマナーに拘束される度合いは低い/暴動は隷農制が最も広範に存在した・抑圧的な地域(例 : サマーセット)はたいてい迂回していた
◆ [ 諸文書の焼き捨ての意味 ] :
   叛徒はマナーの権利証書を略奪した+裁判所記録を焼き捨てたという/しかしこのことがマナー記録文書の抑圧性(=隷農に対して不正に用いられていた)を直接示すものではない