『ヨーロッパ中世経済史』クーリッシェルから[28]
○航海の危険
(1)危険の種類と対策
A.自然現象に起因するものとして主に「暴風雨,無風,岩礁,浅瀬」、人間・技術の限界が原因となるものとして「船長が未熟なために正しい航路を発見できない」「航海に耐えられない船の建造」「船の衝突を引き起こした信号の欠如」、さらには「航海中の食料品・良い飲料水の不足」が挙げられる
B.(お決まりの)海賊はせいぜい、航海者を略奪して身代金の支払いを要求したに過ぎなかった
C."報復拿捕制度"によって「犯罪者と同郷の人は、自分の船が抑留・拿捕される」危険があった。また"海浜漂着物取得権"によって「他国の人を無権利者とみなし、自国の海岸に残された難破船の貨物を略取する」行為に晒される危険もあった
【対策】
1.「手抜き造船をなくすための監視」
2.「船に喫水線を定め、荷主のはっきりした許可なしに貨物を積み過ぎた場合には、積み過ぎた貨物の価値に相当する処罰(※罰金?)を船長に課した
3.(公権力による規制)「冬季航海の禁止,航海時間の一定,輸送の護衛,灯台の火・航海信号の維持,など」
4.「羅針盤・鉛垂・船火の使用」
5.「各国間で条約を結ぶことによる"海浜漂着物取得権"の廃止」
〈例〉イタリアの都市共和国間(12世紀),イングランドにおけるハンザの船(1228年~),フランドルにおけるハンザの船(1253年),デンマーク国王に対する権利放棄の強要,オレロン法での追加条項=「海浜漂着物を強奪・隠匿する領主は破門され、略奪&殺人の刑に処せられる」
【神頼み】
1.「人々は船名に聖者の名を選ぶことで、聖者によってその船を特別に保護してもらおうと考えた」
2.「旅に出る前に、聖職者に頼んで船を祝福してもらった」
3.「商業航海による収益の一部を寄進することは当然だった」
4.「航海中に暴風雨に見舞われた際には聖者に祈り、かつ巡礼を行うことを誓った。無事帰還した折りには、クジに当たった1人が全員を代表して誓約を果たさねばならない(巡礼費用は共同分担)」
(2)大海損と相互扶助
【大海損】
A.これは「航海中に損害が発生した場合には、船or積荷に関係していた者全てがそれぞれ自己の割り当て分を負担しなければならない」という原則のこと(※上記の「巡礼費用は共同分担」もその例)。いわば強制の相互扶助(相互保険)である
B.航海中においては、全体を維持するために個人の利益を犠牲にしなければならないケースがしばしば発生した(例:船の沈没を防ぐために「積荷を海中に投げ棄てる,マストや錨綱を切断する」)。また「座礁した時に艀で陸揚げする費用」「航海の継続に必要と見なされた修理」「海賊に対する身代金支払い」も、大海損として取り扱われた
【相互扶助の原則】
C.中世の兄弟団・ギルド・ツンフトその他の団体では「その成員の誰かが病気・死亡・家屋焼失に見舞われた際には、成員同士で互いに助け合う」=相互扶助の原則が必ず存在していた。特殊な団体として「難破の際には成員がお互いに救助しあう義務を持つ」というのもあった
D.この場合には、上記(1)にある予防策ではなく「既に発生した損害をいかにしてカバーしあうか」が問題だった。というのは「船と商品に関与した人々は、いわば兄弟である」と見なされたからだった
(3)損害保険の誕生
A.団体的な相互扶助(成員全てが保険者であり被保険者だった)とは別に、本来の「保険料支払いの保険(保険者と被保険者は別)」が登場した。最初は海上保険として制度化され、続いて陸上での商品輸送の保険も登場した
【海上貸付】
B.古代から存在した"海上貸付"が起源だった。これは「船が無事に航海を終えられなかった場合には、借り手は利子だけでなく元本の返済義務も負わない」というもので、これによって貸し手が航海中の様々なリスクを負担していた
C.もし航海が無事成功した場合、貸し手は(元本返済に加えて)通常受け取ることができる以上の利子を手に入れた。この利子の中には「リスク引受に対する保険料」が含まれていた
【損害保険への進化】
D.保険契約者(事業者)が資金を必要としない場合には、海上貸付における「貸付」の要素は明らかに余分だった。過渡期を経てこの部分が無くなり「不幸な結果となった場合にのみ、保険契約者に保険金を支払う」純粋な保険の誕生となる(14世紀後半)
E.しかし純粋な保険の初期においては「保険業者が幾つもの保険契約を受け、大数の法則によってリスクを管理する」方式は全く欠けていた。きわめて僅かな義務しか行わなかった保険業者は、基本のリスク分散が出来なかったから「保険義務はある種の投機的な性質を帯び、保険料もきわめて高いものとならざるを得なかった」。いわば「契約者(被保険者)の事業が成功することに賭ける、一種の博打」であった(成功時には被保険者が保険料を支払い、失敗時には保険業者が保険金を支払う)。それでもこの「博打」は契約として法律上有効だった
F.やがてイタリア諸都市において「リスクが多数の(5~15人)保険業者に割り当てられ、各業者の投機度合いが相当軽減されている」保険契約も出現した(14世紀末~)。この時期以降のイタリアでは、多数の保険契約を締結した個人(or団体)も登場する
【保険の普及】
G.保険契約は故郷であるイタリアからネーデルランドへと広がり、ジェノヴァ人・フィレンツェ人・ヴェネツィア人が保険業者として登場した(15世紀)。イベリア半島にも広がる一方で、中世ドイツでは全く知られていなかった
H.ハンザ商人は「ある地から海上輸送されるべき貨物を何隻もの船に分散して運び、全てがダメになる危険を避ける」方式に拘った(もちろんこの基本的な習慣はよそでも長い間、海上保険と並んで用いられていた)
I.大ラーフェンスブルク会社の場合、陸上輸送では貨物に対する保険は使われなかったようだ。貨物は(荷馬車の御者or貨物を背負ったラバの御者が責任を全く負わなかった限りでは)会社の危険分担で運ばれた。海上輸送ではジェノヴァ~アントウェルペンのルートにおいて、後世になると貨物に対して険が掛けられたが、これは自然災害よりも海賊による損害を恐れていたからだった
「損害が生じないよう、常に一切の物に保険を掛ける。というのは、つい最近もドイツ人はブルターニュの海岸でリスボンから香辛料を積んできた船を失い、莫大な損害を受けたからである。ウェルザー家は胡椒60袋、ホッホシュテッター家も60袋、レーリンガー家は20袋を有していたので、まことに大打撃である。神は正直な人々に損害を補償する。彼らは…常に保険は愚行である、と考えていた」(1517年の記事から)
○航海の危険
(1)危険の種類と対策
A.自然現象に起因するものとして主に「暴風雨,無風,岩礁,浅瀬」、人間・技術の限界が原因となるものとして「船長が未熟なために正しい航路を発見できない」「航海に耐えられない船の建造」「船の衝突を引き起こした信号の欠如」、さらには「航海中の食料品・良い飲料水の不足」が挙げられる
B.(お決まりの)海賊はせいぜい、航海者を略奪して身代金の支払いを要求したに過ぎなかった
C."報復拿捕制度"によって「犯罪者と同郷の人は、自分の船が抑留・拿捕される」危険があった。また"海浜漂着物取得権"によって「他国の人を無権利者とみなし、自国の海岸に残された難破船の貨物を略取する」行為に晒される危険もあった
【対策】
1.「手抜き造船をなくすための監視」
2.「船に喫水線を定め、荷主のはっきりした許可なしに貨物を積み過ぎた場合には、積み過ぎた貨物の価値に相当する処罰(※罰金?)を船長に課した
3.(公権力による規制)「冬季航海の禁止,航海時間の一定,輸送の護衛,灯台の火・航海信号の維持,など」
4.「羅針盤・鉛垂・船火の使用」
5.「各国間で条約を結ぶことによる"海浜漂着物取得権"の廃止」
〈例〉イタリアの都市共和国間(12世紀),イングランドにおけるハンザの船(1228年~),フランドルにおけるハンザの船(1253年),デンマーク国王に対する権利放棄の強要,オレロン法での追加条項=「海浜漂着物を強奪・隠匿する領主は破門され、略奪&殺人の刑に処せられる」
【神頼み】
1.「人々は船名に聖者の名を選ぶことで、聖者によってその船を特別に保護してもらおうと考えた」
2.「旅に出る前に、聖職者に頼んで船を祝福してもらった」
3.「商業航海による収益の一部を寄進することは当然だった」
4.「航海中に暴風雨に見舞われた際には聖者に祈り、かつ巡礼を行うことを誓った。無事帰還した折りには、クジに当たった1人が全員を代表して誓約を果たさねばならない(巡礼費用は共同分担)」
(2)大海損と相互扶助
【大海損】
A.これは「航海中に損害が発生した場合には、船or積荷に関係していた者全てがそれぞれ自己の割り当て分を負担しなければならない」という原則のこと(※上記の「巡礼費用は共同分担」もその例)。いわば強制の相互扶助(相互保険)である
B.航海中においては、全体を維持するために個人の利益を犠牲にしなければならないケースがしばしば発生した(例:船の沈没を防ぐために「積荷を海中に投げ棄てる,マストや錨綱を切断する」)。また「座礁した時に艀で陸揚げする費用」「航海の継続に必要と見なされた修理」「海賊に対する身代金支払い」も、大海損として取り扱われた
【相互扶助の原則】
C.中世の兄弟団・ギルド・ツンフトその他の団体では「その成員の誰かが病気・死亡・家屋焼失に見舞われた際には、成員同士で互いに助け合う」=相互扶助の原則が必ず存在していた。特殊な団体として「難破の際には成員がお互いに救助しあう義務を持つ」というのもあった
D.この場合には、上記(1)にある予防策ではなく「既に発生した損害をいかにしてカバーしあうか」が問題だった。というのは「船と商品に関与した人々は、いわば兄弟である」と見なされたからだった
(3)損害保険の誕生
A.団体的な相互扶助(成員全てが保険者であり被保険者だった)とは別に、本来の「保険料支払いの保険(保険者と被保険者は別)」が登場した。最初は海上保険として制度化され、続いて陸上での商品輸送の保険も登場した
【海上貸付】
B.古代から存在した"海上貸付"が起源だった。これは「船が無事に航海を終えられなかった場合には、借り手は利子だけでなく元本の返済義務も負わない」というもので、これによって貸し手が航海中の様々なリスクを負担していた
C.もし航海が無事成功した場合、貸し手は(元本返済に加えて)通常受け取ることができる以上の利子を手に入れた。この利子の中には「リスク引受に対する保険料」が含まれていた
【損害保険への進化】
D.保険契約者(事業者)が資金を必要としない場合には、海上貸付における「貸付」の要素は明らかに余分だった。過渡期を経てこの部分が無くなり「不幸な結果となった場合にのみ、保険契約者に保険金を支払う」純粋な保険の誕生となる(14世紀後半)
E.しかし純粋な保険の初期においては「保険業者が幾つもの保険契約を受け、大数の法則によってリスクを管理する」方式は全く欠けていた。きわめて僅かな義務しか行わなかった保険業者は、基本のリスク分散が出来なかったから「保険義務はある種の投機的な性質を帯び、保険料もきわめて高いものとならざるを得なかった」。いわば「契約者(被保険者)の事業が成功することに賭ける、一種の博打」であった(成功時には被保険者が保険料を支払い、失敗時には保険業者が保険金を支払う)。それでもこの「博打」は契約として法律上有効だった
F.やがてイタリア諸都市において「リスクが多数の(5~15人)保険業者に割り当てられ、各業者の投機度合いが相当軽減されている」保険契約も出現した(14世紀末~)。この時期以降のイタリアでは、多数の保険契約を締結した個人(or団体)も登場する
【保険の普及】
G.保険契約は故郷であるイタリアからネーデルランドへと広がり、ジェノヴァ人・フィレンツェ人・ヴェネツィア人が保険業者として登場した(15世紀)。イベリア半島にも広がる一方で、中世ドイツでは全く知られていなかった
H.ハンザ商人は「ある地から海上輸送されるべき貨物を何隻もの船に分散して運び、全てがダメになる危険を避ける」方式に拘った(もちろんこの基本的な習慣はよそでも長い間、海上保険と並んで用いられていた)
I.大ラーフェンスブルク会社の場合、陸上輸送では貨物に対する保険は使われなかったようだ。貨物は(荷馬車の御者or貨物を背負ったラバの御者が責任を全く負わなかった限りでは)会社の危険分担で運ばれた。海上輸送ではジェノヴァ~アントウェルペンのルートにおいて、後世になると貨物に対して険が掛けられたが、これは自然災害よりも海賊による損害を恐れていたからだった
「損害が生じないよう、常に一切の物に保険を掛ける。というのは、つい最近もドイツ人はブルターニュの海岸でリスボンから香辛料を積んできた船を失い、莫大な損害を受けたからである。ウェルザー家は胡椒60袋、ホッホシュテッター家も60袋、レーリンガー家は20袋を有していたので、まことに大打撃である。神は正直な人々に損害を補償する。彼らは…常に保険は愚行である、と考えていた」(1517年の記事から)