アルボムッレ・スマナサーラという仏教教会の偉い方(?)が書かれたありがたい本。
何ヶ月か前に、テレビで紹介されててめっちゃ気になって、
即取り寄せたんやけど・・・
途中まで読んで放置してあった。
昨日改めて読んでみました。
なんか心が浄化されるような、
でもちょっと辛くなるような、
なんとも言えない読後感・・・
愛とは依存。
愛とは怖いもの。
うん、それはなんか分かる気がするな。
私たちは「生かされてる」のではない。
生か「されてる」ということは、殺したいと思ってる存在があるということ。
そんなことはないよね・・・確かに。
神に生かされてるのなら、神は殺したいけど仕方ないから生かしてやるか・・・
って思ってるってこと?になるわけやな。
他の宗教では神と人を愛で結び、神に愛されることを求める。
仏教は、あなたは神になれる。と言われる。
宗教の考え方の違いはいろいろあるし、
基本無宗教なのでどっちの考え方もすんなり心に入るけど。
長年、やさしさって何?
愛するって結局どういうこと?
に悩み続けてきた私にひとつの答えを与えてくれた。
もしかしたら答えはいっぱいあって、
人によってその答えは違っていいのかもしれんね。
すべての生命が幸せになりたいと思ってる。
それを理解し、自分がその生命の一部であることを認識し、
その中での役割を果たすことが、やさしい生き方ってことなんやな・・・
空気のように、必要な時は目に見える存在として、
普段はさりげなく存在し必要なものに必要なものを与える。
生命としての基本的な願望以外の自我をなくすこと。
ちょっと高尚すぎて、難しいけど、
そうなれればいいな・・・
でもね、どんな人でも
誰もが生きたいと思ってて、
幸せになりたいと思ってて、
悩み苦しみがなくなればいいと思ってて、
願い事が叶えばいいなと思ってて、
やるべきことがその瞬間瞬間にパッとひらめいてほしいなと思ってる。
それを頭の中に置いてるだけでも、
多少のことで妬んだり恨んだりはしなくなる気がする。
そして、平等だけど均等ではない生命に、
私がもってる何かを必要とする存在があるのなら、
それをごくごく当たり前のこととして提供できるひとになりたいな。
昨日の昼間にこの本を読み、
夜にお客さんからタイの話を聞いて、いろいろ考えた。
何度も通い仲良くなった(普通の)マッサージ屋さんのおばちゃんが、
「私を買いたい、と求める人がいるのならもちろん行きますよ。それは家族のためです。」
と、当たり前だという顔で言ったらしい。
お客さんはそれが信じられなくショックやったみたいやけど、
私もきっとそうするな・・・と思った。
もちろん体売るのがイイ事とはまったく思ってないけど、
完全に悪いことだとも思わない。
できる人がやればいい。
なんで私がやらないといけんの?
男だから料理しない。
社長だからお茶入れない。
そういう考えが仏教では無いらしい。
その時必要であれば、できる人が動くのが当たり前。
この考え方は持ってたいな。
私はすぐ、なんで私が?って思ってしまうから・・・
だから、タイに行ったお客さんが
自慢げでもなく、「いつも行ったら与えられるだけばらまいてくる。」
って言ったことがなんか嬉しかった。
もちろん自分の負担になることはしなくていいけど、
必要なものを手に入れるために必死になってる人たちに、
与えられるものがあるのなら、
惜しみなく与えられるこの方を尊敬しました。
イライラしたり、人を憎んだり、
疎んだり、妬んだり、
そんな感情がなくなることはナイかもしれんけど、
小さく小さくなっていけばいいな。