今回は12月のある平日、代休が取れたので、前から乗りたかった鹿島
臨海鉄道と鹿島神宮に出掛けました。
1.東京一便利?!鹿島線高速バス
乗車する前から、「こんな超一等地に東京〜鹿島線高速バスの停留所が
あるのか」と何度もHPを確認し、当日まで信じられなかったこの場所。
東京〜名古屋・大阪線よりもいい場所なんですよ
そう、この場所は、東京駅八重洲南口徒歩2秒
特急あやめ🚄号で鹿島へ行きたい所ですが、2015年に廃止。現在は
高速バスで鹿島地区へ行くの一般的のようです。特急廃止を受けて、
その代替として、東京駅停留所NO.1を享受できたのでしょうか😀
9時台は10分間隔の高フリークエンシー。表示の通り全席自由席。
座れないと心配なので、15〜16分前に着きましたが、整列状況は、
こんな感じです。慌てなくても大丈夫のようです😅
JRバス関東、関東バス、京成バスの3社共同運行。
2.鹿島神宮と香取神宮の不思議
前社は、常陸一宮。後社は下総国一宮。そして「神宮」と名乗れるのは、
日本書紀、古事記に出てくる万の神か天皇を祖とする神を祭る神社だけで、
地図の通りこんな近くに、格式の高い神社が利根川を挟んで、あるのは
昔から不思議に思っていました。
(神社庁HP⇒「神宮」といえば、伊勢の神宮を示す正式名称。また「○○神宮」の
皇祖社号を付されている神社には、
霧島神宮や鹿児島神宮、また天皇をお祀り
している平安神宮や明治神宮などがあります。このほか、石上神宮や鹿島神宮・
香取神宮など特定の神社に限られています。
Docwikによると、大和朝廷は蝦夷対峙の関東基地として、鹿島神宮・
香取神宮を崇拝していたらしい。。また、鹿島神宮は、中臣鎌足(後に
藤原氏)からも崇拝されて、結びつきが強かったらしい。。平安時代、延喜式
神名帳によると「神宮」と記載されていたのは、伊勢神宮、鹿島神宮、香取
神宮だけで、ほんと格式の高い神社だったようです。
3.東関東自動車道を終点で降りて
最初の停留所「水郷潮来バスターミナル」を出ると、一面の水郷🍚地帯。
これで⇓利根川の支流。利根川🏞の本流は、高速道路で渡ってきて、
気付かず…
鹿島アントラーズ⚽の施設もあった
4.鹿島神宮⛩
HPによると、鹿島神宮は、武みか槌の大神を祭ったもの。天照大神の
命を受けて(戦いに負けて?)、大国主命(出雲大社)、経津主大神(香取
神宮)とともに話合い、国を譲ったらしい。。ここでも大和朝廷が東国と
出雲の国を支配下に置いたことが分かります。 創建は、初代神武
天皇時とか。。神武天皇が東国(蝦夷?)支配時に武みか槌の大神
に助けられたとか。。。
その後も武家の神として、頼朝、家康の尊崇を集めたか。。。
1)二の鳥居⛩
神社HPによると、東日本大震災で御影石の前代は倒壊し、2014年、
境内の巨木杉で再建されたとのこと。↓図面の右端にあります。では、
一の鳥居は、どこにあるのか?とGooglemapで確認すると………
北浦(図面参照)の南端にありました。凄い神社ですぇ〜(Google
mapから借用)
神社の各設備は、参道からほぼ一直線上にあります。
2)手水舎
①右手に持って左手を洗い
②持ちかえて、右手を洗い
③右手に持換え、左手に水を溜めて口をすすぎ
④もう一度、左手を洗い
⑤最後に尺を立てて、残った水で柄を洗う(最後はTV番組より)。
3)楼門(国重要文化財)⛩
1634年水戸初代藩主徳川頼房奉納とか。。よく、観光雑誌や
ポスターの写真になるところですね。朱色が良くメンテされています。
4)本殿・拝殿(国重要文化財)⛩
徳川2代将軍秀忠が寄進したもの。
辛うじて、紅葉が残ってました
こちらは拝殿。
こちらが拝殿後ろにある本殿。とても美しい装飾ですが、残念ながら
拝殿横の隙間からしか、見えませんでした😢江戸初期の建築といえば
日光東照宮と似た装飾です。
5)奥参道
奥宮に向かって、参道が伸びます。鬱蒼とした杉並木を歩くと、背筋も
ピンっとします
6)奥宮⛩
1605年徳川家康が関ケ原の戦い⚔で勝利した御礼にした奉納したもの。
もともとは、現在の本殿の位置にあったが、14年後、この位置に移築。
7)御手洗池
図面左奥、山を下った位置にあります。水が集まりそうな位置です。
一日40万㍑も湧き水がでるとか(本当かな。。。)
昔は、ここで禊(清め)をしてから、参拝していました。滝に打たれるのも
同じ意味です。それが現代は簡略され、手水舎で清めるものに変わって
います。
湧き水が出るところ。。。持帰り自由。ペットボトルも売ってましたが、
「飲む場合は、沸騰してから」とのこと
以上、パワースポット、巡りでした。
Sumioは、特に武道はしていませんが、ここぞとの勝負は勝ちたい
ものですね。
次回は5.項は、本題、鹿島臨海鉄道🚃乗車記です。