今日の聖書日課:民数記4:1~20

 

宿営が移動する際には、アロンとその子らが聖所と聖所のすべての用具をおおい終わってから、その後でケハテ族が入って行って、これらを運ばなければならない。彼らが聖なるものに触れて死ぬことのないようにするためである。これらは、会見の天幕でケハテ族が運ぶ物である。

民数記4:15

 

 4章は、レビ族の中の三部族、ケハテ・ゲルション・メラリそれぞれの一族がなすべき、会見の天幕(移動式礼拝所)のための奉仕について述べられています。今日の聖書日課はケハテ族のなすべき奉仕について。大まかに言うと、イスラエルの宿営が出発するときに、会見の天幕の中にある用具を布やじゅごんの皮でおおい、それらを運ぶということ。 

 しかし、よく見ると、布やじゅごんの皮で用具をおおうのは「アロンとその子ら」(5)すなわち祭司の家族であり、ケハテ族は「アロンとその子らが聖所と聖所のすべての用具をおおい終わってから」会見の天幕に「入って行って、これを運ばなければならない」のです(15)。つまりケハテ族は、運ぶだけの奉仕。

 しかし、注意して民数記を読む時に次のことにも気づかされます。祭司たち:アロンとその子らもまたケハテ族なのです。「ケハテ族の諸氏族は、それぞれ、アムラムとイツハル、ヘブロンとウジエル。」(19)。このアムラムはモーセとアロンの父でした(出エジプト6:20)。「ケハテ族の会見の天幕での奉仕は、最も聖なるものに関わることで、次のとおりである。」(4)。このようなくだりは、ゲルション族、メラリ族についての記述には見当たりません。まさに祭司も含めたケハテ族が担ったのは「最も聖なるものに関わる」奉仕でした。

 そんなケハテ族の奉仕の中で、祭司たちがするべきことと、祭司以外のケハテ族がするべきことがあったのです。役割分担があるのです。祭司以外のケハテ族は、用具を触ったり、見たりしても死んでしまう(15、20)。でも祭司は死なない。それは祭司が特別に罪から離れていて聖(きよ)いからではありません。主があわれみのうちに祭司を特別に守られるから。本来は聖い神の前に、罪人は立ちおおせることはできないのです。このようにして主はケハテ族にそれぞれの役割を与えられました。

 そしてもう一つ大切なこと。役割は違えど、この二つの働きにはつながりがあったということです。祭司たちが「すべての用具をおおい終わってから、その後でケハテ族は入って行って、これらを運ぶ」のです。連携プレー。しっかりと結び合わされ、幕屋の移動はなされたのです。

 同じ神さまに仕える私たちも、それぞれに役割が与えられています。違うことをしているけれど、一つの目標:礼拝、宣教のために働いているのです。大切なことは連携です。結び合わされていること。そのつながりをどこまでも大切にしましょう。決して離れてしまうことがないように。

 神さまの働きは、いつでもつながりの中で展開されます。

 

 こんばんは。

 先ほど、祈祷会が終わりました。今年も宣教の祈りを積み上げていきましょう。私が祈っている人のために祈ってもらい、和歌山聖書教会のためにともに祈ります。これまたつながりを大切にして。

 おやすみなさい。

冬陽に光る
サンシュユの紅