【今日の気づき】
幼いころには
完璧や100点満点でないといけない気がしていました。
そうでないと何か劣っている気がしたのです。
でもその考え方は自分も相手も苦しくするということを気づいたのです。
今の私の形容詞は
楽しい、快適な、心穏やかな、ワクワクする、カッコいい、素晴らしい、面白い、ラッキーな…などなどです。
皆さんはどうですか?
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完璧主義は人生の視野も可能性も狭くする
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アンソニー・ロビンズは言います。
“この世の中で完璧主義ほど基準の低いものはない”と。
どういうことでしょうか?
「完璧にこだわる」のは素晴らしいことのように聴こえます。
しかし、アンソニー・ロビンズは「完璧主義は基準が低い」と言います。
なぜなら、
"「完璧」なんていうものは、永遠に実現しない。
「完璧じゃないからスタートできない」
「完璧でないとお客様の前に出せない」
というのであれば、それはこの世に生まれることはない。"
ご自身の毎日の中で、「完璧」を目指しているからこそ、
「世に出せていないこと」はないでしょうか?「完璧」じゃないと、
外からどういわれるか分からないから、「まだ踏み出せていないこと」はないでしょうか?
「わたしのプレゼンテーションはまだ完璧じゃないから・・・」
「この企画書はまだ完璧じゃないから・・・・」
「この事業アイデアはまだ完璧じゃないから・・・・」
「この戦略コンセプトはまだ完璧じゃないから・・・・」
「この分野に対する理解はまだ完璧じゃないから・・・・」
「私はまだ完璧じゃないから・・・・」etc...
「完璧」や「100点満点」で“なければいけない”と思うことで苦しさが増します。
終わりなき成長の旅が続くのはすばらしいのですが、アウトプット(作品)が世の中に出ないまま終ってしまいます。
そこがもったいないのです。
完璧にこだわるがあまり、世に出ず、
フィードバックがもらえないので、「改善」するスピードも遅くなります。
日本人が「ものづくり」の中で、卓越していたのは「“卓越”を目指す姿勢」であって、
「完璧主義」ではありませんでした。
「卓越を目指す姿勢」とは、「フィードバック」を愛する姿勢であり、
「欲しい結果が得られるまで」アプローチを変え続ける柔軟性であり、
「卓越」のためならば、教えを乞うことを厭わない姿勢です。
また、これまで卓越したリーダー達が求めていたものは、
「完璧」ではなく、「驚くようなもの」であったり、
「完璧」ではなく、「魂が震えるもの」であったり、
「完璧」ではなく、「感動するもの」であったり、
「完璧」ではなく、「美しくてみとれてしまうもの」であったり、
「完璧」ではなく、「ぶっとんだ凄いもの」であったり、、、、
卓越したリーダー達は、完璧ではなく、
自分自身のハートのスイッチが入るものにこだわっていたのです。
「あなたはどんなものを目指しますか?」
しかし同時に、達人と呼ばれているような、その道の第一人者の人は、
しっかりとアウトプットしていきながらでも、
周りの人が「もうそのくらいでいいんじゃないですか?」と言っても、
「いや、まだまだ全然足りていない」と自分に厳しい基準を定め改善をやめません。
なぜ、そんなことができるのでしょうか?
それは、もはやそれはその人の「仕事」を超えて、
「人生」まで広がっているからです。
「熱い仕事」を目指す人は、「熱い人生」を生きようとしている人なのです。
そういう人は「熱いチーム」を求めるかもしれません。
「感動する仕事」を目指す人は、「感動する人生」を生きようとしている人なのです。
そういう人は「感動を共有できるお客様」を求めるかもしれません。
しかし、「完璧な仕事」にこだわる人は、
「完璧な人生」を生きようとしてしまいます。
そして「完璧な自分」「完璧な家」「完璧な友人」などを求めてしまいます。
Q:ご自身は、どんな人生、どんな仕事を目指しますか?
(ヒント:形容詞で表現してみてください)
Q:それには何かにつけて、どんなことを追求していくことがいいでしょうか?
(ヒント:終わりがないものを追求してみてください)