5 立憲主義と現代国家-法の支配 | sumiko1004のブログ

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5 立憲主義と現代国家-法の支配


近代立憲主義憲法は、個人の権利・自由を確保するために国家権力を制限することを目的とするが、この立憲主義思想は「法の支配」の原理と密接に関連する。


法の支配


法の支配の原理は、中世の法優位の思想から生まれ、英米法の根幹として発展してきた基本原理である。それは、専断的な国家権力の支配(人の支配)を排斥し、権力を法で拘束することによって、国民の権利・自由を擁護することを目的とする原理である。ジェイムス一世の暴政を批判して、コーク(Edward Coke)が引用した「国王は何人の下にもあるべきではない。しかし神と法の下にあるべきである」というブラクトン(Bracton)の言葉は、法の支配の意味をよくあらわしている。


法の支配の内容として重要なものは、①憲法の最高法規性の観念、②権力によって侵されない個人の人権、③法の内容・手続の公正を要求する適正手続(due process of law)、④権力の恣意的行使をコントロールする裁判所の役割に対する尊重、などを挙げることができる。


「法の支配」と「法治国家」


「法の支配」の原理に類似するものに、戦前のドイツの「法治主義」ないしは「法治国家」の観念がある。この観念は、法によって権力を制限しようとする点においては「法の支配」の原理と同じ意図を有するが、次の二点において両者は著しく異なる。


第一に、「法の支配」は、市民階級の立法過程への参加の原則が前提となっているので、国民がその権利・自由の防衛を図ることを建前とする民主主義と結合していたことである。これに対して、戦前のドイツの法治国家(Rechtsstaat)の観念は、そのような民主的な政治制度と結びついて構成されたものではない。もっぱら、国家作用が行われる形式または手続を示すものにすぎない。したがって、それは、いかなる政治体制とも結合しうる形式的な観念であった。


第二に、「法の支配」にいう「法」は、内容が合理的でなければならないという実質的要件を含む観念であり、ひいては人権の観念とも固く結びつくものであったことである。これに対して、「法治国家」にいう「法」は、内容とは関係のない(その中に何でも入れることができる容器のような)形式的な法律にすぎなかった。そこでは、議会の制定する法律の中身の合理性は問題とされなかったのである。もっとも、戦後のドイツでは、ナチズムの苦い経験の反省に基づき、法律の内容の正当性を要求し、不当な内容の法律を憲法に照らして排除するという違憲審査制が採用されるに至った。その意味で、現在のドイツは、戦前の形式的法治国家から実質的法治国家へと移行しており、法治主義は英米法にいう「法の支配」の原理とほぼ同様の意味をもつようになっている。


立憲主義の展開


近代市民革命を経て近代憲法に実定化された立憲主義の思想は、19世紀の「自由国家」の下でさらに進展した。そこでは、個人は自由かつ平等であり、個人の自由意思に基づく経済活動が広く容認された。そして、自由・平等な個人の競争を通じて調和が実現されると考えられ、国家は経済的干渉も政治的干渉も行わずに、社会の治安維持という警察的任務のみを負うべきものとされた。当時の国家を、自由国家・消極国家とか、または軽蔑的に夜警国家とか呼ぶのは、その趣旨である。


しかし、資本主義の高度化にともなって、富の偏在が起こり、労働条件は劣悪化し、独占的グループが登場した。その結果、憲法の保障する自由は、社会的・経済的弱者にとっては、貧乏の自由、空腹の自由でしかなくなった。そこで、そのような状況を克服し、人間の自由と生存を確保するためには、国家が、従来市民の自律にゆだねられていた市民生活の領域に積極的に介入し、社会的弱者の救済にむけて努力しなければならなくなった。こうして、19世紀の自由国家は、国家的な干渉と計画とを必要とする*社会国家(積極国家・福祉国家)へと変貌することになった。


*社会国家・福祉国家

社会国家(Sozialstaat)は西ドイツのことばであり、福祉国家(welfare state)はイギリスのことばである。その内容は必ずしも明確ではないが、おおよそ、国家が国民の福祉の増進をはかることを使命として、社会保障制度を整備し、完全雇用政策をはじめとする各種の経済政策を推進する国家であると言えよう。わが国では、かつては、福祉国家論が国家独占資本主義の矛盾をおおいかくすイデオロギー的理論であるという批判が強かった。そのような問題点のあることは否定できないが、現実の経済・社会に照らして、プラス面の実現を強化していくことが必要である。


立憲主義の現代的意義


立憲主義は、国家は国民生活にみだりに介入すべきではないという消極的な権力観を前提としている。そこで、国家による社会への積極的な介入を認める社会国家思想が、立憲主義と矛盾しないかが問題となる。しかし、立憲主義の本来の目的は、個人の権利・自由の保障にあるのであるから、その目的を現実の生活において実現しようとする社会国家の思想とは基本的に一致すると考えるべきである。この意味において、社会国家思想と(実質的)法治国家思想とは両立する。


また、立憲主義は民主主義とも密接に結びついている。自由の確保は、国民の国政への積極的な参加が確立している体制においてはじめて現実のものとなる。つまり、国民が権力の支配から自由であるためには、国民自らが能動的に統治に参加するという民主的制度を必要とするからである。この自由と民主の結合は、まさに、近代憲法の発展と進化を支配する原則である。