10月16日 | Sumiko's Playground

Sumiko's Playground

基本ネタバレなのでゲーム、ライブ、ドラマなど結果を
知りたくない方は見ないでね。

忘れもしない今から38年前の1979年の今日のこと。

当時 高校生だったわたしはこの日が誕生日のドラゴンズの主砲 大島選手にプレゼントを渡そうとデーゲームが終わったナゴヤ球場で出待ちをしていたのでした。

次々と選手が出てくるのだけど、お目当ての大島選手はなかなか出てこない・・・

どれだけ待ってたかな〜。

1時間か2時間は待っていたような気がします。

やっと出てきた・・・と思ったら、脇目もふらず車へとまっしぐら。

プレゼントを手にした大勢の女性ファンが怒涛のようにそのあとを追いかけるんだけど、わたしは完全に出遅れてもう近くづくこともままならず・・・・

 

結局プレゼントは渡せず呆然としてナゴヤ球場の駐車場にたたずんでおりました。

でもせっかく小遣い叩いて買ったプレゼント、なんとかして渡したい。

そこで思いついたのが「このあと出てくる他の選手に頼んでプレゼントを渡してもらおう!」という作戦でした。

その選手には悪いけどもう背に腹は変えられないって思いでした。

 

ところが、残念ながら選手はもう一人も残ってなかったんですよね。

誰もいなくなった駐車場に最後に姿を現したのは・・・

 

中監督でした。

 

いやいやいやいや、それはダメっしょ?

監督に頼むのはマズイっしょ?

 

でもねー、若気の至りってやつですかね。

頼んじゃいました。(おぃ〜〜〜〜〜!!!)

 

こんな失礼なお願いを中監督は、それはもう優しい笑顔で引き受けてくれた上に、プレゼントの包みに何も書いてないのを見て「ここに名前書いた方がいいんじゃない」とまで言ってくれたのです。

なんかもう後光が差してるように見えました。(ありがたや、ありがたや)

 

 

でも帰ってからわたしの苦悩がはじまります。

冷静になって考えるとさすがに中監督にプレゼントを託したのは失礼極まりないと猛烈に後悔。

さらに、中監督が大島選手に渡してくれたかどうかは定かではないですが、もし本当に渡していたら・・・

もう大島選手の立場ないですよね。むっちゃ居心地悪いですよね。その場の雰囲気最悪ですよね。

想像しただけで、大島選手にも申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

 

当時はよくナゴヤ球場での練習を見に行ったし、翌年、大島選手が交通事故で怪我をして二軍戦で調整していたのを見に行ったりもしてたので、その後も度々ナゴヤ球場の駐車場で大島選手を見かけることがあったんですが、この誕生日事件(10.16事件と言ってます)以来、どうしても近くづくことができず、いつも遠くから眺めているだけ。

ファンに囲まれてサインに応じている時でもその輪に入ることはできませんでした。

もちろん、あのプレゼントの送り主がわたしだとわかるはずもないんですが、どこかに後ろめたい気持ちがあったんでしょうね〜。

 

でもこの年になって、なんであの時サインの一つも貰わなかったのかってちょっと悔やんでました。

そんな折、週間ベースボールで「中日ドラゴンズ 2000安打 メモリアル 大島康徳選手 直筆サイン入りフォト」というのを見つけ、つい注文してしまいました。

常々、サインというものはその時、その場所に一緒に居た記念にもらうもので買うものではないって思ってるんですが、この時ばかりはどうしても欲しくて欲しくて・・・

2000本安打を達成した時は日ハムに在籍してたのですが、写真はドラゴンズ時代のものだったのも嬉しくて。

 

これです。v(。・ω・。)ィェィ♪

 

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中日時代の見慣れたサインとはちょっと違う気がします。

もっと雑だった覚えが・・・・σ(^_^;)

鑑定書もついてます。

 

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100枚限定。 2/100って・・・2番目?
注文したの結構遅くてもう売り切れてるかもって思ったんだけど、2番目?
たまたま2/100だったのかな? 売れ残ってる?(おぃ)
 
わたしの宝物です。(*^o^*)
 
【追伸】
余談になりますが、プレゼントを中監督に頼んだ時、監督が「大島クンに?」って言ったのがとても印象に残りました。
インダビューとかで中監督はいつも大島選手の事を「大島クン」と呼んでいたので、この時も心の中で「やっぱ大島クンって呼ぶんだ〜」ってなんか妙に親近感を覚えたのでした。
監督が選手を「クン」づけで呼ぶってちょっと珍しいですよね。