函館日記5(碧血碑) | Sumiko's Playground

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基本ネタバレなのでゲーム、ライブ、ドラマなど結果を
知りたくない方は見ないでね。

あ~~、まだ1日目が終らない函館日記。(^o^;)
やっと1日目最後の目的地 碧血碑に向かいま~す。

その前に、碧血碑についてちょっと解説。ひらめき電球

函館戦争が終った時、新政府軍の戦死者はすぐに盛大な慰霊祭が行われ、現在の函館護国神社に埋葬されました。
しかしながら800人とも言われる旧幕府脱走軍の戦死者は、新政府軍が遺体の埋葬を禁じたためそのまま打ち捨てられておりました。
見るに見かねた柳川熊吉という俠客が子分と共に遺体を函館のお寺に埋葬したのですが、その事で新政府軍に逮捕されてしまいます。
明治4年、熊吉は釈放されたのちに箱館山に土地を買い、そこに函館戦争の戦死者を改葬し供養しました。
明治7年、明治政府が正式に賊軍の汚名を負った者の祭祀を許可すると、明治8年に榎本武揚や大鳥圭介らが資金を出し合ってその地に碧血碑を建てたのです。

というわけで土方さんもそこに眠っているのではないかと言われております。
土方さんの埋葬地については諸説あり、五稜郭の土饅頭の中とか大圓寺の二本松の下という説もあります。
いずれにせよ、この碧血碑には多くの旧幕府脱走軍の死者が埋葬されています。
今回の旅の一番の目的はこの碧血碑にお参りする事でもあったわけです。

碧血とは「忠義を貫いて死んだ者の血は地中で三年経てば碧玉となる」という荘子の故事に由来します。


しかしながら・・・
またしてもマイナーな史跡。

迷いました・・・ガクリ

箱館山の麓の車1台がやっと通るほどの立待岬へと続く道から山の方へ登って行かなければならないんですが、その入り口がわからず、2度ほど違うところで曲がってウロウロ・・・

事前にストリートビューで確認しておいたのに・・・
やっと「碧血碑 300m」という道しるべをみつけ山に分け入ります。

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こんな山道あせる


急な山道を進む事300m(実際500mくらいに感じた)・・・
ついに辿り着きました~~~!!

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さて、ゆっくりお参りを・・・・

と思ったんですが、ヤブ蚊の襲撃が酷い!!
ブンブン、ブンブン、凄い数のヤブ蚊がぁ~~~!!叫び
もう新政府軍のガトリング砲で狙い撃ちされてるような気分。(違)

お線香をあげて、写真を撮ると早々に退却・・・
土方さん、さよ~なら~~。DASH! (早っあせるあせる


帰り道、やはり山道で迷っていたご夫婦に遭遇。
立待岬のほうからずっと山道を歩いて来たらしく、疲れきった様子で「碧血碑はまだ遠いですか・・」と聞かれました。
「すぐそこです」と教えてあげるとほっとした表情で碧血碑へと向かわれました。

でも・・・ 蚊が凄いんで気をつけてね~。


そんなこんなでやっと函館日記1日目終了~~~。
次は、旧幕府脱走軍の旗艦 開陽丸を見に江差へと向かいま~す。ニコニコ