続いて黒谷 金戒光明寺へ!!
ここは、あまり有名じゃないかもしれませんが、わたしにとっては格別の観光スポット。
学生の頃は京都へ来るたび訪れていたのですが、最近はまったく行っていないんで今回30年ぶりくらいに見て来ようかと・・・
平安神宮からわりと近いと思って歩いたんですが、30年前の記憶と道がぜんぜん違ってて、すっかり迷子。
地図を片手に行きつ戻りつしてなんとかたどり着きました。
金戒光明寺は、幕末、会津の松平容保公が京都守護職を任じられた時に本陣をおいた場所です。
そして一際目立つ大きな山門。
これは1860年に建立されたものです。
つまり、1863年に新選組が京都に誕生した際にはもう出来ていたんです。
近藤さんや土方さんがなんどもくぐったであろうこの山門を見ると感無量なのデス。
山門を見たいがために来た金戒光明寺ですが・・・・
こんなものが!!
え? 何?これ?
江のお墓って黒谷にあったんだ!!
知らなかった・・・・
それにしても大河の影響ってすごい!
これでしっかり参拝客を呼ぼうって事か。(お)
でも、ま、せっかくなんでお墓参り。
でかっ!!! 写真じゃわかりにくいですが、かなり見上げてます。
龍馬や桂小五郎の墓なんて目じゃないです。
むっちゃ大きいです。
さすが徳川家。
で・・・その辺一帯は斜面にず~~っと墓地がひろがっているんですが、こんなものも見つけました。
会津の墓地があるんだ・・・
そういえば,黒谷にあるって聞いた事があるような・・・
そうとわかれば墓参りしないわけにはいかない。
この道しるべに従って長い階段を上り始めました。
もう膝笑いっぱなし。
もうそろそろ着くかな?と思ったころに同じ道しるべが現れます。
え~~!? まだ先なん??
しかしだれもいない墓地の中をどんどん入って行くのもなかなか勇気が要ります。
何度も引き返そうと思ったけど、そう思う頃にあの道しるべが現れるんで、結局迷いながらもついにたどり着きました。
霊山護国神社と違って、人っ子一人いなくて詳しい説明もなし。
会津は京都守護職をしていた頃、池田事件や蛤御門の変などで多くの犠牲を出しました。
数々の攘夷志士たちとの戦いで、故郷を遠く離れて京で亡くなった人たちの墓所です。
霊山護国神社で眠る志士たちとは仇同士ですが、当時、会津の武士も命がけで徳川への忠節を貫いたわけで、その心の尊さは変わらないと思うわけです。
そんなわけで合掌。
思わぬところでお墓参りを済ませて黒谷を後にしました。
今回の京都旅行、どんだけ墓参りした事か・・・ 我ながら変な趣味。





