京日記4(旧前川邸) | Sumiko's Playground

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基本ネタバレなのでゲーム、ライブ、ドラマなど結果を
知りたくない方は見ないでね。

八木邸のすぐそばに、もうひとつの屯所跡 前川邸があります。
八木邸でガイドをしてくれたおじさんに「前川邸はどこですか?」と聞くと・・・

「そこです」と道を隔てたお向かいのお家を指差しました。
あ、お向かいさんなんだ・・・

さらに「前川さんは人が押し掛けてくるのがいやで屋敷を売ってしまって、今は田野製作所という会社が所有しています。中は非公開ですが、ほら、あそこに見えているのが土方さんが拷問したんで有名な土蔵です」と教えてくれました。

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八木邸から見える前川邸の蔵


赤い矢印が古高俊太郎を拷問にかけた東の蔵、青い矢印が西の蔵です。
そのまんま残ってるんや~~。

前川邸の内部は非公開ですが、土日は門を開放して玄関先まで入れるようになっていて新選組のグッズなども販売しています。

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前川邸内部の写真の絵はがきと前川邸の見取り図が売っていたんで買ってきました。
それを見ると幕末の頃のまま残されているものも多く、公開されていないのはとても残念。
でも、いまの所有者である田野さんがこの先ずっと大事に残していってくれるならそれでいいです。

八木家のガイドさんが「人が押し掛けてくるのがいやで」と言ったので、てっきり新選組ブ-ムに火がついた頃に売ったんだと思っていたのですが、後で旧前川邸のHPを見たら、田野さんが前川邸を買ったのは昭和20年のこと。
さらに、そのずっと前に前川さんは中井さんという方に売っていて、田野さんはその中井さんから買ったわけですが、当時はそこが新選組屯所跡だなんて事は全く知らなかったそうです。

当時の前川家にしてみれば、いきなりやってきた浪士たちが、自分の屋敷の中で切腹するわ、拷問するわ、刃傷沙汰起こすわ・・・ 迷惑千万、あまり良い気分じゃなかったと思うんですよね。
事実、前川家の人々は本家のほうに避難してたとか・・・
当然、家に伝わる新選組伝説は、あまり好意的なものではなかったのかも。
明治から昭和の初め頃までは、新選組といえば賊軍で極悪非道な人斬り集団みたいに言われてたわけで、その屯所だったなんて事は、あまり自慢出来た事ではなかったんでしょう。

でも不思議な事に、八木家では当時子供だった八木為三郎さんが昭和初期に子母澤寛の取材をうけて新選組の事をいろいろ語っているんですが、わりと好意的なんですよね。
八木家と前川家では新選組の印象が違っていたのかも・・・ と勝手に思ってみたり。

八木家は今でも屋敷を公開して、ガイドさんつけて、新選組のお菓子なんかもつくって・・・積極的に八木家に伝わる新選組の話を伝えて行こうという姿勢がありありと見えます。
実は八木家のほうがしたたかで「ブームにのって新選組で一儲けしよう!」って思っただけなのか。(おぃ)

30年前には一部のコアなファンしか知らなかった壬生寺や屯所跡が、大河ドラマの新選組ブームによってたくさんの人が押し寄せる人気観光スポットになったのは、新選組ファンとしは喜ぶべき事なんでしょうけど・・・・
なにやらイメージだけが一人歩きして本当の姿が見失われてしまうような危うさも感じた30年ぶりの壬生探訪でありました。


前川邸で土方さんの俳句を絵手紙風にしたおもしろいグッズをみつけたんで思わず買ってしまった。

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こうしてみると豊玉宗匠の俳句もなかなか味わい深いものに見えて来る。(笑)
わたしも豊玉宗匠の俳句に絵を添えてみようかな・・・ おもしろそう。にひひ