今回の追善公演、出演者、演目ともにこれ以上ない並びです。鶴松さんのおみっちゃん、勘九郎さんの佐野次郎左衛門共に初役。猿若を勘太郎、子獅子を長三郎で勘三郎さんに皆様に成長をお見せする趣向。

 中村屋がますます育って、発展していくのをうれしく思えば思うほど、勘三郎さんの不在が残念でなりません。追善公演とは本当にうれし悲しいものですね。勘三郎さん、もう十三回忌。勘三郎が見れなかった年月。でも、コロナで舞台がない時間をすごしていたら一体どうなってたんだろうと思うので、天国にいた方が楽か、きっと見てくださっていると思ったり。しかし十三回忌はひと区切りですね…

 

【新版歌祭文】

 まず、鶴松さんがお光役でチラシの右端に名前があるのを見た時、涙があふれて
目に焼き付けたいと都合4度拝見しました。

 最初、のれんから顔を出すと、若さと美しさで舞台がぱっと明るくなり、「待ってました!」「中村屋!」と心で精いっぱい声かけてましたよ。

 出てきたときの浮かれようがたまらなく愛らしい💗超速大根千切り
「おめでとうございま~す、本日倍速で切らせて頂いておりま~す!」って感じでした笑
(チャリ場として、ムダにうますぎるのをもっと笑ってもいいのかもしれません)

 お久さんに会ってからの慌てよう、ビビビビビ~

 覚悟をしてからの様子、二人を見送る様子
 全てに素直なお光ちゃんの純粋さ、ひたむきさが溢れていました。

 あの短時間で浮かれおみっちゃんから、いたいけな聖女おみっちゃんへ変化していくのが凄くて、でも説得力があって、前半の無邪気というのが後半の説得力に重要なんだと発見しました。

 

 児太郎のお久のお嬢さんの落ち着き、色気、ガタイの良ささえ「ご立派なとうさん」という感じです。七之助の久松のダメ色男っぷりがまた良くて、この二人の絡みを目の当たりにしておみっちゃんが諦めるしかないという気持ちになることの説得力が増します。

 いつまでも見送るおみっちゃん、姿が見えなくなってからの長い間、途中チャリ場がはいったりしてちょっとガチャガチャした空気になりますが、鶴松さんはそこにたたずんでいるだけで、見事に観客の集中を戻し、おみっちゃんに心情に再度移入し、どうしようもない胸が詰まる気持ちになる間を与えます。
 そして、彌十郎さんのととさんのおみっちゃんへの愛情。おみっちゃんが呆然と数珠を落とします、落とした数珠を寄り添うようにゆっくり拾って優しく手に握らせる、そこでおみっちゃんが我に返って、張ってた心が折れ、トトさんにしがみついて泣き崩れる。

 それを優しくよしよしする彌十郎さんに涙腺崩壊でした。

 あんなに劇場あちこちですすり泣いてる野崎村ってあったでしょうか。
 この年になったらおみっちゃんになってっていうよりトトさんのやるせない気持ちに泣けるというか、彌十郎さんに泣かされました。

  あの長い間を堂々取る鶴松さんの度胸と役者魂に改めて感銘しました。この人は役者だわ、お芝居好きだわ、それに芝居心があるわ。その芝居にぴったり合わせて、泣かせる彌十郎さんに感謝ですね。

 毎回全力でお光ちゃんをなさっており、今後、平成中村座でも出して、あたり役として育てていける演目ではないかと思いました。

 

長くなったので、籠釣瓶は次回に