文楽もめでたく再開しました。千穐楽の一部、二部に行ってきました。

 

「寿二人三番叟」

よろこびありや~、よろこびありや~と、文楽がまた見れる喜びをかみしめました。

ほんとに明るくのびやかで、元気みなぎる人形の熱演で、コロナで鬱々として気をぱっと祓っていただき、お笑いもあり、気持ちが晴れ晴れしました。三番叟とはまさにこういうためにあるものなんだなとしみじみ実感しました。文楽再開にまさにぴったりの演目です。

 

「嫗山姥」こもちやまんば

八重桐を使う桐竹勘十郎さんのありとあらゆる技を拝見しました。

千歳太夫さんが荒唐無稽のお話を艶っぽい場面から、大笑いの場面、切腹、最後は鬼になるところまで、語り尽くす。あっという間の時間でした。いや~エンタメです。でも、お二人の力がなければ、こんな幅のある話、痛快に楽しめるものではないのでしょう。本当にいいもの拝見しました。

 

「鑓の権三重帷子」

 初めて見ました。近松門左衛門って、どんなワル?って思うほど、無茶苦茶いじわるな話です。

 主人公の権三は、茶道の一子相伝を教えてほしくて、すでにお雪という良い仲の相手がいながら、おさゐという茶人の奥様に娘のお菊の婿になったら教えることができるといわれれ、ホイホイ結婚を約束する。

 また、おさゐは権三に実はお菊という決まった相手がいることを知り、母であるのにまるで娘本人のように怒り狂います。若くて色気のあるおさゐは若い権三相手に疑似恋愛というか、自分と娘との境界線がなくなるというか、ここぞとばかりになじります。この辺の女性の深い心理をいやらしいほどあぶりだしています。

 そして、怒りが怒りをエスカレートさせるというか、なにかに憑かれたようにお菊からもらったという権三の帯を奪い、自分の帯を解いて渡すという、尋常な心理では考えられない行動にでます。

 それをおさゐのもとへ忍びこもうとしていた、権三のライバルでおさゐに横恋慕をしている伴之丞に目撃され、庭に投げられた帯を拾い、「市之進の女房と笹野権三の不義密通、この帯が証拠。岩木忠太兵衛に知らせる」となります。

 二人の間に不義はなかったものの、もう言い逃れはできないと悟った二人は屋敷をあとにします。

 

 江戸から戻った、おさゐの夫、市之進は、武士として、嫁のおさゐと権三を成敗しなければならず、妻敵討(めがたきうち)に出立します。「伏見京橋妻敵討の段」の始まりの調べは賑やかなリズムにかかわらず、なんか不穏な旋律ではじまります。そこから盆踊りが始まります。前景では男女二人、後景の太鼓橋の上でもたくさんのお人形さんが踊る、これから起こる悲劇をかえって恐れさせる、素晴らしい演出です。権三とおさゐは京の伏見まで逃れてきていました。町は盆踊りで浮かれる人々であふれています。橋の下で権三とおさゐは自分の浅はかさと申し訳なさを嘆いていますが死ぬ覚悟はできています。そこへ、夫の市之進があらわれ橋の上から橋の下にいる二人を見つけます。橋の下に駆け付け、仇討ちを果たします。

 この祭囃子に合わせて踊る群衆と対象的な悲劇的な最後のシーンのコントラストと演出が、もう、痺れます。近松のいじわるさも、この美しさのためだったのね、という、近松のデカダントな部分が震えます。

 

https://www.ntj.jac.go.jp/topics/kokuritsu/2020/922.html

 

 

昔の傑作発見。

文雀さんがおさゐ、蓑助さんが権三、権左の竹本三輪太夫がすばらしい。