これから、どんな人生の結末を迎えるのか、自分の人生はどうなっていくのか・・・。
あなたならどんな結末だと思いますか?自分の人生の結末を想像できますか?
あなたならどんな結末だと思いますか?自分の人生の結末を想像できますか?
窓を開けると久しぶりに太陽の光が差してきた。眩しさに目を細めながら空を見上げた。溢れるような光の前では覆いつくせないと分かっていながら、眩いばかりの太陽の光に手を翳した。
すでに夏の盛りの時を過ぎて、灼熱の太陽の季節が終わりに近づいている。今年の夏は猛暑だといっていたわりには、次々にやって来る台風の影響なのか、どんよりした日が多かった。(とは言え、自分が住んでいる地域ではほとんど台風が避けて通るけれど)
この町に住むようになって十年近くになる。
惨憺たる結婚生活に見切りをつけて離婚してから、前の職場の退職金と兄の援助で新しい生活を始めたのだ。
仕事が見つかるまで職業安定所に通った。三ヶ月ほどして今の職場で面接を受け、数日後には働きだす。
働けど働けど、一向に暮らしは楽にならなくて余裕はなかった。二度ほど会社の危機が訪れ、あわや倒産寸前だったこともあった。いい仕事でも見つかれば、さっさとこの職場を去ることができたかもしれないが、現実にはそうならなかった。この仕事にしがみつくしかないのだ。
今日も朝から疲労気味だ。
バス停に着いた私は、どうにか間に合ったとほっと息を吐く。
バックの紐が肩に食い込むような気がする。
余裕を持って職場に着いて、おはようございますと誰彼となく挨拶を交わす。下駄箱に靴を入れてから階段を上る。半場でもう息を切らせて手スリを掴む・・・とまでは行かないまでもちときつい。どうにかこうにか階段を上りきる。
「おはよう!」
「おはようー」
気の合う同僚と笑顔で挨拶を交わす。彼女も同じく、離婚経験者である。次に出くわしたのは、六十をわずかに過ぎてもなおバリバリに元気な女性だ。その女性よりずっと若い私だが、彼女のバイタリティーには叶わないだろう。その女性はそこにいるだけで、職場の雰囲気がぱっと明るくなる。
何処の職場でも一緒で、人間関係は難しいけれど、そこは折り合っていくしかない。とは言え、人間ですからそう簡単にはいかないようで・・・。
「絶対、やめてやる。こんなとこ!」
「おー出たー。お得意のやめてやるーが・・・。これで何度目よ」
簡単に辞めると連発する人ほど信用のならないものだ。そういう人ほどそこに執着ししがみつく傾向にある。
本当にその気があるのならさっさと辞めているでしょうし・・・。いつ辞めるの?今でしょっ!ってな具合に・・・。
「さあさあ、機嫌を直してよ。ほら、朝礼の時間よ」
この職場では騒ぎ立てる人もいれば、それを上手く事を収める人もいる。まあ、無関心な人っていうのも一番たちが悪い。中にはその場の雰囲気に溶け込めない人もいる。そういう人は孤立しやすいから、これもまたとても厄介な存在かもしれない。
自分自身に自信が持てなかったこの私が、どうにかこの場所に馴染み働いているというのも奇跡に近い。そう言うと少し大げさすぎるかもしれないが・・・。
ここに入った当初は、ベテランのパートさんがたくさんいて、慣れない仕事であろうとこのことぐらいできないのと容赦ない言葉を浴びせられた。ベテランにとっては簡単な事でも、新参者の私にとっては大変な事だった。今でこそどうにかこなせるようになったものの、あの頃はいつも、また同じ失敗しないだろうかとびくびくし、もう少し頭のいい人間になれたらと、何度思ったことだろう。上手く立ち回れない自分に苛立ちながら・・・。
今もこれからも、人生に不安を抱きつつ、この職場で私は働き続ける事になるだろうか・・・。この職場で働き始めた当初より、ずいぶんたくさんの人が辞めたり辞めさせられたりしている。私は嫌でもここにしがみつくしかない。首にならない限りは・・・。
すでに夏の盛りの時を過ぎて、灼熱の太陽の季節が終わりに近づいている。今年の夏は猛暑だといっていたわりには、次々にやって来る台風の影響なのか、どんよりした日が多かった。(とは言え、自分が住んでいる地域ではほとんど台風が避けて通るけれど)
この町に住むようになって十年近くになる。
惨憺たる結婚生活に見切りをつけて離婚してから、前の職場の退職金と兄の援助で新しい生活を始めたのだ。
仕事が見つかるまで職業安定所に通った。三ヶ月ほどして今の職場で面接を受け、数日後には働きだす。
働けど働けど、一向に暮らしは楽にならなくて余裕はなかった。二度ほど会社の危機が訪れ、あわや倒産寸前だったこともあった。いい仕事でも見つかれば、さっさとこの職場を去ることができたかもしれないが、現実にはそうならなかった。この仕事にしがみつくしかないのだ。
今日も朝から疲労気味だ。
バス停に着いた私は、どうにか間に合ったとほっと息を吐く。
バックの紐が肩に食い込むような気がする。
余裕を持って職場に着いて、おはようございますと誰彼となく挨拶を交わす。下駄箱に靴を入れてから階段を上る。半場でもう息を切らせて手スリを掴む・・・とまでは行かないまでもちときつい。どうにかこうにか階段を上りきる。
「おはよう!」
「おはようー」
気の合う同僚と笑顔で挨拶を交わす。彼女も同じく、離婚経験者である。次に出くわしたのは、六十をわずかに過ぎてもなおバリバリに元気な女性だ。その女性よりずっと若い私だが、彼女のバイタリティーには叶わないだろう。その女性はそこにいるだけで、職場の雰囲気がぱっと明るくなる。
何処の職場でも一緒で、人間関係は難しいけれど、そこは折り合っていくしかない。とは言え、人間ですからそう簡単にはいかないようで・・・。
「絶対、やめてやる。こんなとこ!」
「おー出たー。お得意のやめてやるーが・・・。これで何度目よ」
簡単に辞めると連発する人ほど信用のならないものだ。そういう人ほどそこに執着ししがみつく傾向にある。
本当にその気があるのならさっさと辞めているでしょうし・・・。いつ辞めるの?今でしょっ!ってな具合に・・・。
「さあさあ、機嫌を直してよ。ほら、朝礼の時間よ」
この職場では騒ぎ立てる人もいれば、それを上手く事を収める人もいる。まあ、無関心な人っていうのも一番たちが悪い。中にはその場の雰囲気に溶け込めない人もいる。そういう人は孤立しやすいから、これもまたとても厄介な存在かもしれない。
自分自身に自信が持てなかったこの私が、どうにかこの場所に馴染み働いているというのも奇跡に近い。そう言うと少し大げさすぎるかもしれないが・・・。
ここに入った当初は、ベテランのパートさんがたくさんいて、慣れない仕事であろうとこのことぐらいできないのと容赦ない言葉を浴びせられた。ベテランにとっては簡単な事でも、新参者の私にとっては大変な事だった。今でこそどうにかこなせるようになったものの、あの頃はいつも、また同じ失敗しないだろうかとびくびくし、もう少し頭のいい人間になれたらと、何度思ったことだろう。上手く立ち回れない自分に苛立ちながら・・・。
今もこれからも、人生に不安を抱きつつ、この職場で私は働き続ける事になるだろうか・・・。この職場で働き始めた当初より、ずいぶんたくさんの人が辞めたり辞めさせられたりしている。私は嫌でもここにしがみつくしかない。首にならない限りは・・・。
このごろ良く懐かしい故郷の情景が浮かんできて恋しくなる。
故郷は見渡す限り田んぼだらけで長閑な農村地だった。
農繁期になると、親戚や近所の人たちが手伝いに来て汗して田を耕す。そういう時が一番楽しみだった。人が集まればご馳走にありつける。昼時になると、お重箱に詰めたおにぎりと黄色い沢庵、それを皆で頬張るのだ。その時の美味しさといったら・・・。本当に格別だった。夜にはちょっとした宴会が始まる。だが、それはもう昔の事、自分の小さい頃の話だ。
幼稚園の頃、実家はまだ藁葺き屋根に住んでいた。大きな藁葺き屋根の家だったかどうかは定かではない。本家だったからそれなりの構えではあったように思う。あまりに曖昧な記憶でしかないけれど・・・。
夏になると蚊取り線香を焚いて蚊帳の中で眠った。嵐の夜は強い雨風で雨戸がカタカタと音を立てる。梅雨になると土間まで雨水が入ってきて、下駄がぷかぷかと浮かんでいたこともあったっけ・・・。冬も寒くて隙間風が入ってくるし・・・。厠は外にあるから大変だった。そこへ辿り着く前にお漏らししそうで・・・。
小学校の頃には藁葺きの家を壊して、光沢のある青い瓦の屋根で二階建ての新しい家を建てた。豪邸とまでは言わないまでもかなり広い家だった。
子供部屋は二階にあり、そこから見える風景は格別だった。屋根伝いに屋根の一番高いところまでいける。そこから陽が沈むのをじっと眺めるのが好きだった。そこは想像の翼を広げる格好の場所でもあった。
瓦は青く光沢があって陽に当たるときらきらと光る。晴れた日も空に負けずコバルトブルー、めずらしい瓦ではないかなと思うが、今もって良く分からない。
家の裏にはめずらしい蔵がある。そこは格好の遊び場であり、かくれんぼにはもってこいだ。蔵の横には米を保存する建物があり、その後ろには大きな柿の木がある。木によじ登り、枝に乗って柿をとって食べる。風が吹きぬけていくのを感じながらかぶりついた。その向こうに背の高い木(何と言う木かは分からない)があった。オレンジ色の空を背にして、まっすぐに伸びたその姿がくっきりと浮かび上がる。その向こうには空だけが広がっているだけだ。
家の裏には蔵や米の貯蔵庫の他に、家畜用の小屋があった。小さい頃には牛と馬がいたが、農作業の為に飼われていた。ちょっと怖かったが、餌をやる手伝いをしたことがある。
そういえば裏口の傍には鶏小屋があった。鶏を育てて卵を産ませるだけでなく、成長した鶏自体を殺して食べるのだ。ある時、父親が鶏を食べる為に殺す場面を見ることになった。私も、姉もそれを見たショックで、しばらくは鶏肉を食べることができなくなった。今では、平気で鶏肉を食べているが、時々親子丼を食べる時には皮を口にする感触だけは少しだけ抵抗がある。不思議な事に唐揚げだと平気というのも矛盾していると思うけれど・・・。
敷地内には柿木、枇杷の木、梅の木、他に木苺の木があったような気がする。梅の木の傍に池があって、縁側から梅の花を眺めることができ、庭には季節の花が咲いていた。こうしてみるといい環境の中で育ったんだと改めて思う。
小学校は家のすぐ目と鼻の先にあって、子供の声やチャイムがすぐ間近に聞えほどの距離しかなかったから、通学するという感覚はあまりなかったかもしれない。
幼稚園も小学校の校庭に面した場所にあり、運動会は小学校と合同で行われていた。遊具もほとんど小学校の校庭にあり、小学生が幼稚園児と遊ぶことも珍しくなかった。
体育の日には町対抗の運動会が行われて、周辺地域の人たちがこぞってやってくる。娯楽の少なかった頃、大人も子供もこうした行事が何より楽しみだった。運動会の時は、足だけは速かったからよくリレーの選手に選ばれた。勉強は苦手だったけれど、体動かすことが大好きだった。
この頃は自分に自信が持てずに何に対しても積極的になれなかった。今、小学校の頃に戻れるとしたら、もっと勉強をして自分に自信を持てるようになりたい。頭が良かったら、もっと勉強して今とは違う生き方ができたかもしれないと思うことがある。
人には時期というものがある。小さい頃にはできなかった事でも、年齢を重ねてようやく花をつけ実を結ぶことができる。遅咲きの花という言葉があるように、すぐには実現できなくても、人は強く願えば変われるはずだ。
懐かしい故郷の風景、それはほとんど曖昧な記憶だ。
今故郷へ帰っても昔のままではない。大好きだった二階から見る風景もすっかり変わってしまっている。蔵も壊され、飼育小屋もなく馬や牛もいない。前方に見えるのは中学校、見慣れぬ家々、マンションや高いビル。
視線を落とすと、父だけのパラダイスであるレンガ造りの建物がある。他の人にはガラクタでも、父にとっては宝物がそこに眠っているのだ。父も母も、なかなか物を捨てられない性格だ。ふたりともたぶん物に対する執着心が強いからだろう。悲しいことにその遺伝子を私も引き継いでいるようだ。
今は実家に兄夫婦と甥が住んでいて、甥は田畑の世話をしている。数ヶ月前に父が肺炎で入院したあと、リハビリを兼ねて施設で療養する事になった。なかなか定職につかなかった甥も、本腰を入れて農業をやる気のようだ。甥のことを考えると人生って分からないものだと思う。
おーっと、甥のことを心配している場合ではない。離婚して一人で生きていかなければならない私の人生もまだまだ続いていくのだ。
暮らしが楽であればどんなにいいだろうか、現実は厳しいことだらけでこの先のことを考えると不安でたまらない。それでも働いて暮らしを立てていかなければ・・・。
三人の子供たちはすでに自立して自分の人生を生きている。余裕の無い私にできるのは、ただ子供たちに迷惑をかけないようにすることだけだ。
貯金もない、財産となるようなものは何一つも持っていない。仕事はきついわりには、時間給も低い職場で働いているからお金など貯まるわけがない。
この先、消費税が十パーセントに値上がりするかもしれないらしい。物価は上がり放題な上に消費税アップなんて、冗談じゃないわよ!と、言ったところで現実は変わらない。
食べて生きていくだけで精一杯、いい人生を生きているという自信もない。好きな事をして生きていけるのならどんなにいいだろうか・・・。
故郷は見渡す限り田んぼだらけで長閑な農村地だった。
農繁期になると、親戚や近所の人たちが手伝いに来て汗して田を耕す。そういう時が一番楽しみだった。人が集まればご馳走にありつける。昼時になると、お重箱に詰めたおにぎりと黄色い沢庵、それを皆で頬張るのだ。その時の美味しさといったら・・・。本当に格別だった。夜にはちょっとした宴会が始まる。だが、それはもう昔の事、自分の小さい頃の話だ。
幼稚園の頃、実家はまだ藁葺き屋根に住んでいた。大きな藁葺き屋根の家だったかどうかは定かではない。本家だったからそれなりの構えではあったように思う。あまりに曖昧な記憶でしかないけれど・・・。
夏になると蚊取り線香を焚いて蚊帳の中で眠った。嵐の夜は強い雨風で雨戸がカタカタと音を立てる。梅雨になると土間まで雨水が入ってきて、下駄がぷかぷかと浮かんでいたこともあったっけ・・・。冬も寒くて隙間風が入ってくるし・・・。厠は外にあるから大変だった。そこへ辿り着く前にお漏らししそうで・・・。
小学校の頃には藁葺きの家を壊して、光沢のある青い瓦の屋根で二階建ての新しい家を建てた。豪邸とまでは言わないまでもかなり広い家だった。
子供部屋は二階にあり、そこから見える風景は格別だった。屋根伝いに屋根の一番高いところまでいける。そこから陽が沈むのをじっと眺めるのが好きだった。そこは想像の翼を広げる格好の場所でもあった。
瓦は青く光沢があって陽に当たるときらきらと光る。晴れた日も空に負けずコバルトブルー、めずらしい瓦ではないかなと思うが、今もって良く分からない。
家の裏にはめずらしい蔵がある。そこは格好の遊び場であり、かくれんぼにはもってこいだ。蔵の横には米を保存する建物があり、その後ろには大きな柿の木がある。木によじ登り、枝に乗って柿をとって食べる。風が吹きぬけていくのを感じながらかぶりついた。その向こうに背の高い木(何と言う木かは分からない)があった。オレンジ色の空を背にして、まっすぐに伸びたその姿がくっきりと浮かび上がる。その向こうには空だけが広がっているだけだ。
家の裏には蔵や米の貯蔵庫の他に、家畜用の小屋があった。小さい頃には牛と馬がいたが、農作業の為に飼われていた。ちょっと怖かったが、餌をやる手伝いをしたことがある。
そういえば裏口の傍には鶏小屋があった。鶏を育てて卵を産ませるだけでなく、成長した鶏自体を殺して食べるのだ。ある時、父親が鶏を食べる為に殺す場面を見ることになった。私も、姉もそれを見たショックで、しばらくは鶏肉を食べることができなくなった。今では、平気で鶏肉を食べているが、時々親子丼を食べる時には皮を口にする感触だけは少しだけ抵抗がある。不思議な事に唐揚げだと平気というのも矛盾していると思うけれど・・・。
敷地内には柿木、枇杷の木、梅の木、他に木苺の木があったような気がする。梅の木の傍に池があって、縁側から梅の花を眺めることができ、庭には季節の花が咲いていた。こうしてみるといい環境の中で育ったんだと改めて思う。
小学校は家のすぐ目と鼻の先にあって、子供の声やチャイムがすぐ間近に聞えほどの距離しかなかったから、通学するという感覚はあまりなかったかもしれない。
幼稚園も小学校の校庭に面した場所にあり、運動会は小学校と合同で行われていた。遊具もほとんど小学校の校庭にあり、小学生が幼稚園児と遊ぶことも珍しくなかった。
体育の日には町対抗の運動会が行われて、周辺地域の人たちがこぞってやってくる。娯楽の少なかった頃、大人も子供もこうした行事が何より楽しみだった。運動会の時は、足だけは速かったからよくリレーの選手に選ばれた。勉強は苦手だったけれど、体動かすことが大好きだった。
この頃は自分に自信が持てずに何に対しても積極的になれなかった。今、小学校の頃に戻れるとしたら、もっと勉強をして自分に自信を持てるようになりたい。頭が良かったら、もっと勉強して今とは違う生き方ができたかもしれないと思うことがある。
人には時期というものがある。小さい頃にはできなかった事でも、年齢を重ねてようやく花をつけ実を結ぶことができる。遅咲きの花という言葉があるように、すぐには実現できなくても、人は強く願えば変われるはずだ。
懐かしい故郷の風景、それはほとんど曖昧な記憶だ。
今故郷へ帰っても昔のままではない。大好きだった二階から見る風景もすっかり変わってしまっている。蔵も壊され、飼育小屋もなく馬や牛もいない。前方に見えるのは中学校、見慣れぬ家々、マンションや高いビル。
視線を落とすと、父だけのパラダイスであるレンガ造りの建物がある。他の人にはガラクタでも、父にとっては宝物がそこに眠っているのだ。父も母も、なかなか物を捨てられない性格だ。ふたりともたぶん物に対する執着心が強いからだろう。悲しいことにその遺伝子を私も引き継いでいるようだ。
今は実家に兄夫婦と甥が住んでいて、甥は田畑の世話をしている。数ヶ月前に父が肺炎で入院したあと、リハビリを兼ねて施設で療養する事になった。なかなか定職につかなかった甥も、本腰を入れて農業をやる気のようだ。甥のことを考えると人生って分からないものだと思う。
おーっと、甥のことを心配している場合ではない。離婚して一人で生きていかなければならない私の人生もまだまだ続いていくのだ。
暮らしが楽であればどんなにいいだろうか、現実は厳しいことだらけでこの先のことを考えると不安でたまらない。それでも働いて暮らしを立てていかなければ・・・。
三人の子供たちはすでに自立して自分の人生を生きている。余裕の無い私にできるのは、ただ子供たちに迷惑をかけないようにすることだけだ。
貯金もない、財産となるようなものは何一つも持っていない。仕事はきついわりには、時間給も低い職場で働いているからお金など貯まるわけがない。
この先、消費税が十パーセントに値上がりするかもしれないらしい。物価は上がり放題な上に消費税アップなんて、冗談じゃないわよ!と、言ったところで現実は変わらない。
食べて生きていくだけで精一杯、いい人生を生きているという自信もない。好きな事をして生きていけるのならどんなにいいだろうか・・・。
私の物語はこれからも続いていく。
しかし、これから先のストーリーは語られることはない。
最後にハッピーエンドで終わるのが一番いいけれど、今を生きている私にはその結末は予想できない。
私は、現実には存在しない、想像の産物でしかない。
好き勝手に動きまわって、好きなようにしゃべるこの世界の住人に過ぎない。
このストーリーの中でしか生きられない存在なのだ。
これから先は、あなたが想像の翼を広げて、この物語の続きを完成させてみてください。
しかし、これから先のストーリーは語られることはない。
最後にハッピーエンドで終わるのが一番いいけれど、今を生きている私にはその結末は予想できない。
私は、現実には存在しない、想像の産物でしかない。
好き勝手に動きまわって、好きなようにしゃべるこの世界の住人に過ぎない。
このストーリーの中でしか生きられない存在なのだ。
これから先は、あなたが想像の翼を広げて、この物語の続きを完成させてみてください。
これから、どんな人生の結末を迎えるのか、自分の人生はどうなっていくのか・・・。
あなたならどんな結末だと思いますか?自分の人生の結末を想像できますか?
あなたならどんな結末だと思いますか?自分の人生の結末を想像できますか?
