もう、山道をどのくらい歩いただろうか・・・。ヒールはそれほど高くはない靴を履いているのに、だんだん足が痛くなってきた。
五年も付き合っていた彼の車から飛び出し、後先考えずに歩いていた私に、冷たい小雨が降り始めた。
一台の車が横を走り抜けていく。人気もないこの山の中に一人歩いているのを見ても誰も気にも留めない。恨めしげに空を見上げ深い溜息を吐く。
あきらめ気味に歩き出したとたん、前方からさっき走り去った車が戻ってきた。
「乗りなさい。すぐに雨がひどくなる。こんな山奥でたった一人歩くなんて気でも触れたか?」
男の口調は冷たく、冷えたからだが余計に酷くなりそうだ。怒りが込み上げてきそうだった。こんな目に合わせた彼氏への怒りを、無関係の人間にぶつけるのは間違いなのに・・・。
「大丈夫です」顔を背けたまま答える。
「この分だと土砂降りになる。宿泊先まで徒歩では何時間もかかると思うが、傘もなくずぶ濡れになっても構わないのか?」
男の言う通り大粒の雨が降り出した。男は苛立った様子で助手席のドアを開けて命令口調で言った。
「迷っている暇は無い。さっさと乗るんだ」
男の声に気圧されて、慌てて車に乗り込んだとたん、激しい勢いで雨が降り出す。
男は後ろの席にあったタオルを取ると差し出した。頭を軽く下げタオルを受け取って髪を拭いた。服は雨で濡れて重たく感じられる。男はその様子をじっと眺めて目を細める。
「この辺は民家から離れていて、この道はほとんど人が通らない。車の通りもこの時間になるとほとんどない。私がこの道を走ってきたが、一台の車ともすれ違った覚えもない。どのくらい歩いていたんだ?いったい何処へ行くつもりだったのか・・・。理解に苦しむよ」
自分が何故ここにいるのか、どう説明したらいいのかわからない。何も言えずタオルで濡れた服を拭きながら視線を落としている。男は答えるつもりがないのだと判断した。
「私はこの先のホテルに予約している。君はどうする・・・」
「え?」
「何処へ行くつもりか知らないが・・・。とりあえず、私が宿泊するホテルに、君の部屋を予約するかい?」
彼は私を見つめている。私は息苦しさを感じて目を逸らす。男の視線は私を戸惑わせる。
「ご迷惑でなければ、お願いできますか?」
男は返事の代わりに車を発進させた。ハンドルを握る手、ハンドルを操る確かな腕、白いシャツから覗く陽に焼けた肌。会ったばかりの彼を意識するのは可笑しいかもしれない。助けてくれた男の顔をまともに見ていなかったが、よそよそしくどこか人を寄せ付けない精悍な横顔だ。
雨はまだ降り続いている。ただワイパーの音だけが二人の間に流れ、雨が滝のように窓を伝い落ちる。近く、あるいは遠く霧の中で山々が見え隠れする。ライトが進む先を照らして、雨を弾き飛ばしながら辺りに目立つ明かりもない道を進んでいく。
お互いにそれぞれの思いの中にいる。それでも、お互いにどこかで意識している。偶然に出合った二人だが、余計な言葉など必要なかった。この出会いはお互いの人生が交差した一瞬に過ぎない。目的地に着けば、それから先お互いに関わる事などないに違いない。それをお互いに分かっている。
「さあ、着いたよ」車はゆっくりと止まった。
「有難うございました」車を降りて男に向って頭を下げた。
フロントへ向う彼の後についていく。気のせいだと自分に言い聞かせながら、私は彼の背中だけを見つめていた。落ち着かなかった。車を降りた時から、誰かから見られているような気がしていた。
「これが君の鍵だ。それでは・・・失礼」
「あの・・・」
「ん?」彼は振り返る。
「あなたの名前は・・・」
「もう会うこともないのだから名前など聞く必要はない」
「御礼もしていないし・・・」
「困っている君を、通り道だから乗せただけだ。心ある人なら置き去りにしたりはしないだろう」
彼はすぐさま私に背を向けると行ってしまった。もう二度と会うこともない、彼はそう結論付けたのだろう。私もそれ以上言う言葉も見つからず自分の部屋へと向った。
次の日。私はフロントで助けてくれた男がプロゴルファーだと聞かされた。
「ご存じなかったのですか?」
「ええ・・・」
彼は私の宿泊代まで払っていったのだ。こんなことまでする筋合いではないのに、宿泊代が払えない場合を考えてくれたのだと。
「その方のお名前は?」
「結城慎弥プロです。試合がこの近くのゴルフ場であるはずです。お会いになりたければついでに試合を見に行かれたらいかがですか」フロントの女性は親切に教えてくれた。
昨日は、五年間付き合ってきた彼氏と旅行に行くところだった。だが、彼氏の携帯に女性からかかってきた。何気なく携帯を取った私はその時、自分が付き合ってきた男が自分を騙していた事を知ってしまった。そして、言い合いになり彼氏の顔面を拳で殴り、挙句の果てに捨て台詞を吐き捨てて車を降りたのだ。それっきり、彼氏からの連絡も、彼氏が追いかけてくる事もなかった。
車を飛び出した後、自分の荷物は車に積んだままだったと気付く。幸いな事に貴重品が入ったバックだけは持ってきていた。心のどこかで、自分を追いかけてきてくれる事を期待しいた。だが、いくら待っても無駄だった。
もし、結城が車で通りがからなかったらどうなっていたか分からない。だからこそ、彼にお礼をきちんとするべきだ。宿泊代も返さなければならない。結城に会う口実はいくらでもあるが、彼は私と会う理由などないと考えているかもしれない。でも、自分の気がすまない。
私はフロントの女性に勧められるまま、ホテルの車で彼の試合があるゴルフ場へと向かう。ゴルフ場についたものの来るべきではなかったと後悔した。
ゴルフ場はギャラリーで溢れかえっている。プロゴルファーもたくさんいる中でどうやって彼を見つけたらいいのだろうか・・・。
私はギャラリーの中に混じって彼の姿を見つけようとしていた。ゴルフ場にきたこともなく、どう試合を観戦したらいいのかさえわからない。ゴルフのことなどまったく分からない、ルールさえも理解できないのに・・・。
ゴルフ場のスタッフ同士で、ゴルフボールを手にして話をしているのを耳にした。
「これ、田辺選手のOBしたボールよ。昨日は探してあげたんだけど、見つからなかったからすみませんって平謝りよ」
「見つからないときもあるわよ。ロストボールなんてめずらしくない。でも、何で、そのボールが田辺選手のだって分かるの」
「捜したんだって、私にきつく言い過ぎたといって、このボールをくれたの。嬉しかったな・・・。だって私彼のファンだもの」
ロストボールとは、紛失球のことだろうか・・・。二人の会話から想像するとそういうことなのだろう。私は思わず苦笑いを浮かべた。結城にとって私との出会いはロストボールと同じではないか・・・。考えてみればゴルフボールが池に落ちるシーンをスポーツニュースか何かで見たことがある。池に落ちたボールをわざわざ探す事もないではないか・・・。新しいボールでやり直せばいいだけのこと・・・。
風が吹きぬけていく、さわやかな風だ。そう、私は彼にとってそのロストボールに過ぎない。
「有難うございました」車を降りて男に向って頭を下げた。
フロントへ向う彼の後についていく。気のせいだと自分に言い聞かせながら、私は彼の背中だけを見つめていた。落ち着かなかった。車を降りた時から、誰かから見られているような気がしていた。
「これが君の鍵だ。それでは・・・失礼」
「あの・・・」
「ん?」彼は振り返る。
「あなたの名前は・・・」
「もう会うこともないのだから名前など聞く必要はない」
「御礼もしていないし・・・」
「困っている君を、通り道だから乗せただけだ。心ある人なら置き去りにしたりはしないだろう」
彼はすぐさま私に背を向けると行ってしまった。もう二度と会うこともない、彼はそう結論付けたのだろう。私もそれ以上言う言葉も見つからず自分の部屋へと向った。
次の日。私はフロントで助けてくれた男がプロゴルファーだと聞かされた。
「ご存じなかったのですか?」
「ええ・・・」
彼は私の宿泊代まで払っていったのだ。こんなことまでする筋合いではないのに、宿泊代が払えない場合を考えてくれたのだと。
「その方のお名前は?」
「結城慎弥プロです。試合がこの近くのゴルフ場であるはずです。お会いになりたければついでに試合を見に行かれたらいかがですか」フロントの女性は親切に教えてくれた。
昨日は、五年間付き合ってきた彼氏と旅行に行くところだった。だが、彼氏の携帯に女性からかかってきた。何気なく携帯を取った私はその時、自分が付き合ってきた男が自分を騙していた事を知ってしまった。そして、言い合いになり彼氏の顔面を拳で殴り、挙句の果てに捨て台詞を吐き捨てて車を降りたのだ。それっきり、彼氏からの連絡も、彼氏が追いかけてくる事もなかった。
車を飛び出した後、自分の荷物は車に積んだままだったと気付く。幸いな事に貴重品が入ったバックだけは持ってきていた。心のどこかで、自分を追いかけてきてくれる事を期待しいた。だが、いくら待っても無駄だった。
もし、結城が車で通りがからなかったらどうなっていたか分からない。だからこそ、彼にお礼をきちんとするべきだ。宿泊代も返さなければならない。結城に会う口実はいくらでもあるが、彼は私と会う理由などないと考えているかもしれない。でも、自分の気がすまない。
私はフロントの女性に勧められるまま、ホテルの車で彼の試合があるゴルフ場へと向かう。ゴルフ場についたものの来るべきではなかったと後悔した。
ゴルフ場はギャラリーで溢れかえっている。プロゴルファーもたくさんいる中でどうやって彼を見つけたらいいのだろうか・・・。
私はギャラリーの中に混じって彼の姿を見つけようとしていた。ゴルフ場にきたこともなく、どう試合を観戦したらいいのかさえわからない。ゴルフのことなどまったく分からない、ルールさえも理解できないのに・・・。
ゴルフ場のスタッフ同士で、ゴルフボールを手にして話をしているのを耳にした。
「これ、田辺選手のOBしたボールよ。昨日は探してあげたんだけど、見つからなかったからすみませんって平謝りよ」
「見つからないときもあるわよ。ロストボールなんてめずらしくない。でも、何で、そのボールが田辺選手のだって分かるの」
「捜したんだって、私にきつく言い過ぎたといって、このボールをくれたの。嬉しかったな・・・。だって私彼のファンだもの」
ロストボールとは、紛失球のことだろうか・・・。二人の会話から想像するとそういうことなのだろう。私は思わず苦笑いを浮かべた。結城にとって私との出会いはロストボールと同じではないか・・・。考えてみればゴルフボールが池に落ちるシーンをスポーツニュースか何かで見たことがある。池に落ちたボールをわざわざ探す事もないではないか・・・。新しいボールでやり直せばいいだけのこと・・・。
風が吹きぬけていく、さわやかな風だ。そう、私は彼にとってそのロストボールに過ぎない。
