紫苑の扉 -15ページ目

紫苑の扉

主にストーリーと詩を書いています。
あるがままに、そのままに・・・。
徒然に気ままに

 新入社員の真新しいスーツ姿も馴染み始める五月に入った。美紗子も彼ら同様に新しい仕事に悪戦苦闘している。
 それにしても、いつも誰かに監視されている煩わしさといったら・・・。これは意識過剰でもおおげさでもない。売り場からいきなり高藤専務の秘書(もどき)に昇進した美紗子を誹謗中傷する社員がいるというのも事実である。
 秘書室で待機する他の秘書たちとは違い、役員の部屋にデスクを持つことが許されている秘書は数人しかいない。美紗子も他の秘書と秘書室に待機する立場であるのだが、会長の指示で槙野と高藤の部屋に在席させられている。そのことが他の秘書たちの不満を煽っているらしい。優秀な秘書である倉田でさえ秘書室で待機しているくらいだからそれも頷けるというものだ。
 偶然に倉田と顔を合わせた時、それは一瞬の事ではあったが、わずかに不快そうな表情が浮かんだ。しかし、倉田はすぐに体勢を立て直して、にこやかな笑みを浮かべて近づいてきた。美紗子は戸惑いながらもどうにか挨拶をする。
 倉田は社員の中では好印象をもたれて人気もある。長身で顔立ちも良く、物腰の柔らかなところや優秀な秘書である事も誰もが認める(?)ところである。
「がんばっているようだね」
「おかげさまで・・・」
「秘書同士、今度食事でもいかがかな?」
「はぁ・・・ええ。まあ、そうですね」
「連絡するよ」倉田は美紗子の肩を軽く叩くと歩き出す。
 美紗子は振り返り倉田の背中を見つめた。思わず笑いが込み上げる。所帯持ちだからといって食事するくらいどうという事もないが、おかしなことに少しも倉田の誘いに魅力を感じないのだ。親しい同僚がこのことを知ったら羨ましがられるかもしれないが、高藤や槙野が聞いたら目を剥くことだろう。

 会議が始まる前の準備の為、資料をコピーして会議室へ向う。会議が始まるまでに色々な準備をしなければならない。美紗子は一人でその準備をしていた。仕事にも慣れてきたが、少しも気が抜けない。他の秘書の目もあるし、これくらいの仕事もまともにできないのかと思われるのも癪だ。小さなミスでもそれ見たことかと、鼻で笑われて恥をかくのもごめんだ。それに、自分のミスで高藤に恥をかかせるわけにもいかない。
 今回は高藤デパート全店の幹部クラスが集まる会議だ。本当なら他の秘書たちもいっしょに準備をする事になっていたのだが、皆口裏を合わせたかのように姿を見せない。おそらくぎりぎりにならないと現れないに違いない。美紗子はあきらめの境地でひとり孤独な戦いをしていた。
 そろそろ時間だと時計に目を走らせる。すると案の定、男性秘書は颯爽と現れたかと思うと、念入りに化粧を施した女性秘書たちも、涼しい顔で現れて重役たちを席に案内している。まったく調子いいこと・・・。
 会議は予定より一時間延長されたが、全ての議案を消化して終了した。出席者は会議の後に食事会が予定されているホテルに向う。他の秘書たちはというと、出席者に紛れて出て行ってしまった。美紗子はひとりになるとがらんとした会議室を見回し溜息を吐いた。
 美紗子は自分が秘書であるという意識は薄い。ただこの状況に戸惑いながら、駆けずり回って雑用に追われている。そんな美紗子に対して、他の秘書たちからは高藤に取り入って秘書になったと思われている。里中や槙野以外は、美紗子が秘書になった経緯を知らないのだから無理もない。彼らにしてみれば、実力も無しに秘書になるなど許しがたいことだろう。
 美紗子が会議室を出ると里中が待ち構えていた。
「安藤さん、何をしているの」
「後片付けをしていました」
「まあ、誰がそんな事を・・・。あなたは清掃係じゃないんだからしなくてもいいのよ。他の人たちはホテルに集まっているわよ。さあ、急いでいくわよ」
「でも・・・」
「ごちゃごちゃ言わないでついてきなさい。まったく大人気ないお馬鹿な秘書どもだわ。誰もがあなたを蹴落とそうとやっきなんだから、まったく呆れてものが言えない。あなたも少しはあの人たちを見習いなさい。それぐらいでないと高藤専務の秘書は務まらないということよ、わかった?」
 里中にせかされて美紗子はホテルへ向かった。すでに食事会は始まっていていた。高藤デパート様という看板が大きく開かれた扉の前に立っている。中では社員たちが食事を楽しんでいて、ホテルのスタッフがせわしく接客しているのが見えた。中へ入ろうとする美紗子を里中が引きとめた。
「あなたはここじゃないわよ。もう少し先の会場で会長が痺れを切らせてお待ちよ。あなたはなんと言っても専務秘書なんだし、会長のお気に入りなんだから・・・。お馬鹿な他の秘書たちとは格が違う。このことを知ったらあの人たちどんな顔をするか見ものだわね」
 里中の言葉に美紗子はますます不安になる。これでは秘書たちの反感をますます煽るような気がする。美紗子はただ戸惑うばかりだ。高藤の秘書となったあの日から、美紗子にとって里中の言葉どおり災難ばかりだ。

 今まさに嵐の真っ只中に、いつ自分が投げ出されるか分からない状況置かれている。扉の向こうに何が待っているのか、美紗子は思わず拳を握り締めた。里中の後について中に入ると、そこは和やかな雰囲気に包まれていた。美紗子は思わず握り締めていた拳を緩めた。だが、二人を向かえたのは高藤会長の鋭い視線だった。
「ようやく現れたか・・・」
「遅れて申し訳ありません」
 二人は最後部の席に並んで座った。その場所からは顔ぶれが良く見え、美紗子は高藤会長と目が合った。
「安藤君、顔色が良くないね」
「この顔ぶれを見れば誰でも青ざめる。そうだろう?里中君」
 美紗子をからかうように高藤は言った。美紗子はそれに応えて弱々しい笑みを浮かべた。今の美紗子には高藤のジョークを上手くかわす余裕もなかった。
 普段は顔を合わせることなどない顔ぶれに美紗子は緊張を隠せない。取締役員に混じって、数人の秘書が同席している。不思議な事に、その中には倉田の姿はなかった。
 高藤の父親である高藤社長と会長の顔つきはさすがに良く似ている。だが、高藤社長は威圧的な父親と違って穏やかな人物に見える。ジュニアも顔が似てはいるが、二人とはまた違う雰囲気があるようだ。高藤社長は優しい眼差しを美紗子に向けていた。
「会長から安藤秘書の噂は聞いている。専務の秘書は大変だろう」
美紗子が自分の名前を呼ばれて戸惑っていると、高藤は父親にビールを注ぎながら言った。
「社長、それはどういう意味です」
「君の性格を良く分かっているからね、私は・・・」息子をからかうように言う。
「槙野さんがいらっしゃるので、大丈夫だと思います」里中がすかさず言った。
「里中君の言う通りだ。彼がついてくれているので、その点は安心しているがね」
「ありがとうございます。微力ながら戦力になるよう努力します。安藤も秘書になってまだ日が浅いので、戸惑う事もあると思います」」槙野はにこやかに応える。
「大変なようですが、彼女はとても努力家ですので、時期に慣れてくると思います」里中もホローする。
「皆の話を聞いていると、私はまるで問題児扱いですね。ひどいじゃないか・・・。安藤も何か言ってくれ。一人悪者になっているじゃないか」
 全員の目が美紗子に向けられる。自分が何か言わなければ収まりそうにないようだ。それにジュニアが気の毒になった。
「私が未熟なのでご迷惑をかけていると思いますが、槙野さんのアドバイスを受けながら早く仕事を覚えてお役に立てるよう努力します」
「焦らず、しっかりと仕事を覚え、専務を補佐できるようがんばってほしい」
 高藤社長の穏やかな微笑と柔らかな口調に美紗子は救われる思いがした。だが喜んでばかりもいられないと美紗子にも分かっていた。重要なポストにいる高藤社長のような立場の人間は、秘書として経験も皆無に等しい一女性社員に対しては寛容にはならない。まず美紗子のような経験の浅い部下は必要とされないだろう。
 自ら望んで高藤の秘書になったわけではなかったが、他の秘書たちは高藤に取り入ったと思っている。自ら望んだ事ではなかったと言ったところで誰が信じるだろうか。他の秘書たちが美紗子のような人間を容易く受け入れるはずもない。頭の痛いところだ。
 だが、考えてみると周囲の目を気にしすぎていないだろうか。他の秘書たちがどう考えようと、与えられた仕事をこなしていけばいいことだ。槙野から秘書としての姿勢を学び、多くのことを吸収していく努力が先ではないだろうか・・・。美紗子は気持ちを切り替えて今の自分と向き合っていこうと決心する。そう思うとすっと気持ちが楽になった。
 会食は和やかな雰囲気が続いていた。美紗子は次第にリラックスしてその場を楽しめるようになっていた。彼らの話に耳を傾けながら周りを見る余裕も出てきた。しかし、その余裕も会長の一言で吹き飛んでしまった。
「皆さん、楽しい会食会もお開きにしよう。最後の締めをする為に、あちらの会場に向う事にしよう」
 
 会長たちが姿を見せると、ざわめいていた会場が徐々に静かになっていく。会社のトップたちに混じって里中を含めた秘書たちも入り、美紗子は最後に会場へ入った。
 最初はできるだけ目立たないように入り口近くで待機するつもりだったのに、槙野から自分の後についてくるように促されて仕方なくその後に続いた。美紗子は槙野の後ろに隠れるように立った。
 席を離れて散らばっていた参加者たちは元の席に戻り、全員が前を向いて会長に注目した。
「皆さん食事会はいかがだったかな?私がこの場にいなかったからさぞ楽しめただろうね。私がいると盛り上がるどころか、食事も喉に通らないだろうからね」
 会場に笑いが起きると会長は満足そうに会場を見回した。幹部たちの労をねぎらう意味で行われる会議の後の食事会である。会議中の緊張感が解けて皆がリラックスしている。
「さて、皆もご存知だろう。私の孫がこのたび専務に就任した。海外で七年間自分の会社を経営していた経験もある。我が高藤デパートの後継者としての資質は十分備わっていると私は確信している。しかし、この業界は素人同然。そこで、専務を補佐する人材の確保が急務であると考え、槙野ブライダルの子息である槙野仁と安藤美紗子の両名を秘書に向かえた。安藤秘書においては、柔軟な行動力と真摯な姿勢で、我が高藤デパートに、新しい風を引き込むことができる人材であることを確信している」
 会長が自らわざわざ美紗子を専務秘書であると公言した。美紗子が他の秘書たちにどう思われているのか会長は知っているのだ。会長である自分が認めた秘書であるという事をはっきりさせる意味で、美紗子を認めようとしなかった秘書たちに遠まわしに圧力をかけているのだ。
 槙野は大丈夫かと美紗子に問いかけるが、美紗子は顔が強張り青ざめている。考える気力も逃げ出す事もできない様子。励ます事もできたが、今は彼女自身でこの状況を乗り越えるしかない。槙野はただ黙って彼女を見守るしかない自分が腹立たしかった。










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