彼女が空を飛んだわけ 8 | 紫苑の扉

紫苑の扉

主にストーリーと詩を書いています。
あるがままに、そのままに・・・。
徒然に気ままに

 一人の男が駐車場に車を止め、運転席でミラーを覗き込むと、自慢の髪を撫で付ける。ミラーに映る男の口元はほころんで、まるで何かを企んでいるようにも見える。男は車を降りて上機嫌で口笛きながらスーツのズボンに手を突っ込んで歩き始めた。
 男は地下からエレベーターに乗り込み一階で降りるとブラブラしながら見て回った。商品を手にとっては元に戻し、別の売り場へと渡り歩くだけで、別に目的があるわけでもなさそうだ。見方によっては少し怪しげな人物に間違われてしまうかもしれない。男は人目を引く特別な雰囲気があるのか、自然と女性たちの視線を集める。女性店員も例外ではなく・・・。女性店員たちも肘でつつきあいながら男を見ている。それに気付いた上司は慌てて女子店員に持ち場へ戻るように促す。店員が客の前で騒ぐのを放っておいてはデパートの品位を落とすようなものだ。
 高藤デパートではここ二ヶ月、デパート内で万引きによる被害が増加している。その為、店内を定期的に私服の警備員たちが二人一組で巡回している。噂によれば万引きは集団による組織的な犯行と見られている。被害を食い止めるために警備員を増やし、防犯カメラを増設するなど防犯に努めているものの被害は後を絶たない。その為、不審者を発見しだい報告するようにという指示があった。
 男は一通り一階を見て回るとエスカレーターで二階へ向かった。その頃には一階からの報告を受けた二階の巡回警備員が待ち構えていたが、男はのんびりと店内を見て回っているだけで別段怪しい行動を見せない。不審者と見なされたことを知らないまま男はエスカレーターで各階を見て回った後、最終的には七階の槙野ブライダルへと入っていった。
 美紗子は久しぶりに社員食堂へ向かい、先に来ていた村田祥子と一緒のテーブルの席に付く。いつものように彼女のおしゃべりが始まった。噂好きの彼女はどんな些細なことでも大きな話にしてしまう傾向がある。今回も例の如く不審者騒動について面白おかしく少々大げさに語った。
「そのお客さんもいい迷惑よね。間違って連行なんてしていたら損害賠償ものよ」
「そのお客さんは疑われたことも知らないから問題ないでしょう。騒ぎにもならずに済んで良かったじゃない。それより、いったい何処からの情報なの?」
 祥子は面白い話を、こともなげにあっさりと、切り捌いた美紗子の態度にがっくり。美紗子はそれよりも、その情報の出所が何処なのかという事の方が気になった。
「それは言えないわよ。これでも口は堅い方なのよ。それに・・・」
 彼女曰く口が堅いというのはちょっと疑わしいけれど、情報交換するにも持ちつ持たれつの関係を維持する幾つかのルールがあるらしい。それについてはほかの同僚たちが現れたため聞くことはできなかった。
 この日うちに不審者騒動にまぎれて、数件の万引き被害を受けていたことが後に報告されたが、不審者と万引きと結びついているのかは不明だ。幸いなことに美紗子の売り場ではまだ被害にあってはいないが気を抜くわけにはいかない。いつ万引きの常習犯が現れるか分からない。せめて特徴でもつかめれば、それなりの対処の仕方もあるのだが・・・。
 不審者と思われていた男性客は、人目を引くかなり特徴のある人物だという話だが、万引きをするような人間が、わざわざ目立つ行動をするとは思えない。その男性客がよほどの大胆な人間か、犯行を隠すために自ら気を引いておとり役をしていたとも考えられなくもない。しかし、あまりにも大胆な行動で目立ちすぎて何度も同じ手を使うのは、わざわざ捕まえてくださいというようなものだ。
 その男性客は結婚相手を探しに来ただけらしいと祥子は言った。本当のところ事実は分からない。さすがの彼女も槙野ブライダルの関係者に伝はなく、情報は入ってこないため、噂も尻切れ蜻蛉になってしまった。落ちがあまりにも貧弱すぎると不満そうな彼女である。槙野ブライダルのみならず、客を相手に仕事をしている限りは顧客に対するプライバシーを外部に漏らすことは会社の信用を失墜させることになる。噂好きの一介の社員がそう簡単に知りえるはずもなかった。
 美紗子は不審な客の正体についてあまり興味はなかった。ただ、槙野ブライダルという名前に対して敏感に反応しただけだ。しかし、村田祥子はただでは引かない・・・。
「あそこだけは情報が入りにくいのよねぇ。口が堅いって言うか・・・。互助会に入ればあそこの人と親しくなれるかも・・・」
「あなたも諦めが悪いわね・・・」美紗子は呆れたように彼女を見た。

 万引き犯はなかなか捕まりそうになかった。このままでは高藤の信用を落としかねない。そこで、重役幹部や各売り場の責任者が呼び出され会議が行われることになった。直ちに万引きに対する対処法について話し合いが行われた。すでに警察が動き出していたが、デパート側も警察に協力しできうる限り防犯に努め早い解決を目標としている。
 間もなくして急遽取締役会が行われた。その取締役会の内容が明らかになり社内は騒然となる。会長の孫が帰還し副社長に任命されることになるという噂が飛び交う。まだ正式な就任ではないが、近々取締役会で決定することになりそうだ。いずれは高藤のすべてを引き継ぐことになる人物である。
 社内は浮き足立ち、今回の主役についていろいろな憶測を呼んだ。彼については重役クラスの人間でも知る者は少ないという。彼が何時何処に現れるのか分からないミステリアスな存在に注目が集まっている。何より、その人物の容姿について想像逞しい。何処へ行ってもその話で持ちきりだったが、美紗子はどんな顔をしていようとスタイルが良かろうがあまり興味がなかった。それよりも、今後の高藤がどう変わっていくのかが気がかりだ。
 仕事を終えた美紗子は、同僚の誘いを断って、デパートの従業員専用出入り口へと向かった。そこで偶然秘書課の倉田と顔を合わせ話しかけられる。
「今からすぐに帰るつもりかな?」
「ええ」
「どうだろう。今からお茶でも・・・」
「はい?」
 美紗子は断ろうと口を開きかけたとたん背後から聞き覚えのある声が・・・。
「私との約束を忘れたわけではないよな・・・」
 美紗子が振り返るとそこに槙野が不機嫌そうな表情を浮かべて立っていた。何という好いタイミングでこの人が現れるものだ。できるなら所帯持ちの男性とは付き合いたくないと美紗子は思っていた。今までもそういう誘いはあったものの口実を作ってうまく避けられた。しかし、その口実がなぜこの人なの?そんなことを考えていた美紗子はあることに気付いた。
 槙野はさりげなく美紗子の横に立つと、倉田に対して冷めたような視線を向けて美紗子の肩に手を置いた。会ってからはじめて見せる表情だった。怖いような、冷めた厳しい目をしている。
「二人は知り合いなのか?」倉田は正面切って槙野と向き合い言った。
「ああ、君よりもずっと親密な関係だ」
 美紗子は唖然と二人の男を交互に見た。まるで女の取り合いをしているように見える。だが、美紗子を取り合っているわけではなさそうだ。意地と意地とのぶつかり合いという方が当たっていないだろうか・・・。美紗子は次第に腹が立ってきた。特に槙野に対してむっとしていた。
「お話中申し訳ないですが、続きはお二人でどうぞ・・・。お二人がどういう関係かは知りませんが、私の都合を無視するなんて失礼じゃないですか。私はバスの時間があるのでここで失礼します」
「君!」
「美紗子さん!」
 美紗子はつんとして回れ右をしたとたん厚い胸板の男性とぶつかった。慌てて謝ろうと顔を上げて男を見た。男も美紗子を見下ろしている。背が高く整った顔立ちなのにどこかユーモアな雰囲気を持ち合わせる男だった。
「二人の男が一人の女性を取り合っているのか・・・。君たちが奪い合っているのを見るのも見ものだな」
 二人は突然現れた男を唖然とした表情を浮かべて見つめるばかりだ。二人の様子が見えない美紗子には分かるはずもなく、ただ男難の相の日だと思いうんざりしていた。
「倉田さん久しぶりですね。それに、槙野は相変わらず口説き方が下手だなぁ」
 倉田はただ呆然と見つめるばかりだった。それに対して、槙野は態度を軟化させながら言った。
「高藤じゃないか・・・。いつ帰ってきたんだ」
 美紗子は心臓が止まるかと思うほど驚いた。槙野は前に高藤とは同級生であり、友人だと言っていた。呼び捨てにするところを見ると本当で・・・。そうなると、目の前にいるのは渦中の人物ということになる。美紗子は倉田同様にただ呆然とするばかりだった。







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