第1話 | 紫苑の扉

紫苑の扉

主にストーリーと詩を書いています。
あるがままに、そのままに・・・。
徒然に気ままに

 陽が落ちても太陽に熱せられたうだるような暑さは緩む様子もない。千春は池の前に立ってカメラを構えてシャッターを切る。
 まるで何事もなかったように辺りは静かになる。ここで悲しい出来事が起きたとは思えないほど・・・。
 千春は振り返って我が家の脇に立つポプラを見る。答えるはずもない相手に向かって千春は問いかける。
 あなたは目撃者なのね。あの時、一体何が起きたのか教えてほしい。あの時あなたは何を見たの?
千春はふっと息を吐き首を振った。たとえ彼が全てを見ていたとしても、それを止める術はない。いつも、そこに立ってただ見守っていることしかできないのだから・・・。
 それでも、あなたがそこに立っているだけで心が癒される。あなたに語りかけ、あなたの囁きを心に感じて・・・。千春はゆっくりとポプラに向かって歩き始める。

 福山家の居間では千春と千夏がテレビを見ている。
「千秋、今日は遅いわね」千夏は時計を見上げた。
「残業で遅くなっているんじゃないの?」
 二階から緑が下りてきて、テレビを見ている千春の横に座った。
「千秋さんはまだ帰ってきていないの?」
「緑ちゃん、宿題すんだ?」
 緑はちょっと顔を顰めて、首を竦めた。
「ちゃっちゃと片付けました。どっさり課題出されてまいっちゃう」
 口を尖らせる緑を見て千夏はくすっと笑った。
「あ!翔だ。このCMカッコイイ~」
 千春の胸がちくりと痛む。写真集の撮影の合間にCM撮りが行われていることは知っていたが、まだ見たことがなかった。
「緑ちゃん、お風呂に入ったら?」千夏は時計を見上げる。「本当に、千秋遅いわね・・・」
「は~い」緑は元気よく答えて立ち上がる。
 緑が二階に駆け上がると、千秋が居間に入ってくる。
「遅かったわね千秋」
「ちょっと調べものがあって・・・。手間取ってしまったの」
千夏は立ち上がって千秋の夕食を用意する為に台所へ向かった。
「たいへんね・・・」
「千春姉さんは一泊の撮影があるのよね。明日・・・」
「依頼があれば何処でも行くわよ。仕事だもの・・・」
「翔の写真集の撮影すんでいないって、雑誌で見たけど・・・」
「彼は多忙だから、そういうこともあるわよ」
「モデルから俳優へ転身か・・・。このCM、インパクトあるわね・・・」
「そうね・・・」翔のことは考えないようにしていた千春にとって、それは拷問のようでもあったが、画面から目を逸らせなかった。
 二階から緑が降りてくる足音がしてそのままお風呂場へと消えた。
 台所から千夏がトレーを持って居間に戻ってきた。テレビ画面からは別のCMが流れている。千春は瞬きして、冷えた麦茶に口をつけた。
 千夏は千秋に御飯茶碗を差し出す。
「私考えてみたのだけど、川久保さんの奥さんが子供を連れて突然姿を消したのは、あの例の収賄疑惑と何か関係があると思うのだけど・・・」
 千春はテレビから目を離して千夏を見る。
「あの、ある企業の内部告発によって発覚した収賄事件のことね・・・。でも、それは川久保さんが独立して事務所を開く前の事件でしょう?」
 千秋は箸を止める。「川久保さんの奥さんが突然姿を消したのは、身の危険を感じたからと言いたいの?でも、なぜ川久保さんに黙って消える必要があるの?」
「川久保さんの知らない何かを、奥さんが掴んでいた・・・」千夏はテーブルの上で爪を立てて叩く。
「お姉さんは小説家だから、こんなこと考えるのわかるけど・・・。ちょっと、考えがとっぴじゃない?」千夏の発想らしいとは思う千春だが・・・。
 神尾が福山家へやってきた時、三年前に水死体として発見された男性は、ある企業の収賄罪の告発に関与していたと、三人の前で語ったのだった。告発の関係者三人が次々に亡くなった。その三人の一人が池で水死体として見つかったと言うものだった。後の二人の死についても不審な点が見られたという。その収賄事件に川久保が弁護士として関わっていることがわかっている。
 川久保が二つの事件と深く関わっていることは間違いない。神尾は三年の月日をかけて第一の殺人の真相を探り続けていたのだ。共犯がいることは間違いないが、犯人の正体は依然として掴めていない。
「結局、収賄事件はうやむやなまま・・・。川久保さんが勤めていた弁護事務所は何人も弁護士が所属していたらしいけどね。その後、川久保さんはそれまで勤めていた事務所をやめて独立・・・。川久保さんは妻子が姿を消した後ここへ引越しして来た。そして、二人はあの池に沈められてしまった」
「二つの事件繋がっているのなら、犯人は同一犯・・・」千秋は千夏をじっと見つめる。
「そうとも限らないわね。ただ二つの事件には必ず共通する何かがあると考えられるわ・・・」
 二人の妹たちが危険に曝された事実を知らない千夏・・・。
「何もわからない小さい子供を巻き添えにするなんて、絶対許せない・・・。あんたたちまで巻き添えになったら、この手で痛めつけてやるわ・・・」
 千春と千秋は顔を見合わせた。二人の顔はどちら共に強張っていた。 
 千春は拳をぎゅっと握り締めた。脳裏にあの帽子の女の姿が浮かんだ。帽子の女がこの事件と関わっているかどうかはわからない。どちらにしても残虐なこの事件がなぜ起きたのか突き止めなければならない。千夏の身代わりに友美が襲われたことも、自分が危険に曝されたことも、川久保さんの妻子が殺された事件の後に起きたことだ。犯人は事件の真相を知られることを恐れて、再び私たちを脅してくるに違いない。これ以上被害者が出なければいいが・・・。
 千秋も同じことを考えていた。ちらりと二人の姉に目を走らせる。もし、あの男たちが関わっているとしたら・・・。私が狙われたのなら、二人とも同じように危険な目に遭う危険性も否めないと言うことだ。千秋はぞっとした。二人の姉が殺されるなんて考えたくない。でも、川久保さんの息子さんまで殺すような人間なのだ。これ以上被害者を出したくない。でも、私たちに何ができるだろうか・・・。
  
 
 

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