第一話 福山家の朝
千春は窓辺に立ち、そこから見える風景を眺めて朝の空気を思いっきり吸い込んだ。二階からは千春たちの両親が経営するアパート、サンシャインハウスが見える。その間にポプラの木が、空に向かって真直ぐに伸びて立っている。
ポプラの正面には池が見え、水面は輝き煌いていた。小鳥が囀りながら水面をすれすれに飛んでいく。
“兄さん、今日はいい天気です”
あなたがいなくなってもう5年ですね。私たち家族を残し、呆気ない交通事故で・・・。あなたの奥さんはいつものように朝食の用意をすませて洗濯に忙しい。
「朝御飯ですよ!」下から義姉、友美の声がする。
「ワン!」
千春の立っている部屋の真下で愛犬が応えた。千春は窓から見下ろしてクスリと笑った。
我が家の番犬、その名もずばりバンチャンである。まったく笑える名前である。その名前をつけたのは亡き兄の直也だった。その直也が亡くなった後、残された家族を慰めたのはほかならぬバンチャンだった。
ポプラがさわさわと揺れた。愛犬はポプラに向かって尻尾を振っている。彼がポプラを見上げて切なく遠吠えをするのは、死んでしまったご主人の姿が見えるからではないかと・・・。千春にはそう思えるのだった。
千春は窓から離れ部屋を出ると、隣りのドアが開き妹の千秋が出てきた。
「あぁ~眠い・・・」千秋は口元を手で覆いあくびを噛み殺す。
別の部屋から長女の千夏が出てくる。
「おはよう・・・」
「おはよう姉さん」
千春が階段を降り始めると千秋が後に続く。最後に長い髪を一つに結んだ千夏が続いて降りていく。
三人は居間のテーブルについた。箸を持ちいただきますと合掌する。それに答えて義妹たちに召し上がれと友美は言った。
友美は義理の妹たちが、美味しそうに食べるのを満足そうに眺めてから箸を持って食べ始める。
三姉妹の両親は子供たちが独り立ちする年になったことを期に、土地と家を買ってのんびり夫婦仲良く田舎で暮らしている。今は、福山姉妹と兄嫁の友美の4人で暮らしている。
彼女は三人の世話をすることに喜びを感じていた。夫が亡くなっても福山の姓を名乗ることに対しても、何のためらいもなかった。
「サンシャインハウスの方は変わりない?」千春は厚く切った卵焼きを箸で掴む。
「ええ・・・」千夏は味噌汁をすすって答える。
「いい人ばかりで良かったですね」友美はニコニコしながら言った。
「川久保さん以外はね・・・」千秋は焼き鮭をほぐしながら言った。どこか皮肉を込めているように聞こえる。
「千秋ったら・・・」千春は呆れるというより面白がるように言った。
「そんなこと言うものじゃないわよ・・・」千夏は妹たちを軽く睨み友美を見つめる。「それより友美さんは相場さんとお出かけ?」
「ええ・・・」友美は三人の視線を避けるように味噌汁をかき回す。
相場は直也の親友である。二人はフラワーショップを共同経営していた。直也が交通事故でこの世を去ってから、友美が直也の後を引き継いで、相場と共に店を守っている。相場は友美に特別の感情を持っているのではないかと三姉妹は思っていた。
「ガラス工芸展へ出かけるんだって?」千春は意味もなく味噌汁をかき回す友美に訝るような視線を向けた。
千秋はすっと立ち上がり、茶碗を重ねて台所へ向かった。流しに食器を置いて、窓の外に目を向ける。
自分たちにとって友美は、血の繋がりがなくとも、義理の姉妹であっても大切な家族だと思っている。千秋は友美が相場と出かけることを反対しているわけでも、友美のことを干渉するつもりもない。相場は千秋にとって兄のような存在、彼なら友美を幸せにしてくれると微塵も疑っていない。誰もが友美の幸せを心から願っているのだから・・・。
千秋は居間に戻ると友美に向かってご馳走さまと言った。テーブルに座っている三人を見つめる。いつもと変わらない光景がそこにある。もし友美がいなくなったら・・・。千秋はいいようのない寂しさを感じていた。
「私も出かけてくる」千秋は階段の前に立って言った。
「千春、あんたも?」千夏は千春を見る。
「そうねえ~。今日はブラブラしてこようかな・・・」千春は茶碗を重ね立ち上がる。
「私は仕事をするわ・・・。追い込みかけなきゃ・・・」
千夏はちらりと友美を見ると、考え込むような表情を浮かべて立ち上がる。三人が二階へ上がってしまうと、友美は一人取り残された。
友美は溜息を吐いて、片付けの為に立ち上がり台所へ向かう。三人が相場との関係をどう考えているかわかっていた。友美は相場の気持ちに気づいていても、それに応えることはできなかった。
友美は唇を噛んだ。当然の事のように二人が一緒になると思われていることが苛立たしかったのである。