日本に生まれて日本で育った事にあまり疑問を持つ事は無かったのですが。

知ってか知らずかどんどん西洋にかぶれて。

結構深く傾倒しておりますと・・・

 

随分と魂を売ったな

と思う時があります。

個人的に思う事は

 

日本人のふりをしている日本人

 

になってしまわないように、時々ルーツを探る事をやっております。

 

 

それで、川上音二郎のオッペケペー節を思い出して。

 

 

 

こんなんですけど。

川上音二郎作 オッペケペー節 土取利行 2014

こちらは土取先生が近年録音した、おそらく最新バージョンなので音質が良いです。

 

 

このリズム感ある節の発祥は大阪。

作詞、リリースは1889年なので、今から135年くらい前ですが。

世界最古のラップ

と言って良いと思います。

自由湯(じゆうとう)は当時の立憲自由党の事と思われますので、まさに韻を踏む作詞法です。

 

実際に1900年の欧米興行で録音されているらしいのでその音源は・・・

 

 

川上音二郎一座 

 

音二郎は演出のみだったらしいので唄声は一座の専属歌手と思われます。

一説には日本人初のレコーディングだという事です。

 

 

 

それにしても作者の川上音二郎という人物はなかなか氣骨のある人物です。

 

民権思想家の新聞記者であったりして、すぐに弾圧を受ける明治政府下でズケズケとものを言って何度も投獄されているようです。

興行師でもあり、噺家でもあり。

 

よく調べると中学生で密航、その後若い頃は転々とするも福沢諭吉の世話になって、一時は巡査にまでなっていたという事で。

波乱な人生が伺えます。

 

実際に看ていると、音二郎は運が弱く運の流れに流されやすいですが反発や反抗という部分では才のある人なので当時の世では生き生きと才覚を伸ばせたのかなと思います。

それにしてもよく無事でいられたなと思うような過激な人生。

一座人氣は衰えず、歌舞伎と同じ舞台に上がりますが・・・

素人上がりが歌舞伎座の桧舞台を踏んだということで当時の團十郎を怒らせたりしたようです。

(一説には團十郎は桧舞台を削り直させたとか)

 

音二郎はその後フランスへ行って西洋の舞台の勉強をしたり。

国内では選挙に二度出て二度共落選して、結局は一座を手放したようです。

しかし突然渡米して演劇でまた成功。

 

その後パリ万博。 

フランスで勲章をいただいているようです。

 

日本に帰ってオセロの日本語バージョンを初披露、ハムレット、ヴェニスの商人・・・

 

 

 

 

 

・・・バッチリ西洋かぶれやん・・・

 

 

 

 

とはいえ、興行主として大成功して。

舞台で最期を迎えたとの事で、享年48。

あっという間ですが数々の偉業を残した偉人だと思います。

 

 

 

運が弱くて成功する人の特徴ですが。

流れに思い切って乗ってしまうのもアリです。

その方角や時期がバッチリだとうまく追い風に乗れる事もあります。

 

そのかわり長続きしない場合が多いです。

それを変化変容として自分のスキルとして素直に落とし込める潔さが必要です。

 

 

 

法で裁けない権力者を唄でコケにしていくスタイルはこの頃からだとすれば。

当時のJ-POPはサイコーにロックしていたという事です。

 

こういった日本の一面も。

反骨精神を。

なるべく忘れないようにしておこうと思います。

 

知らず知らず外国にかぶれて魂を売りそうになる事はあるかもしれませんが。

そういう時は日本の底力を掘り下げようと思っております。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

月曜日はイオンモール京都五条 出演いたします。





年月日時災い無し めでたし。
本日もご拝読ありがとうございましたm(__)m