月曜はホイミで回復。

中村皇月です。

 

 

 

今日は愛がテーマなのですが。

これはなかなか また難しいお題です。

 

 

手にとって確かめられないものは言葉に出来るものでは無いですから。

それに、愛にも様々な形があって。

 

今回は人類という大きな枠組みで愛を確かめるお話です。

 

 

 

仏教では愛は渇望するものであり、迷いの根源ですから。

愛は煩悩の一つであると・・・一応否定的には考えられておりますが、人間が迷わないようにするための指標としての説き方であり、それはまさしく釈迦の愛。

それに、慈悲という言葉がありますから、これはまさしく仏法の愛です。

 

密教では男女のまぐわい、つまり性愛が聖愛とみる一派が存在して、陰陽結合そのものを実践して性エネルギーを活用しております。

愛染明王の愛染は愛欲のバランスを取りながら発展運を生み出すと言う・・・そういう事です。

 

 

神道では、古事記はまさしくイザナギとイザナミのまぐわいから克明に描いておりますし。

大国主がスセリヒメというお気に入りが居るにもかかわらず・・・長い距離をかけて愛する側室を求めていく様はまさしく日本古来の愛し方。

多くの愛すべき姫を守り抜くというのがその形で。

姫の一族を護ればその国も守る事になります。

子をたくさん作り、優秀な者に後を継がせる・・・国を磐石にするという事であり、2600年程王朝が続いているという世界でも稀な国家である日本古来の本来の愛の形です。

 

愛する者が居るという事は護るべきものがあるという事です。

 

 

 

 

キリスト教では全人類の為にキリストが人柱となり、キリストの愛によって人類の罪は浄化されているわけですが。

それでもって罪を作り続ける人間は少なくないわけで。

しかし罪を告白すれば神の愛によって許されるわけです。

神の愛はアガペーと言われますが。

人間の情欲の愛はエロスと呼ばれ否定はされておりませんがアガペーまで昇華していく事を望まれています。

 

神の愛は慈悲、許し。

他者を許す事で自分も神の愛によって許されるという構図もあります。

 

神の愛で許されなければ天国へ行けませんから。

死の間際になって嘘をついてない状態にする為に告白をする人が多い。

嘘は罪ですから。

ネッシーや空飛ぶ円盤の写真、ミステリーサークルが捏造でしたと晩年に告白する人が多くのビリーバーを落胆させているのはそういう事です。

 

許しましょう。

 

 

 

 

 

 

 

さて。

愛の実践というのはなかなか難しく。

すぐにバランスを崩してしまう。

 

 

実は動植物に習うと愛の意味が少し分かって来ます。

愛と言うものに対するセンスを磨く事ができるのです。

 

手始めは動物が良いと思います。

人間の言葉では会話できませんが、コミュニケーションを取る事は可能です。

様々なサインで読み取る。

 

動物をコントロール出来る部分と出来ない部分が分かって来ます。

 

完全にコントロールする事が出来ないという事が分かります。

その先にあるがまま、生きるがままを知る事が出来ます。

 

ただ在るがままにお互いに生きる事が愛の連鎖を生み出す事を学べます。

愛の在り方を動物から学ぶ事が出来るのです。

 

互いが生かされている状態が分かれば愛の基本はある程度学ぶ事が出来ます。

 

 

 

 

 

 

次に難しいのは植物です。

鳴きもしませんし、唸りもしません。

何をしても拒否すらしていないように感じますがそうではない。

 

動物との違いはすぐに結果が出ない、時間の感覚・間隔がかなり長い。

サインは出しているのです。

 

その植物のサインが分かる様になるとさらにセンスを磨く事ができます。

植物を生かす状態というのは種を入手し、芽を出させ花を咲かせ実を収穫し・・・

最終的に種をまた得る、しかも始めに得た時より多くです。

 

このサイクルが愛の連鎖。

 

愛なくしてそれはなかなか実現ができないのです。

 

 

 

ここまで来て。

動物と植物に共通する愛の学びというのは何かと言うと。

 

 

育む、育てるという事です。

 

 

愛は育む事、育てる事から学ぶ事ができます。

 

 

 

動物も植物も、ただ在るがままの状態そのものが愛なのです。

愛の対義語は憎ですから、憎めば育たないのは明白。

 

 

 

愛がよく分からなくなった時は動植物を育ててみてください。

それは地球の愛に触れる事にもなるのです。

 

 

 

人類の本来の目的は地球との共生でもあり、動植物との共生でもあるわけで。

破壊し、むさぼる事ではないのです。

 

 

 

 

動植物は他者の犠牲になりながら共生しています。

そのサイクルが自然界では出来上がっています。

この完璧なサイクルを自然と表現します。 これが自然界の愛の形。

 

在るがままに存在する事は犠牲でもあり、愛でもある。

その犠牲という愛の上に自然の対義語である不自然な存在・・・人間が居る。

人間だけがこの地球上で憎み合う事が絶えない部分、否定できません。

共生できないものは愛の反対側に行ってしまいますから、それは自然ではなく不自然な存在なのです。

そのままではいけません。

 

 

 

晩年に農業に従事する人が多いのは何となく分かるかもしれません。

地球の愛に学びたい人、そこに気がつく人が居るわけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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