月曜はホイミで回復。
中村皇月です。

  

いただきます の語源を調べると通説と俗説があるようで。
 
通説は「戴く」 「頂戴する」という所から来ているようで、頭上に高く掲げて戴く、頂戴する・・・つまり自分の目上の方から褒美なり何なり戴く様を表現しているわけで。
天を仰いで神の恵みに感謝したのが始まりではないかと思います。
祭礼の時や特別な行事の時のみ使われていた言葉だそうで、一般的に食事を食べる時に使われるようになったのは昭和以降かもしれません。


俗説では「命を戴きます」から来るもの。
神や目上の人、もしくは調理してくれた人やご馳走してくれた人への感謝の言葉から食材への感謝の言葉として「いただきます」があるというものです。

これはこれであって良いと思いました。




最近精進落としをしまして、時々肉類も食べる事があるのですが。

これ、一体何頭分の命を使ってるのだろうと。
そういう思いがふと出まして。

「命をいただきます」と自然に言ってしまいました。
もちろん植物も命ですから、同じように考えるべきですが、生物が肉になっている所を見ると一層命の重みをいただいているのが実感できます。



我々は生物が肉だけの状態に解体、調理されて行く様を見ておりませんから。
ありがたみが分かりませんが、実際にそういう現場を見るとそれはそれは大切にいただかなければならない思いは強く出ると思います。

私は田舎育ちなので、時々見かけておりましたが、お客さんが来るとご馳走として鶏をしめる・・・解体する現場というものに出くわした事があります。

都会の方でも、かなり昔だと裕福な家々がある地域では自宅で鶏を解体調理する事がよくあったようで、その頃の下水というのは家から直接川に流されているという事が多かったと言われてまして。
お祝い事とかでなくて、裕福な家々では毎日のようにどこかの家が鶏を解体していたわけですから、下水で小川が真っ赤に染まっていたという事は珍しく無かった・・・というお話を聞いた事があります。


生き物を自分の手で解体していた、そういう現場が身近だった昔だと、その命のありがたみも分かりますし、わざわざ調理するその手間への感謝も湧いてくる。



人間が生命を維持する、食べる という行為には様々な恩恵があるわけです。
野菜ひとつでも食卓に並ぶまでの長い年月を考えれば、ひとつひとつが貴重であり、感謝するべき方向性も理解できるというものです。



昨今ではあたりまえのように歩いてすぐ食料が手に入る。
いや、ワンクリックで明日には食材が家まで届けられる事もあるわけです。



一度自分の食べているものをよく眺めていただきたい。
いったいどのくらいの命が積み重なっているのか。
調理した人の手間がどのくらい積み重なっているのか。




自分が生かされている、生かして戴いている事の意味も判って来るのではないかなと思います。







ごちそうさま に関して。
馳走は「馬を駆って奔走する様」という意味だそうで、食材を集めて下さり、さらに調理していただいた事への感謝という意味があります。
従って、食材には感謝しておらず、提供者へ向けた言葉になっております。
やはり通説の方が正しいのかなと思える部分はあります。





何にせよ、食べる事ができるというのはとてもありがたい事です。
噛み締めてみましょう。 

合掌。




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