月曜はホイミで回復。
中村皇月です。



そろそろ物質的な内容からそうでない内容?を書いていこうかと思います。

若干と言うか精神的な内容ですから、宗教的な話になってきます。
といいますか。

ほとんど宗教です。 たぶん?

しかし信者は認めません。
そのかわり、もし私の書いた事で役に立つ話があれば自分なりに発展させて・・・皆様にはどんどん教祖になっていただきたい。

私は宗教や占いを必要としない所を目指す教祖がたくさん居れば良いなと思っているのです。


私の書いた話を理解したら・・・それは悟った=覚者という事ですから、そうなったからには私の話しなどもう聞く必要はありません。
理解と同時に卒業=教祖誕生です。

もし使える事があればどんどん世に出て生かしていただきたいのです。
発展して、あらゆる場所で皆さんに教祖になっていただきたい。


まぁそれほど堅い話はできませんし、簡単な事しか話せないので、皆さんはすぐに卒業なさると思います。







私が学んでいる運命学の理論の根幹は太陽と地球の関係です。
西洋占星術では太陽系の惑星の配置を根拠としているのだと思うのですが、私の学んでいる陰陽五行の根拠は太陽と地球の関係・・・それは角度です。


少し話は飛躍するかもしれませんが、人と神の関係でもあります。
神なるものと人の関係が太陽と地球の関係そのものになるわけです。


そのあたりを感じ取っていただけますと、人の生き方の参考になって来るのですが、これがまた解釈の違いでどうにでもなってしまう。
ある意味で悪用は可能ですし。



善用であろうが悪用であろうが自己責任ですけれど。






さて。

特に太陽は重要です。
太陽系の中心は太陽ですから、どんなに理屈をこねても西洋も東洋も思想は太陽を中心に根拠にしなくてはならなくなってきますし、太陽神は世界中で信じられておりますし、日本神道は太陽神が中心ですし、大日如来は太陽神ですし・・・
キリスト教も光を根源としますのでこれも。

ミトラ教との様々な宗教との関係性を言えば、世界中の宗教と神様と太陽とは切っても切れないご縁であるのは否めません。


神=光で、おおむねよろしいかと思います。
つまり。

太陽は古代から同じく等しく変わらず。 この地上に光を与え続けているのです。

結論から申し上げると太陽の事がちょっとでも理解できて、その存在意義が自分なりに判れば占いも宗教もそんなに必要で無くなります。
そしてその瞬間に幸福感や絶望感、孤独感や一体感を、全てを手に入れたように感じます。

それは太陽が神そのものであり、愛そのものであるからです。


スピリチュアルの概念では「光」というものが出てきますが、これも太陽に置き換えると非常にシンプルで判りやすいのです。


太陽と地球は密接。
地球と人間は密接です。

太陽と地球の関係は同時に地球と人間の関係にも当てはまります。

地球が神そのものであり、人を生かす愛の循環に満ちている。
これが判れば全てが手に入り、何も必要ないという事を知ってしまいます。


人間は裸で、何も持たずに生まれるわけですが。
それと同時にあらゆる可能性という「全て」を手にした事になります。


私たちは既に全てを手にして生まれているわけですから、何も必要無いという事になってしまいますと・・・これがまた面白いもので、解釈が違えば人類の存在意義が無いとなってしまったり、努力も何もしなくていいじゃないか・・・等々な考えが生まれてくる。

全ての可能性を持って生まれており、生きる事によって選択する事によって・・・可能性を捨てていく作業をしてしまうのが人間。 
それは面白く感じるかもしれません。

我々は何かを求めて生きているのですが、実は自分から捨てているとも言えるのです。


ですから、何も持っていないと言えるし全て持っているとも言える。
恵まれていると言えるし恵まれていないとも言える。

それは自分で決めて良いのです。


本当にこういった宗教的な概念や哲学というのはとても簡単でとても難しいと言える内容であります。
必ず相反する結論が出るのも知っておくと便利です。





かねてから私が言ってるように事実だけではなかなか人は開運しない。

事実ではない真実は。 
心理であるけどもそこに行くと両極を持ちますから、受け入れるキャパシティが必要。


自然と不自然は表裏一体であると。
それを受け入れると物事を柔軟に受け入れられる。



やっぱり・・・「どちらとも言える」という答えが出てしまう。
もしくは「どっちでもよろしい」という答えなのです。



これはとても簡単な話なのですが・・・なかなか理解していただけない、受け入れ難いというのが人間の性。



長くなりますので。


今日は太陽を例にして私たちの生き方を考えてみましょう。




太陽
私も惑星の知識はありませんので、太陽が何であるかは説明できません。
光であり熱源であるとしか言えません。

しかし、太陽の生き方を、太陽のスタンスを見れば、神なるものが見えてくるのは判ります。


太陽さん、おてんとうさん、おひさま、日輪(にちりん)・・・色々と呼び方はあるかと思います。

太陽さんは何をしているのでしょう。
これがとてもシンプルで大事な要素です。


「冬場はもう少し照らしてくれれば良いのに」
「夏場はもう少し遠慮してくれれば良いのに」
これは人間の考え方です。
人間の思考は神なる思考とは・・・結構違います。



太陽は自らの命を燃やし続けているのみです。
自らの寿命やエネルギーは省みず、また期待や賞賛も必要とせず、利益や待遇を求める事無く。
ただそこにあって燃焼している・・・わけですが、それは。

光を熱を、全方向に惜しみなく与え続けているわけです。
これは太陽の愛そのもの。

自らの命を燃やしながら、惜しみなく光と熱を全方向に放っているのが太陽であり、それこそが神なる存在と同じであり、太陽の愛こそ神の愛と言えるのです。

神に会いたければ太陽でよろしいわけです。
もちろん太陽は肉眼で直視できませんが、太陽の存在を愛と感じ、受け入れる事ができればそれが神そのものになるわけです。

認めるか認めないかは自由です。







では地球の愛とは。
自転ひとつとってもお判りだと思いますが。
太陽の惜しみない愛を、まんべんなく地上の我々生物のために与えるには、規則正しい自転と公転、そして太陽に対する角度が決め手となりますが、これを何年も何年も正確に規則正しく行っているのが地球の愛です。

できるだけ地上の全てに光を熱をまんべんなく行き渡らせる事そのものが地球の愛です。


そうなってきますと。
私たちは太陽と地球の愛によって生かされているのが判るかと思います。
これがまさしく神の愛。



人間は「暑い」「寒い」「冬場はもう少し日を長くして欲しい」・・・等考えます。

人間は太陽と地球の惜しみない愛の循環に包まれて生きている、生かされているのですが・・・人間はそれをはまったく無視して好きな事を言って生きています。
ちょっとくらいは?感謝しても良いかと思うのです。






さらにもっと素晴らしい事に、自然の愛の循環があります。



自然は太陽と地球の愛が無駄になっていない事の証しです。


必要な場所に木々が、植物が生息し、土を肥やし
必要な場所に太陽の光が注ぎ、気温が上下し鉱物を生み固め
必要な場所に土があり、木々を生かし、岩盤が水の流れを安定させ
必要な場所に鉱物があり、エネルギーを保持し、ミネラルを生み
必要な場所に水が、海があり、生物の生命を育み気温を安定させる

五行(ごぎょう)と言われる木火土金水(もっかどこんすい)には陰陽があり、互いが循環しあう事によって自然が調和している、それが自然の愛の循環であります。
自然である事こそ、愛であり、神なる働きであり、この自然という名の愛の循環に我々は生きている、生かされているわけです。


この愛に気がつけば神なる存在の何たるかが理解できてきます。
そうなれば人間という生き方がいかに不自然であり矛盾に満ちているかが理解できるのです。

人間だけが矛盾を、不自然を許されているのです。
こんな素晴らしい愛は無いのですが・・・





太陽は熱で暖め、地球は影を作り冷やします。
暑い砂漠の土地や寒い永久凍土の土地を作ります。

過酷な環境が愛なのかと問いたいですが。
この振り幅こそ愛なのです。

人間には好きな環境で生きる自由がありますので、チャンスがあれば自分の好きな気候の土地へ移住するのも許されているわけです。
選択肢が多いのはまさに愛。







人間以外の生物は我々のような生き方は選ばなかった・・・

我々人間以外の生物が自然と言われる所以なのですが、先にも申し上げた通り。
神と言われるもの、愛と言われるものに相反する存在が無くてはならないわけです。

この陰陽が結合し合った状態が宇宙の実相であり、それもまた自然な状態でもあるわけですが。



神と相反する存在、その立場を人間がわざわざ選んでしまった部分は否めません。
神と相反する人間以上の不自然な存在はないかもしれないのですが・・・

これで一応のバランスは取れている。

神なるもの、愛なるものから自立した人間が、これから神なるもの愛なるものと同じく新しい存在場所を手にするのか、もしくは神なるもの愛なるものに向かって戻って行こうとするのか。


これは自由であり、これもどちらでもよろしいわけです。





この自由というものを手にしたのが人間としての素晴らしい部分でもあり、悩ましい部分です。

人間以外の存在はことごとく自然です。
そこに人間の自由という概念を持ち込んで良いと、許されてしまった人間。

神の解釈の自由、愛の解釈の自由というものも人間は手にしています。


いくらでも善用できますし、いくらでも悪用できてしまうわけです。





この両極を持つ事を許されているのも人間です。




陰陽それぞれを持つ事を許されているわけです。

明るい部分もあれば影の部分もある。
それが人間というものです。




釈迦もイエスも「辛抱せぃ」とは言っておられないと思います。
現在でも太陽のように、惜しみなく愛を出し続けるだけです。

我々が受け取るかどうか、認めるかどうかただそれだけなのですが・・・


それすらも自由意志に任されている。
私たちは好きなように生きて良いという大変なギフトを受け取っているわけです。



従って。



「どうなりますか?」
「どうしたらよいですか?」


という質問を神に投げかけても、

「好きにしたらよろしい」
「どっちでもよろしい」

としか帰って来ないはずなのです。
自然に質問を投げかけているのと同じ事です。


太陽は光しか、愛しか届けておりません。 愛するしか神はできないわけです。
「あなたが幸せと感じる事をして欲しい」
としか答えは出てきません。

我々の自由意志に任されているのは素晴らしい事ですが、同時に責任が付いてくる。
責任が取れる事であれば何をやっても良いから、同時に幸せになって欲しいというのが神の心。

煩悩というエネルギーを相反する願望成就に向けて欲しいと願うのが神の愛です。
人間が発展する事を望むのも神の愛ですので、煩悩を認めているのも神の愛。







どうでしょう。
少し自由になれたでしょうか。

教祖や占い師を介しなければ理解できない事ばかりでは意味が無いのです。
自分で答えを出す事を許されているのですから、そうすればよろしい。



皆さんが光を、太陽を理解してしまえば教祖は必要無い、それは宗教が必要無い事になり、当然占いも重要では無くなってしまうのです。


心配しなくても、教祖や占い師が居なくても、皆さんは愛されている。
太陽さんや自然と仲良く生きて行く事ができれば、みなさんそれで良いのです。

皆さん一律、誰も例外無く太陽や地球、自然の愛の循環の中にあり、愛されている。
それを忘れないように。



それを知るには自然との調和しか無いのです。

パワーは必要ありません。
調和で良いのです。

調和すれば勝手にパワーが生まれるのです。
太陽、地球、自然とうまく調和する事を知れば。

それで良いのです。



本日もご拝読ありがとうございました。
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