みなさんこんばんは。
火曜夜のひととき、いかがお過ごしでしょうか。




本日はちょっとひねって歴史のお話し。
八代将軍吉宗のお話しです。

吉宗と言えば・・・松平健じゃなくて、仮面ライダーオーズ・・・
じゃなくて、享保の改革ですね。

まぁ、とにかく質素倹約で将軍でありながら木綿の着物で過ごし、食事も一汁三菜で通し、地味な政治をしたので江戸文化の発展が一時停滞してしまったという事で、宵越しの金は持たない江戸の民衆にはあまりウケが良くなかったかもしれません。
幕府の財政の立て直しに初めて成功した将軍ですが、百姓一揆が多かったりしたらしいのと、武士の禄からも数%の天引きをしたというのを聞くと、ケチくさい話で幕府の安泰のために部下や民衆に負荷をかけたかなと思うのですが・・・

火事と喧嘩は江戸の花・・・
実は江戸は大火が多く、一旦火がつくと毎回大火事になってしまい、当然再建のために財政難になるのは必至。
それに歴代将軍の贅沢のしわ寄せがあり、民衆に嫌われたくない仕事を後回しにし続けたのが原因のようです。

しかたなく、嫌われ役を引いたような感じですね。

吉宗は民衆の意見を集めるために目安箱を設置したり、これ以上火事が酷くならないように江戸町火消しを設置したり、訴訟の複雑化の対応に名奉行大岡忠相(おおおかただすけ(大岡越前)を雇用するなど、様々な改革を進めました。 
小石川養生所の設置では医療改革もしています。
吉宗は洋書が好きだったらしく、キリスト教の書物以外は解禁となったので、この時に蘭学ブームが起きたようです。
学問も好きだったようですが、武芸にもしっかりと励んだようで、やっぱりそれなりの人物でなければ将軍は務まらないようです。

人形浄瑠璃で有名な近松門左衛門の影響で江戸中で心中が流行りました。 遊女と若旦那とか、身分が違ったりでは一緒になれなかったり、不倫等は許されていなかったので色々な事情で一緒に死ぬのが流行りました。
江戸庶民としては「好きにさせてやれば」という心境だったでしょうが、吉宗はそれを許さず、心中に失敗した者を晒したりしたようです。

日本人はどうしても心中を美談にしてしまう風潮があり、放っておくと風紀を乱してしまうのでかなり厳しい措置をしたのでしょう。





さて、大奥についてですが、これが一番財政を逼迫させているのは明白。 しかし、大奥というのは権力を持っています。 正室は公家、宮家、天皇家から迎えますし、次に家柄の良いところから側室、それから武家からは大奥女中、街中から行儀見習いとして奉公・・・とまぁ、女性だらけでやってますからそりゃもう権力は強くないとまとまらない。
将軍とはいえ、大奥の人事等は簡単には手をつけられません。
しかし、大奥の予算は現在に換算すると500億円以上もかかっていたとか。 
将軍ひとりのための1000人近い女性が用意されていて、身分が低ければ将軍の目に留まる確率なんて無いに等しい・・・というか、目が合うようなこと等も絶対に無いような無駄なハーレム。
実に幕府の予算の20%以上を消費していたようです。

その頃の大奥は風紀の乱れが色々とささやかれていました。
お寺参りと称しイケメン僧侶と関わる者がいたり、歌舞伎役者と関係する者がいたり・・・



吉宗、紀州では正室を亡くしており、側室を取らずに過ごしていました。 しかし、跡継ぎは作らなければなりません。 
33歳になったある時に命を出します。

「奥向きの女中の中で、25歳以下の容姿の優れたものを選び出してまいれ」

大奥・・・色めき立ちます キタ━(゚∀゚)━!! ついに来た玉の輿のチャンス。

よりすぐりの美女達数十人が、最高のモチベーションで吉宗の前に揃います。
そして吉宗は・・・

「今日限り、そのほうたちにヒマをつかわす」

一同( ゚д゚)ポカーン(゚Д゚;∬・・・ようするにリストラです。

しかし、たいした文句が出ずにこのリストラは成功します。
吉宗の言い分は
「君たちは美人すぎるから解雇。 
    それだけ綺麗ならここを出ても良縁があるよ 」

というわけです。 これはなかなかいきなお話しです。

選ばれた女性たちは、幕府お墨付きの美女として公式に認められたわけで、最高にプライドを満たされたわけですから、そりゃ~文句は言うに言えません。

このリストラは功を奏して経費削減に拍車がかかったようです。
一説には吉宗をたらし込んだ側室の陰謀というのもありますが、なかなか興味深い内容です。
吉宗は母親の身分が低かったからなのか、嫁の貰い手のないような地味な女性が好きだったようです。


さて、そのへんの逸話もあります。


ある時、鷹狩りに出かけた吉宗は、道すがら、ある農家に立ち寄ります。
その時に吉宗はその農家の娘を見初めます。
何が彼の心を掴んだかといいますと・・・

見ていると農家の大柄なその娘、米俵を両手に軽々と持ち、ヒョイヒョイと運ぶではありませんか。

「俺の子を産んで欲しい・・・」

すぐにその娘を召し抱える事となったそうです。
昔の乳児死亡率は半端ではありませんでしたし、とにかく武士の子はまず丈夫でないと話が始まりません。
吉宗の目の付け処はやはり普通ではありません。

正室が亡くなった後の吉宗は、数人の側室を置くだけに留めたようです。
権力を持ったとしても、節制は大事ですね。

その後も沈着冷静に政治を行い、幕府をしっかりと立て直した吉宗。
一度たりとも声を荒らげるような事もなく、自ら質素を貫き、部下には慕われたようです。



自ら発注し、江戸に象を輸入したそうで、生類憐みの令を出した綱吉が好きだったようです。
動物好きかもしれません。
経済発展は停滞させてしまいましたが、なかなか魅力的な将軍です。

何といっても、自分から手本を示す上司、リーダーというのは素晴らしいです。
本物のスケールの大きな男、見習うべきところ大いにありです。
現代では女性をリストラすると、どんな理由でも恐いでしょうね。


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