鎌倉歴史文化交流館 企画展『没後800年 北条政子―鎌倉を生きた女性たち』及銭洗弁財天の白梅
鎌倉歴史文化交流館の企画展
『没後800年北条政子―鎌倉を生きた女性たち』の
展示は別館で一度外に出てから入ります。
展覧会サイト
https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/rekibun/2025_12_hojomasako.html
岩崎家の所有であった頃に造られたものといわれる三つのアーチ状の横穴、
その左隣に中世に遡る「やぐら」が望める庭園もすてき。
本館の展示はほとんどが写真撮影が許可されていましたが、
企画展『北条政子』は撮影可能なものと不可のものがありました。

『吾妻鏡』の承久の変の際の政子の御家人たちへの言葉の部分の展示。

最近の歴史番組によれば、政子が尼将軍と呼ばれたのは、
その権力を皮肉られたのではなく、実際に将軍としての役割を果たしていたからとのこと。
『吾妻鏡(関東将軍次第)』には実朝と頼経の間に「平政子」
すなわち北条政子の名前があり、実朝の後の将軍として
認められていたことがわかります。

名君として名高い唐の太宗の著書『貞観政要』の複製も展示。
女性が政治を行うことの正当性と政子が『貞観政要』を読んでいたことを伝えています。

源義経、藤原泰衡など頼朝の奥州攻めで亡くなった武将たちの
鎮魂のため建立されたと言われる永福寺遺跡から出た
数珠と白磁の壺ががとてもきれいです。

頼朝と政子が住んだ大倉幕府跡から出土した南宋時代の青磁劃花文碗。
この花のライン、好きです。
政子が使っていたとしたら、趣味がいいですね。

鎌倉中期から南北朝時代の武家屋敷の遺構と考えられる今小路西遺跡から出た
鏡、櫛、はさみ等女性の暮らしをしのばせる品々。
写真ではわかりにくいけれど鏡の模様には平安時代の繊細さがあり、
鎌倉時代初期のものと考えられるとのこと
政子もこういうのに顔を映していたのかしら?
同じく市内で出土した紅皿。花の形が可愛いですね。

江戸時代までの政子像の変化についての説明。

幕末、慶應3年に二代目歌川広重が描いたにかれた風刺画『鎌倉栄餅春』の
中の江戸城大奥風の北条政子。

明治時代に出た『かるたあわせ鎌蔵武勇六家仙』に時政や義時らと描かれた
北条政子。義経と実朝も服装が思い切り明治風。
小説『北条政子』の原稿も展示されていましたが、写真禁止でした。
北条秀司の戯曲、読まなきゃ。
展示を見た後、銭洗弁財天まで歩きました。途中、休業していた飲食店の
垣根から咲いていた紅梅。

銭洗弁財天の金運を呼ぶ湧き水でクレカ洗っちゃいました(笑)
ここの境内では白梅が見ごろでした。





















