『海上の悲劇』(クリスチィ短編全集 4 創元推理文庫より) | 実以のブログ

『海上の悲劇』(クリスチィ短編全集 4 創元推理文庫より)

クリスチィ短編全集 4 (創元推理文庫 105-4) 文庫 – 1967/5/19
アガサ・クリスティ (著), 宇野 利泰 (翻訳)
 

同じ内容で現在、出回っているものは下記の装丁です。

 

 

題名からわかる通り、海の上、地中海をゆく船の中で発生する殺人事件。

写真はボトルシップを趣味としていた父が昔買ったプラスチックの帆船。

真ん中にはブランデーのミニボトルが入っていましたが、代わりに

エルキュール・ポワロに似ていないこともないメトロン星人に乗船してもらいました。

「クラッパートン大佐? なにが大佐だ!」乗客の一人フォーブズ将軍の
あざ笑う言葉で始まります。将軍の話を聞いているのは灰色の髪にするどい黒い瞳を持つ45歳の未婚女性ミス・エリー・ヘンダーソン。クラッパートンは戦争前はミュージックホールの芸人、ドイツ軍との戦いで腕を負傷し、「頭のほうはさっぱりだが、金は唸るほどもっておる」カリングトン未亡人の病院に収容されたことがクラッパートン「大佐」出現につながったとのこと。この大佐の前歴も事件にからみます。

将軍が運動のため出ていくとミス・エリーはポワロに「意地悪なスキャンダル話が好き」と正直に語ります。それでも視線は品が良く、年より若く見えるすらりとした姿。


エリーに代わって「王妃のような動作」でポワロと向かい合ったのは夫のジョンを探しにきたクラッパートン夫人。マッサージと規定食で肥満を防いでいる体。「遠くからだと二十八かとも見える」けどよくみると実年齢の四十九歳を通り越して五十五かとも思われる」。本人は「四十三歳より、少しでも若く見せようとなんて考えたこともない」と平気な顔でうそ。「たいていの人にあなたはいきいきしていると言われるけど人間いきいきしていなかったらどうなるでしょう」とポワロに問いかけます。ポワロは紳士ですからあからさまに否定的な態度はとりませんがこの「我意のつよい」夫人を満足させる言葉は発しません。顔をしかめたクラッパートン夫人は甲板へ。そこでは夫ジョンとミス・エリーが会話中。夫人をデッキチュアに座らせ、気遣い、いたわるジョン。不愉快なものを見るように水平線へ視線をうつすエリー。

 

船がアレキサンドリアへ着く前夜。クラッパートン夫人とフォーブズ将軍と一組の夫婦の4人がブリッジをすることになります。クラッパートン夫人は「ジョンはしませんわ。彼くらい退屈な男はありませんもの」と言い放ちます。なぜ退屈かというとジョンには手品の心得があり、誰にたいしてもこちらに都合のいいカードを配ることができるので友人とのゲームは楽しめないのです。


船はアレキサンドリアへ入港。クラッパートン大佐をいやな奥さんから「救助」したい十八歳のパミラ・クリーガンとキッティ・ムーニーに引っ張られたジョンは上陸を決め、妻のアドリーンにも声を掛けますが、「昨夜は眠れなかったのできょうは一日ベッドにいたい」との答え。ボーイが入ってこないようにドアにも鍵をかけ、夫が旅行案内書を取りに入りたいといっても拒絶。三人だけで出かけられて喜ぶ少女たち。
 

その日の夕方戻ったクラッパートン大佐が船室をノックしても返事はありません。アドリーンは寝棚(船室のベッド)で殺されていたのです。部屋の中に土産物らしき首飾りが落ちており、いくらかの現金がなくなっていたことからゆきずりの物盗りの犯行とも考えられましたが…

このお話は犯人が誰であるかはポワロでなくても察しはつきます。焦点はアリバイ作りと犯行のトリック、それをポワロがいかにして暴くかですね。そして不愉快な女アドリーン・クラッパートンとその夫をめぐる船内の人間関係も読みどころです。


アレキサンドリアに着いた朝、楽しげに街へ出てゆくクラッパートン大佐と二人の娘を見つめるミス・エリー。彼女も日除けの帽子にハンドバッグを持ち、上陸のための服装をしていましたが、ポワロに「おでかけですか?」と問われると否定します。中年女性の淡い失恋の瞬間?

この悲劇で亡くなるのはアドリーンだけでなく、犯人もまたポワロに真相を暴露されたショックから命を落としてしまいます。それもあってラストでミス・エリーは「残酷なむごたらしいトリックを用いた」とポワロを責めます。「人殺しはゆるせませんからね」と答えるポワロ。

ミス・エリーの言い分は苦しめられている人が苦しめている相手を殺した事件なのだから、ゆきずりの犯行で片付けて真犯人を見逃すべきだというのでしょうか。私としては犯人があまり同情すべき人間には思えません。

 



デビット・スーシェ主演のドラマ版を視ますと舞台になった船はタイタニックのような豪華客船ではなく、運動のために甲板を何周もジョギングしているフォーブズ将軍が船から落ちてしまいそうな感じです。それでもラウンジは天井は低いながらも落ち着いた雰囲気でグランドピアノ?が置かれ、乗客が歌っていたりします。そして原作には登場しない相棒のヘイスティングスが船旅に同行しており、少女たちにクレー射撃を指導しています。

 

ドラマ版ならではの楽しみはアレキサンドリアで上陸した登場人物たちの様子。作り物のラクダにまたがって記念写真を撮るヘイスティングスを「便秘でもしてるみたい」とか「二つめのケーキを注文するためと勇気を奮いおこしている」と評するポワロ。ドラマではミス・エリーも一人上陸し、琥珀のネックレスを売りつけられています。ミス・エリー・ヘンダーソンの年恰好は原作通りですが、性格は原作とやや異なっていて「意地悪なスキャンダルが好き」などと口にするタイプではありません。でもラクダの撮影コーナーでポワロらと行き会うと妻をおいて上陸したクラッパートン大佐が一人だったかとポワロに尋ねます。少女二人と一緒だと知ると「二人は子供じゃありませんわ。私も」と意味深な言葉。

 

事件前夜に被害者とブリッジをする夫婦は原作には名前は出てきませんが、ドラマではモリ―・トリバーとその夫。トリバーが明日アレキサンドリアの美術館に行くのを楽しみにしている」というと見下した感じで「昔のものには興味がないから上陸しませんわ」と言い、勝手に彼らを子なしと決めつけて「子供がいなくてよかったと思いません?」と話しかけ、モリーが「私たちには子供がいます。男の子と女の子」と答えると吐き出すようにで「退屈な話」と言い放ちます。自分が中心になれない話題はすべて退屈、クラッパートン夫人にとってはアレクサンドロス大王もクレオパトラもピラミッドも古くてつまらないだけ。クラッパートン夫妻とは対照的な上品で円満なトリバー夫妻との会話で被害者の不愉快な女ぶりが鮮明になります。一方、乗船客の中には昔、被害者に恋焦がれた人がいて、その頃はあんなふうでなかったと語るなど物語に厚みが加えられています。

原作を読んでからドラマ版を視ると脚色の巧みさが改めてわかりますね。