両大師の豊後梅―断捨離を悔やむ?
熱海へ行った後、『金色夜叉』の貫一に扮した母方の祖母の写真がどこかにあったはず?と探したけれど見つからず…2018年に母が緩和ケア病棟に入る直前、介護ベッドを入れる必要から古いアルバムのうちの1冊を母に「これ捨てていい?」と尋ねて「いいよ」と言われたので処分してしまったことを思い出しました。おそらくはあの中に入っていたのでしょう。おそらくよちよち歩きの母が椅子につかまっている写真も…
なかなかものを捨てられない私がなぜあれに限ってあっさり捨ててしまったのか?…考えてみると母方の祖母をしのぶものは少ないのです。高校卒業まで同居していた父方の祖母には思い出も形見もたくさんあります。でも私がまだ赤ん坊の頃に骨髄性白血病で亡くなった母方の祖母の記憶は全くありません。
さらに母の兄夫婦と妹の一人は私ども家族があまり得意でないキリスト教系の宗教の信者になっていて、はっきり仲たがいはしていないけれどなんとなく疎遠です。
母から聞いている話では母の父は母が小学生の時にふとした病で急死、母方の祖母は菓子店を営む傍らいろいろな仕事をして男2人、女3人の子供を育てたのだそうです。
そんなわけですから母は中学しか出ていませんし、末の弟は仕事を求めて十代で北海道へ行ったとか…
この叔父の存在を私は高校生ぐらいまで全く知らないまま育ち、一度も会うこともなくこの叔父も亡くなっています。普通北海道に叔父がいたら「遊びに来い」みたいな話になってもいいように思いますが、母に年賀状ぐらいしか来ていなかったようです。
そんなふうに苦労の多い人生を送ってきて初孫の顔をみてまもなく
亡くなってしまった母方の祖母。貫一に扮した日、それは祖母の人生の中では数少ない楽しい日だったのかもしれません。記憶の中でその写真の祖母は楽しそうな表情です。アルバムそのものはひどく傷んでいて保管不能だったかもしれませんが、あの写真と幼少の母の写真だけでも保存しておけばよかったのに…
などなど妙に落ち込んでいるうちに…気がついたら上野両大師の紅梅や上野公園噴水脇の寒桜の花が終わってしまっておりました。両大師の手水舎脇の豊後梅の花盛りは22日に見て、雨にぬれながらも咲く姿を写真に撮れましたが。
梅の樹は珍しくありませんが、上の方にしか花が咲いていないものが
多く、写真も黒く映ってしまうことが多いのです。ここの豊後梅のように
迫力のある枝ぶりが低いところまで伸びていてかぶりつきで楽しめる
樹はなかなかありません。大倉山や池上、湯島のような梅の名所へ
行けば、いくらでもあるのかもしれませんが。
旗が映りこんでいるのは本堂に向かって左側の梅です。
古いアルバムのことも熱海に行かなければ、思い出しもしなかったかもしれませんが、このところどうしてだか記憶のない母方の祖母のことを考えてしまうのです。
もしも母方の祖母がもう少し長く生きていたら…もしかしたら私が子供のころ
ピアノなどの音楽教育が受けられるように導いてくれたかしら?ひょっとしたら
ピアノを買ったり、月謝を援助したりしてくれたかしら?
そもそも母の兄一家が私たちから見ると不思議な宗教に入ったのも祖母の
死が関係しているかも…
母方の祖母がもう少し長く生きていたら…私も自分のことしか考えない
母に言わせるとわがままな父方の祖母そっくりに育つこともなく、
ピアノでも習って情操豊かな女の子に育ったかしら?
そんなことを考えちゃうのですね…。考えてもしかたがないし、もしも
ピアノ大好きな音楽少女になっていたら、関東では家賃が高くて
ピアノがおけるところに住めないという理由で、あのまま長野にいたかも。
自分の人生で数少ない?正しい選択の一つは故郷を出たことなので、
やはりこれでよかったのでしょう。
一方、今の仕事がもうすぐ定年になり、今後の人生を考える時、
音楽とか演劇とかとどう向き合うのか…その辺のモヤモヤを
今抱えていて、それで父方にはない音楽や芝居の趣味があった母方の
ことを考えてしまうのです。
心療内科の先生に話したら、過去のことから心を離すために、これからのことを考えることを勧められました。
春から自治会の役をやることになっていて…不安と共に住まいの周辺に
ついて今よりよく知ることができるかもという期待もあります。
それからとりあえず、カルチャースクールの単発のオペラ講座を
予約しました。