『三破風館』『シャーロック・ホームズの事件簿』(光文社文庫)より
シャーロック・ホームズの事件簿 新訳シャーロック・ホームズ全集
A・C・ドイル/著 日暮雅通/訳 光文社文庫 2007年
光文社サイト
https://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334761820
以前、ブログで書きました通り、父が読みたいという和久峻三が新刊書店で見当たらないので、勤め帰りに行ってみた古本チェーンで見つけたので買ってみました。ドイルが最後に出版したホームズ短編集です。脳内にコナン・ドイルが現れていうのです。
「君はクリスティのミス・マープルものを全て持っているね。ホームズものもいくらか買ってもバチはあたらないのではないかね?」
そう「バチは当らない」その考えの元にどれだけお金とスペースを取られていることやら(笑)。

少女時代、学校の図書館が一番の友達だった私は、ホームズものもかなり読んでいましたが、これはグラナダTVのドラマで初めて知ったお話。真相が男女の愛欲、それも真剣な愛からではなく、恋はしても結婚はどうもといういわば勝手な?考えから起きた事件だからジュニア版にはできないのでしょう。
ワトソンがホームズとの冒険のうちでもっとも唐突なはなばなしい始まり方をしたと評する事件。大きな顔につぶれた鼻を持つ巨漢の黒人がいきなりベーカー街の彼らの部屋に現れて「ハロウのことに首を突っ込むな」と脅すのです。ホームズは彼がプロボクサーのスティーブ・ディクシーであると看破し、弱みを握っていることを話して非暴力で追い返します。ホームズは脅されたことで調べてみる気になったのがハロウ・フィールドにある三破風館に住むメイベリー夫人から相談された件でした。
推理小説の題名になっている館とついている家はたいてい豪邸ですが、三破風館は上の階の窓の上部にちょっとした出っぱりが名前の言われにかろうじてなっているという程度の建物。家の裏手はわびしげなマツの林でみすぼらしくて気の滅入る感じがしたが家の中のしつらえが立派でメイベリー夫人はたしなみと教養を備えていました。ホームズは彼女が
以前から知っているダグラス・メイベリーの母で、ダグラスが赴任先のローマで肺炎で死んだことを知ります。夫人がいうには「自慢の息子だったダグラスがほんの一月のあいだにぼろぼろにくたびれて世をすねた男に変わっていた」。
しかし夫人がホームズに相談するのは息子のことではなく、三破風館の売却話。三日前に訪ねてきた不動産屋が市場より高い値でもいいので買いたい人がいるというのです。それも建物だけでなく家具調度も含めて。しかし弁護士に契約書を見てもらうと売却と同時に何一つここから持ち出せなくなるとのこと。不動産屋は家だけではなく、全てでなければ契約が不成立だと言うのです。ここまでの話を盗み聞きしていたのが女中のスーザン。ホームズはスーザンが事件の黒幕の回し者であることを暴露。謎は先週イタリアから送られてきたダグラスの遺品にあると感じ、夫人に中身をチェックすること、弁護士のスートロに館に泊まってもらうことを勧めます。しかしその夜、三破風館に強盗が押し入るのです。
ホームズは賊が奪っていった「紙の束」からメイベリー夫人がもぎ取った一枚を手掛かりに黒幕の元へ乗り込みます。あまり書くとネタバレになりますが、全ては屈託のない愉快な人間だったダグラス・メイベリーがどんより、むっつり、くよくよしてばかりいるようになってしまった原因、破れた恋から起きたこと。

読み終わった後、私としてはどこか釈然としないものが残ります。母親なら明るい青年だった息子が鬱々とした人間になってしまった理由を知りたいはずです。息子の遺品の中に本人が書いたものがあれば、早速読んでみるのではないでしょうか。そうすればこれが狙われていることに気づいたのでは?それとも息子の死がつらすぎて遺品が見られなかった?
ホームズもなぜ、三破風館を訪問した当日に遺品をチェックし、安全な場所に移動しなかったのでしょうね。そしてホームズの導いた解決というのも黒幕…ダグラスと恋に落ちながら彼が自分の「人生設計からはみ出した」から傷めつけた相手からメイベリー夫人の世界一周の船旅の費用を出させるというもの。ダグラスは殺されたわけではなく、直接の死因は病気、強盗の実行犯以外は法で罰せられる犯罪はないからなのでしょうか。もし私がメイベリー夫人なら世界旅行より息子の仇を取る、つまり書いたものを公にすることを望むような気がしますが、それは忠臣蔵の国の人間だからかしら? この顛末はそんな女を真剣に恋してしまった、ダグラス自身の恥でもあるし、復讐のためにスキャンダルを起こすなんて下品なこと。英国の上流階級はしないのでしょうか?
事件全容の整合性よりも舞台劇のように現れてくる登場人物の個性を楽しむべきお話なのかもしれません。ホームズたちを脅しつけるが過去の犯罪の話で青菜に塩のボクサー、正体を暴かれた女中、息子を失った悲しみの中でも静かに上品に暮らす、どこかのんき?なメイベリー夫人、そして絶世の美貌…だけど暗いところの方がいい年齢にさしかかり、ホームズたちの言うことを最初は
失礼な言いがかりと否認しながら、やがて態度を変えて彼らを紳士だとおだて、媚びるようななれなれしい笑顔を向ける問題の女。見かけは美しくエレガントに保ってはいても、中身は恋の後始末に暴力を用いるほど
堕落している、そんな当時の英国社会の闇が映し出されているミステリーです。