『ウルトラマンA』放送年に生まれた赤ん坊
何と申しましょうか…特に暮らしに困ったとか、病気になったとかはないのですが、
いろいろあって…例えば勤め先の新入社員が居つかないとか、偽サイト問題とか…
個人的にももっとゆっくりレジャーすべきだったと思ったり…振り返るのが怖いというか、
振り向くと落ち込んでしまいそうなので…。
150周年とか50周年とか歴史的?なことをちょっと書いてみましょう。
鉄道開業150周年で上野駅中央広場のクリスマスツリーのARで遊んだり…
パンダ来日50周年で上野公園の大きなスクリーンを見たり。
特別パンダファンでもないのだけれど癒されました。
今年中にぜひブログに書きたいと思っていたのは
『ウルトラマンA』放送50周年。
『ウルトラセブン放送50周年』の時のような展覧会がなくてちょっと
さびしいのですが…。
『A』放送の年に生まれた弟です。顔がはっきり写っていないということで
本人の了承を得てアップいたします。
1972年2月に生まれ、田舎のことで月遅れの端午の節句の写真。
生後4か月。
以前保育園でアルバイトした時、この月齢の赤ちゃんはまだ
お座りさせてはいけないのだと言われました。
確かにちゃんとお座りできずにくにゃんとなってますね(笑)。
母が申しますには母乳だけで足りず、粉ミルク混合で育てたら
こんなに太ってしまったとのことです。私は「ぽちゃし」と
呼んでいました。
1970年に曾祖母が亡くなってからちょっとさびしかった我が家が
弟が生まれて急ににぎやかになったのを憶えています。
今でも『A』を見たり、その関連の話題に触れると赤ん坊の泣き声や
笑い声、子守に四苦八苦したことが思い出されるのです。
そういえば、ちょっと不思議なことがありました。茶の間でコンビラックという商品名の
当時よく使われていたベビーチュアに座っていた弟がいきなりすごく楽しそうに笑いだしたのです。
ちょうど誰かに「いないいないばあ」をしてもらったかのように、でもそばには誰もいないのです。
あれは、もしかして、座敷わらしが弟をあやしていたのでしょうか。
保育園に通うようになると、他の子より発達がおくれている、自閉症気味であることがわかり、
小学校では一時期、普通クラスからはずされるなど、母は大変でした。
私もある時期は「一人っ子だったらもっとお金をかけて育ててもらえたのかな」と思ったりしました。
まあとりあえず今は何とか、家族としてやっております。エリートとは言えないけど、
私よりいい給料もらえる仕事についています。
赤ちゃんの時はぽちゃぽちゃしているのも可愛いものですが、
弟と来たら半世紀たった今も健康診断でメタボを指摘されています。
この年末年始は故郷の長野へ行っています。雪が多いみたいですが。
『A』放送50周年と言いつつ、ウルトラ関係の画像がなくてすみません(笑)
2023年は振り向かず、前を向いて進みたいと思います。





