#私のおすすめする一冊 岡本綺堂『綺堂むかし語り』より『震災の記』
光文社時代小説文庫(1995)
表紙の写真は下記アマゾンでごらん下さい。
青空文庫でも読めます。
https://www.amazon.co.jp/%E7%B6%BA%E5%A0%82%E3%82%80%E3%81%8B%E3%81%97%E8%AA%9E%E3%82%8A-%E5%85%89%E6%96%87%E7%A4%BE%E6%96%87%E5%BA%AB%E2%80%95%E5%85%89%E6%96%87%E7%A4%BE%E6%99%82%E4%BB%A3%E5%B0%8F%E8%AA%AC%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%B2%A1%E6%9C%AC-%E7%B6%BA%E5%A0%82/dp/4334720978
劇作家岡本綺堂が関東大震災での被災を書いた随筆。
大正十二年九月一日、その日の天気は「二百十日前後にありがちの何となく穏かならない空模様で、驟雨《しゅうう》が折りおりに見舞って来た」。それでもいつものように仕事、週刊朝日の原稿を書いていた綺堂、風に庭の朝顔やへちまがゆれていたことなど、よく記憶しています。この時点では予想していたのは地震ではなく暴風雨。
来客があり、早めの昼食を食べ、二階への階段を上がる途中、大きな鳥が羽ばたくような音と共に階段がみりみりと鳴りだし、壁も襖もガラス戸も揺れ出し、家族と共に外へでて門柱にとりつく綺堂。しかしこのゆれの被害はさしてなく、棚いっぱいの人形たちも博多人形の夜叉王の首が砕けたのをわびしく思うだけ。彼らとの別れが迫っていようとは思わなかったのです。
この随筆で衝撃的なのは正午直前に発生した当初、綺堂とその周辺の人々が危機感に乏しかったこと。岡本家の前に椅子や床几や花筵を出して一時の避難所を作ったものの、茶やビスケットやビールやサイダーを持ち出して一種の路上茶話会。

「しかしここらは無難で仕合せでした。ほとんど被害がないと云ってもいいくらいです。」と、どの人も云った。まったくわたしの附近では、家根瓦をふるい落された家があるくらいのことで、いちじるしい損害はないらしかった。(本文より引用)
神田や赤坂、銀座で火災が起こり、警視庁や帝劇が燃えているという情報が入り、その煙が遠く見えていても、まさか自分たちのところまでと思い込んでいて、日が暮れるまで避難する者はなかったのです。暗くなってから地震はおさまっても火災はおさまらず、燃える炎が見えてきて、不安がつのり始めます。でもようやく避難したのは何と夜半。
そこまでに至る状況、心境を当事者として克明に書いていることに驚嘆させられます。もっと早く避難を始めていれば、愛する人形たちや作家として大切な蔵書や資料の幾分かは失わずに済んだかも…なんて思ったのではないでしょうか。
避難すると心を決めた時、もうすぐ炎につつまれるであろう家とその周辺をながめ、活動写真のように少年時代の思い出が脳裏をよぎります。家の人々は皆黙って避難のための荷造り。この時「万一の場合は紀尾井町の小林蹴月くんのところへ」と避難場所を決めてあったこと、「いくら欲張ったところで仕方がないのでめいめいが両手に持ち得るだけの荷物を持ち出すこと」にしたことは不幸中の幸い?で私共も見習うべきところ。 今年読んだ新聞記事でも関東大震災の際、多くの人が車に載せるほどの家財を持って逃げようとしたことがさらなる悲劇につながったというものがありました。いざという時は執着に捕らわれないのが大事。
2011年の東日本大震災の時にも「これまでの経験から津波はここまでは来ない」と考えていたけれどそうでなかったという方のお話が報じられました。そして今、火災や津波ではないけれど、世界のあちこちで戦争が起きたり、人々が飢えたり、自由が抑圧されたり…まさか自分たちには…とついつい思ってしまうけれど、そうではないかもしれない、今のうちにできることは何なのだろう…今年は綺堂の文章を読んで考え込んでしまいます。
他にこの『綺堂むかし語り』には今年、大河ドラマで注目されている源頼家、範頼終焉の地である修禅寺、磯部や仙台の紀行文、ロンドンやフランスのランスの旅の随筆も収録されています。いつかそれらについてもレビューしたいですね。

